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オール・オア・ナッシング:”全か無か思考”を解きほぐす5つの方法

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 あなたは人生の勝者か負け犬かのどちらかだ。あなたは賢いかバカのどちらかだ。そして、物事は正しいか間違っているかのいずれかだ。イエスかノーのどちらかしかない。

 こうした考えが、オール・オア・ナッシング思考だ。結婚や家族問題のセラピスト、アシュリー・ソーンさんによれば、こうした思考法を用いると、選択肢が二つしかなくなってしまう。物事は白か黒かのどちらかで、中間のグレーゾーンは消える。

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 オール・オア・ナッシング思考はどんな状況にも当てはめることができる。自分自身に対する見方や評価も、しばしばこうしたものになりがちだ。この思考によって、自分が人として価値がある存在なのか判断し、経験や世の中の出来事に意味合いを与える。「これが得意だ」あるいは「苦手だ」、「これができる」あるいは「できない」といった具合だ。完璧主義者や心配性な人、自己評価が低い人にこうした考えが多いらしい。

 オール・オア・ナッシング思考には様々な弊害がある。視野を狭めてしまうし、極端でありえない期待の温床となる。物事のポジティブな側面(成功や賢さなど)が完璧なまでに実現しないと気が済まなくなる。しかし、こうしたことは起こりえない。そして、ネガティブ側の意見が選ばれる。その結果、自分を卑下したり、起きた経験を否定的に評価する。

 そこに間違う余地はなく、成長が織り込まれることもない。例えば、ソーンさんの依頼主は、「ひどい一週間だった」と話し始める。それどころか、後退したとすら思っている。彼らは悪い部分のみをあげつらい、「分かります?! 私はどうしようもないんですよ!」と嘆く。

 しかし、ソーンさんが彼らと話しを続けると、依頼主が気づいていないいくつものよい側面が見えてくる。だが、オール・オア・ナッシング思考はこうした見方を阻む。前向きな側面は見過ごされ、前進する意欲も失われてゆく。

 そんな思考様式にはまり込んだ人に、凝り固まった物事の見方を解きほぐす方法をソーンさんがアドバイスしてくれた。

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1. 結果と自分の成長を切り離す

 結果をもとに自分を評価すると、その答えは流動的でしかも滅多にポジティブにならない。例え一時の結果がよくても、絶えず変わるものであるためにポジティブな気持ちが長続きしない。そこで、もっと内面にしっかりと根付いた資質に意識を向けてみるのだ。例えば、思いやりや誠実さ、あるいは他人への共感や家族思いといったことに目を向けてみよう。心が成長しているのであれば、一時の結果が悪くても後に成功へとつながる。

2. 「or」ではなく「and」

 「自分は善人か(or)、悪人だ」と考えるのではなく、「善人で(and)、悪人だ」と考えるのだ。つまり、「自分にはよい面がたくさんあるし、よい行いもたくさんしているが、たまには間違いを犯すこともある」わけだ。

 あるいは、「最高の一週間か(or)、ひどい一週間」だったと考えるのではなく、「素晴らしいこともあったし(and)、嫌なこともあった」と考えるのだ。「and」を使えば断定的にならずに済み、他人や自分どちらもより理解できるようになる。

3. よい面に目を向ける

 ソーンさんは依頼主に、毎晩寝る前その日の出来事を2、3書き留めるという課題を与える。そして、そこから分かるよい側面も書き出してもらう。例えば、「仕事に行った」と書けば、頑張って働いたという証明になる。

 だが、ソーンさんの依頼人はこれを過小評価したがる。「仕事に行かざるを得なかった。さもなければクビだから。何よりも、誰だってやっていることだ」といった具合だ。だが、病欠の連絡してさぼることも可能だったのにそれをしなかった。すると、こう返す。「確かにその日は仕事に行ったが、2ヶ月前に体調が悪くて丸一週間休んだよ。これじゃ、勤勉とは言えないね」

 オール・オア・ナッシング思考を止めることは、完璧になれということではない。その瞬間の100パーセントである必要はないのだ。今日は仕事に行った。それだけでも、自分の素晴らしさを示している。このような考え方をすれば、自己評価はずっとマシなものになり、やる気や活力が漲ってくることだろう。

