電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それでは皆様よいお年を

いつもの年末恒例の報告。その時々で見た物や読んだ物についてダラダラ考えてるうちに年が過ぎ、最後にまとめて記すスタイルなのでくそ長くなる。とはいえ、流行り物について小まめに流れを追わなければならない今のSNSの速度は自分には向かないのでね。

■2023年最後の挨拶とか年間ベストとか
また例によって本年の収穫物など。
1.小説『ギケイキ』町田康
2.ルポ『イラク水滸伝』高野秀行
3.漫画『大奥』よしながふみ
4.ルポ『スペイン巡礼』天本英世
5.ドラマ『らんまん』脚本:長田育恵
6.映画『ゴジラ-1.0』監督:山崎貴
7.映画『シン・仮面ライダー』監督;庵野秀明
8.評論『アメリカ大衆芸術物語』
9.漫画『魔獣戦線』石川賢
10.東京国立博物館「古代メキシコ展」
列外.茅ケ崎海岸

■1.『ギケイキ』(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309416120/)
仕事で平安後期の平家と源氏の争乱を調べ直したのを機に通読。
NHKドラマの『鎌倉殿の13人』でも描かれたが、武士道なにそれ食えるの? みたいな、暴虐、奸計、裏切り、女の取り合い、男同士の嫉妬、意地と保身の間で揺れまくる武人たち……。ムカついたら殺す、神仏は必ず罰を下すという、命の値段が一銭五厘どころか藁一束ぐらいの世界、それが中世日本クオリティ。しかしまったく嫌な感じがしないのが町蔵節。漫画化するなら平野耕太か亡き石川賢の絵柄しか思い浮かばんな。
「あの頃、私たちに「日常」なんてなかったのだ。暴力、そして謀略。これをバランスよく用いなければ政治的に殺された。だからみんな死んだんだよ。私も死んだんだよ。
 っていうか、いろんなマイルドなもので偽装されてわかんなくなってるけど私からみればそれはいまも変わらない。」(第1巻79p)
「みんなそれぞれの生を生きている。躍動のまにまに殺し殺される。(略)そんな瞬間のやりとりが戦場ならば、ここも戦場、そこも戦場、命はいつだって流動している。悔いなんてあるわけがない。」(第2巻286p)
一応、ストーリーは元の『義経記』を踏まえ、一ノ谷や壇ノ浦ほかの合戦を省略したのも原典通りだという。現代作家なら意図してキャラクターを配置するものだが、弁慶の父の弁聖だの義経の使用人の喜三太だの、後世では知名度の低い人物が急にやたら目立つ唐突さが逆に妙にリアル。現実は書き割りシナリオじゃないんだから重要キャラとモブの境界線もあいまいだ。
思えば谷崎潤一郎の『源氏物語』とか、太宰治の『右大臣実朝』もあるし、平安時代を現代的に再解釈するのは日本文学の伝統なのか。

■2.『イラク水滸伝』(https://www.amazon.co.jp/dp/4163917292)
高野秀行の本に外れはほぼない。砂漠の国イラクのアウトローな川の民に取材した本書は、例によって民族・宗教文化論から、同地と同じような地縁血縁コミュニティが生きてた近代以前の日本との類比、筆者の個人的なツッコミが縦横にクロスオーバーする。
筆者には『イスラム飲酒紀行』(講談社)という傑作があるが、政教一致のイラン国内は本音と建前があり、判事もこっそり酒を飲んでるが、イラン国外のシーア派は律儀にイスラム教の戒律を守ってるという話は面白い(36p)
中東の宗教-民族-権力者の関係は一律ではない。独裁者フセインは湿地に住むマンダ教徒でも政権に忠実なら差別しなかったが、米軍がフセインを打倒したら民衆の宗教差別が復活したという皮肉(60p)。戦前までイラクではユダヤ人も多く、独自の美しい刺繍布(アザール)技術を持っていたが、戦後はユダヤ人がイスラエルに流出して、彼らの知識も技術もあっさり失われたというのも歴史の皮肉(391p)
腐ってもメソポタミア文明の子孫なのかイラク人は倫理観と秩序レベルが高い模様。治安の悪い土地の道路ではお約束の私的に通行料を要求する役人はおらず、アフリカなどの公務員が腐敗した国家と比較されるとイラク人は怒るという(149p)
現地民に親しまれている即興宴会芸のような詩の朗読(民謡みたいなの)を覚えたら商談がスムーズになったという話も興味深い(239p)。中世の日本では、よそ者でも気のきいた和歌を詠めれば一目置かれたのと似たようなものではないか?
本書に登場する図太くもおおらかな湿地民の生活環境は、河川上流の開発による水量の減少で先細りだが、高野は「シュメール、アッカド、バビロニアなどの文明は高く栄えては滅び、今はもうない。マアダンの人々は一度も栄えたことはないが、滅びることもない」と記す(447p)。実際に今後は、温暖化の影響でむしろ湿地帯の水量が増えて住みやすくなる可能性も皆無ではない。とにかく”数千年スパンの視野”をするっと違和感なく読まされた。あと何度も出てきた水牛の乳のヨーグルトがまじでうまそう。

