電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それでは皆様よいお年を

■2024年最後の挨拶とか年間ベストとか
今年も多忙のうちに年に一度の更新となってしまった。とはいえ、こうして他人に読ませることをある程度は想定しないと、考えたことがまとまらない。
また例によって本年の収穫物など。
1.(とくになし)
2.評論『維新の夢』
3.評論『逝きし世の面影』
4.評伝『おかしゅうて、やがてかなしき』
5.小説『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章』
6.TVドラマ『新宿野戦病院』
7.TVドラマ『不適切にも程がある』
8.エッセイ『室町ワンダーランド』
9.ドキュメンタリー『映像の世紀バタフライエフェクト』
10.映画『コング×ゴジラ』
列外.『竹久夢二展』

■1.(とくになし)
申し訳ないが本年も「とくになし」とさせてもらう(2020年以来だ)。とにかくクソ多忙すぎてろくに本も読まず映画も観ず、録画したドラマとアニメなら隙を見て視聴してた程度で1年が終わった(それでも暇なだけで何も生産してないよりはマシか)。

2.『維新の夢』渡辺京二(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093790/)
仕事のため再読。渡辺京二の歴史観では、明治維新は本来、革命ではあっても革新ではなく、むしろ理想化された古代という「ここではないどこか」への跳躍だった!
横井小楠らの儒学者は、漢学の古典における理想社会と西洋の近代民主国家を二重写しに解釈していた(「小楠の道義国家像」)。それが単なる天皇の権威化と、西洋的合理主義に飲み込まれていった過程が明治時代の45年間だ。だから、じつは明治期の方が昭和期よりもまだ狂信的な天皇崇拝は弱かった(明治末年に乃木希典大将が殉死したときは、志賀直哉のように公然と時代錯誤だと断じた者もいた)。
そして、明治維新は江戸時代までの農村共同体の安定を破壊した面も少なくない。大正期の1918年に起こった米騒動は、近代以前ならありえなかった事態だという。これは物的な米不足ではなく、投機目的で米の買い占めが原因だ。明治以前の農村は自給自足が基本だったのに、税が物納から現金に変わり、地主が地元の米を外に売って小作人が飢える図式が生まれたのだ。普段は日本の伝統を大事にしろと説く保守派は、こういう足元レベルでの、経済効率化のための国家による伝統破壊はまるで無視してる。

3.『逝きし世の面影』渡辺京二(https://www.heibonsha.co.jp/book/b160743.html)
これも仕事のため再読。かつて本書は一部で「日本スゴイ」系の自画自賛にも援用され、そのため一部の左翼リベラル派に非難されたが、どっちも読み方がおかしい。本書に描かれた幕末~明治初期の日本人の姿は、現代日本の我々とは完全に別の失われた時代の人々なのだ、渡辺京二ははっきりそう述べてる。
明治期の西洋人の旅行者やお雇い外国人らによる記録を見ると、当時の日本人は珍妙で非効率なことも大量にやってる。新橋~横浜に初めて汽車が開通した時期は、車両を屋内と勘違いしてホームで下駄を脱ぐ乗客が続出したという。東京大学の講師に招かれたアメリカの学者モースは、港湾労働者や大工らが、動きを合わせるため大声で合唱しながら作業し、体を動かすより歌ってる時間の方が長いと記してる。このころの日本人は、時間を惜しんで黙々と労働に集中するという感覚なんかなかったのだ。
こうした一方、教養のある階層は、意外なまでに冷静で合理主義的だった。明治10年代に東北地方を旅行したイギリス人のイザベラ・バードは、秋田市で師範学校の教頭が、「われわれに宗教はありません」「あなたがたは宗教はいつわりだとご存じのはずです」と語ったと記してる。「明治から戦前の日本人はみんな敬虔な天皇教信者だった」というのも誤った偏見だったのだ。

