回答(4件)

「ラジオが聞ける」をどういう風に考えるのかでいろいろになりますよね。 例えば「テレビ放送」でこれを厳密に考えるなら、「衛星放送が始まった時」みたいな回答になっちゃいますよね。 高周波は地形の影響も受けやすく、高層ビルでも見えなくなるから、「スカイツリー」を介しても届かない地域は存在します。 よって、ニュータウンみたいな所だと「ケーブルテレビが常識」になっている訳です。 それに対して「AMラジオ」の中波はそれに比べると届きやすいんで、「電波的」には、1930年代くらいのレベルで、ほぼ届いたようです。 ただ、むしろその時代の問題は、そんな時代「電気が供給されていない地域はかなりあった」し、「ラジオ受信機の普及も低い」訳です。 日本に比べ電気機器の普及は高かったヨーロッパでも、例えばナチスドイツが「全家庭へラジオを」という政策を取っていたものの、必ずしも実現していない、そんなレベルですから、日本でもラジオが一家に一台のイメージになるのは1950年代以降です。 だから、有名な話が「1945年8月15日の玉音放送」ですが、これは、事前に、当時の隣組制度などを通じて事前に「全国民が聞くように」と言う指示があった訳ですが、例えば「この時間に電気の送電が無かった地区への特別送電」とかを手配しています。 さらには、「自宅にラジオは無い」ので、「学校に集まってみんなで聞いた」というのがある意味普通の感じだった訳で、そういう事でも良いのか?みたいな部分もある訳です。

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送信局については皆さんの回答通り。 受信装置については、昭和7年。 松下幸之助が、安藤博から特許を買い取って、無償公開しました。 これにより、中小を含む国内メーカがラジオを生産できるようになり、 一気に普及しました。20-30社がラジをを製造しました。 ラジオが一気に普及することで、放送の番組内容も変わるし、 真空管の国産化も進みます。 https://www.japanradiomuseum.com/brand.html

◆戦前 NHKのみ、チャンネル数一つ ただし全国に中継局あり ◆アメリカ占領時代 当初、GHQが民間放送局設立を禁止した為NHKだけでした。 ◆戦後 1951年〜1963年の間にAM民放が開局しました。 多くは県単位のサービスエリアです。 1957年〜1990年の間にFM放送局が開局しました。 ◆中継 ラジオ局設立時の「資本」の関係からキー局の番組を中継しますがネット・中継は必ず行われる訳ではありません。 ◆ラジオ局数 地域のラジオ局の局数は「地域の聴取者数」により異なります。 人口密度が高ければ沢山のラジオ局が開局します。 ◆平成 倒産、閉局するラジオ局がありました。

日本じゅうどこでもまでいかないかなだけど、 一つ前の段階みたいになる、 日本各地の主要都市にNHKラジオ局(AMラジオ)で、 それらを中継線などで結び始めたのが、 1928年(昭和3年)くらいからになります。 日本のラジオ放送開始が1925年(大正14年)です。 まず、東京・大阪・名古屋でラジオ放送開始で、 札幌・熊本・仙台・広島などの開始1928年くらい。 「NHKラジオ放送史」という、 NHKアーカイブスのぺージなどで出てきます。 電話や電信(長距離の電報)は明治大正からあり、 第一次大戦前までは、真空管技術があまり発達して いない時代ですから、 海底ケーブルの国際通信は、 「電信(電報)」だけの時代もあります。 日露戦争(1904年〜1905年)では、 上海やアジアの国の港(上海など)に入ってきた、 ロシアのバルチック艦隊の情報は、 海底電信ケーブルで日本側も知っていて、 (日英同盟の、イギリス側の通信会社の技術などや) 九州の西の東シナ海にあらわれた、 バルチック艦隊を発見できたので、 マルコーニ社の無線機(火花放電式)を国産化して、 日本海軍の艦隊が装備していて、 対馬海峡に迫るバルチック艦隊を前夜に発見し、 迎撃に成功しています。 (「日本海海戦」でロシア艦の多くを沈めた) この直後の年の、1906年(明治39年)が、 フェッセンデンのラジオ送信実験で知られる、 巨大な大型の高周波発電機と、 電話機用に発明されたカーボンマイクで、 広い範囲でラジオ音声や音楽が聴こえた、 放送実験に成功していたと伝えられています。 真空管ラジオはまだ無い時代みたいになるから、 電報の通信局や船の通信士の仕事の業務の人が、 あちこちで実験電波を聞けたようでした。 第一次大戦で、有線や無線の電子技術が進み、 真空管も量産されるようになって、 1920年代くらいから、世界各国で、 ラジオ局の放送が始まっていきます。 真空管は最初は高価ですから、 放送局は真空管の機材だけど、 受信は「鉱石ラジオ」などで、 放送局の近くの人が聴こえる段階からです。 (学校の授業などで「ダイオードラジオ」を 教材で作った人は、ラジオ送信所のアンテナが見える場所などに行って、聴こえるか試したかも) 上の話のように、 熊本などの、東京から遠い場所でも、 東京のラジオ放送と同時に中継音声で、 ラジオ全国放送にするために、 「放送局どうしを『電話回線でつなぐ』」技術や、 離れた場所で、いったん「ラジオ受信」して、 またその音声を「ラジオ中継の再送信」で、 離れた都市などでラジオ送信するなどで、 野球の試合や相撲の中継なども、 日本各地で聴くなどに発展したわけです。 電子技術や通信技術が発達していく、 1920年代や1930年代に、 高い上空の「電離層反射」の、 短波の電波が遠くまで届くのも発見されて、 「国際放送」や「国際通信(無線電波)」が、 20世紀前半でも世界中で使われていきます。 宇宙ロケットや通信衛星は1950年代〜以降ですが、 短波の電波の電離層反射なら、 人工衛星や国際宇宙ステーション(ISS)が周回する 高度くらいの高さで、短波の電波が反射して地上に戻る性質を利用して、 短波ラジオ(国際放送)や短波通信も、広く使われました。 だいたいのところは、 第二次世界大戦の頃になると、 「戦争に備える」ために、 世界各国で、真空管ラジオの低価格化や量産もやったりで、自分の国の「全体でのラジオ放送」は、 やれるようにした国も増えたわけです。 自国などのエリア内を、 電話線や音声回線でつないだり、 ラジオ電波から中継再送信などで、 広い範囲で、世界各国がラジオ利用は、 第二次大戦の頃は増えていました。 日本は、太平洋戦争の終戦は、 天皇陛下の「玉音放送」で多くの日本国民に一斉に伝えられて、戦争を終了にしていたわけです。