■3.『大奥』(https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40895/)
NHKでのドラマ化を機に今更ながら原作全巻を通読(ドラマ版は、仲間由紀恵、安達祐実ら往年のアイドル女優に貫禄ある大人の悪役女性をやらせて見せたのが絶妙)。
劇中のように「男女が同数だった時代」が簡単に忘れ去られ、そのあと今度は「男の人口が激減して女が中心で世の中が回っていた時代」があっさり忘れ去られるかとツッコミが入りそうだが、実際に現代人はつい数十年前の「会社員&専業主婦の世帯なんて都市部の上流階層だけで、農家でも個人商店でも夫婦そろって働いてた時代」「みんな子持ちでも仕事が回ってた時代」を忘れてる。江戸時代なら領地や農地などの家財(生産手段!)を継承することに意義があり、それゆえ劇中のような個人の意志を無視した家存続のための婚姻・出産も行われたが、総サラリーマン(雇われ人)社会じゃ家存続の義務感も成り立たない……皆この変化を忘れたまま少子化を嘆いてる。こういう現実を相対化する意味でも、本作はすごく優れたSF(社会の思考実験)だと思う。
本作での徳川吉宗や平賀源内のイケメン女傑ぶり、家茂&和宮の夫婦でも単純な友人でもなく家族と言うよりない不思議な関係の美しさなどは語られ尽くされてるけど、それらに加えて当方はNHKドラマで略された江島生島事件が印象深い。美男美女が大多数を占める本作で、報われない真面目な醜男の江島に唯一好意的に接してくれた生島新五郎が、男慣れした包容力ある年増女の歌舞伎役者というのが泣かせる。よしながふみは、単純な男女の恋愛ではない関係性(主従とか同志的な戦友とか家族愛とか)とともに、年齢を重ねた女性の魅力を描くのが本当にうまい。
ちな男装した女の歌舞伎役者を宝塚だと思った人は多いだろうが、我が国には白拍子というもっと古い女の男装舞踊がある。つくづく本作の設定は日本文化として違和感ない。画面に登場しなかったこの世界の本居宣長は、天照大神や卑弥呼や持統天皇を引き合いにして「女王統治こそ日本の伝統」とか言う人で、それが一時的に幕府公認の思想になるんだけど、所詮は一時的なものに終わりそう。

■4.『スペイン巡礼』(https://www.amazon.co.jp/dp/482640039X/)
スペイン自体が恋人と称したアナキスト天本英世の紀行とくれば筆が乗ってないわけがない。1980年の刊行時、天本は54歳で現在の当方と同年代だが、いや、じつに若々しい。独裁者フランコゆかりの地に来れば敵地に来たような気分になり、1936年に起こったスペイン内戦の初期に戦死したアナキスト指導者ドゥルティの聖地に来れば大はしゃぎする。内戦に勝利して長期のファシズム政権を築いたフランコの死は1975年(本書が書かれたつい数年前)、独裁への抵抗者も全然まだ存命の時期だ。
天本が敬愛する詩人ガルシア・ロルカは内戦期にファシスト軍に殺され、フランコ政権時代、彼の詩は発禁とされたが、隠れキリシタンのように支持者は滅びなかった。天本は東京・高円寺の店で長年フラメンコの朗読をしていたのがスペインのテレビ番組に取材されたことがあり、行く先々で「ロルカの詩を朗読していた日本人」として声を掛けられる。そればかりか、モロッコまで行ったとき天本が怪博士ドクター・フー役を演じた『キングコングの逆襲』を観たことのある人物に出くわしたのには驚く。
当時はアジアからの観光客がめずらしかったゆえか、どこでも現地の住民は好意的。このへんもEUの一部と化した現在のスペインとは大きく異なりそう。独裁体制を脱したばかりの1970年代末の同国はまだヨーロッパの田舎で(それゆえ物価が安い)、南欧ラテン系らしい大部屋雑居の大家族主義が健在の筈、日本人と気質が合ってたのかもしれない。あと食い物がうまそう。貝とか魚とか食材や味覚も日本人に近いのかもしれない。

