2025-10-28

メガネをかけて飲みに行くのが好きだ

僕は普段裸眼で生きている。

学生の頃から視力2.0のままで、一定遠くの文字も、夜道の標識も、はっきり見える。

月に一度ほど、理由もなくメガネをかけて出かける。

どこの駅に行くかは決めていない。

降り立った場所空気を嗅ぎ、通りすがりの灯りに導かれるように、バーを見つけて扉を押す。

そこにいる誰も、僕を知らない。

そして僕も、誰も知らない

ただ「メガネをかけた男」として、その場の風景に混ざり込む。

声をかけてくる人がいれば、少し話す。

仕事の話、恋人の話、他愛のない噂話。

この夜、僕はほんの一瞬だけ、別の誰かになる。

翌朝、彼らはもう僕を覚えていないだろう。

名前も知らない。職業も、住んでいる場所も知らない。

ただ、記憶のどこかにメガネをかけた見知らぬ男が立っているかもしれない。

メガネの僕の秘密を、裸眼の僕の秘密を、知っているのは世界で僕ひとりだけだ。

他の誰も知らない、僕自身の小さな出来事として、

この夜は僕の中に消える。

帰り道の電車で、ほろ酔いの中、車窓に映る自分の顔を見つめる。

メガネの奥の目が、いつもより少し他人に見える。

その距離感が、どうしようもなく心地いい。

たぶんそれが、僕がメガネをかけて飲みに行く理由だ。

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