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mujina.hatenablog.com
ジャックダニエルで歯を磨こうと思って近所の陰気臭い酒屋に買いに行ったけれど、結局安売りしていたジョニーウォーカーとフェイマスグラウスを買って帰ってきた数日前。 ボウモアとか買おうかと迷ったけれど、この頃のうらぶれたぼくには安いブレンデッドで十分。 いまは、50円で売っていた半ば干からびたリンゴをつまみにジョニーウォーカーをストレートで飲んでいる。リンゴとスコッチはやけに合う。本当は全粒粉のパンにリンゴとチーズをのせて焼いて、バターなんか加えちゃって、という欲望が溢れ出たのだが、お米メインの食後でお腹がいっぱいだったのでリンゴだけをかじっている。 まあ、ジャンクな日記を書くにはうってつけの時間だ。 ジョニーウォーカーなんて久しぶりに飲む。基本的にあまり蒸留酒をストレートで飲むことはない。食事を食べながらお酒を飲むことが多いので、日本酒かワインか、ここ数年はビールもほとんど飲まなくなった。 若
眠っている時間にみる夢の中で、それが夢の中だと完全に認識しているケースが有ることは、おそらくだが多くの人が経験していることだろう。 そういう範疇をまったく超越した、純カオスたる夢も一方ではあるが。けれどそれはさておき、比較的ドラマティックな夢の進行として、途中から完全に「あっ、夢の中だ!」と理解している場合がある。 今朝方みた夢の中でぼくは、途中からそれが完全に夢だと知っていて、行動を自分で制御することが出来ていた気がする。 これは補足だけれど、そういうときには、一度目を覚ましても、もういちど眠りに身を委ねれば続きをみることが出来る。 話を戻すと、つまりそれは、現実世界なら倫理的にしてはいけないと思うことをしても、「夢の中だから。」と思ってだよ、それを行動に移すことをしてみると、それがすんなり出来るのだ。 ただし、そういうケースはなんだか稀で、夢の中でも倫理的な判断に苛まれることが、それは
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。 それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。 みごとに記念碑的な恋だった。恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。さらにつけ加えるなら、女性だった。 それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。 村上春樹の『スプートニクの恋人』を読んだのは、もうどれくらい前のことだったろうか。すっかり忘れてしまうくらい、昔だったことには
日常が混乱を極めると、夜の夢の中もまた混沌たる悪夢になることがある。 ぼくはどこかの和菓子工場のような場所で、餡この入った草餅を製造している。仕事ではなくなにか大学のような場所での実習的な雰囲気が漂ってる。指導をしてくれている人もぼくも、白い作業着を着ている。 ぼくの指導をしてくれている若い男性が、ぼくに作業を先に進めておいてくれと告げてどこかに姿を消したので、ぼくは餅をこねるための巨大な機械に材料を流し込み機械のスイッチを入れる。 そこで、ぼくは間違えて餅の材料だけでなく餡こも一緒に機械に投入してしまったことに気がつくが、時すでに遅く、機械の中で餅と餡こが混ざって溢れかえり機械が停止して故障してしまう。 大勢の作業員が機械のまわりに集まってきて、なんでこんなことをしたのかとぼくを激しく責め立てる。中には作業着を着ていない大学教授のような人物も複数混じっていて、その中のひとりがぼくを怒鳴り
米国テキサス州オースティンで毎年3月に行われる音楽や映画を扱った大規模なエンタメイベント、略称SXSWこと「サウス・バイ・サウスウエスト」。 今年2018年度も3月9日から3月18日の期間で現在まさに開催中であり、もちろん様々な最新映画の話題に溢れている。 というわけで今回は、その2018年度のSXSWで初演となる映画作品の中から、特に個人的に気になっているものを取り上げてみたい。 エディー・アルカザー(Eddie Alcazar)監督による『パーフェクト(原題:Perfect)』という作品である。 Eddie Alcazarさん(@eddiealcazar)がシェアした投稿 - 2月 20, 2018 at 11:26午前 PST Meet some of the characters of #Perfect pic.twitter.com/omBtVgWOU4 — Garrett Wa