4.『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』前田啓介(https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721298-3)
2024年に生誕100年を迎えた映画監督・岡本喜八の足跡を追ったルポ。喜八は2005年まで生きて81歳で死んだのに、なんと1冊の3分の2が戦前編だ!
著者は、喜八は1924年2月17日の早生まれなので、徴兵されて入営したのが同学年の他の者たちより約半年遅く、この数か月の差ゆえにフィリピンや沖縄のような激戦地に行かず「自分だけ生きのびた」という感覚を抱いていたと指摘する。この説明を読んで今さらながら改めて、そうか、徴兵されてもすぐ戦場に行くのではなく、訓練期間と戦地への兵員移送の日数が必要なんだよなと理解した。
喜八と山田風太郎はともに戦中派らしい死生観が共通すると思っていたが、両人の微妙な違いもわかった。両人とも人の命はあっけないという認識は同じながら、喜八は映画『肉弾』や『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』のように、自分はなぜ死ななければならないのか納得して死ぬことにこだわった。これに対する風太郎のクールさは、やはり人間を思考する存在である以前に人体という物として見てしまう医学生の視点ゆえか。
松本零士が『独立愚連隊』を絶賛したという話はいかにも納得(戦場まんがシリーズの一編『戦場交響曲』は、喜八の『血と砂』オマージュに見える)。『肉弾』は主人公が戦争に抵抗せず特攻に行かされて死んでしまうので、公開された1968年当時の大学生には不評だったという。そうは言うけど実際に抵抗なんてできるかよというのが1945年当時の心情だったのだろう。一方で『激動の昭和史 沖縄決戦』は、戦争に巻き込まれた沖縄県民の視点が乏しいため竹中労に批判された。喜八の戦争観は良くも悪くも一貫して学徒出陣者の目線で、「巨大な命運の前に卑小な個人は抗うこともできず、自分を悲喜劇的に客観視するしかできなかった」という立場だったようだ。

5.『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章』(https://tkj.jp/book/?cd=TD293992&path=&s1=)
TVアニメ版は第一期から約10年かけて、京都アニメーションの放火事件を乗り越えて本年ついに完結。アニメでの版最終回前の展開が原作小説と大きく違うというので、未読だった小説最終巻2冊をあわてて読む(書店ではライトノベル枠ではなく一般小説の棚だった。実際に表紙以外は絵がない)。
本作は学校内の部活動だけで閉じた狭い世界観だ。現実の高校吹奏楽部もすさまじい体育会系の上下関係と勝利至上主義がよく問題視される。自分は本来、学校の外の世界が出てこない青春物は面白く思えない。が、本作はその狭い世界ゆえの濃密な人間関係のギスギス感(チームメイト的な絆の強さと表裏一体の競争心やら依存やら)に注目してきた。で、最終章は主人公の久美子が進路という学校の外の世界と向き合う。
少年漫画なら主人公が部のエースだが、部長である久美子は人間関係の仲裁役として成長しつつも、ソロ演奏の担当になれるかぎりぎりの実力だ。プロの奏者にはなれないから、本気で音楽を職業にする気の親友・麗奈とは進路も分かれる。家がマイ楽器を所有できる身分か否かという残酷な階級差の描写がえぐい(きちんとした金管楽器は数十万円する)。そもそも学校の部活で音楽やスポーツを本格的にやるのは日本だけで、それら「文化」全般が明治期にはめずらしい輸入品だった名残だ。
アニメと異なり小説版はほとんどの登場人物が京都弁を話すが、小学生のとき転校してきた久美子は標準語で、それゆえ部の人間関係の中心にありつつどこかアウトサイダー的立場なのが印象深い(これは東国から九州に来て育った自分も身に覚えがある)。そして、高校三年になって転校してきた新キャラの真由も京都弁を話さず、久美子からライバル視されるのに、当人は久美子に妙な仲間意識を抱いてるという皮肉が絶妙。
アニメ版の終盤は、主人公の久美子が、楽器に愛着があってもプロの奏者にはなれないことを踏まえて大人になっていく苦みがより明確にされ、悪くない改変と思えた。

6.『新宿野戦病院』(https://www.fujitv.co.jp/shinjuku-yasen/)
戦場帰りの下世話な中年外科医が英語まじりの岡山弁で若者に命の尊さを説教……これだけなら、1980~90年代の青年誌マンガのようなベタなおっさんセンスだが、それを女性(それも小池栄子)が演じると謎の説得力。
本作はドタバタ版『ER』かと思いきや、トー横キッズだの女性支援NPOだの外国人犯罪だの現実の最新の諸問題を取りこみつつ、娯楽作と社会派をしっかり両立してる。各回のゲストキャラは、老いた元ヤクザ、不良外国人、見栄張りのホスト、借金まみれの風俗嬢、妻と娘に暴力を振るうDV男、家出少女、ドラッグの売人など、闇金ウシジマくんばりに底辺人間像がてんこ盛りなのに、全然いやな感じがしない。
終盤、謎の新種ウイルスによる感染者バッシングと世間のパニックの描き方は、脚本の宮藤官九郎自身が、TV業界人の中でも初期に新型コロナに感染した体験と視点を反映していたという。そういう意味では、もはや一種の私小説的ドラマともいえる。
ところで、2025年のHNK大河ドラマ『べらぼう』は江戸の風俗街=吉原遊廓が主な舞台だそうだが、当方は連続ドラマで「クドカンの幕末太陽傳」がすごく観たい。幕末が舞台の作品なら『いちげき』(原作は永井義男)、落語が題材の作品なら『タイガー&ドラゴン』という実績がある。幕末の風俗街を舞台に実在人物と史実の事件をちょいちょい挟みつつ、居残り佐平次に遊女ら市井の民のしょーもない欲得と見栄と意地と必死な生き様のお話……すごく似合いそうではないか! 本人は『いだてん 東京オリムピック噺』で歴史物は懲りたと言いつつ『いちげき』を引き受け、山田太一作品『終わりに見た街』のリメイクもやったぐらいだから勝手に期待してる。
余談ながら『終わりに見た街』は、かつて旧作版を見た時、昭和20年にタイムスリップしてきた家族のなかで、親より子供の世代の方が戦時下の価値観に染まってしまう図式に実感がなかったが、この歳になると逆に妙なリアリティを感じる。大人と違って小中高校生は学校という狭い世界に生きていいて、たった1歳違いの先輩後輩関係が絶対だと思ったり、痛くて危険なばかりの体育祭の組体操みたいな競技を命じられればすんなり受け入れてしまったり、校内の価値観でしかない物を本気で世界のルールと信じてしまう。学校も軍隊も似たような物だからな。

