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以前の「日米」と違い「米中」の方は「一応仮想敵国同士」という点が大違いでございまして・・(憂慮)・4103(ある意味「健全な警戒&発想」なだけに・・・)

嗚呼、少なくとも中国様的には「ダライ・ラマ猊下の行動は究極の挑発行為」なだけに、中国様的には「ダライ・ラマ猊下の行動は究極の挑発行為」なだけに、こういう警戒行動取るのは当然でして‥(;´д`)トホホ

ホント、これも「第三次世界大戦・極東戦線」としての「第二次太平洋戦争」の開戦フラグってか‥(;´д`)トホホ

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中国がダライ・ラマのチベット地震声明を警戒した理由

1/14(火) 5:02配信 Wedge(ウェッジ)



 中国が支配しているチベットのシガツェ市ティンリ県で1月7日朝に発生したマグニチュード6.8の地震は、石積みの伝統家屋が多い村落を直撃し、少なくとも100数十名の犠牲が生じた。地震国の一国民として心よりの哀悼を申し上げたい。

 そして日本政府は石破茂首相の名でいち早く、中国の習近平国家主席・李強首相に対し慰問のメッセージを伝達し(日本外務省HP)、発生から一日後・8日の中国外交部定例記者会見でもその旨が紹介された(計22ヵ国の首脳が表明)。日本と中国の間には様々な懸案があるものの、このような事態においては互いに人命を思いやることが当然であろう。またチベットの地をめぐっては長年にわたり、中国による支配の妥当性をめぐる様々な議論があるが、少なくとも中国が責任を以て救援と善後処理に当たるのであれば、その事実を尊重するのが良いと考える。

 しかし災害は同時に、既存の様々な問題を改めて浮き彫りにし、被災した人々の当惑を広げることもある。筆者の見るところ、残念ながら今般の地震も、チベットの人々に新たな苦しみをもたらす可能性が高い。

記者会見問答をも消す中国の狙い
 そのことを端的に示したのが、同じ8日の中国外交部定例記者会見における、チベット仏教の最も代表的な精神的指導者にして、長年インドでの亡命を強いられてきたダライ・ラマ14世への言及と、その後の奇妙な措置であった。中国外交部の新任副報道局長である郭嘉昆氏は外国記者から、ダライ・ラマ14世が犠牲者への哀悼と負傷者の早期回復を祈る声明を発したことについてのコメントを求められると、「ダライ・ラマの分裂の本質と政治的な意図を我々はよく分かっており、高度な警戒を保っている」(共同通信、1月8日)と発言した。この報道に対し、日本のネット上では「様々ないきさつがあるにせよ、哀悼の意に対して何という冷たい反応か」という類の驚きと当惑の声が上がった。

 一般的な感覚からいえば、チベットの地で自然災害が生じれば、国外にいるチベット人が哀悼の意を表するのは当然のことであろう。一方少なくとも、被災者の救済を現時点で第一義的に進めるのは中国の手によるしかない。

 チベット亡命政府のペンパ・ツェリン首相は犠牲者慰霊法要の席上、「中国はチベットでの脱貧困を実現したと主張しながら、家屋やインフラは脆弱なままだったことが被害を拡大させた。脱貧困という言説は本当だったのか疑わしい」と批判しつつも、寒冷さゆえに一刻を争う救援を中国が実施することを暗に望んでもいる(中央チベット行政府HP、1月8日)。そこで中国は、政治的に対立する相手方の発言であっても、人命の喪失のみに言及した内容であればノーコメントでとどめ、粛々と救援と善後処理に徹すれば良かったはずである。

 しかし中国側はこのように過剰な反応を示した。のみならず、中国外交部HPに掲載されている8日の記者会見の内容において、以上のやりとりは最初から載っていない。これは一体どういうことか。

筆者の見るところ中国側は、そもそもチベットの人々の脳裏から、ダライ・ラマ14世という存在を消したいと願っている。その代わりに、習近平に導かれた中国共産党・政府の恩情・恩恵のみがチベットを救うという図式を、チベットの人々に心から実感させたいのであり、そのような図式を大いに宣伝することによって習近平政権の正しさを中国の人々の心に改めて刻もうとしている。

