久保田先生と小学1年生たち。
この可愛い子どもたちと一緒に写っている方が、先に紹介した「さと子の日記」に登場する養護学校教師の久保田きすゑ先生である。先生は既に他界している為、2005年の同窓会に呼ぶ事が出来ずとても残念だった。
久保田先生は小1時代のさと子ちゃんの担任でもあったが、実は私が養護学校に転校した際、最初に授業を受けたのも久保田先生だった。私は重い心臓病のため、最初の1ヶ月は通学の許可が下りず病室での授業だった。そして1日2時間と決められていた。担当の教師が自分のいる病室までやって来て、ベッド上でマンツーマン(ベッド授業)の授業を受けるのである。
その最初の授業で久保田先生から国語を教わった事を今でも克明に記憶している。その後、通学の許可は下りたものの、やはり心臓病の事を考慮して1日4時間までという制約があり、その為、養護学校での3年間はまともな勉学とは無縁だったが、勉強が大嫌いな私にとっては好都合であった。この写真に写っている5人の子どもは小児喘息と記憶しているが、下列の右端の子、実年齢が11歳である。だが成長が止まってしまい身体も知能も4歳児程度だった。病名も不明で、身体中が黒い斑点のようなもので覆われ、他の子どもと比べてみても肌が黒い事がお分かり頂けるだろう。おそらく長くはいきられなかったと思われる。
一般病棟には喘息、自律神経失調症、心を病んでいる子も少なからずおり、最も多かったのは腎臓疾患で特にネフローゼの子どもが多かった。もし当時、人工透析などの医療技術が存在していれば命を落とさず助かった子も大勢いたと思われるが、私が過ごした3年間の内に数多くの幼い命が失われて行くのを目の当たりにして来た。
さと子さんもそうだったように、幼い時から親元を離れ、約100人の子どもたちだけの集団生活の中で、小さいながらも夢や希望を持ち続け、闘病と勉学に励んでいたこの子らの姿を忘れる事は出来ない。私は幸運な事に今もこうして生き長らえる事が出来ている。そんな私に出来る事は、大人になれず散って行った多くの小さな命を心から供養する事だと思っている。
- 関連記事
-
- 今夏は天竜養護学校に行くぞ!の巻。 (2019/05/28)
- 北川君、さようなら(追悼)。 (2019/01/28)
- 久保田先生と小学1年生たち。 (2018/11/26)
- 養護学校はわたしの故郷である。 (2013/06/19)