2019年海外旅行 ベルリン編3
- 2020-03-15 /
- 食べ物・旅
なんとかベルリンでのクラブ体験も出来たものの、しつこいようですがなんだかんだ言ってベルグハインに一蹴された事をその後も引きずりまして、元々ない自信が更に失われたような感じに。俺はベルグハイン入れなかったおじさんになってしまったと。
なんでこんなに人に選んでもらうことに躍起になっていたのだろうかという虚しさと、興味を満たせなかった残念さ、そしてダサいなとは思いますが権威側に選んでもらえなかった事など、普段どうでも良いなと思うことだったりが、たった一人で自分を知る人も友達もいない環境にいると、些細なことがメンタルに影響するものでして弱っている人の気持ちがより分かって良かったとも言えますが。
結構落ちている人が多い割に、入場出来た記事より入場出来なかった記事を見かける事が少ないのは、やはり皆さん思い出したくもないからなのでしょうか。コロナウイルスの影響で営業が停止するというニュースも飛び込んできましたが、それを見るだけでもなんだか複雑な気持ちになりますし。これからもベルグハインという文字を見る度に、多少は動揺するのだなと。笑
そんな感じなので、少しそういうものから離れた事も見ようという心境の変化が起きまして、最後のあたりは美術館や世界遺産の建物を多めに見に行ったりと、予定をギュウギュウに詰め込んで行動しました。特に何ということもありませんが、写真だけは撮ってきたのでそれを貼って行きたいと思います。
HARD WAXは良いレコード店だった。
ベルリンで見かけた青年。オシャレさんだったな。
ランチも比較的お手頃。パッと見肉じゃがと焼きそばと五目御飯ですよね。違いますけど。
俺はこんな物を食べていたのか、、、と思ってしまう、全く記憶にない食事の写真がでてきました。
ヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリの「グリーンブック」を帰りの機内で観ましたが、すごく良かったです。
後、トランジットで降りた上海の空港で見かけたカザールみたいなメガネの太っちょと痩せのモノトーンコンビですが、なかなか良かったです。
中国東方空港のエアコンスーパーの野菜コーナーのように白い煙が出るほどの冷房でヤバかった。
無事日本に帰国出来ましたが、こんなに長い時間旅行させてもらっておいてあれですが、まだまだ足りない感じがありました。
いよいよ後わずかで新しい仕事が始まるとなると、悔いが残らないようにしておかないといけないなということを思い、アジアの何処かへ行こうと考えた結果、数日間東京に行くことに。
なんでこんなに人に選んでもらうことに躍起になっていたのだろうかという虚しさと、興味を満たせなかった残念さ、そしてダサいなとは思いますが権威側に選んでもらえなかった事など、普段どうでも良いなと思うことだったりが、たった一人で自分を知る人も友達もいない環境にいると、些細なことがメンタルに影響するものでして弱っている人の気持ちがより分かって良かったとも言えますが。
結構落ちている人が多い割に、入場出来た記事より入場出来なかった記事を見かける事が少ないのは、やはり皆さん思い出したくもないからなのでしょうか。コロナウイルスの影響で営業が停止するというニュースも飛び込んできましたが、それを見るだけでもなんだか複雑な気持ちになりますし。これからもベルグハインという文字を見る度に、多少は動揺するのだなと。笑
そんな感じなので、少しそういうものから離れた事も見ようという心境の変化が起きまして、最後のあたりは美術館や世界遺産の建物を多めに見に行ったりと、予定をギュウギュウに詰め込んで行動しました。特に何ということもありませんが、写真だけは撮ってきたのでそれを貼って行きたいと思います。
HARD WAXは良いレコード店だった。
ベルリンで見かけた青年。オシャレさんだったな。
ランチも比較的お手頃。パッと見肉じゃがと焼きそばと五目御飯ですよね。違いますけど。
俺はこんな物を食べていたのか、、、と思ってしまう、全く記憶にない食事の写真がでてきました。
ヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリの「グリーンブック」を帰りの機内で観ましたが、すごく良かったです。
後、トランジットで降りた上海の空港で見かけたカザールみたいなメガネの太っちょと痩せのモノトーンコンビですが、なかなか良かったです。
中国東方空港のエアコンスーパーの野菜コーナーのように白い煙が出るほどの冷房でヤバかった。
無事日本に帰国出来ましたが、こんなに長い時間旅行させてもらっておいてあれですが、まだまだ足りない感じがありました。
いよいよ後わずかで新しい仕事が始まるとなると、悔いが残らないようにしておかないといけないなということを思い、アジアの何処かへ行こうと考えた結果、数日間東京に行くことに。
2019年海外旅行 ベルリン編2
- 2020-03-08 /
- 食べ物・旅
どうしても書くにあたって、どうやって書いたらいいかの整理が付かないところもあり、放置すること数ヶ月が経ってしまいましたが、ようやく仕事に慣れて落ち着いて来たのもありましてベルリンの続きを書こうかと。
ベルリンは最後の滞在地というのもあり、最後くらいは酒も飲みたいし夜もクラブへ行けたら良いなという気持ちが多少あったのですが、それを一気に加速させたのが、たまたま蚤の市の帰りに見かけた楽しげな人たちの後を着いて行って遭遇した、クリストファーストリートデイのLGBT達の行進と、広場でのDJプレイでした。
私の生活環境では今後も見ることは無いであろう、ち◯コとおっぱいの両方が付いている人がウロウロしていることや、ハウスクラシックで全裸で踊る女性という非現実的な光景を目撃した事により、一気にナイトクラブへの欲求が高まったのですが、やはりここで悩むのは難関とも言われているベルグハインへ貴重な時間を使って並ぶのか?並ばないのか?ということや、実際に入れるのか?という事でした。
せっかくだからというのと、この旅のテーマでもありました、高校生くらいの頃の気持ちに帰ってチャレンジするという事が後押ししその晩に行くことに。いまだかつてクラブに入るために並んだこともない人生を送ってきましたが、なぜ俺は並んでまでクラブに入りたいのかというやや否定的な気持ちと、中はどうなっているのだろうか?という興味がぶつかりあって非常に不安定なメンタルに。
とりあえず寝ないと持たないということで、早めに宿へ戻りまして寝ることに。0時に起きる予定でしたが、大幅に寝過ごしまして起きたのは午前4時頃だったでしょうか。とりあえず黒い服が良いぞ、というネット記事を鵜呑みにしておりますので、胸に書かれたFunkadelicの一文字すらもうるさく感じてしまいますが、まあいいかという事で電車に乗ってクラブへ。
駅のホームに降りると向こうから人が走ってきて後ろからは追いかける人という、典型的な引ったくりの現場に遭遇し、海外ということをあらためて認識し動揺するも、なんとかオストバンホフの駅で下車しクラブの入り口に到着。
早朝近くだからでしょうか、思ったより並んでいないな、、、なんて思いながら列に並びますが、思った以上にどんどん人が帰らされて行く様子を目の当たりにし嫌な予感がしてきますが、1時間後その予感は的中。
判断されるのは1秒程度でしょうか、ベッカムのような風貌の刈り上げイケメンバウンサーが冷たい目で首を横にクイッとやって終わりなんで、一瞬何が起こったのかという感じであります。
世界最高峰のクラブに選ばれなかった俺という劣等感を受け入れられず、他は諦めるからクラブ的にだけでも選ばれた男になりたい、という選民思想を捨てきれずに翌朝も行くぞと逆にヤル気になる往生際の悪い私であります。
そして翌日の昼頃、再度のチャレンジをするため向かうのですが、帰宅した後何が行けなかったのか?という課題に頭が支配され、この旅始まって以来のストレスを感じる状況に陥り寝れなくなりました。しかも一緒に行って思い出として共有する相手もいなかったため、不本意ではありますが我慢できずに妻に電話し一部始終を伝えると笑われる始末。
黒いTシャツにプリントが入っているのがいけないのか?それとも俺がパッと見ダサ過ぎるのか?などなど、色々と話しますが答えは出ずで、結局Tシャツをプリントが見えないように裏返して行くことに。もちろんタグは切りました。この年齢になってTシャツをひっくり返す自分のガッツとダサさに驚きましたが、次はいつ来れるか分からないというのもありますので、どうかしているなと思いながらも背に腹は代えられないなという思いで着ます。夏の昼にプリント部がお腹に接触し不快なのと、ああこんな裏返しにTシャツ着るのは何年ぶりだろうなんてロックミシンの縫いが表に見えているのを気にしながら、電車に乗り再び向かいます。
