考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

年を取ると脳味噌を使う爽快感が減る訳

2005å¹´02月26æ—¥ | ç‰©ã®è¦‹æ–¹
 中学生や高校生だったとき、試験前なんぞは、めちゃくちゃ勉強した。1日中机に座っていると、たっぷり勉強ができた。朝と晩では自分がすっかり変わっているのが分かった。それまで知らなかったことが分かり、それまで解けなかった問題が解けるようになっているのだから。爽快感さえ伴う喜びだった。

 それがどうしたことだろう、幾星霜すごすうちに、私の脳味噌は、なかなか変化を受け付けなくなってきたようだ。近年、よし、勉強するぞ、と思って、1日机に向かおうにも、家事や何やかんや、気になって仕方がない。すぐ、机から離れて、違うことをしている自分に気がつく。思った、「勉強できない生徒も、こんなものなのかなぁ。」と。それでも、がんばってやってみる。でも、達成感がないのである。

 年をとると、まあ、ある程度は仕方がないのかなと思う。だって、脳細胞の軸索の伸びるスピードが違うんだもの。

 以前、NHKスペシャル驚異の小宇宙人体で、若いネズミと年老いたネズミの神経細胞の軸索の伸び方を比べる映像をやっていた。若い方はぐんぐん伸びて、他の細胞と繋がり合う。しかし、年を取った方のはなかなか伸びもしない。

 同じことが自分の脳味噌について言えないわけがない。若かった頃の私の脳細胞は勉強をすることでぐんぐん軸索が伸び、細胞が絡まりあっていた。それが、知識を増やし、問題が解けるようになるということだった。が、今は、そうはならない。たとえ若い頃と同じ時間勉強をしたとしても、脳はさしたる変化もなく、よって、かつてのような達成感も爽快感もないのだろう。

見返りが欲しい?

2005å¹´02月23æ—¥ | æ•™è‚²
 新任研修か何かで、偉い先生も新任教員も「教員は、お金の価値では計れない見返りがあるから良い。」と言っていた。両親とも教員の家庭に育っているもので、教え子のクラス会や何やら、親も嬉しそうにしていたから、この言葉はとてもよく分かる。

 十数年経って、ある人(教員)が、「教員は見返りがあるから良い。」うん、生徒が訪ねてきたりね、--ここまではこれまでと同じだもので、私は勝手に想像力を働かせてふんふんと聞いていた。しかし、「自分が関わった生徒が、社会に出てから社会に貢献するからね」とか、何とかいう内容に私はとても驚いてしまった。こんなこと言う人、初めて! 同じ「見返り」なのに、解釈が全然違うのだ。(もっとも、コトバの定義の問題で、後者の「見返り」は見返りと呼ばない人が多いかもしれない。)

 しかし、それにしても衝撃的でした。そんなことを言う教員がいるなんて!自分にストレートに返ってこないものを「見返り」と呼ぶなんて。

 教員になって何年かして、この仕事は未来の社会を作る仕事だと思ったことがある。で、今もそう思う。未来社会に自分が直接手をかけるわけではないが、自分が関わった年若い者たちが新たに社会を築くのは、いわば間接的に未来社会の建設に関わっているのと同じだ。教員の仕事や学校その他の教育方針他の役割である。(それで今問題になっているのが、「ゆとり教育」関連事項である。今のままでは未来社会は暗い、と。)

 教育を受ける側、生徒の認識は、「○○先生のおかげで、僕は○○ができました。○○でとても嬉しかった。ありがとう。」の類で、先生へのいわば「直接的見返り」を返す。これがほとんど。先生を訪ねるのもそんなのだろう。

 上記のその人が「卒業生が、工場で働き始めてから、『先生に言われたように、命に関わるこの製品を買った客が安全に使えるように、しっかりと製品を作る』と言ったのを聞いて、嬉しかった」というようなことを言っていた。まあ、その生徒も立派だが、その先生も立派だと思う。だって、その先生には、直接的に何の見返りもない、ただあるのは、安全な製品を使う安心という、自分の身には直接関わるものではないのだから。(そりゃ、まれに直接関わることも起こりうるが。)ただ、そのおかげで、多くの人が安心してその製品に命を預けることができるのだ。こんなに広く大きな安心や無事、そして希望を生む師弟関係は本当に価値ある教育成果だと思う。