4. あらゆる選択肢を考える

 オール・オア・ナッシング思考で判断すると、情報が限定的にしか考慮されない。例えば、「息子は野球か、サッカーをやる」という判断は限定的だ。そうではなく、息子がスポーツに興味があるなら、もっと興味を持つスポーツは何だろうか、あるいはスポーツ以外の活動やスポーツと一緒に楽しめる活動は何だろうかと考えてみる。

 例えば自分の政治的指向が革新派、あるいは改革派と自らにレッテルを張らず、自分は一方を完全に支持しているのか、両方とも不支持なのか、それとも中間なのかと考えてみる。こうして自分の意見をカテゴリー化することも非常に役に立つ。

5. 以下の質問に答えてみる

・自分の価値とは? こうした価値は自分の思考、疑問、決定にどう現れているのか?

・問題のポジティブな面とネガティブな面、それぞれにある良い点と悪い点は?

・何が事実で、何が思い込みか?

・今の気分や過去の気分は?

 そうした感情をリストアップすると、状況ははっきり白黒つけられないということが把握しやすい。例えば、「就職の面接中、自信も不安もあった。恥ずかしくも、誇らしく、またワクワクもしていた。だから、面接は何もかもがよかったわけでも、悪かったわけでもない」と判断できる。

 オール・オア・ナッシング思考は柔軟性に乏しく、あまり役に立たない。これを解きほぐして広い視野を持てば、インスピレーションや勇気が湧いてくるだろう。他人とのつながりも充実し、豊かで生き生きとした人生につながるはずだ。

via:psychcentral・原文翻訳:hiroching

 そもそも完全な善も完全な悪も存在しない。善良であるが故に無自覚なまま人を傷つけてしまうこともある。真っ白も真っ黒もない。全てグレーで表面に出ているものが濃くなっているか、薄くなっているかだけだ。ネガティブもポジティブも、善も悪も、光も闇もすべては表裏一体で誰の中にも存在していると自覚することで、むやみに自分を責めることもなくなれば、他人を責めることもなくなるのかもしれない。

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この記事へのコメント、48件

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  1. んー、俺も最近まで目標のためにって考えだったけど、今は、まあ面白路線でも上手く行けばいいじゃないって感じ

  2. こういうの読んでもでもほんとに自分カス人間ですし…って思っちゃう
    ポジティブな面を考えても心の隅には自分はクズというこれまでの結果の積み重ねがあるから
    負のスパイラル

    1. ※3
      頭の中で考えてるとネガティブスパイラル起こしてその思いを強めてしまうので、書き出して眺められるようにするといいかも。
      トリプルカラム法や責任円グラフをオススメします。
      勿論誰にでも有効ってワケじゃあないのだけれど、私には良い道具でしたよ。

    2. ※3
      同感。
      良い部分に目を向けてもトータルで見れば所詮自分はクズだと思ってしまうし、
      実際に自分はクズなのでどうにもならない。

  3. ネットで多いよね、
    一番旨いのはどれ?、一番凄いのは1つで他は負け
    メリットあるのはどっち?どっちが優秀?みたいな二者択一というのも

  4. 1. 結果と自分の成長を切り離す
    最初から、目からうろこだったわ。
    自分じゃ思いつかないんだよな、まず無理。だからネガティブなんだけどね。

  5. 物事は常に二択に出来る
    二択に出来ない物事は細分化して択一し、優先順位をつける必要があるというだけだ

  6. ネットで多いのは「否定する俺カッコイイ」な中2病こじらせたままの人たち。ちゃんとした根拠があるならまだしも、とにかく否定するだけ。幼稚っぽい。

    1. ※10
      ネット脳は疲れませんか?
      影響の大きさとしてはテレビでしょう
      勝ち組、負け組
      成功、失敗の分かれ道とかさあ