すでにカンカンに照っている日差しの下(写真を撮っていると落とされるというのをどこかの記述で見かけたので、昼間は写真を取りませんでした。)、2時間ほど並ぶ行列だったのですがその9割はゲイの団体でして、色々な体験記に書かれていた地味なテクノ好きをアピールすべきみたいなのはどこ吹く風で、黒いガムテープみたいな服でTバックにポリス帽の直球から、ネイマールのようなピチピチヤングまでほぼほぼゲイ一色。そして、どんどんその団体の人達は入っていきますが、ノンケっぽい人はどんどん落ちていっているのを見ると焦ってきます。
そして、2時間ほど経過した頃でしょうか?ジェロムレバンナみたいなバウンサーのクイッという首の動き一つでまたしても瞬殺。腕まくりして二の腕を出してそれっぽくしておけば良かったのか、、、なんていう後悔をしたりなんかが頭をよぎりながらも、往生際が悪いものですから今晩もトライして何回落とされるかチャレンジするぞと。
なんでそのまま昼から、公園で行われている蚤の市なんかを回ることに。それにしても連日ドレスコードに引っかかっていることにいい加減腹が立ってきまして、貧乏旅行だったのについついヤケクソになってしまい見かけた高そうなレストランにパッと入って肉をガッと食べてしまいました。
お店の名前すら覚えておりませんが、気が済んだので気を取り直して色々と物色。
充電のケーブルを紛失するという惨事が起きましたが、この国でもフリーマーケットに行けばなんとかなるんだなと。足元見られましたが。
そして一度宿で休んで、遂に3回目のトライ。またまた寝過ごし、お店も終わりの時間に近くになってしまいましたが、それでも2時間待ちくらいの雰囲気。並ぶ列にも焦りが出てきて、もう今日はこれでダメかもしれないという空気が何度かあり、店の人ももう入れないと思うから帰ってくれみたいなアナウンス。それでも並びますが次々と帰らされついでに私も瞬殺。
こうして選ばれることなく私の短いベルグハインチャレンジは終わり、通常ならベルグハイン前の土を涙を流しながら袋に入れて持ち帰りさっさと家で寝たいところですが、せっかくの旅行先なんで朝までやっているTresorの方に行くことに。
外には人もさほど並んでおらずしかし前の人は、バウンサーに帰らされる始末。ここでもまだ審査されるのかとうんざりしまして、これで駄目ならもう何処のクラブにも来るなってことだな、と諦めつくかと思っておりましたら何故か入場可に。
された質問は、今日はどんな音楽がかかっているでしょうか?みたいなものだったと思うのですが、ハウスとテクノと答えたら入れてくれたみたいな感じです。
すでにピークを過ぎた日曜の深夜ですが、そこそこ人もいて皆ダンスに興じているという感じで、音も良かったし楽しかったです。入場出来た安堵感からとても開放された気分だったのが余計に良かったのかもしれません。
色々あり結果的にはベルリンのクラブを体験できて良かったですが、一体何のために人から査定されるのか、なぜ気を遣ってまで入場させてもらうのか?でも中見てみたいし体験してみたいという相反する複雑な思いではあります。
兎にも角にも、あのベルグハインを3回トライして選ばれないダサい俺というのを糧にこれからも頑張って行きたいなと。この出来事を機に、新しい仕事でも初心に帰ることができて、ある意味良かったのかなと思っています。
3へ続く
ベルリンは最後の滞在地というのもあり、最後くらいは酒も飲みたいし夜もクラブへ行けたら良いなという気持ちが多少あったのですが、それを一気に加速させたのが、たまたま蚤の市の帰りに見かけた楽しげな人たちの後を着いて行って遭遇した、クリストファーストリートデイのLGBT達の行進と、広場でのDJプレイでした。
私の生活環境では今後も見ることは無いであろう、ち◯コとおっぱいの両方が付いている人がウロウロしていることや、ハウスクラシックで全裸で踊る女性という非現実的な光景を目撃した事により、一気にナイトクラブへの欲求が高まったのですが、やはりここで悩むのは難関とも言われているベルグハインへ貴重な時間を使って並ぶのか?並ばないのか?ということや、実際に入れるのか?という事でした。
せっかくだからというのと、この旅のテーマでもありました、高校生くらいの頃の気持ちに帰ってチャレンジするという事が後押ししその晩に行くことに。いまだかつてクラブに入るために並んだこともない人生を送ってきましたが、なぜ俺は並んでまでクラブに入りたいのかというやや否定的な気持ちと、中はどうなっているのだろうか?という興味がぶつかりあって非常に不安定なメンタルに。
とりあえず寝ないと持たないということで、早めに宿へ戻りまして寝ることに。0時に起きる予定でしたが、大幅に寝過ごしまして起きたのは午前4時頃だったでしょうか。とりあえず黒い服が良いぞ、というネット記事を鵜呑みにしておりますので、胸に書かれたFunkadelicの一文字すらもうるさく感じてしまいますが、まあいいかという事で電車に乗ってクラブへ。
駅のホームに降りると向こうから人が走ってきて後ろからは追いかける人という、典型的な引ったくりの現場に遭遇し、海外ということをあらためて認識し動揺するも、なんとかオストバンホフの駅で下車しクラブの入り口に到着。
早朝近くだからでしょうか、思ったより並んでいないな、、、なんて思いながら列に並びますが、思った以上にどんどん人が帰らされて行く様子を目の当たりにし嫌な予感がしてきますが、1時間後その予感は的中。
判断されるのは1秒程度でしょうか、ベッカムのような風貌の刈り上げイケメンバウンサーが冷たい目で首を横にクイッとやって終わりなんで、一瞬何が起こったのかという感じであります。
世界最高峰のクラブに選ばれなかった俺という劣等感を受け入れられず、他は諦めるからクラブ的にだけでも選ばれた男になりたい、という選民思想を捨てきれずに翌朝も行くぞと逆にヤル気になる往生際の悪い私であります。
そして翌日の昼頃、再度のチャレンジをするため向かうのですが、帰宅した後何が行けなかったのか?という課題に頭が支配され、この旅始まって以来のストレスを感じる状況に陥り寝れなくなりました。しかも一緒に行って思い出として共有する相手もいなかったため、不本意ではありますが我慢できずに妻に電話し一部始終を伝えると笑われる始末。
黒いTシャツにプリントが入っているのがいけないのか?それとも俺がパッと見ダサ過ぎるのか?などなど、色々と話しますが答えは出ずで、結局Tシャツをプリントが見えないように裏返して行くことに。もちろんタグは切りました。この年齢になってTシャツをひっくり返す自分のガッツとダサさに驚きましたが、次はいつ来れるか分からないというのもありますので、どうかしているなと思いながらも背に腹は代えられないなという思いで着ます。夏の昼にプリント部がお腹に接触し不快なのと、ああこんな裏返しにTシャツ着るのは何年ぶりだろうなんてロックミシンの縫いが表に見えているのを気にしながら、電車に乗り再び向かいます。
すでにカンカンに照っている日差しの下(写真を撮っていると落とされるというのをどこかの記述で見かけたので、昼間は写真を取りませんでした。)、2時間ほど並ぶ行列だったのですがその9割はゲイの団体でして、色々な体験記に書かれていた地味なテクノ好きをアピールすべきみたいなのはどこ吹く風で、黒いガムテープみたいな服でTバックにポリス帽の直球から、ネイマールのようなピチピチヤングまでほぼほぼゲイ一色。そして、どんどんその団体の人達は入っていきますが、ノンケっぽい人はどんどん落ちていっているのを見ると焦ってきます。
そして、2時間ほど経過した頃でしょうか?ジェロムレバンナみたいなバウンサーのクイッという首の動き一つでまたしても瞬殺。腕まくりして二の腕を出してそれっぽくしておけば良かったのか、、、なんていう後悔をしたりなんかが頭をよぎりながらも、往生際が悪いものですから今晩もトライして何回落とされるかチャレンジするぞと。
なんでそのまま昼から、公園で行われている蚤の市なんかを回ることに。それにしても連日ドレスコードに引っかかっていることにいい加減腹が立ってきまして、貧乏旅行だったのについついヤケクソになってしまい見かけた高そうなレストランにパッと入って肉をガッと食べてしまいました。
お店の名前すら覚えておりませんが、気が済んだので気を取り直して色々と物色。
充電のケーブルを紛失するという惨事が起きましたが、この国でもフリーマーケットに行けばなんとかなるんだなと。足元見られましたが。