 養老先生は、「起らなかった事故に感謝する人はいない」と言うようなことを言う。上記は、そのまれな例外であろう。このよう老先生の言葉で考えると、「教育」の多くは「事故を起こさない」ことを目標とする。(今はやりのような、学校敷地内では決して事故を起こさない、という意味ではない。)人が、ただ自然界で生きているだけでも何らかの事故は起こる、だから、事故を起こさないよう努めるために勉強をさせたり、躾けたりするのだ。(イヌイットが犬ぞりの使い方や氷の家の作り方を教授するのもこれ故だろう。)特に、初等中等教育の目標の大部分はそこに尽きるのではないか。ただ、現代の人間社会は恐しく複雑で煩雑な事柄が多いから、かけ算や分数や漢字の書き取りその他もろもろもっともっと中学程度の学習内容を知らないと、もはや社会は円滑に回らず事故が起こる構造になってしまっている。だから、事故を未然に防いて、多少知的な社会的動物としてより良く生きることが教育の大目標だということをややもすると忘れがちになっているのだ。

 ということは、どういうことかというと。。。

 学校の先生の仕事の大部分は、養老先生的一般論では、決して感謝される類のものではないということである。感謝されたら、例外、と思った方が良い。そういう場合は、コトによったら、自分はやってはいけないことをやったから、教えてはいけないことを教えたから、個人的に感謝が返ってくるのかもしれないよね、ということさえありうるかもしれないね。(ま、これは多少の曲解も含んでいるけれど。)
 

小論指導で大忙し

2005å¹´02月22æ—¥ | æ•™è‚²
 国公立前期試験が迫っている。ほとんど泥縄だが、生徒が過去問を持ってくる。しかし、「時間内書けた?」と聞くと、芳しい返事は返ってこない。

 総合問題系統が多い。150字でとか、200字、300字でとか。英語はちょっとで、日本語の要約問題も多い。ほとんど国語だよ。こちらは3年に一度の「国語」である。たぶん、専門的指導はできていない。それでも何らかのアドバイスはできるから、まあ、役には立っているだろう。東大京大とかは知らないが、ふつーの国公立だったら、まず、「埋める」ことができるかどうか、しかも、論理的に埋めることができるかどうか。合否はそれに尽きそうである。どうせ、似たような能力の者が受験しに来るのだから。
 
 今日見たなかには(書けばどこのか分かっちゃうだろうが)朝鮮人の強制連行に関わる問題があって大層驚いた。何より出題者の「勇気」にである。しかし、生徒は地理選択者だから日本史をやってないし、一般常識程度のことも知らない子だったので、書いていることはちんぷんかんぷん。う~ん、困った。で、自分も一緒になって日本史の教員に教えてもらいに行った。

 日本人なのに日本史をやらずに、何が文系学問だろう。カリキュラムは高校の責任だろうが、そんな教育課程を許している方がおかしい。国際社会だから世界史必修とか、もう、短絡的過ぎる。国際社会だからこその日本史であろうに。こんな簡単な理屈がどうして「偉い人」たちは分からないのだろうね。相手を知ることも必要だろうが、まず自分を知った上でのことだろうし、第一自分を知ることが学問の肝要であろう。

 と、ここで「自分を知ることが学問」という内容で文章が書けるが、明日までに添削(というかアドバイス)してやらなければならない過去問を持って帰っているから、今日は書かない。

 小論を見る間(これは割り当て)に、英作文を見てくれと持ってくる生徒(これは勝手に持ってくる)もいてその解説にも時間もかかるから、結構相当忙しい。今日は英作だけでなんだかんだ2時間近くかかってしまった。

 私のブログを読んだ方、「この程度の文章しか書けないヤツに小論指導を受けなければならない生徒はかわいそうだね」なんて思わないでね。お願い。こっちも必死。過去問の文章の内容があまりに浅薄で腹が立ってきたりしながらやってます。第3学年の2月3月は、3年に一度、ちょっとほっとできる時だと思っているのに、全然休まらない、今日この頃。

背広を着なさい、ホリエモン

2005å¹´02月21æ—¥ | ç‰©ã®è¦‹æ–¹
 時事は書くつもりはなかったが、日本的(この定義は、まあ、ともかく)なニオイを感じたから、ちょっと書きたくなった。

 テレビで見る限り、この人、自分の商売をきちんと成功させて、今まで誰もやってない、インターネットを既存の情報媒体と結合させる事業をやってみたいんじゃないかと思う。商売人だから、当然金儲けは考えているはずだ。が、究極の目的がマネーゲーム的な金儲けではないと思う。本人が言っているとおりの情報媒体の結合による新しい事業展開だと思う。(もちろん結果的に成功すれば金儲けに通じるが、事業の成功とはそもそもそういうものだろう。)だけど、多くの人は、なんだか訳のわからない若造が、カネにあかせて乗っ取りを企画し、自分たちが今まで築き上げた世界を喰い荒らそうとしていると感じるのだろう。