■5.『らんまん』(https://www.nhk.jp/p/ranman/ts/G5PRV72JMR/)
坂本龍馬にジョン万次郎に自由民権運動と、「明治の土佐」が持っていた要素をこれでもかとぶち込んだ、山田風太郎の明治小説のごとき贅沢なる作風。
学者が主人公のドラマを面白く見せるのは難しそうだが、新種の発見、分類、証明の苦労と、その成果をあげたときの喜びの表現がうまい。地方からの上京者や洋行帰りのエリートとかの若い男たちが混在して、衝突をくり返しつつ試行錯誤に明け暮れる東京大学植物学研究室の雰囲気がよい(『王立宇宙軍』のオネアミス宇宙軍とか、『風と樹の詩』の寄宿学校の感じだ。19世紀~20世紀前半当時なら彼らも中流以上の階層)
そして文化的な開拓期を生きた若者のクロスオーバーが渋い。牧野富太郎と同郷の土木技術者の広井勇ばかりでなく、小林一三や南方熊楠まであのような形で絡んでくるとは。
最後に祖母役の松坂慶子がまさかの再登場してくれたのも嬉しい。

■6.『ゴジラ-1.0』(https://godzilla-movie2023.toho.co.jp/)
本物の戦中派である笠原和夫の脚本なら、あるいは山田風太郎の小説なら、神木隆之介が演じる元特攻隊員の主人公・敷島はラストで迷いなく死んでる。それが当時の人間なら普通の感覚(初代ゴジラの前年である1953年版の『戦艦大和』は、乗員らが波に飲まれて終わりの直球バッドエンド)……が、逆にそれではひねりも救いもない。
だから本作で注目すべきなのは、青木崇高の演じる整備士の橘が、戦友を死なせて生き残った敷島を痛烈に恨みながらも、あえて「赦した」(生還できる脱出装置をつけた)点だろう。その変心の理由は余計な台詞で説明されない。だが、劇中随所で語られる戦時中の人命軽視への嫌悪感は悲痛だ。死ぬ覚悟は2度はできないと戦中派の鈴木清順も語っていた。それでも敷島が今度は本気で死ぬ覚悟を決め、一緒に不眠不休でゴジラ迎撃用の震電を整備した過程で、恨みを超えた真の仲間意識が生まれたのかもしれない。
そう、過程。本作は軍隊も超兵器もなく、元軍人の民間人が旧式の駆逐艦だけでゴジラを倒すというご都合主義ながら、過程のテテールの積み上げで説得力を持たせてる。
今の日本映画は過去の時代が舞台でも画面がきれいすぎて嘘くさいが、戦後の焼け跡の”汚さ”の再現は圧巻。ゴジラは巨大すぎてリアルな恐怖感が薄れがちだが、小さな木造船に狙いを定めて追いかけてくる臨場感、船が大揺れして乗員が水浸しになる描写。赤ん坊が成長し、バラックの家が再建されるわかりやすい復興のイメージ。山崎貴の過去作はそんなにきちんと観てないけど、『三丁目の夕日』『永遠の0』『アルキメデスの大戦』とかで培ったノウハウ総動員なのはわかる。
本作の男性的ロマンティズムに戦争への反省がないという指摘は正しいけれど半面でしかない。現実の戦後復興も陸海軍や軍事工場で血と泥に汚れつつ規律や技術を身につけた男たちが成し遂げたわけで、戦前的なものと戦後平和主義はきれいに区分できない。
それに、もともと1950~70年代の東宝ゴジラシリーズは戦争映画なのだ、『太平洋の嵐』(1960年)『太平洋奇跡の作戦キスカ』(1965年)などとスタッフもキャストも重複するが、軍人の勇気や団結心のロマンと戦争への悔恨の奇妙な同居は当時からだ。これは既に多くのオールド特撮オタクが指摘してるだろうけど、1954年の初代「ゴジラ」にも海上に残留した浮流機雷がちらっと出てくるし(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20140611/p2)、1955年の『ゴジラの逆襲』は本当に最後の30分だけ特攻隊映画だし(戦時中の航空隊の生き残りは全員、迷わずゴジラに突っ込む)。本作では終盤、ゴジラが東京ではなく相模湾の寒村に出現するが、これが幻の本土決戦(アメリカ軍が準備していた関東上陸計画のコロネット作戦)の再現なのは明らかだろう。
とはいえ、よくこんな終戦直後の陰惨な雰囲気を描く企画が通ったなとも思ったが、考えてみればNHKの朝ドラマでは戦中戦後の話は通例だし、『この世界の片隅に』も大ヒットした。今後も「終戦直後」は時代劇の一ジャンルとして定着していくのか。

