考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

誰が矢面に立つか

2005å¹´05月22æ—¥ | æ•™è‚²
 先日、学年主任がある提案に対する意見を聞いてきた。私は反対した。なぜなら、原則に反していたからだ。私は、目先の問題解決のために原理原則を崩すと、後で更に大きな問題が生じて来たときに(それで、これがまた生じやすくなるものなのだ。)対応に苦慮すると考える。そう言って、「意地悪な」私は、更に付け加えた。「でも、その提案は、あなたが面と向かって文句を言われたくないからでしょ? それで、なぜ、文句を言われたくないかというと、管理職が守ってくれないからよ。」(結局、学年主任は、他の理由もあってその提案を没にした。)
 
 で、言い残したけど、続きがある。「で、管理職がなぜ守ってくれないかというと、教育委員会が管理職を守ってくれないからで、教育委員会が管理職をなぜ守らないかというと、文科省がちゃんとしてないから。」

 今は、文句を言われるか言われないか(大それては、訴訟を起こされるか起こされないか)が、学校経営の根底にあるから、学校はホテルかレストランと化し、親の意識が相当に高く、教育の何たるかが分かっているところでもなければ、まともな教育が行われなくなりつつある。
 
 よって、内田先生のおっしゃる文化資本の二極化が進むと、本来、本当に必要とされる層に対する公教育がただの子守と化し、口先だけは達者な幼稚な社会人を生み出すこととなる。

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