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かなり掘り尽くしたとはいえ、「黄金の国ジパング」と昔言われていたのは、日本は金銀銅の産出量が今我々が思っている以上にあったのでしょうか?火山国だからでしょうか? 佐渡金山・石見銀山・生野銀山が世界遺産や産業遺跡が全国にたくさんありますよね?
日本史・49閲覧
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日本史・49閲覧
そんなに大きくない火山島だったことは関係していると思います。古代から全国くまなく探鉱できたからです。雨量が多く、谷が刻まれ、小さな川が沢山あって 上流の鉱脈を教えてくれた。 なので、近世(江戸時代)の初めごろまでの(そう大きくない)需要を満たす生産量は十分あったのです。一時期金銀生産量は世界一だったというのはあながち大げさではないと思います。実際に昭和の中頃(30年代)まで、日本中に鉱山があり、山奥にも思いがけないほど大勢が住む鉱山町があちこちにあったのです。私の子供時代には近辺にもずいぶん残っており、私には「鉱業国ニッポン」の実感があります。 今は炭鉱も含めてほとんど無くなり、産業文化財として一部が残されているだけです。
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こんにちは 金・銀については、奈良~室町時代(710年~1467年)金の総産出量 30t(年平均40㎏) 銀の惣産出量10t(年平均13㎏) 銅については、弥生・古墳時代の銅使用量は推定100tに満たない量、奈良時代 推定1000t、平安時代の総数は記述ないが、皇朝十二銭には約400tの銅が使用された。 というデータが残っています。 このように、日本の金、銀、銅の地下埋蔵量は世界的に見て多いとは言えません。 「東方見聞録」に出てくる金でできた宮殿とは、平安時代後期の1124年、岩手県平泉に建てられた中尊寺金色堂だといわれています。 マルコ・ポーロが日本を訪れたことは一度もありませんでした。 このような記述は、中国の商人などが語った日本の様子や噂話をマルコ・ポーロに口述して、後に共同著者であるイタリア人の小説家、ルスティケロ・ダ・ピサが他の伝聞や逸話を盛り込んで書き綴ったとされているため、実態とはかなりかけ離れた内容となっているのです。 また、ダイヤモンドのように地下で、炭素に圧力がかかってできたものは火山の影響で地表に出てくるということも考えられますが、金・銀・銅は元素であり、火山と埋蔵量に関係ないといえます。 実際、佐渡、生野、石見の近くに火山はありません。
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