7.『不適切にもほどがある!』(https://www.tbs.co.jp/futekisetsunimohodogaaru/)
コンプラにきびしい現代を風刺しつつも「昭和はよかった」というおっさん目線に留まらず、昭和と令和の一長一短を両方見せる公平さ。阿部サダヲ演じる主人公の小川が、昭和から令和にタイムスリップして戸惑ったりブチ切れつつも、いつしか令和の価値観にもなじんで行くのが妙にリアル。ただし、小川は1980年代の50歳代とはいえ、東京の中学教師という設定で若者と接する機会が多く、少年ジャンプも読んでる当時としては感性が若いおっさんだ。劇中、セクハラや性表現について「寛容になりましょう♪」「自分の娘と思ってみましょう♪」と歌っていたのは、下世話ネタが大好きな一方、実際に年頃の娘がいるクドカンの等身大の感情なのだろう。それに文句はない。だが、わたしはむしろ「お互いもっと鈍感になりましょう」「お互い他人事だと思いましょう」と言いたい。ネット社会の現代は無関係の赤の他人の言動が見えすぎるのが問題だ。
そして、話題になった最終回ラストのテロップ、「この作品は不適切な台詞が多く含まれますが(中略)2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」――この未来から2024年の現代をもを相対化する視点によって、本作は日本SF大賞エントリ対象たりえるんじゃないか。この未来目線、じつは小林多喜二の『蟹工船』のラストと同じだ(https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html)。

8.『室町ワンダーランド』清水克行(https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918501)
週刊文春の連載コラムとして初回から読んでいたが、ついに完結して単行本化。著者みずから日本史で室町時代は人気がないと語る。確かに南北朝と戦国期を除くと英雄はいない。だが、武家、公家、寺社、領主に属さない自衛武装民が並立して絶対強者がなく、神仏の罰やオカルトを本気で信じて行動し、幕府でも朝廷でも反逆は日常茶飯事、ハク付けのため真偽不明のルーツを自称したり、武士の子は15歳ぐらいで人を斬るのが当然で5歳ころから動物を殺して訓練だの、警察機構は機能しないから私人同士がしょうもない理由で本気で殺し合い……といったエピソードの数々は鮮烈だ。
著者が研究者として食えるようになるまで、目先の生活ための高校歴史教師の仕事が修行の場となった話も興味深い。本職の歴史学者の仕事は、思いつきで奇抜な新説を述べて人目を引けばよいわけではない。ひたすら大量の古文書を読み、比較検討してその時代の傾向や特徴を読み取り、ひたすら研究対象の現地を歩いて地形や痕跡を調べる等々、非常に地味だが、その積み重ねの先に浮かんでくる面白さには説得力がある。
最終回では、歴史を学ぶのは「日本スゴイ」と自画自賛のためではないとキッパリ強調してる。過去の日本にも足利尊氏のような不忠の裏切者、足利義教のようなワガママ暴君、細川政元のようなうさん臭い陰謀家は大量にいるし、奴隷の人身売買だの鼻削ぎ耳削ぎだのの残虐話も大量にある。逆に過去の日本人が偉大であっても、それは現代に生きる我々とはまったく異なる価値観の中に生きた人々の業績だ。

