1928年生まれ。建築家。槇総合計画事務所代表取締役。
http://www.maki-and-associates.co.jp/
(最終更新:2009年3月31日)
[翻訳]
...ほど、非都市的かつ非生産的なものはない」と、槇文彦は一九六四年に『Investigations in Collective Form(集... ...Washington University School ofArchitecture,1964.28──槇文彦29──槇文彦 「コンポジショナルフォーム」30──同「...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[論考]
...あった建築家、菊竹清訓・黒川紀章・大高正人・槇文彦の四人の六〇年代の仕事が細かく紹介されてい... ...前後に各自ばらばらに動きはじめた。黒川紀章・槇文彦はいずれも丹下研究室に在籍していたことがあ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[設計思想・教育]
...が明らかだったからかもしれない。当時建築家の槇文彦が指摘した「グループフォーム」(群造形)は... ...代が残した課題への重要な挑戦でもある。 5──槇文彦による集合体の3つの形態 構成的造形であるコン...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.152-155
[論考]
...の二つの都市に集結していった(日本からは主に槇文彦や長島孝一らがハーヴァード、伊藤滋がジョイ... ...論を繰りひろげ、第三回会議ではギーディオンが槇文彦の「グループフォーム」を紹介し、第四回会議...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[対談]
...には独自の空間モデルがなさすぎると思います。槇文彦さんの代官山ヒルサイドテラスなどを挙げても... ...)。 太田──芦原義信さんの『隠れた秩序』、槇文彦さんの『見え隠れする都市』以降都市建築のモデ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.62-77
[図版構成]
...の面で優れている。 2──菊竹清訓+黒川紀章+槇文彦(日本) コミュニティ活動を最大限に引き出す... ...本構成を計画する。 2──菊竹清訓+黒川紀章+槇文彦(日本) 敷地面積:120m2、建築面積:92m2、延床...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.193-204
[万博という問題系1]
...当時僕が付きあっていたメタボリ仲間の川添登、槇文彦、栄久庵憲司をつれて交渉してまわったんです... ...ですね。 黒川——シニアアドバイザーにはあと槇文彦さん、石井威望さん、泉眞也さん、亡くなりまし...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[キーワード]
...措定している。日本からは妹島和世、伊東豊雄、槇文彦の3人の建築家が招待されており、1980年代以降の... ...る《兵庫県先端科学技術センター》(1994)や、槇文彦とササキ・エンバイロメント・デザインによる《...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[グローバリズム 5]
1 中国(珠江デルタ):スーパーバブル=一九七八以降 PART 2 前回に引き続いてハーヴァードの「珠江デルタ」のリサーチ・レポート。彼らのパラフレーズ...タワーのデザイナーとしてピアノ、フォスター、槇文彦などの名前が挙がり、リベスキンドはディヴェ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[論考]
裏──宅地的都心 ここのところの東京をめぐる情報の流通を見ていると、「裏原宿」や「裏青山」といった「裏」の街に関するものがずいぶん多い。今まで脚光を浴びてきた表...ているのではないのか。 註 ★一──かつて、槇文彦は、東京という都市の構造を「奥の思想」によっ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.147-155
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...築』二〇〇五年五月号に追悼文が並びましたが、槇文彦さんも安藤忠雄さんも伊東豊雄さんも隈研吾さ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[技術と歴史 6]
悠久の古代エジプトにおけるピラミッド 中川武──三〇年前に初めてエジプトに行き、それから調査・研究を進めています。古代エジプトでは古王国にピラミッドがたくさんつ...もうひとつは、日本の現代建築の中で七〇年代に槇文彦さんが安藤忠雄さんや毛綱毅曠さん、石山修武...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.191-199
[現代建築思潮]
「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこ...ができました。穂積さんは戦後すぐ、芦原義信、槇文彦に次いでアメリカに留学し、エーロ・サーリネ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[対談]
ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(ア...、熱心にとくに技術系の教育に取り組んでいる。槇文彦さんの「シンガポール理工系専門学校キャンパ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[インタヴュー]
世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職...さんが司会、出席者は磯崎さん、黒川紀章さん、槇文彦さんという錚々たる面々の座談会が掲載されて...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[現代建築思潮]
山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリンピックが、反転してベルリン・オリンピックに象徴されるネーション...空間を消失させてしまった。それは現象としては槇文彦『見えがくれする都市──江戸から東京へ』で...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えま...ジエ的なものをハーヴァードで教えていました。槇文彦さんが留学していた頃はそうだと思います。そ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られてい...このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[東京]
都市の形態の背後にある構造は必ずしもみえていないし、しかし全くみえていなくもない。それは絶えず見えがくれしているのであろう。 槇文彦『見えがくれする都市』 法...それは絶えず見えがくれしているのであろう。 槇文彦『見えがくれする都市』 法規? 東京の都心部に...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.148-155
[論考]
都市計画はひとつの工学的な技術体系として(…中略…)物的・実体的な諸施設の配置・構成を手だてとし、個別的・社会的なもろもろの空間や構築物を媒介として、都市社会を...体例として大高正人が大手町地区および坂出市、槇文彦が金町地区および堂島地区における人工土地の...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[論考]