ぼくは当ウェブログにおいて、映画に多くの話題を傾けてはいるが、映画のレヴューなるものは一切書いていない。 それはつまり、映画のレヴューなるものは一朝一夕に書けるものではないからである。 レヴューとは、簡易的な個人の感想ではない。総合芸術的かつ客観的な視点で述べられた重厚な評論でなければならないはずである。 それは何かと言えば、いち映画作品に対するレヴューを書くには、その背景から監督の意図、あるいは美術的観点、俳優の立ち位置、色彩や音楽、もっと言えば思想や根底に隠された見えない世界観、根源的な人間の在処たる意味合いなど、簡単に述べてもそういった部分を踏まえてトータルとして理論的に述べる事柄であって、それには無尽蔵な知識を必要とするし、小手先の自己満足的な長ったらしい感想はレヴューとはいい難いと、ぼくは思っているからに他ならない。 だから、ぼくは当ウェブログでは映画レヴューなど、到底扱いきれな
つい先日遅ればせながら、遂にギャレス・エドワーズ(Gareth James Edwards)監督による『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(Rogue One: A Star Wars Story)を観たばかりのプティ・スター・ウォーズ愛好家のぼくであるが、まあ以前にも書いた通り、どの程度のプティ愛好度かと言えば、知り合いとの別れの挨拶は「アディオス」ではなく「May the force be with you」だったり、『スター・ウォーズ』の3.75インチ版フィギュアを300体ほど持っていたり、朝飲むのは必ずバンサ・ミルクだったり、街角でPepper(ペッパー)を見かけると「あっ、ドロイドだ。」と口走ってしまったりと、まあその程度ではある。 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワール
前回の話:故ジュンミン・ウエダとその隣人に関する事実 祖父の通夜と葬儀は父の判断により直接的な関わりのある親族だけの密葬として済まされ、祖父と親交のあった父の把握している限りの数人には、父が直接電話を掛けて祖父の訃報を知らせることになった。 ただ父の口から伝えられた祖父の死因についての詳細は伏せられ、登山中の滑落事故らしいとして語られた。 私は祖父に対する細やかな儀式への参加を終えた翌日、父と共に祖父の家に残されたわずかな遺品の整理を手伝い、その日の夕暮れ時に実家を後にした。私が実家の玄関で父と母に軽く手を降って挨拶をしている最中、父は私のことを呼び止めて一旦家の中に駆け込んでゆき、しばらくして戻ってきた父は両手で大事そうに抱え込んだ二冊の書籍を私に手渡した。それは祖父の著作である『白狒々信仰の考察』と『白い猿神の行方』であり、何度となく繰り返し読み返されたことを示すようにして、どちらの本
地元の郷土史研究家だった祖父の植田潤民が、狒丈山を流れ落ちる渓流の下流域で発見されたのは2018年の年が明けて間もない頃だった。 発見したのは地元にある大学の登山サークルのグループ三人で、元日に初日の出を見るために狒丈山山頂を目指して登山に出かけた後、山頂から下山する際に山の麓を流れる大狒川に山から流れ込む渓流沿いの岩の上で、大方の人間なら瞬時に吐き気を催すような無残な姿で横たわっている祖父を発見した彼らが警察に通報したのだった。 警察からの連絡を受けた実家の父と母、そして正月休みで実家に帰省していた私が祖父が搬送されたという赤十字病院にすぐさま向かうと、祖父は通常の病室ではなく病院の地下にある霊安室に運び込まれていた。まったく何も置かれていない全面が白色をした無機質で角ばった洞窟内のような霊安室の中央に、折りたたみ式のベッドに仰向けにのせられ全身に真っ白い布をかぶせられた祖父だと思われる
先日たまたま図書館で手に取った本を、現在読み進めている。 米国のジャーナリストであるデヴィッド・グラン(David Grann)によるノンフィクション『ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え』(The Lost City of Z)という作品である。 ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え 作者: 【著】デイヴィッド・グラン,【訳】近藤隆文 出版社/メーカー: NHK出版 発売日: 2010/06/29 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 19回 この商品を含むブログ (8件) を見る ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え 作者: 【著】デイヴィッド・グラン,【訳】近藤隆文 出版社/メーカー: NHK出版 発売日: 2010/06/29 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 19回 この商品を含むブログ (8件) を見る まだ最後までは読んでいないのだが(あ