 私が不思議に思うのは、なぜ逆の発想をしないのかということだ。どうしてテレビ等の既存の業界が、インターネットと組むことで商売を拡大しないのだろう。報道を聞いていると、インターネットにテレビが乗っ取られるという方向の発想しかない。そうではなくて逆に、テレビがインターネットの金を利用してここぞとばかりに他の会社を出し抜いて、新たな事業展開を試みて一歩先に進むことが可能になるのではないか。見ようによってはこれはチャンスではないか。

 まあ、そうしない理由は、相手が訳のわからない若造のようだから、怖いのだろう。頭は良さそうだし。で、そう思われる第一の理由は、堀江さんのあの格好にあると見る。服装は本人の好みだが、どこへ行くにもあのスタイルを貫こうとしているところが、既存システムに組み込まれている人たちの不安を掻きたてるのではないか? 「社長」だったら、もっとましな格好するはずなのに、あいつは我々とは違う、常識が、つまり、話が通じないのではないか、といった漠然とした不安がさまざまな反応を生むのではないだろうか。

 人間にとっての服装は、自分をどう見てもらいたいのか、動物の世界でならニオイによる相手確認のような役割を果たすものだろう。ある意味での試金石だったりもする。人間は、見知らぬ人の中に入ったとき、他の人の外面的な格好、および、そこから醸し出される雰囲気を見て自分の同種の人間か否かを判断するものだと思う。(だから、ドレスコードなるものが存在する。)その点、堀江さんはあの格好のせいで、過剰なまでに既存背広社会への挑戦者に見えて、反感を買っていると私は見る。

 私は経済のことは全く知らないし、株の扱いも全く知らない。だけど、直接それに関わる事項が他の人間の行動を生み出す原因になることは、意外に少ないように思うから、私は今回もそういった例外の一つ、つまり、逆の内容、間接的原因(服装)が思いもよらぬところ(経済)で何らかの効果を生むと見ることはできないかと感じた。だから、堀江さんは、もし今後も自分のしたいように事業を進めていきたいのであれば、まずは、自分は異端者ではない、既存社会へ組み込まれているという姿勢を誰の目にも明らかに示すために背広を着てネクタイをするのが方がいいと思う。そうすれば、きっと世間や相手方はひとまず安心し、やがては態度も変わるだろう。

 ここに書いたことを、私は後々になって後悔するかもしれない。やはりホリエモンは、世間様がおっしゃるとおりの金儲けの権化でしかなかったのか、と。でも、金儲けを考えない経営者はいない。(ただ、彼の場合は、そのことをあまりに露骨に公言しすぎるから、金の話を人前でするのは何かしらはしたないと感じる日本人の感覚的文化と対立して反感を買う、という間接的要因をもう一つ作り上げているのではないかと推測する。)彼の言葉尻をとらえれば、またいろいろ反論は出るだろうが、テレビ放送とインターネットとの結合そのものは、これまでにない新しいことなのだから期待していいんじゃないかと思う。ただ、これは解答のない見えない話だから、これまで「現体制で成功してきて、体制迎合状態で成功が維持できると約束された」人たちには、天下太平を覆すことになるかもしれないとても恐ろしいことに違いない。

子供の時に思ったこと

2005å¹´02月18æ—¥ | ç‰©ã®è¦‹æ–¹
 小学5年は、相対的にものを見始める、というか、いろいろ気がつき始める時期のようだ。(下の文章を書いてから思い出したが、小学3年生かそのくらいの時に、「人」と「人間」はどう違うのかを父親に聞いたら、「5年生になったら分かるよ」と言われ、本当に5年生になったら分かった。)

 小学校2年の時に会ったある大人のことを思い出したとき、このくらいの背の高さの人だったなと腕を上げて見上げて考えて、あ、違うと思った。だって、2年生の時の身長とその時5年生になってからの身長の差に気が付いたからだ。洋服がだんだん小さくなっていくときは自分が大きくなったことに気付かなかったのに。