  7. ネットでよく見るね
    アニメの最終回の最後が気に入らないだけでゴミアニメとか言ったちゃう人

  8. こういう意味で音楽のランキング化はどうかとおもう、あれはスポーツ競技だ

  9. この記事にあるような極端な考え持ってる人は自己基盤が脆弱なんだよね
    素晴らしい自分しか受け入れることができないから駄目な自分は極端に貶めるか目をそらしてしまう
    等身大の自分を受け入れられない人は身を守ることで精一杯だからますます視野も狭くなる
    こういう人たちを見てると大人になるって難しいことなんだなって思う
    現実を見て自分の行動に責任を持てる大人になるには何年必要なんだろうな

  10. すいません、話の内容よりも、ヒヨコの方が気になって気になって…。

    1. たまにカラパイアに白黒はっきり言える話じゃないと書くと、やたらと叩かれる時があるんだけど、完璧主義者や心配性な人、自己評価が低い人が多いのかな?
      ※18
      善と悪はあっても、絶対的な善と悪はないよ。
      立場が違えば、悪意でやったことが有り難がられたり、善意でやったことが煙たがられたりするでしょ。
      だから、完全なと前置きがあるんじゃない?

  11. 気付いてないかもしれないだけで、ネガティブな人もポジティブな瞬間はあるよ。でもまぁ、今はネガティブ優勢でもいいじゃない。世の中ポジティブばかりじゃ成り立たない。やっぱりネガティブもいてほしい。みんなで役割を持ち回りさ。明日はどっちだー。

  12. 中立にたつにはものを考える必要がある
    善か悪かではっきり決めてしまえばそれ以上は何も考えずに良い悪い言い続けるだけで脳のコストダウンになる

  13. 相手に少しでも不快な思いをさせてしまうことに対する不安が強くて
    生産性の無いニートになってしまっているけども
    食ったり飲んだりしてる分、「経済に全く寄与していないわけでは無い」と
    自分に言い聞かせる日々…
    働いてないことで両親に迷惑かけてて申し訳なく思うのだけど
    両親が「留守番してくれてありがとう」「帰ってきた時に顔を見てホッとする」と
    言ってくれて、絶対親孝行するんだと思うんだけど焦りと不安ばかりが募るんだよなあ…

  14. こういう考え方いいよね
    誰もが皆、心の中にアホで利己的な自分を飼っているし、自己を犠牲にして手を差し伸べる自分も宿している
    それを表面にどのくらい出すかの違いだけど、周囲の目が気になって、踏み込めないまま通過することが多い

  15. 男の子と違って
    女の子には好きと嫌いだけで普通がないから……

  16. 生きてるとわかることは、全部がプロセスだってこと。あるときの答え、あるときの理解、あるときの見方、あるときの立場、だけど明日は違ってるかもね。正しさについては、そうだな、求められたら考える。ぼくは今でも正しさを知らない。

    1. ※26
      そんなこと言ってくれる親がいるなんて…あなたが何歳かにもよると思うけど、羨ましいな。自分がニートで引きこもりだった頃は毎日が息苦しくて親の視界からなるべく消えようとしていたよ。フリーターの今も意思脆弱なのは変わらないから紙一重だけどね…。
      一旦落ち込むと「生きるか死ぬか」って極端な考えにまで行き着いて、そうすると不思議とどうでも良くなってくるんだよな。気分は暗いままだけど。死のうなんて本気で思っちゃいないし、生きていたいけど辛い社会から逃げたいってだけ。お先真っ暗だ…ってのが最近の頭の中の口癖だわ。

  17. 個人的には、この思考がまだ出るうちはまだ落ち切ってないと思うな
    よく言えばまだ救いがあるということだけど、悪く言えば立ち直るのに他人に頼る必要があって、中途半端
    どん底まで落ち切って、自分の存在意義とか生まれてきた意味とか真剣に考えてみるといい
    そんなものは最初からないことに気づくから
    死ぬ瞬間に自分とは何だったのかと絶望するか、自分はこういう存在だったと納得できるかは必然的にそれまでの生き方に関わってくる
    なら、自分はどう生きたいか自然とわかってくるはず
    そこにはただ自分という存在があるようにあるだけで、完全なものとか無とかの他人の価値観を超越したところに自分があることに気づけたら、この世にある自分を煩わせるものがひどくくだらないもののように見えてくる
    人は死ぬために生まれてきた
    ただ、どういう気持ちで死ぬかは、どう生きたかで自分で決められる
    生きたいように生きよう
    最後の瞬間、死を素直に受け入れられるように
    そしてその時、笑っていられたらいいね
    以上、引きこもり経験者の戯言でした