そして一度宿で休んで、遂に3回目のトライ。またまた寝過ごし、お店も終わりの時間に近くになってしまいましたが、それでも2時間待ちくらいの雰囲気。並ぶ列にも焦りが出てきて、もう今日はこれでダメかもしれないという空気が何度かあり、店の人ももう入れないと思うから帰ってくれみたいなアナウンス。それでも並びますが次々と帰らされついでに私も瞬殺。
こうして選ばれることなく私の短いベルグハインチャレンジは終わり、通常ならベルグハイン前の土を涙を流しながら袋に入れて持ち帰りさっさと家で寝たいところですが、せっかくの旅行先なんで朝までやっているTresorの方に行くことに。
外には人もさほど並んでおらずしかし前の人は、バウンサーに帰らされる始末。ここでもまだ審査されるのかとうんざりしまして、これで駄目ならもう何処のクラブにも来るなってことだな、と諦めつくかと思っておりましたら何故か入場可に。
された質問は、今日はどんな音楽がかかっているでしょうか?みたいなものだったと思うのですが、ハウスとテクノと答えたら入れてくれたみたいな感じです。
すでにピークを過ぎた日曜の深夜ですが、そこそこ人もいて皆ダンスに興じているという感じで、音も良かったし楽しかったです。入場出来た安堵感からとても開放された気分だったのが余計に良かったのかもしれません。
色々あり結果的にはベルリンのクラブを体験できて良かったですが、一体何のために人から査定されるのか、なぜ気を遣ってまで入場させてもらうのか?でも中見てみたいし体験してみたいという相反する複雑な思いではあります。
兎にも角にも、あのベルグハインを3回トライして選ばれないダサい俺というのを糧にこれからも頑張って行きたいなと。この出来事を機に、新しい仕事でも初心に帰ることができて、ある意味良かったのかなと思っています。
3へ続く
2019年海外旅行 ベルリン編1
- 2019-11-24 /
- 食べ物・旅
いよいよ、海外旅行最後の都市でありますベルリンに入ったわけですが、ここでもやはり興味の対象はリサイクル店や蚤の市などのゴミ漁り中心。とはいえ、さすがに最後ということで夜遊びや博物館、第二次大戦や冷戦に関する場所までと、色々な場所に寝る間を惜しんで行動しました。
滞在地:ドイツ ベルリン
携帯電話:イギリスSIM Three 30日/データ12GB/通話3000分(アマゾンで購入)
移動:電車、バス
宿泊:一人部屋ホステル(トイレ・バス付)
ベルリン市内から見て南東に位置するシェーネフェルト空港に到着し、コペンハーゲンで買い込んだ荷物がパンパンに入ったスーツケース二つを持ってヒイヒイ言いながら駅に着きましたら、なんだかのんびりした雰囲気で、いきなり肩透かしを食らいましたが、街に入るとやはりかなりの都会でした。
一旦荷物を預けたいので早速宿に向かいました。ベルリン市内を動くのにどこにでも行きやすい場所で、最後の滞在地になるため疲れているかもと思い、風呂、トイレ付きの一人部屋に。この辺りは元々は涼しい場所なんでしょうか?部屋にエアコンが無く、しかしながら気温は暑くとても窓を閉めて寝ることは出来ないなといった感じでしたので、網戸が無く虫入り放題の状態且つベランダが3、4部屋つながっている事に不安を持ちながらも、結局開けっ放しでいることに。
ちなみにホステル自体は元々修道院かなにかを改装して作られており、ロビー兼食堂の役目も果たすエントランス部は天井も高く圧倒されます。
今回ベルリンを旅のコースに入れた理由は、人に良い街だよと言われた事や以前ドイツで買い付けた雑貨を売る店の商品が衝撃的だったこと、あとはマンガ「ベルリンうわの空」を読んで興味を持ったからです。
アメリカもヨーロッパもどこもそうだったんですが、景観を大事にしていて街が美しいという特徴はありましたが、ドイツはそのイメージ通りシュっとした建物が多かったですし、人々はモノトーンの服を好んで着ている印象であります。
ドイツでの一食目はカリーワーストと呼ばれているケチャップとカレー粉がドバっとぶっかかっておりますソーセージ。
ソーセージならどこで食べてもそう変わるものではないだろうと思っておりましたが、日本のコンビニで売られているジューシーなフランクフルトに慣れているため、こちらのものがさほど美味しく感じないという事態に。この後ソーセージは食べませんでした。きっと美味しいところもあったんだろうと思いますが。
ここまでの4都市中で最も食べ物が安いのがベルリンという感じなので、少しは良いものを食べとけば良かったなと。
ドイツで最も期待していたことの一つホームセンターに行くことに。一年位前のフィンランド旅行時に行けなかったドイツ発のホームセンターBAUHAUSに。ちなみに今回はあのバウハウスには行ってません。
旅の最後の都市で疲れもあり、なおかつ飛行機では寝られず、滞在地では寝るのも勿体ないという気持ちから、毎日寝不足という状況ですのでホームセンター内でも集中力が続かず。ものが多すぎてとりあえず眺めるだけに。
本が石のオブジェの隙間に!表紙のこの肌色の量は...こんなの小学生ぶりかと思って興奮してと近づいてみると...
男色用でありました。さすがドイツ。色々な面で進んでおります。そして世界の何処かにはまだまだ本派います。
宿泊施設の周辺にはナチスや冷戦に関する施設も数多くあり、朝やブラついた帰りにそういったところに寄ってみたりも。
こうして自分たちの前の世代が起こした過ちの遺産を無料公開して、同じことを繰り返さないよう今でも徹底して教育しているのは凄い事であります。
朝は最後の宿泊施設ということもあり朝食を付けました。食べていた隣の席にはお母さんと小学生くらいの子供二人(一人はドラえもんのTシャツ)の日本人らしき人達もおりました。ホステルに親子で泊るんだなと、将来子供と旅行することを想像してしまいました。
予想通りドイツの蚤の市は売っているものがとても面白くて、特に古いシュタイフのぬいぐるみはどれも良かったけど、荷物の多さを気にしてほとんど買うことはありませんでした。
2につづく
滞在地:ドイツ ベルリン
携帯電話:イギリスSIM Three 30日/データ12GB/通話3000分(アマゾンで購入)
移動:電車、バス
宿泊:一人部屋ホステル(トイレ・バス付)
ベルリン市内から見て南東に位置するシェーネフェルト空港に到着し、コペンハーゲンで買い込んだ荷物がパンパンに入ったスーツケース二つを持ってヒイヒイ言いながら駅に着きましたら、なんだかのんびりした雰囲気で、いきなり肩透かしを食らいましたが、街に入るとやはりかなりの都会でした。
一旦荷物を預けたいので早速宿に向かいました。ベルリン市内を動くのにどこにでも行きやすい場所で、最後の滞在地になるため疲れているかもと思い、風呂、トイレ付きの一人部屋に。この辺りは元々は涼しい場所なんでしょうか?部屋にエアコンが無く、しかしながら気温は暑くとても窓を閉めて寝ることは出来ないなといった感じでしたので、網戸が無く虫入り放題の状態且つベランダが3、4部屋つながっている事に不安を持ちながらも、結局開けっ放しでいることに。
ちなみにホステル自体は元々修道院かなにかを改装して作られており、ロビー兼食堂の役目も果たすエントランス部は天井も高く圧倒されます。
今回ベルリンを旅のコースに入れた理由は、人に良い街だよと言われた事や以前ドイツで買い付けた雑貨を売る店の商品が衝撃的だったこと、あとはマンガ「ベルリンうわの空」を読んで興味を持ったからです。
アメリカもヨーロッパもどこもそうだったんですが、景観を大事にしていて街が美しいという特徴はありましたが、ドイツはそのイメージ通りシュっとした建物が多かったですし、人々はモノトーンの服を好んで着ている印象であります。
ドイツでの一食目はカリーワーストと呼ばれているケチャップとカレー粉がドバっとぶっかかっておりますソーセージ。
ソーセージならどこで食べてもそう変わるものではないだろうと思っておりましたが、日本のコンビニで売られているジューシーなフランクフルトに慣れているため、こちらのものがさほど美味しく感じないという事態に。この後ソーセージは食べませんでした。きっと美味しいところもあったんだろうと思いますが。
ここまでの4都市中で最も食べ物が安いのがベルリンという感じなので、少しは良いものを食べとけば良かったなと。
ドイツで最も期待していたことの一つホームセンターに行くことに。一年位前のフィンランド旅行時に行けなかったドイツ発のホームセンターBAUHAUSに。ちなみに今回はあのバウハウスには行ってません。
旅の最後の都市で疲れもあり、なおかつ飛行機では寝られず、滞在地では寝るのも勿体ないという気持ちから、毎日寝不足という状況ですのでホームセンター内でも集中力が続かず。ものが多すぎてとりあえず眺めるだけに。
本が石のオブジェの隙間に!表紙のこの肌色の量は...こんなの小学生ぶりかと思って興奮してと近づいてみると...
