祭壇 【さいだん】
祭壇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 09:51 UTC 版)
祭壇(さいだん, ラテン語: altare, 英語: altar)は、神的存在や死者に、犠牲(いけにえ)や供物をささげて礼拝や祭祀の類を営み、それら(つまり神的存在や死者)と人間とがなんらかの交わりをもつ場となる台[1]。
概説
祭壇の形状や大きさは、各宗教・宗派によって異なり様々である。
[要検証 ]祭壇の形態は多様で、台や板状の自然石を用いた「石壇」、土を盛り上げて作った「土壇」、石を積み上げて作った「石積壇」、地面に獣皮やコモを敷いたものなどがあり、はじめは自然物を使用あるいは加工した形態のものであったが、次第に神殿の建設など複雑な構造を持つものに変化していった[要出典]。構造の複雑化に伴い、使用する材料も多様化し、大理石や金属などを用いたものや入念な装飾をもつものが現れるようになった[要出典]。
最も大きなものは中国で天を祭った祭壇(天壇)である。[要出典]
ヘブライ語聖書における祭壇
ヘブライ語聖書によると祭壇は土で(『出エジプト記』20:24)あるいは石で(同 20:25)でつくられた。祭壇は一般に目立つ場所につくられた[2]。
ヘブライ語聖書に記録されている最初の祭壇はノアによるものである(『創世記』8:20)。そしてヘブライ語聖書には、祭壇はアブラハムによって(『創世記』12:7、13:4、22:9)、アブラハムの息子イサクによって(『創世記』26:25)、ヤコブによって(『創世記』33:20、35:1-3)、そしてモーセによって(『出エジプト記』17:15)つくられたという記述が残っている。
キリスト教の祭壇
キリスト教では聖堂内においてミサ聖祭が執り行われる台を一般に祭壇と呼ぶ。キリストの事跡「最後の晩餐」の食卓を象ったものとして古くから存在していた。
材料は石と定められていたが、実際には木や金属も用いられた。6世紀以降は木の使用は禁止された。
近年ではかなり簡素な様式の祭壇も増えている。歴史的な教会でしっかりと装飾をしている場合では、前面に下げるアンテペンディウムがあり、祭壇の前面そのものに装飾が施される場合もある。前面だけでなく側面も金や銀などの浮彫で飾られた絢爛な祭壇も存在する(ミラノのサンタンブロージョ教会の祭壇など)。そのほか、祭壇の上部に置かれるレタブルム(扉式のものも存在し、特別な祝祭日などにのみ開帳されるレタブルムもある)、背後に置かれるレトロアルタレなどがある。
大抵の教会で、普段は祭壇の上にはほとんど何も置いておらず、ミサに使う聖具類(の大部分、聖杯・聖体容器、ぶどう酒入れセット、聖油入れ、香炉など[3])は、普段は鍵のかけられる箱などに入れて保管されており、ミサを執り行う直前に聖職者が箱などから取り出し、祭壇の上に配置する。
正教会の至聖所にある聖体礼儀が行われる祭壇は宝座と呼ばれる。
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フィンランド、ヨエンスー近くのRantakyläの教会の祭壇
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ブラジルでは比較的古い街であるpt:Angra dos Reisの「街誕生520年祝賀」で行われたミサの祭壇。
日本
神道の祭壇
神道においては、正月などの祭事に臨時に設置する歳棚などが起源とされ、常設されるようになったのは中世以降のことである。その例として、伊勢神宮の大麻、鎮守の神札を納める神棚などがある。
神像を祭る場合は、神像を中心として屋根で覆ったり、厨子や乗輿を用いたりして祠を作る形態が一般的である。神を祭るために石を巡らしたり、積んだりして祭る場所とした「磐境」、神佑地に常盤木を立て神座とした「神籬」がある。壇は設けない場合があるが、その場合も祭壇と呼称する。
また、故人を祀る場合は神棚とは別に祖霊舎を設ける。
日本の仏教の祭壇
仏教における祭壇の形態には、常設の祭壇として仏像を安置するための須弥壇、家庭内に本尊や先祖の位牌を設置する仏壇、葬祭用の仮設の祭壇、四十九日まで設置される中陰壇、盆に設置される精霊棚(盆棚)などがある。密教における大壇や護摩壇なども広義には祭壇ととることができる。