  18. 「自分は仕事のできないやつで、あいつは仕事のできるやつ。だからあいつは生きる必要があって、俺は死ぬべきなんだ」
    みたいな発想の人はたまに見るね。視野が狭いにもほどがあるだろって思うけど考え方を変えるのは難しいのかな

  19. なんで読んだか忘れたけど、幸福とは減点方式じゃなくて加点方式で、小さな幸せを積み重ねていけば幸福になれる。必要なのは気づくことってのがあった。実践してると、自分はすでにある程度幸福だということに気がついたので気が楽になった。

  20. 何かちょっと好きなことや得意ができても、プロ級に上手くなきゃ「好きです」「得意です」って言っちゃいけないような気持ちになるんだけど、これもオール・オア・ナッシング思考のひとつなのかな。
    「確かにちょっとは得意だけれど、でも、これくらいのことができる人ならたくさんいるし……」みたいなさ

  21. ネガティブ思考を基本に置かないと
    自惚れるしリスクに無防備なるのよ

  22. ネガティブでもポジティブでも極端は良くない
    ニュートラルを心がけよう
    思考の極端化は常にストレスを生み出す
    思考もバランスを取ることが大事
    もし思考の堂々巡りに陥ったら一旦リセットしてみる
    これが上手く出来ない人はカウンセラーなど専門家に相談すると良い

  23. この考え方は良くない、ってのは分かるが
    物事を簡単に二分化せずちゃんと向き合うのは
    正直物凄く疲れてしまう

  24. 白か黒か
    好きか嫌いか
    百点か0点か
    右か左か
    ネット世界で特に顕著だ
    しかも年々その傾向はつよくなってる気がする むしろ促進されてるとすら感じる
    大衆は単細胞思考のほうが御しやすい、ということなのかな

  25. カテゴリによる差別なんかもこれだよね。人種差別や性差別なんて、その人種や性別に善寄りの人もいれば悪寄りの人もいて当たり前なのに、それを考えるのが面倒だからかオール差別してしまう。そういう大事なところで怠慢している自分をこそ恥ずかしいと、差別してしまったときに人は自分で気づけないといけないのかもしれないね。

  26. オール・オア・ナッシング式思考では無いんだけどねぇ・・・
    自分に対する評価だけは、全くプラス方向の余地なく言える
            『ゴミ』

  27. ポジティブに捉えられるような理屈をつけることは可能だ、ってのは分かるし、理屈も思いつくんだけど、いざそれを信じようとすると抵抗があるんだよなあ。自分を肯定すること自体に罪悪感があるというか。
    ネガティブを周りに振りまくことこそ迷惑だぞ、と自分に言い聞かせて、結果的には「表面ポジティブ・内面ネガティブ」が正解となってしまっている。
    こんなの長く続けたら心身に良くないだろうなとも思うけど、自分が病んだり死んだりしても悲しむ人がいなければ問題ない、と考えて、他人との関わりを避ける方向でそれを解決しようとする。
    もうさ、それでもいいってことにしてほしいな。その方が現状を変える必要が無いから、楽だわ。

  28. 世界には2種類の人間がいる。0か1かイエスかノーかの二択で考える人と、それ以外の人。

  29. 結果はどうあれ命を掛けて産んでくれた自分ってのを簡単にゴミって言うのは今日からやめよう

  30. 適度な判断ができないから0か100かで考える、つまり頭を使ってるようで使ってない連中の事なのでは?

  31. 1を知っただけで10を知った気にならないように気をつけていれば、ベストには近付くと思うよ。

  32. でも答えを出さなきゃいけないときに放棄する奴もいるからな
    これが一番使えない

  33. ネットやテレビ等に二者択一的な記事情報が多いのはその方が論争を進めやすく、盛り上がるから。
    要するにメディアのよく使う訴求テクニックです。

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