やめてほしいなぁ、ほんと。
ルルーシュやってる!わー!やっぱりおもしろいなぁ。近年やってるアニメの中じゃ最高におもしろいって、これ。しかしだね、この話は最終的にルルーシュが死にそうな気がするんだけど、この話は「悪役」のほうが筋が通ると思うんだよねぇ。
昨日突然高校の頃の同級生から突然メールが来た。高校つったって、ブラジルである。そうそう同級生なんておらん。でまぁ、嬉しくて早速返事したわけだが、今のところまだ返事は来てない。
ただ、この人に関してはとあるサイトの配信動画でレポーターをやっているのをアメリカにいたときに見つけていて、何回か駄目もとでその地方局にメールを送ったりしてたのだがなしのつぶてで。まぁそりゃ世の中には変な人いっぱいいるだろうからいきなり来たメールを転送するわけにもいかんだろうし、理解はできるんだけどさ。でも転送だけでもしててくれたら5、6年前には一回くらい話せたのにぃ・・・とか思いつつ、メールを待っている。
夜遅めの打ち合わせから帰ってきて、ビール飲みながらprototype.js + scriptaculous.js からmootools.jsに移行作業中。とりあえずトップページはできた。あちこちまだ直さなくちゃいけないけど、なんせJSの量が半分くらいになるからなぁ。がんばろ。
26:30、ようやく移行作業完了・・・と思う。
モバイルサイトのバッドノウハウを集めたwikiとかないのかなぁ。ないなら誰か一緒に作りませんか?
ふつふつとmoxyもどきを作りたい欲求がでてきた。しかも一番の要求は端末エミュレーション。例えば、「保存モード」で実行しておいて、一回ある機種の携帯からアクセスすれば、その携帯が吐き出すHTTPヘッダーとかを全部保存して、後で「エミュレーションモード」で使えるようにしたい。
すると、開発サイクルとしては
色んな端末の情報を共有するためにCPANとかにMoxy::UserAgent::Hoge みたいなネームスペースでその辺りの実装をアップできるといいんじゃないかと思った。一回Moxyとは別に作るかなぁ。
初めて歌舞伎というものを観た。正直思ってたよりおもしろかった。ありがとー>O賀
冷やし中華もどき。麺はうどんw 錦糸卵は全然うまくできんかった。今度リベンジしてやる。
さて、やっと正式に閉鎖したので 誰も知らない裏方の歴史なんかをせっかくだから日記才人に関して書ける事を書いておこうと思う。とは言っても俺がかけるのは俺の事だけなんだが。
ちなみに以下を書く際には誰とも確認/相談してないのでもし登場する当人の意見やら事実関係が違ってたりしたらそれは俺のせいです。問題があったら指摘してくださいね。
日記猿人/日記才人はブログという言葉ができるはるか前にそういった個人のページの更新報告をとらえて周知するためのサイトのひとつでした。そしてそこは今日閉鎖しました。
そもそも1998年、当時アメリカで大学生をしていた俺は日本語に飢えていて、しかもようやく海外のPCでもネットで日本語を読めるようになってきていたので(それまではアメリカで買ったPCで日本語サイトを読もうとすると文字化けしまくってた)、とにかくあちこちのサイトを読みまくってた。
そんな中、良く覚えているぞ「ちゃろん日記」に出会ったのだ。そしたら日記猿人へのリンクがあって、そのリンクを踏んでみたのがきっかけ。というか、最初アクセスした時は真っ黒な画面だったので、アングラっぽくって俺は逃げました。後日ようやくシステムを理解したら、もうとにかく全ての日記を読みまくっていた。
まともに日本に住んだ事なかったから、正直全ての日記が面白かったなぁ。サラリーマンの人、主婦の人、学者さん、学生さん、風俗関係の方々、同業者。色々な人がいて、とてもカラフルだった。
2年程経ち、俺はカリフォルニアに引っ越して当時の管理人のyazさんに誘われるままにスタッフとしてメンテとかしはじめた。あの頃のyazさんは日記猿人をどうにかマトモな、非営利でもスタンドアローンとして動ける(=最低限採算が合う)サイトとして変えようとしていたので僭越ながらお手伝いをさせてもらうことになった。この辺から日記猿人に関わった事で自分の人生が変わって行った。
2000年の始めにちょっと私的にゴタゴタあって、その際、yazさんが面接だけでも受けてみる?と言ってくれたのをきっかけにyazさんと同じ某社に入社した。
その会社で当時一番理解していたJavaを"We don't give a flying f**k aboutobject-orientedprogramming, okay?(うちの会社ではオブジェクト指向なんてクソクラエだぜ?)"みたいな事を言われて全否定されてしまったので、Perlに乗り換えた。日記猿人もPerlだしね。これが2000年中旬。ここからPerl Hackerになった。今の仕事のベースができた。
そうこうしている間に日記猿人/日記才人改名問題がでてきたりして、残念ながらそれまでのサービスを支えていたyazさんは段々と日記才人に興味を無くして行った。当時yazさんはプライベートも色々と忙しかったのでしょうがなかったし、独り身でフラフラしていた俺がアクティブな役割を担うのは当たり前かな、という気持ちで俺がyazさんの最初の意志を継いで日記才人をどうにかしようと思ってた。そしてそれまでCGIで動いていたシステムをmod_perlベースにするとか、色々変更を加えた。でも正直管理人なんてなりたくなかったよ。普通にシステムのメンテしてたかったなぁ。