マット・リーヴス(Matt Reeves)監督による『クローバーフィールド/HAKAISHA』(Cloverfield)、そしてダン・トラクテンバーグ(Dan Trachtenberg)監督による『10 クローバーフィールド・レーン』(10 Cloverfield Lane)の続編、つまりクローバーフィールド・ユニバース作品の第三弾として、今年2018年4月20日の米国公開が予定されている未だ正式なタイトルが公表されていない作品に、ついに動きが現れている。 ちなみにだが、ジュリアス・オナ(Julius Onah)監督によるこの新作に関しては、一時『ゴッド・パーティクル(原題:God Particle)』というタイトルが公表されているが、現時点では撤回されているようである。 ご存知の方も多いように、クローバーフィールド・ユニバースの仕掛け人となっているのは、スピルバーグの申し子とも称されるJ
結局のところ日常なんてものは、根源的に言えば同じことの繰り返しでしかない。その永遠に続く過酷な拷問かのような繰り返しを耐え抜くために、人は時々、いや頻繁に夢を見るのかもしれない。 ぼくの暮らす町が一見すると目には見えない特殊な壁で覆われてしまってから、いったいどれだけの時が過ぎ去ったのかは今ではもうよくわからない。けれど、ある日そのことを知ったぼくがこの町からなんとか脱出する方法を探して町をくまなく歩き回るようになった日から考えれば少なくとも3年間、ぼくはこの町から一歩も外へは出ていない。 そして、3年間町を歩き回ってわかったことは、ほんのわずかでしかなかった。 ただそのわずかな収穫の中でも最も大きく明らかなことは、町の周囲を覆う透明な壁に触れると命を落とすということだった。 町の境界には、まるでどこかの国の戦場のようにして、焼けただれた死体がうず高く積み上がっていた。そしてその無数の死体
ホラー映画の中に君臨するジャンルとしてゾンビ映画なるものが存在することは多くの方の知るところではあると思うが、昨今、このゾンビ映画なるジャンルが必ずしもホラーではないケースをチラホラと見かけるようになった気がする。 まあジャンルというのは個人の捉え方によって様々に変化するので、純然たるゾンビ映画だって観る人によっては社会派のドラマに感じられるかもしれないし、下品なブラック・コメディだと言う人だっているかもしれない。 ここで少し余談だが、ぼくの利用しているいくつかのレンタル店のジャンル分けが、あまりにもいい加減過ぎて、いい加減というのは良い加減ではなく悪い加減ということであり、映画愛好家として怒りを通り越して、店を利用したくなくなるほどゲンナリすることさえある。 ホラーもSFもファンタジーもサスペンスも、さらにはアクションもラブストーリーも、ジャンルとして配置が区分されているにも関わらず、も
ヤン・シュヴァンクマイエルとぼくとの出会いは、もう20数年前まで遡る。出会いと言ったって実際に逢って握手を交わしてハグしたわけでは当然ないが・・・、あの時の『アリス』の衝撃はいまでも生々しく覚えているし、もう20年来のヤン・シュヴァンクマイエル愛好家である。 その伝説の巨人ヤン・シュヴァンクマイエル(Jan Švankmajer)監督による最新長編作品であり、彼の最後の作品だと言われている『蟲(原題:Hmyz、英題:Insects)』が、遂に2018年に公開される。 image source: Jan Svankmajer – Thank you! - YouTube 本作品はクラウドファンディングのインディーゴーゴーにおいてキャンペーンを打ち立てており、なんと約30万ドルの資金援助を獲得している。 その大いに期待される最新作の概要であるが、カレル・チャペック(Karel Čapek)とヨ