男色用でありました。さすがドイツ。色々な面で進んでおります。そして世界の何処かにはまだまだ本派います。
宿泊施設の周辺にはナチスや冷戦に関する施設も数多くあり、朝やブラついた帰りにそういったところに寄ってみたりも。
こうして自分たちの前の世代が起こした過ちの遺産を無料公開して、同じことを繰り返さないよう今でも徹底して教育しているのは凄い事であります。
朝は最後の宿泊施設ということもあり朝食を付けました。食べていた隣の席にはお母さんと小学生くらいの子供二人(一人はドラえもんのTシャツ)の日本人らしき人達もおりました。ホステルに親子で泊るんだなと、将来子供と旅行することを想像してしまいました。
予想通りドイツの蚤の市は売っているものがとても面白くて、特に古いシュタイフのぬいぐるみはどれも良かったけど、荷物の多さを気にしてほとんど買うことはありませんでした。
2につづく
2019年海外旅行 コペンハーゲン編
- 2019-10-25 /
- 食べ物・旅
NYのJFK空港から乗り換えなしでコペンハーゲンまで行くのですが、ストームの影響で一時的にフライトを見合わせることになり、もしかして自力での飛行機取り直しで、空港内宿泊なのか?とトムハンクスの映画を思い出してしまいましたが、なんとか2~3時間程度の遅れで出発に。
乗った航空会社のNorwegianは食事も荷物もカットできるタイプのところで、荷物はもちろん付けてはいたんですが、あまり好みの食事がないことが多い機内食はカットしていたため、遅れてしまったことにより乗っている時間も多くなり、お腹空いてくるタイミングにまだ飛行機乗っている状態だったんですよね。
隣に座った、コペンハーゲンで行われる娘の結婚式に向かう白人のおばさんと話していて、あなたも遅れたんだからバンバン言わなきゃダメよ!みたいな感じのこと言っていて、毛布を持ってこさせたりヤホンを持ってこさせたりと、結構要求を通していて凄かったんですが、結局自分は何もできず。仕方がないので、売店で買ったクッキーなどをちまちまかじりながらミネラルウォーターで過ごしました。空港の売店であのシナシナで激高なサンドイッチ買えばよかったなと。
滞在地:デンマーク コペンハーゲン
携帯電話:イギリスSIM Three 30日/データ12GB/通話3000分(アマゾンで購入)
移動:レンタル自転車:Donkey Republic、電車少し
宿泊:4人部屋ホステル2泊、キッチン付きホテルシングル2泊
昼(夕方も近くなった)コペンハーゲンの空港に着き、早速アマゾンで買っておいたWi-Fiを使用するためのSimを入れ無事起動。ここから先はLineでのメッセージと通話になるため一度自宅に連絡を入れてから、顔がゴムになっている可愛らしい電車に乗ってまずはホテルに向かいます。
初のアメリカ体験(NY、ポートランド)があまりに刺激的だったので、幸福度が高くて皆優しそうなイメージのあるデンマークで一旦休息という形になると安直な考えをしておりました。予約していった宿(ホステル)は男女混合の四人部屋だったんですが、到着し自身で入口にあるパソコンにてチェックインを終え部屋に入ると、なんとドイツから来た20代前半と思わしき女性3人組と一緒の部屋に。
建物は古いものの部屋や自由に使用可能なキッチンや集まれる場所なんかはほとんどのところがリノベーションしてとても綺麗になっており、ポートランドのホステルと比べても大分新しい感じがしますが、そんな綺麗なトイレもバスもその彼女たちと共用なので、死ぬ気でおじさんの使用感を残さぬよう気を付けないといけないと心に誓いました。女だけでパーッと盛り上がる中に、アジア人の英語話せないオジさんという異物が混入した感じになったわけですが、こういう経験をしてみて分かったことは決してラッキーと思えないという事であります。
しかもベットはなぜかくっ付けてダブルになるシングルの片方で、最初からくっ付いている仕様という感じ。女子たちにはこちらからベッドを交換してくれないかとお願いし、私はまともな倫理観のオジさんですよとアピールもしつつ、何とか2段ベッドの下と交換してもらって、さらに可哀想なんで部屋を交換できないかとフロントまで聞きに行きましたがどうやら他も空いていないようで仕方なくそのまま行くことに。
部屋に戻ってそそくさと街に出たのですが、運悪くこの旅初となる雨に見舞われ、かといって帰るわけにも行かないので合羽を着て周辺を軽く散策して、駅前のお洒落市場みたいなところでよく分からない和食のような丼ぶり的な高額なファストフードみたいなものを食べて帰りました。
恐るおそる部屋に帰ってみると、幸いなことに彼女たちは夜も遊び倒す計画だったようで、僕が寝てから帰って来るような生活をしていたため基本的には最後の日までほとんど話すことは無かったわけですが。そうやって一日目は何もせぬまま寝ることに。しかし、他人がいるにも拘らず荷物そのままにして出て行って不安はないのだろうかと。これが若さかと。勢いがあってうらやましいなと。あとパンツとか干してなくて本当に良かった。
二日目からは、相変わらずのリサイクルショップを主軸とした様々なお店巡りに。日本でも展開が始まったというビール会社ミッケラーの店舗から、ビンテージ陶器店、雑貨店、料理用品店、、パン屋、そして女の子の横顔のマークでおなじみのスーパーマーケットIRMAには特に多く出入りしまして、妻の友達へのお土産(ロゴマーク入りグッズ)から、慢性的な野菜不足を解消すべくカップ入りの鶏肉入りのサラダを購入しに行ったりだとか、毎日のように行きました。
特に印象に残った施設の一つとして、町の人たちが家にあるいらないものを持ち寄って置いていき、それを必要な人たちが自分の必要な分だけ持って帰って良いリサイクルステーション。僕は家に欲しかったバターナイフと、スウェーデンの人気食器ブランドGUSTAVSBERGの皿をもらってきました。
人気のパン屋でパン買って、目の前の広場のベンチに座ったらこういう景色なわけで、ヨーロッパってすごいよなと。
今回は街がコンパクトなこともあり、また時間もそうないため、大きい荷物を持っていない場合はほとんどレンタル自転車のみでの移動に。スマートフォンでロックをコントロールして、乗った分のお金を支払うものだったんですが、おかげで街の雰囲気がダイレクトに伝わってきまして、自転車の乗り方がおぼつかなかったりしたりして邪魔したりすると、結構イライラされて露骨に嫌な感じの態度をとられたりと、心優しいというイメージも限度があるよなと。とはいえNYほど他人行儀な感じもなく、皆が良い人であろうと努力して幸せな社会を形成しているのだなと分かるようなところもありました。
やはり思った通りの物価の高さで、食事もかなり高くつく感じでしたので、なるべく外で食べるようにしながらも、ホテルの共用キッチンで日本から持ち込んだレトルトのご飯やフリーズドライの味噌汁を食べるといった状況で、貧乏は好奇心を削ぐなと思うものの、背に腹は代えられないなと。結局デンマークでは外食はほどほどにして、日本から持ってきた食べ物を食べている事が多かったですね。
調理しながら気付いた点としましては、皆結構調理室に集まって料理しているという事、色々な国から集まっているが、英語を話せる人が多い。デンマークの水道から出した水には何か白い粉みたいな成分が含まれているようで、それらが沈殿するとはっきり分かるし、湯沸かしポットにこびりついたりしているが、皆あまり気にしていないので大丈夫だろうと何か分からないのにそのまま口に入れていた。
前半2日目まではホステルで、後半からは一人部屋のホテルをとってあったので、そちらに移動することに。朝は必ずケツ丸出しで寝ていて、ジッと見るわけにもいかないのでこちらが逆に困っておりました同室の女子3人組ともついに別れとなり、挨拶をする際、ドイツのナイトクラブについて教えてもらおうと話をしましたが、困難と言われるあのベルグハインへの入場について聞いてみた所、あんたのそのおぼつかない英語では少々難しいのではないのか?と鼻で笑われてしまいましたが、それでもまだそこでは他人事のように聞いて笑っていましたが...。