ちなみに書きながら思い出したのでひとつ言っておきたいけれども、日記才人改名の時はまだ俺がリーダーシップは取ってなかったし、俺は最後まで日記才人という名前には反対だった。
投票で新名称を決める事すら反対してた。でも俺が参加する前の時代のしがらみで、変更せざるをえない状況だったから変更しただけ。だから日記猿人の名前のほうがよかったのに、「敢えて日記猿人じゃなくて日記才人」なんて俺に言わないでくれ。俺もずっっとそう思ってたわ。
そんな間に仕事では開発テスト用のフレームワークを作ったりなんだりして、自分のエンジニアとしての方向性がようやくわかってきて、少し認められるようになってきた。オープンソースでモジュールを発表するようになったり、交流をするようになってそのおかげでその後の日本での仕事も決まった。当時なんもできなかった俺がなんとかエンジニアになれたのは日記才人のおかげだった。本当に感謝してもしきれない。
その後。結局日記才人に対しては俺もyazさんと全く同じ道を歩んで来た。日記才人のサイトとしては愛着もあったけど、もうどこかで絶望していた。
サイトを自力で生き残らせるために特殊法人のようなものにするとか色々考えたり、調べたりしてる間、俺もyazさんも最初は「コミュニティの力」というものを信じようとしてた思う。
商業ベースにのせなくとも日記才人を非営利でみんなのサイトとして存続させて行く事にみんなが少しずつでも手伝ってくれる事を期待してた。だけどそれは現実的ではなかったらしい。
一番よくサイトを使ってくれていた人達でさえ「がんばれ」と言うだけだったから、きっと「してくれなかった」のが云々とかそういう話ではなくて、そもそもそういう期待をしてはいけないものだったのだと思う。
一人一人の人間はどんなにいい人達でも顔のない「ユーザー」という存在にはそういう事を期待してはいけなかったんだと思う。
俺はサイトの裏側を知りたかったし、とてもお世話になったサイトだったからやったけど、普通はそんな思い入れないだろうし、行動もしないもんなんだと気づいたのは本当につい最近。
ともあれ。そんな事があって。結局日記才人というもののHTMLも、ソースコードも、データベースも、面倒みてるのは俺だけになってリニューアルもしてみたけど、なんか色々ゴタゴタして、俺も忙しくなって、他に興味がうつって、問題があるのは知ってたけど「まぁ落ちてないからいいや」というレベルで日記才人をほったらかしてた。当然使ってくれている人には悪いとは思ってたけど、もうその時点ではどうにも日記才人をメンテするための熱意はなかったのです。
で、なんで今さら閉鎖するかというと、単にサーバーを返してくれと言われたから。
2004年くらいまで日記才人は池川さんという方がサーバーを貸してくれていたのだけれども、その後池川さんの事情でそのサーバーは使えない事になった。
今のサーバーは俺がある仕事に対してお金をもらう代わりにサーバーを貸してくれと頼んで某社に貸してもらったサーバーだ。文句を言われない事をいいことに長い事好意に甘え続けてたし、これ以上貸してくれとは言えない立場だったので素直にサービスは終了することにしたわけです。ちなみに、ご迷惑をおかけいたしました。すみません>某社
そんな感じです。直接的な理由はしょうもないっちゃあしょうもないのだけど、ともあれ「終える」という決断をするのはどうにしても重かったです。だって10年ですよ。どんなにもう古びて廃れてきたサイトとは言え、10年の歴史の最後のピリオドを俺がうつんですよ。胃に穴があきそうです。
サイトを続けるって正直異様な情熱が必要だと思う。でももうその情熱は俺にはない。はるかに便利なツールがあふれているからもう誰もそれを期待してないしね。
そうそう、俺はサイトを潰した張本人と言われてもしょうがないので正直お礼を言われるのは筋違いのような気がする。そして別にそれはそれでいいんだけど、ひとつだけ、ちゃんと書き残しておきたい。
この10年間、日記猿人/日記才人というサイトは10人に満たない人達(その中でも特に俺以外の二、三人)の善意のみで続いていたんだ、ってこと。そして、誰もそれを表に出さなかった。俺は図々しいから言ってたけど。
感謝しろということではなく、単純に今の商業ベースのブログ達と比べた時に感慨深いと思うのだ。
あれは奇跡に近かった。
でもきっと本当に一部の人以外誰も知らなかったと思うのだ。
だからここに最後に記録として残しておく。
そういうわけで日記才人はこれでおさらばです。サイトとしては11年程、自分がお世話になったのは9年。
日記才人を使ってくれていた方々、長い間ありがとうございました。最後は放置してごめんなさい。
たくさんの人に出会えました。
今でもとても大切にしている人達もそこで出会えました。
敢えて書き出したりはしないけれど、日記才人で出会った人達はこれから先もずっとなんらかのおりに思い出したり、会って話したり、続いて行くと思う。
このサイトに出会えてよかったです。
長い間ありがとう、日記才人。
今日起きて最初にまずコーヒー。濱田屋のパンで昨日のカレーをはさんでカレーパンを食べながら、サーバーを落とし、DNSを変更。以上3ステップで日記才人閉鎖。
サービスを停めるなんてその程度のもんだ。
トマトで作ったキーマカレー。タマネギをバターで炒めて、皮を向いたトマトと一緒にコトコト煮詰めつつ、豚ひき肉を加えてカレー粉や鷹の爪等を加えて味を調整。茄子とピーマンは軽く油通しして、最後にまぜる。ブイヨン等はお好みで。煮詰まったらできあがり。トマトの甘みと酸味が凝縮されてすっごいうまいよ!
つけあわせはタコぶつともずくの和え物でした。