何かがいつもと違うような気がする土曜日。 朝寝坊をして、遅い朝食をとり、洗濯をして、それから二本の映画を観た。 プロジェクターを手に入れてから、家で映画を観るという行為の意味が少し変化したように思う。安物のプロジェクターで映画を観るための何かの儀式のような手間のかかる前準備をし、すこしよれたスクリーンに投影される映画の真正面ではなく、融通のきかないプロジェクター依存の諸事情あって部屋の片隅に陣取って観る映画は、幼い頃に父親に連れられて足繁く通った映画館や、学生時代に映画好きの友だちと行った映画館や、そしてまだ若かりし頃、好きな女の子を誘って出かけた映画館や、アメリカのど田舎で行った映画に出てくるような混沌たる映画館を、朧気にだが思い起こさせる。 近年、昔ほど映画館に足を運ばなくなっていたぼくだが、ひょんな勢いから手に入れたプロジェクターが、ぼくにとっての映画というものを改めて見つめ直させて
2018年の初っ端からこんなことを言うのもなんだが、年が明けたからって特出してめでたいわけではないし、この刹那に、後悔したり苦しんだり悲しんだり、心に穴が空いたり死にそうだったりして、「全然めでたくなんかねえ」と思っている人々のほうが、圧倒的に多いのではないかと、ふと思う。 大凡ぼくも、そんなダークサイドのひとりであると言える。 だから年が明けてからも「あけましておめでとう」なんて絶叫したり連呼したりするのは、なんだか馬鹿げているなあと感じるので極力口には出していないが、洗脳されて統制された均等な一般人のフリをするために一応言っておこう。 当ウェブログを読んでくださっている方々へ、「ハッピー・ニュー・イヤー!」。 一体何がハッピーなんだか・・・。 昨今、いまぼくが生きている世界なんてほんと最悪だよなと、世界や人生に対してずいぶんと悲観的な日々を送っているので、前述のような気持ちになるのかも
米国の都市伝説サイト「クリーピーパスタ(http://www.creepypasta.com/) にインスピレーションを受けて制作されている恐怖の連続ドラマ・シリーズ、米国のケーブルテレビ・チャンネル「Syfy」(サイファイ)で放送されている『チャンネル・ゼロ(原題:Channel Zero)』の最新情報を取り上げてみたい。 関連記事:恐怖のテレビドラマ・シリーズ、『チャンネル・ゼロ』(Channel Zero)が!!! Channel Zero: Candle Cove - Season One [DVD] [Import] 出版社/メーカー: Universal Studios 発売日: 2017/09/26 メディア: DVD この商品を含むブログを見る Channel Zero: Candle Cove - Season One [DVD] [Import] 出版社/メーカー: U
ぼくは映画がそれなりに好きである。 それでまあ本来映画といえば映画館の大きなスクリーンで観てこそなのだけれど、毎日毎日映画館に足を運ぶわけにも行かないし、DVDやBlu-rayで持っている映画ソフトを何度も何度も観たい派なので、小さなモニタで観る機会のほうが圧倒的に多い。 でもやっぱり家でも大きなスクリーンで観たいという、ホームシアター願望がずいぶん前からあるのだけれど、今の今まで実現させたことはない。 その理由は、そういうことに凝りだしたらお金がかかるような気がするからであり、いまのぼくにはそんなブルジョワジーなことが出来る余裕はない。 しかし、ふと思い立ってインターネット上でプロジェクターを品定めしてみると、価格が一万円に満たないプロジェクターというものが結構豊富に存在することを知った。つまり最低限度のホームシアターであれば、贅沢なことを言わなければ、一万円で憧れのホームシアターに手が
アメリカのSFおよびホラー作家ダン・シモンズ(Dan Simmons)による小説『ザ・テラー 極北の恐怖』(The Terror)が、米国AMCの連続ドラマシリーズとして来年2018年3月26日から放送が予定されている。 ザ・テラー―極北の恐怖〈上〉 (ハヤカワ文庫NV) 作者: ダンシモンズ,Dan Simmons,嶋田洋一 出版社/メーカー: 早川書房 発売日: 2007/12 メディア: 文庫 クリック: 3回 この商品を含むブログ (28件) を見る ザ・テラー―極北の恐怖 (下) (ハヤカワ文庫 NV (1157)) 作者: ダンシモンズ,Dan Simmons,嶋田洋一 出版社/メーカー: 早川書房 発売日: 2007/12 メディア: 文庫 クリック: 2回 この商品を含むブログ (25件) を見る 製作陣に御大リドリー・スコット(Sir Ridley Scott)も名を連ね