僅かな距離を電車移動すると着く後半の宿泊先は、皆が自転車でやってくる素敵な海水浴場の近所にある、なかなか洒落た雰囲気のキッチン付きホテルだったのですが、部屋に入って気付いたのは、現在世界中で人気となっているインテリアショップHAYが内装を手掛けていることであります。
とはいえ特に主張する事も沢山あるわけではなかったですが、シンプルで機能的な部屋はこの旅の中で一番の居心地の良さでした。いや、完全に一人で居られる部屋がほぼ無かったので、そう思っただけかもしれないですが。その他、無印のあのダラダラ出来るクッションみたいなのが置いてある屋上だとか、ビシッとしたコインランドリーなど色々と良いところが多かったです。
屋上にいた、Tシャツコンテスト In コペンハーゲン優勝女性。もしや、とサラジェシカパーカーとコペンハーゲンの関連性を思わず調べましたが結局何も探し出すことはできず。
もちろんHAYの店舗にも行ってきました。今回旅行した各都市、どこの場所にも店舗がありましたので行きましたがやはり本国が一番良かったです。
泊っている間は毎日、自転車で近所の海岸や住宅街をグルグル流したりと、周辺の街から外れたベッドタウンみたいな感じで緩くてとても良かったです。
このホテルの近所のスリフトやリサイクルショップで、妻に頼まれた陶器や人形なんかをまた無計画に大量に買ってしまい、NY同様に荷物ピンチが訪れましたが、スリフト店のヒップホップ好きスタッフに、沢山買ってくれたからという理由で、なんと鍵の壊れたサムソナイトのスーツケースをタダでもらうことになりまして、無理やりマイナスドライバーでこじ開けて何とか荷物を入れることに成功。なんせ送料は3万円以上するみたいだったので、どうしても持ったまま移動することが避けられない状況だったんですよね。
ついにスーツケース2個持ちになってしまい、残るところはベルリンのみとなってしまったので、ここからは買い控えすることになりました。スーツケースは帰国後Youtubeで鍵の修復方法を見て直しましたので今は正常です。
ちなみにそのスタッフとどんなヒップホップが好きかみたいな話になった時、「テック9だよ」と言われたので、おおDegoの!やはりEUのものとか聴くんのか!僕もよく聴いたよ!なんてしばらく片言で話していたんですが、言語が伝わらないなりになんだかズレを感じ始めるもので、ある程度やりとりした後気付いたんですが、アメリカのTech N9neの方でした。
基本的にはお店に行くことが多かったコペンハーゲン滞在ですが、何日か遊びに行った場所として特に印象的だったのは、世界的に有名なヒッピーが集まって作られた自治区クリスチャニアであります。飲食店からアンティークショップ、スケートボードショップ、ホームセンター、銭湯、自転車工場までお店も色々あって、グラフティーやスケートパークなどのカウンターカルチャーもある、夢でも見ているのではないかと思うような楽園のみたいな場所でした。
道を歩いていたら、銭湯から突然真っ裸の人が2人出てきて、道の横のベンチで全裸で話しているみたいなのがあったり。
ちなみにクリスチャニアの旗はオレンジに黄色の丸が三つ横に並んだデザイン。
この地区にあるホームセンターに陶器を梱包するためのプチプチを買いに行きましたが、古い住宅用の設備や家具、雑貨などのリサイクルの商品も沢山売っていてすごく面白い店でした。
やはりクリスチャニアと言えば大麻が許されている地区としても有名でありまして、広場のようなところでブースを作って普通にバンバン売っており、ブランド品のバッヅからジョイントまで様々な形態で販売されております。いくら心を落ち着けようとしてもあまりにも強烈な日本では見ることのない光景にドギマギしてしまいます。実際撮影が禁止されているエリアもあるため、画像はこの程度しか無いのですが。
一日中音楽がかかっていますし、皆リラックスしていて、夕方頃になると自転車でワサワサと人が集まってくる感じで、とても面白い場所でした。友達なんかともっとゆっくり過ごして酒飲んだりしたかったです。
ここからは、他にも色々移した街の様子。まとめて貼っときます。
一見普通の美しい公園のですが、墓地兼公園みたいなところで、墓場の真横だったりでくつろいでいたりと面白い。
朝4時出発で最後の目的地ベルリンへ。荷物が重すぎる。家に帰ってきて気付いたんですが、出発の飛行機に乗る写真を見てみたらクリスチャニアの服着ている人写っていますね。
乗った航空会社のNorwegianは食事も荷物もカットできるタイプのところで、荷物はもちろん付けてはいたんですが、あまり好みの食事がないことが多い機内食はカットしていたため、遅れてしまったことにより乗っている時間も多くなり、お腹空いてくるタイミングにまだ飛行機乗っている状態だったんですよね。
隣に座った、コペンハーゲンで行われる娘の結婚式に向かう白人のおばさんと話していて、あなたも遅れたんだからバンバン言わなきゃダメよ!みたいな感じのこと言っていて、毛布を持ってこさせたりヤホンを持ってこさせたりと、結構要求を通していて凄かったんですが、結局自分は何もできず。仕方がないので、売店で買ったクッキーなどをちまちまかじりながらミネラルウォーターで過ごしました。空港の売店であのシナシナで激高なサンドイッチ買えばよかったなと。
滞在地:デンマーク コペンハーゲン
携帯電話:イギリスSIM Three 30日/データ12GB/通話3000分(アマゾンで購入)
移動:レンタル自転車:Donkey Republic、電車少し
宿泊:4人部屋ホステル2泊、キッチン付きホテルシングル2泊
昼(夕方も近くなった)コペンハーゲンの空港に着き、早速アマゾンで買っておいたWi-Fiを使用するためのSimを入れ無事起動。ここから先はLineでのメッセージと通話になるため一度自宅に連絡を入れてから、顔がゴムになっている可愛らしい電車に乗ってまずはホテルに向かいます。
初のアメリカ体験(NY、ポートランド)があまりに刺激的だったので、幸福度が高くて皆優しそうなイメージのあるデンマークで一旦休息という形になると安直な考えをしておりました。予約していった宿(ホステル)は男女混合の四人部屋だったんですが、到着し自身で入口にあるパソコンにてチェックインを終え部屋に入ると、なんとドイツから来た20代前半と思わしき女性3人組と一緒の部屋に。
建物は古いものの部屋や自由に使用可能なキッチンや集まれる場所なんかはほとんどのところがリノベーションしてとても綺麗になっており、ポートランドのホステルと比べても大分新しい感じがしますが、そんな綺麗なトイレもバスもその彼女たちと共用なので、死ぬ気でおじさんの使用感を残さぬよう気を付けないといけないと心に誓いました。女だけでパーッと盛り上がる中に、アジア人の英語話せないオジさんという異物が混入した感じになったわけですが、こういう経験をしてみて分かったことは決してラッキーと思えないという事であります。
しかもベットはなぜかくっ付けてダブルになるシングルの片方で、最初からくっ付いている仕様という感じ。女子たちにはこちらからベッドを交換してくれないかとお願いし、私はまともな倫理観のオジさんですよとアピールもしつつ、何とか2段ベッドの下と交換してもらって、さらに可哀想なんで部屋を交換できないかとフロントまで聞きに行きましたがどうやら他も空いていないようで仕方なくそのまま行くことに。
部屋に戻ってそそくさと街に出たのですが、運悪くこの旅初となる雨に見舞われ、かといって帰るわけにも行かないので合羽を着て周辺を軽く散策して、駅前のお洒落市場みたいなところでよく分からない和食のような丼ぶり的な高額なファストフードみたいなものを食べて帰りました。
恐るおそる部屋に帰ってみると、幸いなことに彼女たちは夜も遊び倒す計画だったようで、僕が寝てから帰って来るような生活をしていたため基本的には最後の日までほとんど話すことは無かったわけですが。そうやって一日目は何もせぬまま寝ることに。しかし、他人がいるにも拘らず荷物そのままにして出て行って不安はないのだろうかと。これが若さかと。勢いがあってうらやましいなと。あとパンツとか干してなくて本当に良かった。