0 非生産都市=香港 香港という都市は、如何にして成立しているのか。例えば、香港における農業・漁業のGDP(国内総生産)に占める割合はわずか〇・一パーセントにす...八─八九頁。 ★二七──多木浩二+内田隆三+槇文彦+伊東豊雄+山本理顕+見田宗介+鷲田清一『PROB...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.177-186
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 2]
1 建築職人ウィトルウィウス はたしてウィトルウィウスは建築家だったのだろうか。 あらためていうまでもなく、彼の著した『建築書』(De Architectura...の参加メンバー=川添登、菊竹清訓、大高正人、槇文彦、黒川紀彰、粟津潔。 ★五──邦訳=『建築神...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.12-25
[現代建築思潮]
セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリー...ら枝、葉と階層構造を見ていると思うのですが、槇文彦さんは、木に葉を、また同時に葉に木を見てい...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[グローバリズム 2]
1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で引用したコールハースのテクストは、「日本に関して...最大級のピロティをもつ《江戸東京博物館》を、槇文彦が五〇〇メートルもの長さを誇る《幕張メッセ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...国内が曖昧な和解ムードに閉塞していくなかで、槇文彦が論文「平和な時代の野武士たち」を『新建築...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[批評]
《バルセロナ・パヴィリオン》[図1]や《チューゲントハット邸》において用いられた、四本のアングルを組んでクロームメッキのプレートで包まれた十字柱は、ミース・ファ...彫りにするために、同じく巨大なスケールをもつ槇文彦の《幕張メッセ》と比較してみてもよいかもし...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.110-112
[論考]
日本を訪れた者は、現代の日本の都市はカオスであり、中には実にすばらしい建築があるにもかかわらず、全体的に美しくデザインされていないと感じるはずだ。 これは最...味深い面にばかり向けられている。日本の都市や槇文彦の《スパイラル》(一九八五)のような建築は...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[インタビュー]
〈もの〉ではなく、その効果 槻橋修──今回のインタビューにあたり、伊東さんの作品を言説を含め改めて見直したのですが、一九八四年の《シルバーハット》[図1]の頃か...ね。 槻橋──空間を連続させるというときに、槇文彦さんの設計でも場面の連続、内部空間のヴォリュ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[資料]
●関連図書 宮脇昭『植物と人間──生物社会のバランス』NHKブックス、1970 貝塚爽平『東京の自然史』紀伊國屋書店、1976 ロラン・バルト『エッフェル塔』(...フェル塔』(宗左近+諸田和治訳)審美社、1979 槇文彦『見えがくれする都市』鹿島出版会、1980 坂誥秀...
[翻訳]
一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスムの展覧会を開催した。一九三二年の「近代建築」展以来、MoMAの...リップ・ジョンソン、ディーナー&ディーナー、槇文彦、チャールズ・ヴァンデンホーフなど、何十人...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...が、彼らはただ呆れていました。 南──だから槇文彦さんの建築の繊細さなどは、外国で見るとものす...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[インタヴュー]
東工大清家研究室 石崎──今日はご自身の作品を語っていただくというよりは、先生が戦後、どのような時代背景のなかにおられたかということを中心にお話をうかがえればと...彼を静岡で待ち受けて、東京までの電車のなかで槇文彦さんと一緒にインタヴューをした。終わりのほ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[批評]
1 英語の「ランドスケープ」という言葉と日本語の「風景」という言葉には、相似とともに相違があるだろう。オギュスタン・ベルクによれば、日本語の「風景」という言葉が...めに」前掲書、二七二頁。 ★一一──たとえば槇文彦は『記憶の形象』においてアメリカの大学で教え...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.68-87
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってき...サージュという言葉は非常に印象的です。例えば槇文彦さんはスパイラルを「コラージュ」の手法で設...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[翻訳]
今日、東京は経済発展を遂げた世界で最大の都市cittàである。ここで用いる「都市città」という用語はおそらく不適当で時代遅れの感さえあるのだが、より適当な言...が七五年であるのに対し、東京は二六年である。槇文彦はこの点に関して控えめな表現ではあるが鋭い...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.152-161
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して...なものができたと話題にした。 かつて石山は、槇文彦が名づけた「野武士」というレーベルのもとで、...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[対談]
建築の下部構造としての「建築等」 岡崎── 僕は中谷さんに、建築の世界にとって、いわば異物だと呼ばれました。確かに自分でも、いつのまにか建築の人と接する機会が増...建築にはついている。ミースにも伊東豊雄さんや槇文彦さんの建築にもこれが最後にはつけられる。こ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.197-210
[論考]
1 ペリフェリー われわれの眼前には多くの新しいリアリティがある。未だかつてないような動きが展開されると、既存の規範(デイシプリン)(概念、手法、価値基準ほか)...が、その際に大高はもう一人のメンバーであった槇文彦との共同で新宿副都心計画を提出している。会...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.34-51
[論考]
丹下健三が一九六一年に発表した「東京計画一九六○」は、東京の市街地を海上に延長させる計画であるが、何も無かった領域に都市を配置することで、否応なくその形が露わに...栗田勇編『現代日本建築家全集一九 菊竹清訓 槇文彦』(三一書房、一九七一年) ★一一──『港北...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.59-66
[論考]
アンリ・ルフェーヴルとの出会い、 空間の実践と主体の召還 南後──本日は、塚本さんが最近実践されている「ビヘイビオロロジー(ふるまい学)」について、そこに通底す...ていると思っています。 じつは六〇年代にも、槇文彦、大高正人はコアに頼らない「グループフォーム...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.84-89