ニール・ブロムカンプ(Neill Blomkamp)監督率いるオーツ・スタジオ(Oats Studios)が放つSF作品『アダム(原題:ADAM)』のエピソード3が遂に公開された。 ADAM Episode 3 is out now. What would you do, to be saved.... https://t.co/O3EJ0eEm2Q pic.twitter.com/p6dUrSSGmr — Oats Studios (@oatsstudios) 2017年11月30日 関連記事:人間の魂はどこにあるのか?ニール・ブロムカンプ率いるオーツ・スタジオ最新作『アダム(原題:ADAM)』 オーツ・スタジオ並びに『アダム』の概要については上記の関連記事をお読みいただきたいが、 本作品は「人間の魂はどこにあるのか?」というテーマを根幹とするサイボーグの物語であり、一話完結の短編ではな
海外で放送されているドラマシリーズの中には、まだ日本では観ることができないものが山ほど存在する。 昨今では、VODなどの普及により、昔に比べたら圧倒的に海外ドラマ鑑賞の選択肢は増えたに違いないが、それでもまだまだ手の届かないものは多いような気がする。まあ手が届かない理由の中には、ソフトは手に入るけれど、あるいは映像自体は配信されているけれど、「日本語字幕が付けられていない」というのも大きな要素のひとつかもしれない。ネイティブ並みに英語もしくはその他の言語が理解出来る人はいいとしても、ドラマの内容によっては、中途半端な語学力では難解な内容を把握して作品を120パーセント満喫するのが困難な場合もある。 映像作品、とくに映画というものに関して言えば、基本的な考え方として、言葉を必要としない芸術作品あるいは娯楽であるべきだとされている。つまり、劇中で一切言葉が話されないサイレントでも、もしくは話さ
2017年10月31日のハロウィンまで残りわずか、皆さん、ハロウィンの夜の予定はお決まりだろうか? とは言え、日本人の多くにとってハロウィンなどというものは何ら関係がないので、「屁をこいて糞して、歯を磨いて、風邪ひかないようにして眠るだけだよ。」という方も多いと思うし、それが正常なジャパニーズの予定であろう。 ただ中には、ボロボロで血だらけのアディダスのジャージの上着と、下は白のブリーフだけを身にまとって、手にはプラスチックのナイフとフォークを持って、高島屋の紙袋を頭にかぶって、近隣の家の晩御飯をアポイント無しで漁りにゆくという方もいるかもしれない。 つまりそれは、ハロウィンの意味合いを取り違えて、何か別なものと混同してしまったクレイジーなケースだが、昨今の日本にはこの手の勘違いなクレイジー・ピープルが非常に多いと聞き及んでいる。 ぼく自身もまた違う意味でクレイジーではあるが、ハロウィン・
前回の話:第八章 - 合図 ラゴはぼくの頭の中に合図を放つやいなや、ぼくの方には一切顔を向けずにバックパックをブンと振り回して背中に背負い直し、しかしぼくに背を向けたまま大きく右腕を振り上げ、ぼくの方に掌の甲を掲げて手を振った。それがぼくへのエールだったのか、あるいは最後の挨拶だったのか、その時のぼくにはまったく考える余裕などなかった。 ただ彼女のその一挙一動が、何故か永遠の時間の中で繰り返される懐かしい思い出のようにだけ感じていた。 そしてラゴは、ぼくが彼女に手を振り返すことなどもちろん待たずに、団地脇の暗闇の中に突進するようにして人間離れした異常な速さで走り出し、影も残さずに一瞬の内に姿を消してしまう。 今まで周囲を覆っていた膜が消え去ったことで、ぼくはその場が異常な冷気に包まれていることを知る。それはまるで一分と立っていられないような吹雪の雪山に裸で置き去りにされたに等しいと言える、
前回の話:第七章 - 黒い恐怖 団地の周囲を取り囲む鉄柵も、そして外灯ポールも生い茂る草木も、まるで竜巻の只中にでもあるかのように縦横無尽に、今にもすべてが吹き飛ばされんばかりに激しく揺れ動いていた。外灯の明かりは切れかかる寸前のようにビカビカと不規則な点滅を繰り返しながら悲鳴のような光を放っている。しかしぼくの目の前で仁王のようにジッと立つラゴにも、そしてぼくの体にも、その狂ったような空気の混乱は及んでいなかった。それはおそらくラゴが言っていた、ぼくたちの周囲に張られた膜というものに関係しているのかもしれない。 何とか正気を取り戻しつつあったぼくが真っ先に目を向けた祖父の姿は、今さっき地面に叩きつけられた場所から忽然と消えていた。 祖父に付き添う尼僧も同じく消え去っていた。ぼくの周囲の目の届く範囲には、二人の姿はまったく見当たらない。 すると突然、鉄柵のひとつに括り付けられていた「立入禁
