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両者が直接碁を打ったということを聞いたことがないので、推定にしかなりませんが、 現在休刊中の、誠文堂の月刊誌「囲碁」では、連載企画として著名・強豪アマの指導碁シリーズがあり、そのシリーズ中に将棋棋士からの選抜されたものと囲碁の女流棋士の指導碁が何度か企画されて行われました。 記憶では、2子で打てたのは河口俊彦と真部一男で、3子で下手側の棋力で勝ったのは佐藤庄平と丸田祐三くらいで、大山、升田、花村あたりが3子で「ああ、これは雑誌に載る指導碁だから緩めているな」というのが見て取れました。 元々、古い将棋棋士たちの囲碁は、強くなってくると、強いもの同士では打たなくなるそうです。打って、勝敗の結果を出してしまうと「あいつより俺のほうが強い」と言われても言い返せなくなるからということでした。 なので、そういう人たちの間では、弱いA棋士を物差しにして、「君はA君に3子置かせて打っているらしいが、私はA君に4子置かせている。だから私のほうが強い」と、素人同然の言い争いをしていました。 そんな風に、「将棋棋士の中で、碁は俺が一番強い」ということを許さない空気の中で、皆が「河口だけは、あいつが一番だと言ってきたら逆らえない」と認めていました。河口自身は大山、升田を差し置いて、自分が一番だなどと威張っても、それで良いことなどないこともわかっており、碁が強いことで先輩棋士たちにかわいがってもらう場面もあることで、けっして河口自身の口からは言いませんでしたが。 花村は、将棋で真剣師の時代に、碁のほうもそこそこ真剣がやれるくらいに強かった、というくらいのところで、棋力としては、河口が上でしょうね。 余談ですが、その河口と同等の2子で指導を受けた経験がある真部。A級に上がれず長くB1棋士だった時代は、毎日毎晩が酒と碁しかやっていなかった話は有名ですが、こんなエピソードがあります。 「囲碁と酒」という繋がりで、米長を経由して藤沢秀行と知り合い、真部がずっと碁にのめり込み、棋力もそこそこあることを認めた秀行から「碁の方でプロになる気があるなら、日本棋院は無理だが、チョッキ(関西棋院の宮本直毅・ミヤモトナオキ九段のこと)になら口をきいてやる」と言われたことがあります。 その話は、真部本人が断りましたが、酒の席でとは言え、秀行が「プロ編入試験を受けさせることくらいはできる」というくらいの棋力はあったということでしょう。 将棋界の囲碁は、故人も含めて実力順で考えると、河口と真部が上位で、後は一歩譲るくらいだと思います。
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