参考文献
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脚注
関連項目
祭壇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 17:23 UTC 版)
モリヤ山は北部に台地状の地形を有しており、南部は急斜面であった。ヘロデ大王は、この山の全てを巨大な四角い祭壇に変えるという計画を立てた。神殿の丘は当初、幅1600フィート、高さ900フィートの9階建て、壁の高さ16フィートという計画であったが、計画通りに実現しなかった。計画を完了するために、堀を山の周りに掘り、巨大な石のブロックを積み上げた。ブロックのいくつかは100トンを超え、最大のものは44.6×11×16.5フィートのサイズで567トンから628トンもの重量であった。ほとんどのブロックは2.5×2.5×15フィートのサイズでおよそ28トンであった。ヘロデ大王はギリシャ、ローマ、エジプトから建築家を呼び、建設の計画を立てさせた。 ブロックは恐らく、溝を掘るためにツルハシを用いて切り出された。その後、彼らは木の梁で打ち付け、強制的に押し出すために水で洗い流した。彼らはブロックを正確な長方形に切り出し、採石場の時点でそのブロックをどの場所に当てはめるかが示され番号が振られた。最終的な切り分けは、連結部を正確につなげるためにより硬い石で作ったグラインダーもしくはたがねを用いて行われた。彼らは雄牛と専用の手押し車を用いて運搬を行った。採石場が神殿から見て坂の上にあったため切り出したブロックの運搬には重力を利用することができたが、ブロックを降下させるために制御する必要があった。最終的な取り付けは滑車もしくはクレーンを用いて行われた。しかし、ローマの滑車とクレーンは、彼らがブロックを持ちあげるために複数のクレーンを使ったかもしれないように、単独でブロックを持ちあげるには強度が不十分であった。神殿の建設によって山の高さが上昇しだしたため、西側ではブロックは垂直な壁から離れて切り出されており、ブロック面の事実上の増築のためにブロックの切り出しは北の斜面が地上に到達するまでの間しばらく続けられた。モリア山の北側のアントニウスの丘の一部は神殿の丘に組み込まれ、その間の谷は埋め立てられた。 それがモリヤ山の頂上の小さな平地よりも大きくあり得たように、神殿の建設は巨大な地下のアーチの建設から始まった。嘆きの壁のトンネルを歩くと分かるように、その時点での地上部分は現在の高さよりも低く、少なくとも20フィート(6メートル)であった。伝説によれば全ての建物の建設は3年続いたとされるが、ヨセフスのような他の情報源では、建設期間をより長くとるように述べている。イエスが過越祭で神殿を訪問した際、ユダヤ人は神殿の建設が46年かかったと述べている。
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「祭壇」の例文・使い方・用例・文例
- 法王は祭壇の前に立った
- 祭壇はきらびやかな装飾が施されていた
- 司祭は顕示台を祭壇に置いた。
- 聖具保管係が祭壇の準備をした。
- 祭壇に奉納物を供える
- Vの字が記された祭壇用瓶にはワインが入っている。
- 彼は祭壇の上をあちこちに歩いた。
- パンを祭壇にささげて清める.
- 中央祭壇.
- 彼は祭壇の前にひざまずいた.
- その老人は祭壇の前にひれ伏した.
- 彼は落ちついて祭壇に向かって歩いた
- 祭壇の上の輝いている真鍮
- 祭壇で婚約を突然破棄した
- 祖先の灰の入った箱は、家祭壇の上部の棚に備え付けられた
- 彼は祭壇までの彼の道をしっかりと進んだ
- (祭壇の上などの)支柱に支えられたり、屋根から下がっていたり、壁から突き出していたりする装飾的天蓋
- 教会の祭壇の周りの領域で牧師や聖歌隊用
- 独自の祭壇をもつ礼拝の場所
- (特に祭壇背後の壁飾りに)2枚のパネルに描かれた絵または彫刻(通例本のように蝶番いでつながっている)
祭壇と同じ種類の言葉
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