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最近のネットにおいては、素人ブロガーが絶滅危惧種となっている。かつては「真性引き篭もり」のような素人ブロガーが多大なアクセスを得ていた。彼の極端な視野の狭さや、一点だけに執着し激昂し、常軌を逸した長文を書くのはアスペルガーなのだろうし、決して彼の書いている内容は公平ではないが、それでも視野狭窄ならではの鋭い観察眼で人気を集め、万単位のアクセスがあったのである。

真性引き篭もりは今でもブログを書き続けているが、もう終わった存在である。ブログが読まれるには、ある程度の市場が必要である。競争相手がいなければ自分のブログで多大なアクセスを独占出来るというわけではなく、文化的な盛り上がり(それによるアクセスの環流)が必要なのである。文化圏が成り立たないくらいに寂れると、もうおしまいなのである。はてなダイアリーなどがよい事例である。

今でもブロガーがいるように見えるが、彼らのほとんどは「文化人」である。彼らは実名主義だが、勇敢だから実名を名乗ったのではなく、文化人として売り出したいという意図があるから実名を名乗っている。そして、そういうランクの、時たまテレビに出られる程度の、マスメディアの末席にいる文化人が、ネットを主戦場とし、影響力を拡大しようと考えているのである。彼らはなけなしの「知名度」を武器にして、ネットの言論を支配し、有料メルマガという方法でマネタイズする仕組みも考え出した。だからはてなダイアリーのような素人日記は終焉を迎えた。

東浩紀がアンチに神経を尖らせているのは、哲学研究者としての道から外れて社会的な行動に踏み出したことで、哲学オタクの信者が脱落したという危機感があるからだろう。彼の経営するゲンロンカフェはさほどうまく行ってないようだが、これは哲学オタクが離反したことが大きいだろう。津田と組んだことで東浩紀のネットでの影響力は増したように見えるが、コアな哲学オタクは離れた。東が本当に中傷に心を痛めているというよりは、方向性を変えたことによって信者が離れたという不安である。原発問題とか(そういう時事的な社会問題は)、東浩紀の元々の読者は関心持っていないのだ。津田の信者が流入した分と、東についてた哲学オタクの離反した分の差引勘定は知らないが、少なくともゲンロンカフェやるんなら、哲学オタクを切っては駄目だった。津田の信者なんかミーハーなんだから、思想的情熱があるわけがない。牛乳瓶みたいな眼鏡掛けてる気持ち悪い哲学オタクよりは、津田の取り巻きのミーハーの方が東浩紀には輝かしく見えたのだろうが、彼らは思想書を読まない、というより、読むだけの読解力もないだろう。

さて、「ネット弁慶」に関して言おう。二軍の文化人が素人の遊び場を乗っ取ったわけである。はてなダイアリーが衰退したのは、あそこで書いてる素人のエントリーがゴミだからであり、自業自得だという意見もあるだろう。だが文化人たちは知名度でミーハーを集めているだけだから、これは対等なゲームとは言えない。東浩紀が、ネットの素人を「ネット弁慶」呼ばわりしているが、東こそ、ネットという二軍に降りてきて弁慶のように無双しようとしてるのではないか。学者として一軍の世界で優れた論文を書いたり、名著を執筆したっていいんですよ。学者の一軍から脱落したからと言って、われわれ素人相手に優越感を持たれても困る。ネットという掃きだめで弁慶のように振る舞いたいのは、本当は誰なのかというのを考えた方がいい。







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