9.『映像の世紀バタフライエフェクト』(https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/)
毎回、歴史的なエピソードを現代最新の話題につなげる発想が鋭い。世界的にヒットした『ポケモンGO』の開発者が中国残留孤児の子孫なのは驚いた。カラシニコフの回は、ミリタリーオタク心をくすぐられつつも血なまぐさい内容にうんざり。終戦直後ベルリン占領の回でフランス軍がブルトーザーではなく生きた象に瓦礫撤去をさせてたのは笑った、仏領ベトナムあたりから連れて来たのか。

10.『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(https://godzilla-movie.jp/)
例によって男子小学生のハートで観るべき娯楽作。ジュール・ヴェルヌの小説みたいな地下空洞世界とか巨大生物ばかりが住む南洋みたいな空間とか、昭和40年代の少年の想像力そのまんま。なぜか地下空間で巨大な猿たちが「謎の棒」(https://pbs.twimg.com/media/FSNFprkaUAEcpPK.jpg)を回してるのは御愛嬌。
そしてキングコングという怪獣は、不思議と「老いと孤独」のイメージが似合う。もともと怪獣は人間社会から疎外される存在の象徴なのだ。1933年版の初代キングコングは、白人美女に岡惚れして都会に出てきて哀れな末路を迎える南島の醜男だった。この感覚、ほぼ「特撮=ヒーロー」になってしまった現代では通じなさそうで辛い。

列外.東京都庭園美術館『竹久夢二展』(https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/240601-0825_yumeji/)
アールデコ建築の東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)で、大正昭和モダン美術という絶妙の組み合わせ。夢二の絵はやたら女性のうなじを描いた物が多い。江戸の浮世絵もそうだが、当時の日本人が女性のセクシーさ感じる部位は胸でも脚でもなく首だったのだな(だがそれも中世以前は垂れ髪なので髷を結うようになった江戸以降の美意識だ)。
改めて見ると夢二が描いた女性はほぼ和装で、洋装モダンガールも袴の女学生も都会の建築物もほとんど出てこない。一方、三越の広告などを描いた杉浦非水は都会の風景も大量に描いたし、当時のインテリの間でモダニズムといえば、鉄筋コンクリートに飛行機に地下鉄だった。この和風と近代の同居こそが大正~昭和前期の面白さといえる。