 5年生になったら、突然時間が経つのが早くなったように感じられた。私は小学生の時、夏休みや冬休み春休みを楽しみに生きていたから、新しい学期が始まると、早く次の休みにならないかなとばかり考えていた。5年生の春、それまでは自分はずっと小学生でいると思っていたのに、5年生の次は6年生、それでその次は、なんとまあ、セーラー服のお姉さんの中学生だと愕然とした覚えがある。でも、それとはまた別に、あ、そうか、と思った。もう、分数は習っていたから、それまで自分が生きてきた時間を分母として1年を考えると、1年/10年、10分の一は、たとえば八分の一より小さい数である。生きてきた時間の割合で言うと、1年は年を取るほどに短くなるのだ。この数え方は当時も今も妙に納得がいって、以来ずっと、たとえば、30歳の自分の3年は10歳の子供の1年分だと考えて感覚的に時間を勘定したりした。これは正しい判断を導く計算方法だと考える。
 
 思い出したついで、小学2年の時、なぜか自分は16歳で死ぬのではないかと感じて、8歳×2=16、16歳は、今まで生きてきた年月の2倍も生きることになるからもう十分だろうと思った記憶がある。でも、実際に16になったときは、とんでもない、まだ生きたりないと真剣に思った。

背中の虫は成長の証?

2005å¹´02月16æ—¥ | ç‰©ã®è¦‹æ–¹
 カテゴリーを変える必要も感じるが、まあ、お許しを。

 子供の頃、中学2年頃までか、背中の表面に何かもぞもぞと走るような感覚が何度もあった。掻いてみても虫がいるわけでない。しばらく忘れていると、思いもよらぬ時にまた虫がいるかのようにもぞもぞする。2度続けてむずむずすることはないが、忘れた頃にまた必ずむずむずする。気持ち悪いが、親に言うほどのこともないし、一人で嫌だと思っているだけだった。でも、ずーーっと、本当に、ずーーっとこれは何だろうかと疑問に思っていた。はっと気が付くと、大人になったら、むずむずがなくなっていた。痒いときはあっても、虫がいるような感じでは全くない。

 30もとうに過ぎて、いい年になってから、なぜか突然、気が付いた。虫の原因に。当たっているかどうか分からないけれど、たぶん、そうじゃないかと思う。

 推測だが、私の背中の細胞が増殖して、神経繊維の細胞も増殖して、--なんてたって成長期だもの、縦にも横にも大きくなる--皮膚の成長速度と神経の成長速度が連携してなくて、何らかの閾値の違いで神経繊維がむずむずする反応を起こしたのではないかな、ということ。だから、一度起こると次までしばらく間が空いたのだろう。

 この解答、合ってそうじゃない?

 小学生3年の頃、膝が痛くてたまらなかった。医者に行ったら、成長期特有の痛みだと言われた。身長が1年で10cm以上伸びていたから、細胞分裂が盛んで神経には大層な刺激的だったのだ。でも、膝の痛みと背中のむずむずの原因が同じだったとは、あれから20余年、気づかなかった。(←背中の虫の原因を、もう、そうだと決めつけている。(笑))

 年を取ると、いろんなことが分かってくる、ささやかな喜び。

授業は受験のためでない

2005å¹´02月15æ—¥ | æ•™è‚²
 ちょっと疲労気味で、この数日自分のブログすら覗いてもいなかったのですが、トラックバックを頂いてしまい、恐縮しています。
 大卒同士の相互扶助(2)でしたが、(3)を書いてから、何も進んでいないので、気が引けています。

 ところで、世の中、文科省の方針変更が話題になっているようです。でも、大臣のコメントにしても、ずれていると私は感じた。これまでのやり方のゆとり教育が良いわけでは決してない。だからといって、団塊の世代以降が受けてきた知識中心の偏差値教育が良い訳でもないと思う。

 今日の授業、試験問題の演習を行った。理系クラスだったが、ウチの場合は英語を必要とする生徒はもう少ない。で、内職をしたがる(実際にする)。1時間演習をして、1時間解説。簡単だが、英作文もする。板書させて添削する。(これ、私、結構好き。判断に迷って困るときもあるが。)私はめちゃくちゃでかい声で解説をするし、少なくとも英作文の解説に関しては、けっこう役に立つはずだと思っている。だから私は授業を聞け、内職はやめろ、と言う。理系で英語は絶対に必要。今のうちにやっておけ。彼らには高校英語の学力があるわけでない。