二日目からは、相変わらずのリサイクルショップを主軸とした様々なお店巡りに。日本でも展開が始まったというビール会社ミッケラーの店舗から、ビンテージ陶器店、雑貨店、料理用品店、、パン屋、そして女の子の横顔のマークでおなじみのスーパーマーケットIRMAには特に多く出入りしまして、妻の友達へのお土産(ロゴマーク入りグッズ)から、慢性的な野菜不足を解消すべくカップ入りの鶏肉入りのサラダを購入しに行ったりだとか、毎日のように行きました。
特に印象に残った施設の一つとして、町の人たちが家にあるいらないものを持ち寄って置いていき、それを必要な人たちが自分の必要な分だけ持って帰って良いリサイクルステーション。僕は家に欲しかったバターナイフと、スウェーデンの人気食器ブランドGUSTAVSBERGの皿をもらってきました。
人気のパン屋でパン買って、目の前の広場のベンチに座ったらこういう景色なわけで、ヨーロッパってすごいよなと。
今回は街がコンパクトなこともあり、また時間もそうないため、大きい荷物を持っていない場合はほとんどレンタル自転車のみでの移動に。スマートフォンでロックをコントロールして、乗った分のお金を支払うものだったんですが、おかげで街の雰囲気がダイレクトに伝わってきまして、自転車の乗り方がおぼつかなかったりしたりして邪魔したりすると、結構イライラされて露骨に嫌な感じの態度をとられたりと、心優しいというイメージも限度があるよなと。とはいえNYほど他人行儀な感じもなく、皆が良い人であろうと努力して幸せな社会を形成しているのだなと分かるようなところもありました。
やはり思った通りの物価の高さで、食事もかなり高くつく感じでしたので、なるべく外で食べるようにしながらも、ホテルの共用キッチンで日本から持ち込んだレトルトのご飯やフリーズドライの味噌汁を食べるといった状況で、貧乏は好奇心を削ぐなと思うものの、背に腹は代えられないなと。結局デンマークでは外食はほどほどにして、日本から持ってきた食べ物を食べている事が多かったですね。
調理しながら気付いた点としましては、皆結構調理室に集まって料理しているという事、色々な国から集まっているが、英語を話せる人が多い。デンマークの水道から出した水には何か白い粉みたいな成分が含まれているようで、それらが沈殿するとはっきり分かるし、湯沸かしポットにこびりついたりしているが、皆あまり気にしていないので大丈夫だろうと何か分からないのにそのまま口に入れていた。
前半2日目まではホステルで、後半からは一人部屋のホテルをとってあったので、そちらに移動することに。朝は必ずケツ丸出しで寝ていて、ジッと見るわけにもいかないのでこちらが逆に困っておりました同室の女子3人組ともついに別れとなり、挨拶をする際、ドイツのナイトクラブについて教えてもらおうと話をしましたが、困難と言われるあのベルグハインへの入場について聞いてみた所、あんたのそのおぼつかない英語では少々難しいのではないのか?と鼻で笑われてしまいましたが、それでもまだそこでは他人事のように聞いて笑っていましたが...。
僅かな距離を電車移動すると着く後半の宿泊先は、皆が自転車でやってくる素敵な海水浴場の近所にある、なかなか洒落た雰囲気のキッチン付きホテルだったのですが、部屋に入って気付いたのは、現在世界中で人気となっているインテリアショップHAYが内装を手掛けていることであります。
とはいえ特に主張する事も沢山あるわけではなかったですが、シンプルで機能的な部屋はこの旅の中で一番の居心地の良さでした。いや、完全に一人で居られる部屋がほぼ無かったので、そう思っただけかもしれないですが。その他、無印のあのダラダラ出来るクッションみたいなのが置いてある屋上だとか、ビシッとしたコインランドリーなど色々と良いところが多かったです。
屋上にいた、Tシャツコンテスト In コペンハーゲン優勝女性。もしや、とサラジェシカパーカーとコペンハーゲンの関連性を思わず調べましたが結局何も探し出すことはできず。
もちろんHAYの店舗にも行ってきました。今回旅行した各都市、どこの場所にも店舗がありましたので行きましたがやはり本国が一番良かったです。
泊っている間は毎日、自転車で近所の海岸や住宅街をグルグル流したりと、周辺の街から外れたベッドタウンみたいな感じで緩くてとても良かったです。
このホテルの近所のスリフトやリサイクルショップで、妻に頼まれた陶器や人形なんかをまた無計画に大量に買ってしまい、NY同様に荷物ピンチが訪れましたが、スリフト店のヒップホップ好きスタッフに、沢山買ってくれたからという理由で、なんと鍵の壊れたサムソナイトのスーツケースをタダでもらうことになりまして、無理やりマイナスドライバーでこじ開けて何とか荷物を入れることに成功。なんせ送料は3万円以上するみたいだったので、どうしても持ったまま移動することが避けられない状況だったんですよね。
ついにスーツケース2個持ちになってしまい、残るところはベルリンのみとなってしまったので、ここからは買い控えすることになりました。スーツケースは帰国後Youtubeで鍵の修復方法を見て直しましたので今は正常です。
ちなみにそのスタッフとどんなヒップホップが好きかみたいな話になった時、「テック9だよ」と言われたので、おおDegoの!やはりEUのものとか聴くんのか!僕もよく聴いたよ!なんてしばらく片言で話していたんですが、言語が伝わらないなりになんだかズレを感じ始めるもので、ある程度やりとりした後気付いたんですが、アメリカのTech N9neの方でした。
基本的にはお店に行くことが多かったコペンハーゲン滞在ですが、何日か遊びに行った場所として特に印象的だったのは、世界的に有名なヒッピーが集まって作られた自治区クリスチャニアであります。飲食店からアンティークショップ、スケートボードショップ、ホームセンター、銭湯、自転車工場までお店も色々あって、グラフティーやスケートパークなどのカウンターカルチャーもある、夢でも見ているのではないかと思うような楽園のみたいな場所でした。
道を歩いていたら、銭湯から突然真っ裸の人が2人出てきて、道の横のベンチで全裸で話しているみたいなのがあったり。
ちなみにクリスチャニアの旗はオレンジに黄色の丸が三つ横に並んだデザイン。
この地区にあるホームセンターに陶器を梱包するためのプチプチを買いに行きましたが、古い住宅用の設備や家具、雑貨などのリサイクルの商品も沢山売っていてすごく面白い店でした。
やはりクリスチャニアと言えば大麻が許されている地区としても有名でありまして、広場のようなところでブースを作って普通にバンバン売っており、ブランド品のバッヅからジョイントまで様々な形態で販売されております。いくら心を落ち着けようとしてもあまりにも強烈な日本では見ることのない光景にドギマギしてしまいます。実際撮影が禁止されているエリアもあるため、画像はこの程度しか無いのですが。
一日中音楽がかかっていますし、皆リラックスしていて、夕方頃になると自転車でワサワサと人が集まってくる感じで、とても面白い場所でした。友達なんかともっとゆっくり過ごして酒飲んだりしたかったです。
ここからは、他にも色々移した街の様子。まとめて貼っときます。
一見普通の美しい公園のですが、墓地兼公園みたいなところで、墓場の真横だったりでくつろいでいたりと面白い。
朝4時出発で最後の目的地ベルリンへ。荷物が重すぎる。家に帰ってきて気付いたんですが、出発の飛行機に乗る写真を見てみたらクリスチャニアの服着ている人写っていますね。
2019年海外旅行 ニューヨーク4-6日目編
- 2019-10-11 /
- 食べ物・旅
次の国へ移動する際の荷物の心配も無くなって、身も心も軽くなったことはなったんですが、すでにNYで過ごす半分が終了してしまっていることもあり、急いで色々なところに回らないとなぁと焦り始めます。とにかく街で都会の空気感を存分に吸い込み、最新のお店事情を知りたいということで、マンハッタンの若者のお店が多い地区に行くことに。