■回顧と展望
というわけで、また本年やった仕事の一部。
『米ロ対立100年史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4299052218)
なんと監修は佐藤優。当方はおもに前半の章を担当、キリスト教がアメリカ開拓に与えた思想的な影響。独裁体制と相性の良いロシアの大家族主義(父親は強権的だが兄弟は平等)。アメリカがイスラエルを支持する理由。ヒトラーとの密約を信じて裏切られたスターリンの失策。マンハッタン計画の裏で進行した米ソの原爆スパイ合戦のお粗末な実像。軍事と表裏一体だった米ソ宇宙開発史(ソ連は最初「世界初の人工衛星」の価値がわかってなかった)、そして21世紀の現在のアメリカ大統領選挙、ウクライナ戦争へのキリスト教文化の影響……等々を米露の両サイドから説明。
『いまこそ知りたい日ソ戦争』(https://www.amazon.co.jp/dp/429905959X)
第二次世界大戦で日本とソ連の交戦は1945年8月の1か月あまりだが、戦場は満洲のみならず樺太、千島列島におよび、死者、シベリア抑留者は数十万人に上る。その割に語られることが少ないのは不当だ。
当方はおもに終戦後~現在までの章を担当。ソ連側も千島占領が急すぎてアメリカ軍とのバッティングを恐れたとか、北方領土返還交渉が進まない理由、ロシアにとって第二次世界大戦の勝利はウクライナ侵攻を正当化する理由にもなってる事情などを説明。
なお、監修の麻田雅文先生の著書『シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争』によれば、大正期のシベリア出兵はソ連の立場では「日本による侵略」で、日ソ戦争でのソ連軍の乱行はその復讐の面があるらしい。因果はめぐる、諸行無常なり。
『蔦屋重三郎完全ガイド』(https://www.shinyusha.co.jp/media/tutajyu/)
冒頭の数ページしか手伝ってないが、江戸時代後期の洒落本、滑稽本、遊廓ガイドブック、遊女や歌舞伎役者のブロマイド浮世絵などについて調べると、本当にやってることが今のラノベや推し文化と変わらんなあという気になる。
『一冊でわかる明治時代』(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309722078/)
2023年末から9か月ぐらいかけて1冊全部を執筆。まじで疲れた(監修の大石学先生と協力の門松秀樹先生にも相当に手間をかけさせた)。
「五箇条の御誓文」は西洋近代の民主主義ではなく儒教思想の産物。明治天皇は京都弁と畳の部屋を愛する豪傑好きだった。明治民法は地域ごとの農村の伝統を壊して一律に武士の家父長制価値観を課す物だった。中国大陸が原産の白菜が日本で普及したのは日清日露戦争に農民の兵が大量に参加した副産物。愛国心は上からの教育ではなく日清日露戦争への民衆の参加で下から高まったが、同時に「俺たちも国のために戦ってるんだから政治参加させろ」と選挙権拡大を求める声も高まった。坪内逍遥、夏目漱石らの言文一致運動が標準語(現代日本語)をつくった。明治期に専業主婦なんかなかったし、子供はみんな農作業や丁稚奉公や出稼ぎ女工をやってた……等々、教科書的な記述では触れられてない視点、民衆にとっての近代化の意味を意識的に盛り込んだつもりです。
『一冊でわかる大正時代』(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309722085/)
こちらも1冊全部を執筆。明治の方と合わせて丸1年近く費やしたことになる。
鬼滅の刃やはいからさんが通るは人気でも大正時代そものの印象は薄い。大きな理由は英雄の不在だ。なんと15年間に首相は11回も代わった! だがそれは強権的な藩閥政治が後退した結果で、政界の諸政党のグダグダ感は現代とも相通じる。国民に嫌われた山縣有朋の実像。平民宰相を呼ばれた原敬のしたたかな手腕。世界大戦後の国際協調の反面で進んだ米英との対立(なまじ旧ドイツ領の南洋諸島を得たためアメリカと険悪に)。サラリーマン世帯の成立(といってもまだ労働人口の5%)。忍者ブームは立川文庫(大正時代のラノベ)と大正期の映画がつくった、じつは洋装のモダンガールは東京でも1%程度だった……等々、といった事情を説明。
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改めて述べるが、左翼リベラル派が言う「明治から戦前はずっと軍国主義一色だった説」と、保守派が言う「戦後は日本国憲法のせいで日本人が道徳的に堕落した説」は、どちらも大ウソである!! だったら大日本帝国憲法が発布された明治23年に突然、日本人は道徳的になったのか? 明治41年には明治天皇の名で「日露戦争後の国民の風紀は乱れている、みんな真面目にお国のため働け」という内容の戊申詔書が出されてる。明治23年から昭和21年まで大日本帝国憲法は改正されなかった。にも関わらず、大正時代には一度、デモクラシーとか自由恋愛とかが流行した。しかも大正時代のリベラル派は、保守派の元老に対抗するため「大日本帝国憲法を守れ」と言っていた(護憲運動)。そのあと、憲法の条文は何も変わらんまま、昭和の戦争の時期になるとまた風紀が厳しくなった。結局、大多数の民衆はいちいち憲法の条文なんか気にして生活してないのだ。それより民衆の価値観に大きく影響したのは、大正期、さらに戦後に急激に進行した都市への人口流入、農村社会の解体による地縁や血縁の束縛からの解放だ。
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今も世の中は大きく変化してるというけれど、本当に新しいことが起こってるのかわからない。AIの普及でいろいろな仕事がなくなるというが、19世紀に「写真」が普及しても手描きの画家はなくならず、鉄道と自動車が普及しても人間は歩いてる。安倍政権時代はさんざん円高デフレが全部悪いと言っておいて、一転して円安インフレになっても事態は良くならず、でもオイルショック期はもっとインフレの混乱がひどかった。ドナルド・トランプを再選させたアメリカは世界の警察官をやめたがってるらしいが、もともと建国以来250年の歴史では南北アメリカ大陸外に関わりたくないというモンロー主義の時代の方が長かった。
――何事も、直近の過去との比較ばかりでなく、もっと昔はどうだったか、そもそもいつの時代も変わってないんじゃないかという視野もまた必要。一応、そういう視野の提示を目指して仕事しているつもりだ。
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原稿料収入だけで生活するフリーランスになって以来、日曜も祝日も仕事せねばならん代わりに、すっぽり1週間ぐらい暇な時期が年に数回はあるものだったが、本年はそういう暇がまったくなかった! まあ、それでも毎日必ず7時間は寝てるし深夜枠のアニメも観てたから偉そうなことは言えないが…。
仕事の合間に脳内だけ歴史を跳躍した空想をしてると、江戸にも明治にも自分みたいなの(田舎から出てきた、文化産業の最末席にしがみついてる貧乏底辺インテリ)はいたんだろうなあとよく思う。そう考えると、不思議と孤独と孤立を感じない。今後も頭と身体が動く限りは、歴史の語り部の末裔としてしぶとく活動し続けるつもりです。
それでは皆様よいお年を。