2025-06-09

転売批判感情論にすぎない 転売は正当な経済活動

Switch2が出てきて、相も変わらずXは「転売絶対悪」という大合唱だ。

品薄のたびに「転売ヤー死すべし」だの「市場の敵」だの、罵倒語タイムラインを埋め尽くす(転売違法じゃないが、罵倒違法なんだが…)。

しか転売のものを悪と断定する根拠はどこにもない。むしろ転売禁止」を叫ぶ側こそ、市場原則も、経済活動自由もすべて殴り捨て、感情だけで噛みついているのである

 

まず第一に、転売憎しの声は、大雑把に言えば、自分が定価で買えない不満と、楽して儲ける奴への嫉妬(もちろん楽ではない)の合わせ技だ。

驚くほど論拠が脆弱で、倫理っぽい言葉を並べても具体的な損害の根拠は示されない。

 

ここで、Xできたクソリプを紹介しよう

本来ゲームが好きな子どもに渡るはずの在庫を奪った」

情に訴える典型例。そもそも権利所在任天堂→小売→購入者に順々に移るだけ。誰が買うかは市場が決めることで、衆愚が決めることではない。

価格が吊り上がると貧困層が楽しめない(意訳)」

ならば家賃、食料、光熱費など必需品と比較し、Switch2が社会インフラ並みの必要性を持つか? 話はそこで終わる。安く贅沢をしたいだなんて我がままに過ぎない。

また、市場経済そもそも需要供給差分価格に反映させる仕組み。希望小売価格は推奨値であって、固定価格ではないのにも注意が必要だ。

 

まあ、要するに「買えない悔しさ」と「正義を気取って転売ヤーを殴る快感」が結託しているだけ。倫理でも法律でもなく、単なる感情ガス抜きにすぎない。 <h3>o- **</h3>

中学公民教科書を見返してほしい。市場価格需要供給交差点で決まるとしっかり書いてあるはずだ。

転売屋が価格釣り上げる」という非難は、実は需給調整メカニズムのもの否定しているに等しい。

要するに、転売屋が存在しても「買い手が納得する値段で取引が成立した」という事実は変わらない。

 

さらに言うと、転売によって、「高い金を払ってでも今すぐに買いたい」という人の選択肢が生まれるのだ。

転売屋は転売屋に噛みつき罵倒を繰り返すだけで何も産み出さな正義マンよりずっと需要があり、市場の役に立っているというものだ。

 

任天堂転売対策ガーという批判的外れそもそも任天堂転売を止める強制力はないし、

そもそも任天堂は、転売を完全シャットアウトする技術手段を用意していないわけではない。

海外のような市場価格に応じた値付けを徹底する、顔認証付きチケットのように本人確認を徹底する、品薄商法をやめるなどの対策をとればいい話だ。

ではなぜやらないか? 答えは「転売対策をしてます」のアナウンス自体が好印象の演出にすぎないからだ。

 

お金さえ出せば解決できる」というのは、シンプル世界観でありながら、場経済大原則であり、別段新しい話ではない。

転売は法的にも経済的にも十分に正当化可能な営みだ。

メーカー意図的供給を絞り、転売屋は市場価格補正する仕組みは、非常に効率的機能している現実から目をそらしてはならない・

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