結局なんだかんだ言ってリサイクルショップに寄りつつも、あのエレクトリックレディスタジオ(の入口)や、エドワード・ホッパーのナイトホークスのモデルになったダイナーがあったという場所(参考サイト)をなどを見て回り、ふと携帯電話を見ると充電があまりない状態に。
充電器も持って来るのを忘れたためとりあえず昼食のピザを食べて、一度家に取りに帰ることに。気を取り直してさあ出るぞと靴ひもを結んだところで見た、横の壁の荒々しい仕上げがアメリカン過ぎて思わず笑っちゃいました。
再び同じ場所に戻ってそこから南のSOHO地区に向かって歩きます。人気書店からビンテージ古着店、NY大学の購買、
YO!HEY!!(@yohey_3pb)から教えてもらった人気ショップなど、特に買いませんがとにかくバンバン行きます。友達とお金がもっと沢山あったら本当に楽しい街だろうなと。
ここで売ってたCam'RonのTシャツ、10万円以上付いていて驚いた。
その日の夜、NY滞在での一番大きなイベントとなったのが、現地に住みミュージシャンとして活動している唐木さん(@rootsy)にお会いできたことでしょうか。一昨日にライブを見に行った事をツイッターで知ってくれて、せっかくなんで会ってお茶でもしませんかとお誘いいただいたのがキッカケだったんですが、現れたのはDE LA SOUL(1stぽい)のTシャツを着た予想に反しためちゃくちゃ気さくなお兄さんで、ほとんどインターネット上で知った人と会わないので、この人が実在する事にも驚きといった感じでしょうか。
全く人見知りする隙間を与えない、巧みなお喋りに感心させられまして終始唐木さんペース。どこか行きたいところは無いか?と言ってもらえたので、一人で行くのをためらっていたハーレム地区に夜連れて行っていただくことに。黒人が多い街でさらに夜ということもありまして、地下鉄降りた瞬間に雰囲気に飲まれて浮足立つ私ですが、「ビクビクして弱っている奴に悪魔は狙いを付けてやってくるから胸を張って堂々としていなければならない」というこの旅行最も印象に残る金言をいただき(他の人とそんなに話していない旅ではあったが)、まずは電飾がついた夜のアポロシアター(入口のみ)へ。
その後、老舗フライドチキン店「Charles Pan Fried Chicken」でチキンとコーンブレッド、マカロニが入ったサラダ、煮た豆、そしてアイスティーをレモネードで割った飲み物など、いわゆる標準的なソウルフードを食べさせてもらって、その後は北側にあるシュガーヒルの地下鉄駅方面に向かって歩くことに。
途中なかなかワルそうな人が沢山集まっている、夏のコンビニの前みたいな雰囲気のところがあったりなんかして、怖いなんてもんじゃない感じでしたが、言いつけを守りなるべく堂々と振舞いながらなんとか無事付いて、また地下鉄に乗って帰路に。夕方集合の数時間でしたが、本当に色々な話や考えを聞かせてもらい、とても楽しかったですし勉強させてもらう事が多かったです。
翌朝、さらにピッチを上げて行動するため、ついに自転車(Citibike)を導入。まずは宿泊している地区の下側にあるユダヤ人街、サウスウィリアムズバーグ地区に行くことに。印象的な帽子を被ったジューイッシュの人たちがどこかに出かける様子を横目にしながら、そこを抜けてしばらく道に迷ったまま走り続けると集合住宅の横を走っており、ふとシャッターを見るとテカシの絵が。この辺りで育ったのかなぁとか思いをはせながら。ふと辺りを見渡すと、写真を撮ることも憚れる雰囲気のなんだか少し治安が悪そうな地区で、ヘインズの安いパック靴下売っている店から、定番のディスコがガンガン爆音で流れておりといった感じ。
そこから少し移動して西側に行くと、穏やかで洒落た店も多いブルックリンハイツ周辺の地域に。ここで老舗アイスクリーム店で食事をとったりアンティーク店や雑貨店に行ったりしてやや優雅に過ごした後、そのまま電車に乗ってマンハッタンへ。
下の方から入って人気ユーチューバーCasey Neistatの事務所の前を通ったりしながら、再びSOHO周辺地区へ向かいます。
色々なお店に行った中でも、特に良かったのはデリと小さいストアをやっている「Dimes」というお店。ホームページを見ていてすごく行ってみたかったんですが、期待以上でとてもよかったです。
最後の日まで大体同じような感じで過ごし、最後はゴンドラ乗ったり、ブラジルフェスみたいなのにサンバ見に行ったり。もう少しゆっくりと色々見たり、人と会ったり、ダラダラ過ごすような日もあったら良いのですが、やや及び腰になってしまい6日に設定してしまったのを後悔しております。
情報量も他の都市とは比較にならないほど多く、ほんの一部を見たに過ぎないんだなと。また、今回MOMAが改修のため閉館していたり、お誘いいただいたのに出国の前日で行けなかったり、他にも訪れることができなかった地区があったりと思い残す事が沢山ありますので、また行ける日が来ると良いのですが。今の仕事ですと恐らく今回のようには行けなさそうですが。ニューヨーク支店もないし。
そして出国の際のブルックリンからの移動の際、地下鉄なら大丈夫だと思ってGoogle Mapに表示されたまま地下鉄に乗りましたら、なぜか空港行く手前で止まってしまい、さらにバスに乗り換えたら全く違う方に行ってしまったりとパニックになりましたが、最後も空港までの道のりを地元の人に教えてもらい、なんとか時間ギリギリで無事出国できた次第です。荷物の登録を前日にやっていなかったらダメだったかもな。
結局なんだかんだ言ってリサイクルショップに寄りつつも、あのエレクトリックレディスタジオ(の入口)や、エドワード・ホッパーのナイトホークスのモデルになったダイナーがあったという場所(参考サイト)をなどを見て回り、ふと携帯電話を見ると充電があまりない状態に。
充電器も持って来るのを忘れたためとりあえず昼食のピザを食べて、一度家に取りに帰ることに。気を取り直してさあ出るぞと靴ひもを結んだところで見た、横の壁の荒々しい仕上げがアメリカン過ぎて思わず笑っちゃいました。
再び同じ場所に戻ってそこから南のSOHO地区に向かって歩きます。人気書店からビンテージ古着店、NY大学の購買、
YO!HEY!!(@yohey_3pb)から教えてもらった人気ショップなど、特に買いませんがとにかくバンバン行きます。友達とお金がもっと沢山あったら本当に楽しい街だろうなと。
ここで売ってたCam'RonのTシャツ、10万円以上付いていて驚いた。
その日の夜、NY滞在での一番大きなイベントとなったのが、現地に住みミュージシャンとして活動している唐木さん(@rootsy)にお会いできたことでしょうか。一昨日にライブを見に行った事をツイッターで知ってくれて、せっかくなんで会ってお茶でもしませんかとお誘いいただいたのがキッカケだったんですが、現れたのはDE LA SOUL(1stぽい)のTシャツを着た予想に反しためちゃくちゃ気さくなお兄さんで、ほとんどインターネット上で知った人と会わないので、この人が実在する事にも驚きといった感じでしょうか。
全く人見知りする隙間を与えない、巧みなお喋りに感心させられまして終始唐木さんペース。どこか行きたいところは無いか?と言ってもらえたので、一人で行くのをためらっていたハーレム地区に夜連れて行っていただくことに。黒人が多い街でさらに夜ということもありまして、地下鉄降りた瞬間に雰囲気に飲まれて浮足立つ私ですが、「ビクビクして弱っている奴に悪魔は狙いを付けてやってくるから胸を張って堂々としていなければならない」というこの旅行最も印象に残る金言をいただき(他の人とそんなに話していない旅ではあったが)、まずは電飾がついた夜のアポロシアター(入口のみ)へ。
その後、老舗フライドチキン店「Charles Pan Fried Chicken」でチキンとコーンブレッド、マカロニが入ったサラダ、煮た豆、そしてアイスティーをレモネードで割った飲み物など、いわゆる標準的なソウルフードを食べさせてもらって、その後は北側にあるシュガーヒルの地下鉄駅方面に向かって歩くことに。