■7.『シン・仮面ライダー』(https://www.shin-kamen-rider.jp/)
10代のころ石ノ森章太郎の漫画版と、KBCテレビの初代ライダー再放送に熱中した人間としては「1980年代当時にこういうのが見たかった!」が全部詰まったような快作。明らかに怪物じみたヒーロー像、普通のライダースーツの延長みたいにコートを着てたり、首に地肌が見えてるビジュアル、人間臭さあふれる怪人、漫画版通りの12人のショッカーライダーに本郷猛の肉体が死んで一文字隼人と一体化する展開……。
逆に言えば「1980年代当時にあえて1970年代ヒーロー風を狙ったような」二重の懐かしささえ感じる。そんなわけで俺のようなオールド特撮オタクは歓喜ながら、良くも悪くも新味はなく、元の昭和版を知らん人に不評でも仕方ない。実際、パンフレットで庵野秀明自身が、僕の考えた仮面ライダーをやりたいのではなくオリジナルの魅力を現代に再認識してほしかったと述べてる。ただ、本職のスーツアクターに頼らず、演者自身が仮面をつけたまま身体で観客に感情を意識させる演技は圧巻だった(とくに緑川ルリ子が死ぬ場面であえて本郷猛の顔を見せない演出!)
裏を返すと仮面ライダーもウルトラマンも、もはやハムレットや忠臣蔵と同じように、演出を変えつつ再演をくり返す古典素材と化してくのか。

■8.『アメリカ大衆芸術物語』(https://www.amazon.co.jp//dp/4327376175/)
19世紀まで西部劇は「現代劇」だった! 映画が普及する前、アメリカではダイムノベルと呼ばれた安物娯楽小説が大量に売られたが、西部劇はその人気コンテンツで、バッファロー・ビル、ピンカートン探偵社など実在人物をモデルにしつつ荒唐無稽な作品が濫造された。『忠臣蔵』『好色五人女』ほかの歌舞伎も江戸の実録再現ドラマだったのだから、似たようなものだ(いや、梶原一騎原作の実在人物プロレス漫画に近いか?)。その作者の多くは実際にはアメリカ東部在住だったというから、後世のイタリア人が空想のアメリカを舞台にしたマカロニ・ウェスタンと大して違わない。
西部劇の舞台はほぼ南北戦争後の1860~1880年代。現実に「フロンティアの消滅」が宣言された1890年代ごろから西部劇は「懐かしの世界」となる。都市化の進行とともに大衆娯楽は、文学から映画、そして犯罪物、ミステリ、SF、コミック・ヒーローに移っていった。1910年代の第一次世界大戦を節目とした旧時代の威厳ある大人像の解体が、ハードボイルド・ピカレスクヒーローを生んだという分析は興味深い。

■9.『魔獣戦線』(https://www.amazon.co.jp/dp/4575935077)
石川賢の漫画では『5000光年の虎』と同じぐらい好きな作品ながら、小学生のとき読んだきりたったのを中野まんだらけで発見して約40年ぶりに再読。
妻子を平然と実験材料にするマッドサイエンティスト、4匹の獣と一体化して怪物じみた主人公(すごく狂暴)、雪山の洞窟内にいきなり宇宙が広がるシュールな絵面、乱心した神があっさり人類の大掃除、ノストラダムスの大予言とかの影響で漂う終末感、あっさり死ぬヒロイン……そうそう、1970年代中期ってこんなのがめずらしくなかった。
1980年代にもオカルト終末論は流行したけれど、こういう作風が完全に時代遅れになって「等身大」「普通」の主人公が主流になり、石川賢もヤクザ漫画に転進したり迷走していたわけだが、今にして思えば、そういう1980年代の方が特殊だったのか。

■10.東京国立博物館「古代メキシコ展」(https://mexico2023.exhibit.jp/)
金属製品がほぼない、丸い物はあるけど車輪がない、宝飾品が翡翠や貝殻で水晶みたいな透明な宝石がない、エジプトとかインドとまったく違う別大陸の大河なき高山地帯の文明。でも世界のどこでも必ずドラゴンぽい大型爬虫類の像がある不思議。
テオティワカンは8世紀ごろに滅び、記録は何も残らず、数百年後にアステカ人が発見するまで忘れられた都だったという。中米に限らず何度も簡単に文化は断絶する、消えた古代都市の生き残りはどうなったのやら、諸行無常なり。