前回の話:第六章 - 孤独な蛙 かつてこの場所にあった黒木山を一部切り崩して建設された南黒町団地は、その背後に幾つもの低い山々が連なる町の外れの高台にあった。 団地のある高台の上へと続く大蛇のようにうねった坂をあがりきると、もう誰一人住むものがいなくなった団地にある三棟の建物たちが、それぞれに異様な威圧感を放ちながら無言で目を閉じたままこちらに顔を向けて座っていた。あるいはこの瞬間、建物たちは座って眠りこけている最中なのかも知れなかったが、その背後に広がる漆黒の山々のシルエットは、建物が背中に備え持ち、いま正に開かれようとする大きな黒い翼のようにも感じられた。 ぼくは塩田の家を訪れるため、何度もこの坂をあがりこの景色を目に映しているはずだった。けれど今ぼくの目の前にある団地の姿は、ぼくの知る南黒町団地とはあまりにもかけ離れたものに感じられた。よく見知ったこの団地が、なぜこれほどまでに禍々し
前の話:第四章 - 兵法 9月25日午後9時、ぼくは祖父とラゴと共に南黒町団地から約二キロほど離れた廃神社の鳥居の前にいた。 鳥居の周囲にほとんど街灯はなく、鳥居のすぐ脇にある電信柱に設置された防犯灯だけが、鳥居の周囲を古びたモノクロ写真みたいにぼんやりと浮かび上がらせていた。 祖父はいつも自宅にいる時と同じ履き古したジーンズにヨレヨレになった白い長袖のTシャツ、そして年季物のアディダスのスニーカーという、ちょっと散歩にでも出かける時のようなラフな出で立ちだった。そしてラゴは昨日と同じ、闇夜に同化してしまいそうな漆黒のパンツスーツに身を包んでいた。祖父は雑木林の中で拾ってきたような自分の身の丈ほどもある自然木の太い枝のような物を手にしていたが、ラゴの手には何も握られてはいなかった。ただ背中にはあの巨大な岩みたいなバックパックを背負っていた。 そしてラゴの背後には、昨日の話にあった二人の助っ
2017年10月6日、遂に米国公開(日本公開は同年10月27日)となる『ブレードランナー 2049』(Blade Runner 2049)。 This will break the world. Here’s the new US poster for #BladeRunner2049. pic.twitter.com/iWnmv5pzbN — #BladeRunner 2049 (@bladerunner) 2017年8月24日 本作品はご存知のように、SF映画の金字塔とも称されるリドリー・スコット(Sir Ridley Scott)監督による『ブレードランナー』(Blade Runner)の正統的な続編であり、さらに原作となっているのは、米国のSF作家フィリップ・K・ディックによる『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(Do androids dream of electric she
2017年9月26日火曜日、涼し気な空気を疎むようにして振り返った太陽の視線がめっぽう眩しかったこの日、ちょうど一週間前から近所を騒がせていた不気味な事件が幕を閉じた。 事の起こりは9月19日の夕方、南黒町にある一部廃墟と化した公営団地に隣接する雑草だらけの小さな児童公園で、団地に住む男性が巨大な老婆に噛みつかれるという事件が起きた。その時たまたま公園の脇を通りかかった同じ団地に住む買い物帰りの主婦が男性の悲鳴を聞いて現場に向かうと、公園のほぼ中央で首から大量の血を吹き出しながらうつ伏せに倒れて痙攣している男性を発見した。そしてその脇には、薄汚れた黒いローブのようなものを纏った巨大な老婆が口からどす黒い血を垂らしながらこちらを見て笑顔を浮かべていたということだった。 その光景を目撃した主婦は凄まじい恐怖にかられながらも、警察に通報するためすぐに携帯電話を手にすると、老婆はカラスのような甲高
今日の朝ごはんは、昨日の残りものの大根と人参のタイ風サラダと、カレーライスと、それに加えて、もうそろそろ腐りそうなうどんがカタコンベに打ち捨てられていたので、焼きうどんという、海の家みたいな朝食だった。 さて、きょうは家にあるものだけを使ってスラッシャーっぽい写真を撮ってみようと思い立って、とりあえず試験的にやってみることにした。 そんなことをうっかり思い立ちつつ、写真を撮る前に小雨が降る中ジョギングがてらレンタル店にゆき、マーティン・スコセッシの『沈黙 -サイレンス-』を借りてきて鑑賞して、その後写真を撮っていたらもう夕方、お腹が空いちゃって長い文章を書いている気力がないので、とりあえず写真だけでも掲載して終わりにする。 使用した小道具は前述のように家にあるものだけ、単なるいつもの普段着と、頭にかぶった白いTシャツと、いつも使っている包丁と、部屋においてあるクマのぬいぐるみ。 最初はもっ
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