年末年始は赤信号…。
新年のご挨拶が一歩出遅れてしまいましたが、皆様、改めて新年明けましておめでとうございます。皆様にとっての2012年はどんな一年だったでしょうか?
昨年末に行われた衆議院選挙では、民意を裏切り続けた民主党が大きく後退し、それに取って代わった自民党の大躍進、そして安倍政権の誕生となりその支持率は61%だとか。然し肝心の投票率は依然として低く国民の半分は政治に諦念すら抱いている状況。
被災地、福島の復興は亀の歩みの如くに鈍足であり、将来への不安を抱えたまま年を越した人々も多くいたのではないだろうか。
さて、わたし自身にとっては出来すぎと言っても過言ではないほどの良い一年であり、その中でもやはり一年を通して入院する事もなく、無事に乗り切れた事が新たな年に向けて大きな励みと自信にも繋がって行くと思っています。
然しながら何事も終わって見なければ分からないと言うように、思わぬ所に大きな落とし穴が待ち受けているもの。
年の瀬が押し迫った29日、新潟から冬休みを利用して上京して来る息子を池袋まで迎えに行く準備を整えている矢先に届いたメールは「中止」の二文字…。なんとドタキャンであった。
明確な中止の理由も解らぬまま、自分の立てていた年末年始の予定が白紙になってしまい、急遽、故郷の静岡へ帰省する為の準備へと予定を大きく変更し友人や静岡の息子に連絡を入れ、会う算段を整え新幹線の時刻を確認していたところ、午後9時を回った辺りから妙に息切れを感じた為、体重を測って見るとなんと2~3キロ増え更に足が浮腫んでおり、指で押すとかなり凹みが出来てそれが戻って来てくれない。
心不全である。重い心臓疾患を患っているわたしにとって、この心不全は避けて通れない最大の障壁であるが、年に幾度となく入退院を繰り返して来たこともありさほど狼狽える事でもないのだが、帰省目前でのこの症状には流石に落胆の色を隠せなかった。
心不全である事を友人と息子に伝え、30日の朝になっても症状が消えていなかったら帰省は取りやめる事とした。
一縷の望みを託しつつ、30日の朝を迎える。東京は夜半から降り始めた雨で、凍りつく程の外気が狭い部屋にまで流れ込んでいた。
昨夜は酷い息切れと動悸で殆ど眠れず、仰向けもしくは横になって寝る姿勢は心臓に圧迫感を与え呼吸困難になる為、心不全の時に限り「起座呼吸」の状態でベッドに入ったので、尚更眠る事が出来なかった。
足の浮腫を確認するまでもなく状態が良くなっていない事は浅い呼吸で直ぐに解った。皆が口を揃えて病院へ直ぐ行くようにと促してくれる。それは自分が一番よく解っているのだが、入院だけはどうしても避けたかった。
結局、年末年始を一人で(愛猫タラと)過ごす事になったが、それ自体25年振り位だろうか。30代の頃、蒲田に住んでいた時に年越し蕎麦ならぬ年越しカレーを作って一人で食べた時の事を思い出していた。
入院すれば絶食となる為、それに習って30日と大晦日は食事を絶った。緊急用にと主治医から言われていた通り、頓服用のラシックス(利尿剤)の効果もあり、足の浮腫は殆ど消えていた。
元日の朝、電話のコール音で目が覚めた。おめでたい元旦に電話を寄越すのは誰だ?と思いきや、なんと一年振りに聞く千葉に住んでいる友人Tさんの声だった。
わたしからの年賀状が届いたから早速電話を掛けて来たのだろうと察しは付いたが、受話器の向こうの声は何処か沈んでいた。「ひさしぶりだねぇ、年賀状届いたんでしょ?」「うん、届いたよ、だけど喪中なんだ…」「えっ?…喪中の葉書届かなっかったけど、誰が亡くなったの?」「誰だと思う?…」
余りにも唐突な思いもよらぬ会話のやり取りで、わたしは言葉を失い掛けていた。「弟が死んだんだよ…」「ええ?あのS君が?…」「そうなんだよ、脳溢血でね…」。信じられなかった。Tさん兄弟は、わたしが上京した25歳の頃に知り合い東京で初めて出来た友人であった。
金も殆ど無く夕食にさえ事欠いていたわたしにTさんは一食100円で食事を提供してくれたが、タダでもよかったのではとあの頃の事を懐かしく笑いながら振り返った。
S君は20年ほど前に結婚し娘を一人もうけている。だから幸せな家庭を築いているものとばかり思っていたが、数年前に離婚し自宅マンションで独り暮らしを続けていたようだ。
血圧が高いにも関わらず健康に対し自信過剰になっていた事もあり、それが祟って結果的に病魔の発見を遅らせる事となり孤独死に至ってしまった。
このS君の話を聞いた時、ひとごとではないと自分の置かれている状況を痛切に感じてしまった。健康と愛情は失ってみてその有り難さに初めて気付かされるものである。
正月早々暗い話題になってしまい申し訳なく思うが、2日は親友Aの命日でもあり、わたし的にはAが突然死してからというもの、笑顔で正月を迎えた試しがない。
親友だったAやNの墓参りはおろか、母親の骨が何処の寺にあるかさえいまだに知らないわたしが、こうやって生ながらえているのにもきっと理由があるに違いない。
命はみな何らかの使命を持ってこの世に誕生する訳であるから、その使命を全うするまでは目が潰れようと足が腐ってしまおうと生き続けてみせると誓った元日の朝であった。
昨年5月末にFC2で始めたブログであり新参者ではありますが、これまで応援して下さった皆さまへの感謝の気持ちを込めて、今年もビーチサイドの人魚姫を温かく見守って頂けると嬉しく思います。そして皆さまの一年も素晴しい年でありますように心からお祈り申し上げます。