■列外.茅ケ崎海岸
神奈川県在住の旧友からぜひ遊びに来て欲しいと誘われていたので訪問。せっかくなので初めて江ノ島電鉄に乗る(『スラムダンク』『プリキュア☆スプラッシュスター』の聖地)。東京湾ではなく「太平洋」の海岸を見たのは20代の頃以来ではないかと思うが、強風のため波が高いのに今さら驚く、東映の映画のオープニングみたいだ。
海水浴場に案内してもらって、同地は1945年秋にアメリカ軍の上陸するはずだった場所で、若き日の渡邉恒雄が徴用されて対戦車壕を掘らされたとレクチュアを受ける(つまり日本のノルマンディー)。もし本当に戦場になってたら防御物がほぼ何もない地形だ。これを見てくると『ゴジラ-1.0』の終盤は感慨深い。それが戦後、駐留した米軍によってサーフィンが広められ、サザンオールスターズの故郷になったのはどういう因果か。

■回顧と展望
例によって目先の作業をしてるだけで一年が終わってしまった。本年はどういうわけか長いこと会ってなかった旧友と再会したり急にメールや電話が来たが、幸いにして先取りの走馬灯でもなさそう。転職した者、妻子がいる者、非常勤で大学の先生をしてる者、非営利の団体に勤めてる者、海外と日本を往復してる者……みな大変そうだ。話す内容は20代の頃とあまり変わらんが、それぞれ「大人」をやってる。
一方で自分はどうか? 相変わらず成長しないネオテニー中年いや老人だ。とはいえ、自分の仕事があるうちは責任をもってそれをやらなければならない。
***
というわけで、例によって本年やった仕事の一部。
『一冊でわかる東欧史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4309811167)
ウクライナ戦争の勃発を機に、旧ソ連圏からバルカン半島まで冷戦時代の「鉄のカーテン」の東の20か国以上をまとめて一冊で通史にした大胆企画。戦乱と政変の話(おもにカトリック圏VS東方正教圏、ゲルマン系VSスラブ系VSその他の少数民族の対立)ばかりで個々の人物が埋もれそうなので、当方は意識的に、ドストエフスキーも愛読したウクライナの文豪ゴーゴリ、ポーランド独立運動の闘士を父に持つ音楽家ショパン、ロボットという語を発明したチェコ人作家カレル・チャペック、人工知能の基礎理論を築いたハンガリー人フォン・ノイマン、などなどの文化人も拾って論じてます。
『一冊でわかるオーストリア史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4309811183/)
当方は15~19世紀のハプスブルク全盛期の部分を担当。17世紀に三十年戦争でこたんぱんにされて以降こそが文化大国オーストリアの本領発揮。軍事は二流で、ついぞ新大陸やアジアに植民地を作らなかったのに19世紀まで欧州五大国の一角にあり続けたのは、女王マリア・テレジアの外交力の遺産といったあたりを説明。
『一冊でわかる平安時代』(https://www.amazon.co.jp/dp/4309722067)
2024年のNHK大河ドラマは紫式部が題材というので注目を集める平安時代だが、当方は後半の院政から平家の盛衰、源氏の内ゲバやらの血なまぐさい時期の方を担当。昨今は「源平の合戦」と言わなくなった理由、皇族・公家・武家・寺社の間の多くの政争の理由は領地の所有権だった事情、平安末期から始まる日本の中世(戦国期まで)=絶対強者のいない多重権力の分立時代という点などをわかりやすく整理したつもりです。
『江戸の暮らしと幕府のすべて』(https://tkj.jp/book/?cd=TD040824)
当方はおもに前半部分を担当。歴代将軍の横顔、大奥の実像、老中や町奉行や寺社奉行といった幕府に仕える者たちの仕事内容、参勤交代の背景などを説明。かつての進歩史観で封建時代は批判的に語られてきた反動で、ここ十数年は江戸時代を持ち上げるのがトレンドだけど、江戸時代だって一長一短だ。それは明治以降ではなく中世以前と比較(ここが重要)するとよくわかる。たとえば街道は安全になった代わりに移動の自由は制限され、寺社や農村の自衛武装が禁じられて戦乱はなくなったが、身分制度は固定化された。各時代ごと良い点もあれば悪い点もある。今の20代以下にはバブル時代やSNS普及以前の00年代のネットに憧れる者もいるそうだが、その時代も別に楽園じゃねえぞ。
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自分がやってるのは依頼を受けての仕事でしかないけれど、こう書くとじつに偉そうで僭越ながら、読者に対して単なる知識(出来事の説明)の羅列ではなく、現代日本とは異なるものの見方や考え方(文明観)自体を提示したいと常に意識してるつもりだ。あと単に歴史や文化の背景について調べるのが楽しいという面もあるが。
2024年は比較的に本領発揮の仕事に着手することになる予定。
それでは皆様、よいお年を。