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かなり掘り尽くしたとはいえ、「黄金の国ジパング」と昔言われていたのは、日本は金銀銅の産出量が今我々が思っている以上にあったのでしょうか?火山国だからでしょうか? 佐渡金山・石見銀山・生野銀山が世界遺産や産業遺跡が全国にたくさんありますよね?

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回答(7件)

そんなに大きくない火山島だったことは関係していると思います。古代から全国くまなく探鉱できたからです。雨量が多く、谷が刻まれ、小さな川が沢山あって 上流の鉱脈を教えてくれた。 なので、近世(江戸時代)の初めごろまでの(そう大きくない)需要を満たす生産量は十分あったのです。一時期金銀生産量は世界一だったというのはあながち大げさではないと思います。実際に昭和の中頃(30年代)まで、日本中に鉱山があり、山奥にも思いがけないほど大勢が住む鉱山町があちこちにあったのです。私の子供時代には近辺にもずいぶん残っており、私には「鉱業国ニッポン」の実感があります。 今は炭鉱も含めてほとんど無くなり、産業文化財として一部が残されているだけです。

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国土が狭い事が関係してるのではと思います。 単純に広大な国土だとどこから手を出していいか分かんないですもんね。

こんにちは 金・銀については、奈良~室町時代(710年~1467年)金の総産出量 30t(年平均40㎏) 銀の惣産出量10t(年平均13㎏) 銅については、弥生・古墳時代の銅使用量は推定100tに満たない量、奈良時代 推定1000t、平安時代の総数は記述ないが、皇朝十二銭には約400tの銅が使用された。 というデータが残っています。 このように、日本の金、銀、銅の地下埋蔵量は世界的に見て多いとは言えません。 「東方見聞録」に出てくる金でできた宮殿とは、平安時代後期の1124年、岩手県平泉に建てられた中尊寺金色堂だといわれています。 マルコ・ポーロが日本を訪れたことは一度もありませんでした。 このような記述は、中国の商人などが語った日本の様子や噂話をマルコ・ポーロに口述して、後に共同著者であるイタリア人の小説家、ルスティケロ・ダ・ピサが他の伝聞や逸話を盛り込んで書き綴ったとされているため、実態とはかなりかけ離れた内容となっているのです。 また、ダイヤモンドのように地下で、炭素に圧力がかかってできたものは火山の影響で地表に出てくるということも考えられますが、金・銀・銅は元素であり、火山と埋蔵量に関係ないといえます。 実際、佐渡、生野、石見の近くに火山はありません。

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「黄金の国ジパング」という表現は、13世紀末にマルコ・ポーロが著書『東方見聞録』で日本を「黄金の国ジパング(Zipangu)」と紹介したことに由来します。当時の日本は実際に金の産出量が多く、特に16世紀から17世紀にかけては世界有数の金産出国でした。 日本の金銀銅の豊富な産出の理由は、ご指摘の通り火山国であることが大きく関係しています。日本列島は環太平洋造山帯(火山帯)に位置し、地質学的に鉱床が形成されやすい環境にありました。 主な鉱山としては: ・佐渡金山(新潟県):江戸時代には徳川幕府の財政を支えた日本最大の金山 ・石見銀山(島根県):16世紀には世界の銀産出量の約3分の1を占めたとされる ・生野銀山(兵庫県):古代から採掘され、明治以降は近代化された鉱山として発展 その他にも、小判などの金貨製造に使われた伊豆の土肥金山、相川金銀山、院内銀山など多くの鉱山がありました。 特に16世紀から17世紀にかけての日本の金銀産出量は、当時の世界経済に大きな影響を与えるほどでした。石見銀山の世界遺産登録(2007年)は、こうした日本の鉱山の歴史的・文化的重要性を国際的に認められた証と言えるでしょう。 現在では資源としての価値は低下していますが、産業遺産として各地に残る鉱山施設は、かつての「黄金の国」日本の繁栄を物語る貴重な歴史的証拠となっています。

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日本は「黄金の国ジパング」と呼ばれた背景には、豊富な金銀銅の産出があります。特に火山活動が活発な日本では、金鉱脈が形成されやすく、地質的特性が影響しています。江戸時代には石見銀山が世界の銀の約3割を供給し、佐渡金山や生野銀山でも多くの金が採掘されました。これらの資源は貿易を通じて海外に流出し、日本の豊かさを象徴する要因となりました。

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