 でも、何割かには、これが通じない。「受験にないから必要がない。」と言い張る。そのくせ、日常、そんなに寸暇を惜しんで勉強をしているわけでない。内職をすることによって、いかに自分がよく勉強しているかを自分で納得させているようなところがある。要領がよいように見えて、実はもの凄く要領の悪いやり方を取っているのに気づかない。授業は半日だけだ。「そりゃ、しょうがないでしょうよ」と言う同僚もいるから仕方がないか。私は大いに疑問に思うが。

 学校で授業が設定されている以上、受験に関係あろうとなかろうと、しょうがないじゃないか。だったら、既に進路先が決まっている生徒は、授業を聞く必要がないというのか。そうでない以上、受験は授業と関係はない。個人の勝手に過ぎない。まあ、ウチは、変に、受験に対応した授業方式をとっているから、生徒にも教員にも「勘違い」が起こってくるのだろうか。
 
 こう言うと、「授業内容に問題があるのだろう」と言われるかもしれない。しかし、材料がたとえ試験問題であるにせよ、この程度の英文は読みこなせ。一人では読めないのだから、授業で読むのが良いではないか。問題を解く解かないはまた別だもの。自分にない知識を得ることだってできる。それがどうして嫌なのだろう?(まあ、根本的な理由は、「勉強をする」という緊張状態が嫌だということだろうね。)

 話は戻るが、大臣のコメントも「学力低下→受験に関するような従来の知育」という内容だったように感じた。もー。なんにもわかっちゃいないのだから。。。

 まあ、この「わかっている内容」を言語化しようとすると、今の私にはもの凄く大変だから、今日はこれでおしまい。 

韓流ブームと戦後教育

2005å¹´02月09æ—¥ | æ•™è‚²
 日本と韓国とはサッカーのワールドシリーズでけっこう仲良くなった印象もあるが、この頃の韓国ブームは凄いものだと思う。冬ソナに始まったのか、韓国ドラマの隆盛は目を見張る。(と言って私は何も見ない。)30代以上?女性にファンが多いヨン様にしても、冬ソナが恋愛もの、純愛物だと聞いて全く興味はなかったし、私の近辺にいる人でヨン様ファンは皆無だ(と思う)。ドラマの影響で、韓国人男性と結婚したがる日本人女性が出てくるに至っては(←テレビ番組で知った。)、唖然を通り超してしまったが。

 で、感想。これは戦後教育の勝利だ。

 まあ、パブリックな場では、少々書きづらい点がないわけではないが、事実として述べたい。

 私は昭和40年代に全くの子供時代を送り、3世代同居の家庭で育った。今生きているとしたら、110歳を超える祖父母と共に暮らした。彼らの話では、おそらく戦前だと思うが、朝鮮半島を故郷として日本で暮らしていた人たちにはあからさまな差別があったということだった。

 それが、平成の今の時代、これだけ多くの日本人が韓国人スターに憧れを抱き、まあ、極端な話の、結婚願望も持つに至ってはドラマと現実との混同に相当呆れかえる(悪い意味での)「戦後教育の成果」も感じるが、40代か50代か、いい年をした女性の多くも韓国に憧れる状況は、まさに平等主義を謳う戦後教育の成果ではないかと思う。戦前には確かにあったであろう差別意識がなくなったのか、なくなりつつあるのか、表現はどのようにすべきかは分からない。しかし、とにかく、総じて昔の時代に存在していた何らかの意識上の障壁がなくなったから起こった、あるいは生じやすくなった現象であると見て良いのではないかと個人的には思う。

 この話はこれで終わり。(私はキムチも焼き肉も大好き。)

「謎の女性」だってさ

2005å¹´02月03æ—¥ | æ•™è‚²
 以前、私のことを「暴君」だと学級日誌に書いた生徒が、「入試の面接の練習をしてくれ。」と言ってきて、気の良い私は何回か付き合った。まあ、お父さんとお母さんに大事にされたいい子なのだ。子供なだけで。この子もここ1ヶ月ほどだけでずいぶん変わった。
 何にしても、生徒って本当に変わるね。で、自分で自分が変わったと意識できる子とできない子がいる。できる子は、成長がまた一段とめざましくなる。「変わったね」と言うと喜ぶ。かわいいものだ。
 担任しているときはさんざん担任を嫌がっていたくせに、離れたとたん「先生が好きだ」と言ってきたり。
 だいたい私は、本当に良い子と、悪い子には理解してもらえることが多く、中途半端な良い子には理解されない存在です。今度、卒業記念の何かで、教員が寸劇をするらしい。私は「謎の女性」らしいが、どんな役かな? ネーミングだけは気に入ったが。。。