考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

テストと採点と授業

2005å¹´05月25æ—¥ | æ•™è‚²
 国語の先生は、採点が大変。英語も大変。ラクなのは、数学。テスト最終日の最後の時間の数学の採点が、その日にしかも早い時間に終わってしまう。英語や国語の試験は、早めに設定して貰いたい。数学は、(生徒のことを別にしたら)絶対に最終日で十分よねぇ。と、こんなことを言うと、文句を言う数学教師もいるが、現実を見ていない(見ようとしない)と思う。その上、大変だ、大変だ、と言う分には能力が低いのやも知れぬ。

 数学の先生は、能力が高ければ、授業の予習も無しでいい(と、元教員の父(数学じゃない)が言っていた)。国語や英語は、そんなわけにいかない。絶対に事前に文章を読んでおかねばならぬ。--と、ずっと思っていたら、なんと、物理教師も数学に準ずる、あるいはそれ以上のようだ。数学は、教育課程が変わるからちょっとややこしいこともあるようだが、物理のニュートン古典力学は、百年単位でも全く変わらない内容を教えている。だから、定期考査の問題だってほとんど毎年同じで良いらしい。ををっ!言われてみればそりゃそうだよな。同じ理科でも、他の科目と訳が違う。

 国語の採点も、英語の採点も、「あっ」という間に終わってしまうことがある。これは、採点が上手と言うより、ロクな問題を作っていない可能性が高い。教員の仕事の中で、授業とテスト作成ほど、実は、手抜きのできるものはない。(もちろん、学校の体制による。)しかし、保護者も生徒も案外このことに気がつかないのである。課外学習や補習学習より、何が大事と言って、授業ほど、定期テストほど大事なものは他にない。だから、普通は学校の授業で寝ていて塾へ行っても成績は上がらないものなのだ。保護者や生徒は何か余分にやればやるほど成績が上がるような幻想を抱いてしまうが、これが間違いだとわかる親や子供はもともとかなり優秀な人たちである。
 (授業はともかく、)定期テストがどんな問題でもかわまわない学校は、よほど生徒が優秀で、自分で勉強できる学校だけだろう。
 
 ところで、同じ授業と言っても、指導は底辺校と進学校で全く異なる。底辺校やその類の学校では、「いかにわかりやすく答えを教えるか」がポイントになるようで、そのような授業をする先生が「授業のうまい先生」になるらしい。そして、欠点者を減らす。しかし、進学を目指すとなると、「いかに考えさせるか」が大事になる。自分で答えを導き出せる力を付けなければならないからだ。だから、案外にわかりにくい授業であったとしても、良い授業である場合がある。しかし、この点を理解しない保護者や生徒は多い。授業は、大学受験を目指したいなら、口当たりがよければいいってもんじゃないのよね。と、私は思います。特に今は、高校受験レベルと大学受験レベルの差が大きすぎるから、ラクに勉強できるはずがないのです。

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