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江戸時代の髷について 先日、他の質問にて 髷は町人、武家などそれぞれちがうため厳格に守られていた旨の話がありました。 ところで、 映画 殿!利息で御座る で、茶を作る人間として登場する 俳優の瑛大扮する徳平次 彼は自分で百姓だといっていますが、髷は武家のような髷で総髪になっています。 百姓にこのような髷が許されるのでしょうか? 茶師というか、茶人ではないが、茶を作るのを指導するような役割で、京で学んできたような話しになっていました。 そういえば、サントリーの伊右衛門のCMでも ひところ、薬丸かだれかが、茶師の役で出てましたが、あんな雰囲気ですね。 茶師になれば、武家でなくても、あんな髷でいけるのだろうか? よろしくお願いします。 ひところ、

日本史 | 茶道104閲覧

回答(5件)

茶師であるというイメージでの時代劇、CMの演出です。 有名なのは宇治茶師の上林一門です。 上林家は四家に分かれ六郎家(宇治代官500石)、竹庵家(300石)の知行が宛がれ茶師の総括として維新まで続きました。 六郎の弟、竹庵の兄の春松家は茶師として今も続いています。 茶師は宇治には多く存在し厳格な格式が有って春松家は茶師として最高の家格でありました。 上林一門の肖像画や木像等が伝わりますが剃髪姿です。(坊主頭) 上林一門の通称である春松、三入、峯順、竹庵等の通称は道号ですので総髪姿ではなく茶師は剃髪姿で有った可能性が強いとおもいます。 茶を壺に納める図が上林記念館に展示されていますが坊主頭で帯刀した人達が数人描かれています。宇治茶師に違いないと思います。 総髪は被差別民との回答がありますが間違いです。 総髪は月代を剃らないスタイルを言います。 幕末、勤王思想の影響もあり復古ブームで総髪が流行しています。 総髪姿の武士の写真も多く伝わり函館奉行所勤務の幕臣の寒冷対処の為の総髪願い、高家今川駿河守が京に赴くに当たっての総髪願いの記録も残されています。

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時代劇や映画は制作費の都合や時代考証に掛ける金額の制限などから全く嘘だと思って下さい 髷については江戸市中(江戸城外堀内側)に住む町人(広義の)は武士階級の髷は結えません 自分で結えるならあり得ますが髪結でやってもらう場合は町人は町人髷だけです 髪結は町奉行からの免許制度で免許を出してくれる町奉行に色んな情報を伝える役割があり髷を結わない浪人者や華美な髷を結う町人を報告していました 神職は髷は自由と言えます、その神社で階級により結える髷や髪型が決まる筈です 茶人も朝廷から位階を授かれば自由に結えますが自称茶人では町人なら町人髷、武士階級の茶人なら武士階級の髷になります ただ総髪というのは時代劇にはよく登場しますが現実にはありえません というのも総髪は非接触民が髷を結う事を禁じられた為に好んだ髪型だからです、歌舞伎役者も非接触民ですから髷を結えずに総髪でしたが身分を恥て町人髷を結い摘発されるケースが多発しました つまり好んで総髪にする人がいないのです これは時代劇が産んだ誤解であり非接触民身分を隠し通してきた近代日本の作り上げた誤解です

藩や地域で差がありました。厳格なところもあれば、ほぼ自由という場合もありました。当時の人の商人の日記の中には、「旅に出るので、他藩を通行する。髪型が自由にできるので、今回は武家風にしたい」というものが残っています。 また、落語の中には、白洲(裁判)に呼ばれた町人が、髪型の件で、あれこれと奉行から注意をされる場面もあります。

江戸時代の髪型は、 武士は基本的にはきちんと月代を剃った髪型でした。 ただし、位の上の人は高家と呼ばれ公家と同じように総髪だったり、隠居したら総髪にするとかをしました。 幕末の武士は総髪が流行りました。 町人の髪型は自由なんです。 ただおしゃれ、粋に見せるために月代を剃っていました。 農民や僧侶、医者、薬師、戯作者、学者などなどは総髪する人が多かったですね。 庶民が髪型で罰せられることはありません。

元々茶は薬でしたので、茶師は漢方医師同様、医者としてあの髪型をしてるのではないでしょうか。 総髪は、むしろ「身分外の者」の髪型だそうです。 医者は儒者同様、知識階級なので被差別階級にはされなかったものの、かといって武士でも特権階級でもなく、幕府も扱いに困っていたそうです。 陰陽師(律令制の官職ではなく民間の占い師)などもこの髪型であり、やはり髷を結わない(総髪)というのは社会のはみ出し者なので、「医陰両道」と呼ばれると、医者側もインチキ占い師と一緒にするな、せめて儒者に並べて欲しいと言ったとか。