 ダライ・ラマ14世がメッセージを発してチベットの人の心に届け、人々を元気づけようとすることは、習近平・中国共産党・中国政府の恩情の深さを相対化してしまう。だからこそ習近平中国は、地震という局面においても間髪を入れずに「分裂主義の本質と意図」という表現を使った。

仏教と中国ナショナリズムの不和と破局
 中国側がかくも執拗な態度をとるのは何故か。

 チベットと中国の関係は極めて複雑かつ敏感なものであるが、端的にいえば、前近代においては仏教を介したつながりもあったところ、近現代になって中国ナショナリズムが生じた結果、変質と混乱の深みに陥った関係である。とりわけ、チベットも「主権国家・中国の領土の一体性」の中に固く組み込まれるべきとされた結果、両者の関係からは柔軟性が失われてしまった。

 しかも弱肉強食と「進歩」「発展」といった近代主義の諸思想が中国ナショナリストの脳髄を満たした結果、仏教社会チベットは「遅れた存在」と決めつけられた。こうしてチベットは、より「先進的」な漢人社会・中国文明の求心力に次第に融け入って、《中華民族》の一員となるべき」という圧力に、一方的に従属させられ続けた。この点は、ウイグル人などのトルコ系イスラム教徒やモンゴル人も全く同様である。

 これに対し、仏教徒としての誇りを抱くチベット人が反発し続けて来たのは当然であった。

 1645年以後ラサを都として成立し、清の満洲人皇帝とも深い関係にあったチベット政府は、清末新政の混乱(近代主義がチベット仏教を否定した端緒)と1911年の辛亥革命を機に明確に北京とは距離を置き、英国を頼って自立を目指したが、毛沢東は1951年にチベットを完全に軍事的に制圧した。

 毛沢東中国はその後、強権によりチベットの社会と文化を改造しようとしたことで、ついに中華人民共和国史上最大の内戦とダライ・ラマ14世のインド亡命という悲劇が引き起こされ(1959年のチベット動乱)、仏教中心の社会は全面的な破壊を被った。

経済発展だけでチベット人の心をつかめるのか?
 改革・開放時代に入ると、中国の胡耀邦政権は毛沢東時代への反省から穏健な少数民族政策をとり、チベットの言語・社会・文化も息を吹き返した。しかし毛沢東時代に形成されたチベット人の中国共産党に対する疑念と、対話と平和を掲げて国際社会での名声を高めたダライ・ラマ14世に対する求心力の高まりとともに、チベットでは経済が発展するほど独自のアイデンティティも強まった。

 中国共産党は、経済発展を通じて貧困を解決し、中国社会の中でチベット人も利益を得れば、今度こそ「中華民族の大団結」が実現するはずだという図式を描いていた。しかししばしば中国共産党は、「実はチベットの人々は依然としてダライ・ラマ14世に従い、中国共産党の正しい路線と恩恵で豊かになり始めた事実を必ずしも認識していない」と気づかされ、動揺した。

 具体的には、ダライ・ラマに次ぐ重要な活仏(大乗仏教の精神で何度でも生まれ変わり人々を救うとされる)であるパンチェン・ラマ11世を1990年代に選ぶ際、本拠であるシガツェのタシルンポ寺が中国とではなくダライ・ラマ14世と連絡を取っていた事実や、ダライ・ラマ14世が経済発展による贅沢を戒めたところ、各地で人々がこぞって贅沢品を焼いたという出来事である。その都度中国はダライ・ラマ批判を人々に強要し、とりわけ僧侶に対しては厳格な愛国主義教育への参加を義務づけたが、ついに反発が2008年の独立運動として噴出した。

 このとき中国共産党のトップであった胡錦濤は、1989年早春にラサでのチベット独立運動を鎮圧したことが鄧小平に認められてトップに登り詰めた人物であり、2008年のより大規模な独立運動を徹底的に鎮圧した。同時に胡錦濤は、中国が「世界の工場」の座を固めた中、経済的威圧を使うことで西側の批判を封じ込めた。

 その後、北京オリンピック(五輪)が成功し、リーマン・ショックも起こると、ついに中国はグローバル外交における低姿勢(韜光養晦)を改めて明確な大国化路線に舵を切り、「和諧(調和)社会」というスローガンも強権による「社会の安定」と同義となってしまった。

今度こそチベット人を「中華民族」にしようとする習近平
 続く習近平政権は、高度成長期の江沢民・胡錦濤政権と比べて経済に暗く特異なように見えて、実は改革開放史を通じて次第に顕在化した西側への対抗・漢人主導の「中華民族」主義をいっそう明確にした存在である。ある意味で、20世紀以来の中国ナショナリズムが行き着いた「正統」な姿である。

 その習近平政権は、西側諸国を完全に出し抜いて中国が世界を主導する「中華民族の偉大な復興」を実現しようとする中で、「中国の発展は、世界最古最長の文明にして強い凝集力を持つ中国文明の智慧によって実現される」というショービニズム的発想を全開にしている。そこで習近平は、今こそ中国内のあらゆる少数民族、そして香港(さらに台湾)も「中華民族の大家庭」の一員としての自覚を徹底的に固め(「中華民族共同体意識の鋳牢」)、各民族があらゆる場面で互いに嵌まり合い融け合うかたちでの発展を実現せよと説く。

 新疆で2017年以後出現した極端な監視社会・強制収容所体制はその典型であるが、チベットでもその前から近似の手法はとられており(新疆の事態を引き起こした党委員会書記である陳全国の前任地はチベットであった)、チベット仏教を中心に創りあげられてきた独自の社会と文化、そして文字と言語はいよいよ存亡の危機に晒されている。

 具体的には、チベット語による教育は既に2000年代から大幅に狭められていたところ(小学4年以上では主要科目は華語のみ。これに加えて英語=外国語と同じような位置づけで、申し訳程度にチベット語の授業あり)、最近では小学1年から完全に全教科で華語化され、将来にわたるチベット語・文字文化の再生産に大きな疑問符がつく事態となっている。

 また「宗教中国化」、すなわちあらゆる宗教から外国・「外部勢力」とのつながりを消し、中国共産党が導く「中華民族」の枠内で完結した信仰に書き変えるという方針のもと、経典も華語訳したものを使うよう求められ、拒否すれば「ダライ・ラマ分裂主義分子の影響を受けた」として処罰されている(RFA=ラジオ自由アジアにおける2022年頃のチベット関連記事を読むと、このような改変が矢継ぎ早に行われたことが分かる)。

中国ナショナリストの視線に追い詰められるチベット人
 以上のことから習近平政権は、中国と外国・「外部」とのつながりについて、それは中国文明と中国共産党の価値観を完全に共有する、「中華民族」の主導者たる漢人が担えば良く、少数民族(そして香港・台湾)は「中国文明の論理と関係なく外部勢力とつながり、祖国中華と中華民族の団結を壊す」ため信用出来ないと考えていることが分かる。

 その代わりに習近平政権は少数民族に対して全力で「中華の恩恵・温かさ」を届けようとし、それに表向き感謝する人々の表情を大々的に宣伝している。それは同時に、過去30~40年来の経済発展と宣伝の中で広まった、「今度こそ、我々中国こそが本当に善意ある存在であり、チベット人の生存権を満たし、発展させる存在なのだと理解して欲しい」と願う、純粋培養的な中国ナショナリストの期待に応えるためでもある。

 日本では余り知られていないことだが、中国では既に経済発展と観光業の発達を通じ、チベットのイメージは、かつての毛沢東流の「残酷で暗黒な宗教封建社会」から、「自然と精神性豊かなかけがえのない土地であり、そのようなチベットが中国の一部分であることが誇り」という見方に変わっている。それゆえに、ダライ・ラマや西側諸国など「外部勢力」が、中国の「善意」をよそにチベットで一層大きな影響力を持ちうる可能性を恐れ傷つき、激しく反発するという思想構造がある。

 このような状況の下、チベット現地に住む人々には選択の余地は全くない。彼らは、中国と「外部」との関係がこじれるほどますます、習近平・中国共産党・純粋な中国ナショナリストの「善意」を受け取り感謝することのみが認められている。

 このような状態は、被災した人々にとってどの程度慰めになるのだろうか。これは単にチベットだけの問題ではない。「中国が真の恩恵をもたらし主導する世界」なるものが将来もしも実現した場合、日本も含め如何なる国・地域も逃れられない問題なのである。(Yahoo!より抜粋)
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