途中なかなかワルそうな人が沢山集まっている、夏のコンビニの前みたいな雰囲気のところがあったりなんかして、怖いなんてもんじゃない感じでしたが、言いつけを守りなるべく堂々と振舞いながらなんとか無事付いて、また地下鉄に乗って帰路に。夕方集合の数時間でしたが、本当に色々な話や考えを聞かせてもらい、とても楽しかったですし勉強させてもらう事が多かったです。
翌朝、さらにピッチを上げて行動するため、ついに自転車(Citibike)を導入。まずは宿泊している地区の下側にあるユダヤ人街、サウスウィリアムズバーグ地区に行くことに。印象的な帽子を被ったジューイッシュの人たちがどこかに出かける様子を横目にしながら、そこを抜けてしばらく道に迷ったまま走り続けると集合住宅の横を走っており、ふとシャッターを見るとテカシの絵が。この辺りで育ったのかなぁとか思いをはせながら。ふと辺りを見渡すと、写真を撮ることも憚れる雰囲気のなんだか少し治安が悪そうな地区で、ヘインズの安いパック靴下売っている店から、定番のディスコがガンガン爆音で流れておりといった感じ。
そこから少し移動して西側に行くと、穏やかで洒落た店も多いブルックリンハイツ周辺の地域に。ここで老舗アイスクリーム店で食事をとったりアンティーク店や雑貨店に行ったりしてやや優雅に過ごした後、そのまま電車に乗ってマンハッタンへ。
下の方から入って人気ユーチューバーCasey Neistatの事務所の前を通ったりしながら、再びSOHO周辺地区へ向かいます。
色々なお店に行った中でも、特に良かったのはデリと小さいストアをやっている「Dimes」というお店。ホームページを見ていてすごく行ってみたかったんですが、期待以上でとてもよかったです。
最後の日まで大体同じような感じで過ごし、最後はゴンドラ乗ったり、ブラジルフェスみたいなのにサンバ見に行ったり。もう少しゆっくりと色々見たり、人と会ったり、ダラダラ過ごすような日もあったら良いのですが、やや及び腰になってしまい6日に設定してしまったのを後悔しております。
情報量も他の都市とは比較にならないほど多く、ほんの一部を見たに過ぎないんだなと。また、今回MOMAが改修のため閉館していたり、お誘いいただいたのに出国の前日で行けなかったり、他にも訪れることができなかった地区があったりと思い残す事が沢山ありますので、また行ける日が来ると良いのですが。今の仕事ですと恐らく今回のようには行けなさそうですが。ニューヨーク支店もないし。
そして出国の際のブルックリンからの移動の際、地下鉄なら大丈夫だと思ってGoogle Mapに表示されたまま地下鉄に乗りましたら、なぜか空港行く手前で止まってしまい、さらにバスに乗り換えたら全く違う方に行ってしまったりとパニックになりましたが、最後も空港までの道のりを地元の人に教えてもらい、なんとか時間ギリギリで無事出国できた次第です。荷物の登録を前日にやっていなかったらダメだったかもな。
2019年海外旅行 ニューヨーク2-3日目編
- 2019-10-02 /
- 食べ物・旅
いよいよ2日目は世界一の都会マンハッタンの中の真ん中あたりの地区へ。
マンハッタンに行って舐められないように、妻に相談して履きやすい靴を諦めて、ギリギリのタイミングで新しい靴を購入したのですが、非常に田舎者っぽいなという自己評価でして、これは心の中にしまって置こうかなとも思いましたが。やはりスニーカーがボロいと相手にされないのではないか?というニューヨークに対しての恐怖感もあり...。まあ結果的にはどちらでもよかったなとも。
人生初の来マンは、タイムズスクエアなどベタなところもありつつ、結局リサイクルショップ多めで回ってきました。オレゴンから移動して来た時から、ずっと買い過ぎた荷物を日本に送る件で頭が一杯になっており、郵便局なんかも立ち寄り調べるといった感じ。買い付けに来たわけでもないのに、常に荷物の事ばかり考えてしまっており、早く楽になりたい一心であります。
ニューヨークのUber Eatsの人たちの乗ってる自転車は、漕ぎ出しの僅かな時間は人力に見えるが、明らかに漕いでないのに40km/hくらい出てるし、あれは一体何だったんだろうかと。あと、フレームに自転車のチューブぐるぐる巻きにしてるし。
今回の旅で一番印象に残ったスニーカー。真っ黒のエアフォース1に白い紐を付けていたんですが、格好良かった。真似しようかと思っております。
マンハッタンの情報量の多さと、気温の暑さでグッタリしますが、金銭を巧みに求めてくる観光客狙いの記念撮影の人たちを避けつつ、生のタイムズスクエアを見学し都会浴をたっぷりした後に、その日も早々に帰宅し、一日中気がかりだった日本への荷物の発送を終わらせるべく調査し、値段と荷物の量のバランスが合っていたヤマト運輸を使うことにしたんですが、なんせ配送の手続きが全く分からないため、JFK付近のヤマトUSAの営業所に翌朝行くことに。
それが決まったので急に気持ちが軽くなり、一分一秒無駄にしないぞ!ということで、MIZ TARNIEさん(@miztarnie)のガイドブックを読んで行ってみたかった、NYクラシックのMVにも登場する某交差点と、日本での輝かしい地位を退き、現在はニューヨークにてミュージシャンとして活動する唐木さん(@rootsy)が、バーのような場所で演奏しているのがブルックリン内の近い場所でしたので、日が落ちる前にとりあえず交差点 → ライブという流れで向かうことに。
その例の交差点をパシャパシャ撮った後に、バーに行きお酒を飲みながら演奏を聴きましたが、外がだんだん暗くなり不安になって来ると共に、酒が回ってきたのと店員さんにチップをいつ払ったら良いのだろうかというのが合わさって、ソワソワして落ち着かなくなってきましたので、4、5曲聴いて帰ることに。
翌朝、30キロ近いスーツケースを持って、宿の前から出るバスに乗りヤマトUSAのサービスセンターを目指すのですが、ちょうど出勤のラッシュに遭遇し、ニューヨークの労働者たちと共にバスに揺られサウスジャマイカ地区を縦断。明らかによそ者が入ってきたという雰囲気で視線が突き刺さりまして、なんてところに大荷物を抱えて来てしまったんだと。あとGoogle Mapを頼りに来たのですが、2回もバスに乗り間違えて大変な思いをしました。
無事到着したヤマトでは、クイーンズ育ちで日本語(敬語のみとのこと)が使用可能というスタッフの方が、懇切丁寧に教えてくれまして、無事に発送できました。なんでも、ここまで来なくてもブルックリンの集荷所に持っていけば良かったとの事でズッコケましたが良い思い出に。
その後帰りのバスでは、乗っている間中怖そうなお兄さんにジーーーっと見られていて、行きよりもさらに怖かったです。
帰宅後、昼過ぎだったのもありまだまだ時間があるということで、Donsta君(@iDonsta)に教えてもらった、その日からスタートのグラフティやヒップホップなどストリートカルチャーの美術展「Beyond The Streets」(日本語の記事)に行き有名アーティストたちの作品を結構な時間をかけて鑑賞してきました。入り口ではなるべく写真を撮りまくってインスタにアップしてねと、スタッフから言われまして、プロモーションをSNSですることへの抵抗の無さが、さすが世界一の都会だなと。その写真をたくさん撮ってきたので下の方に載せておきますので良かったらどうぞ。
それが見終わって、ブルックリンの街をブラブラして帰った後、数日分の洗濯物をやっつけるため近所のコインランドリーへ。ニューヨークの中で一番コミュニケーションをとったのは、そこのプエルトリコ系のオバさんでした。優しかったなぁ。帰る日まで三日くらい行きましたが、また来いよと言われました。
洗濯を待っている間に隣のベトナム料理屋でフォー食べましたがフォー1杯も高かったなぁ
ブルックリンに貼ってあったゆるふわGANGのポスター。
藤原とうふ店のチャリ
シュプリーム:ブルックリン店の前にいた人のカバンがこれで、あまりの懐かしさに思わず声を掛けて写真を撮らしてもらった。
今になってようやく知るAKAロックスミスの意味
Beyond The Streets
マンハッタンに行って舐められないように、妻に相談して履きやすい靴を諦めて、ギリギリのタイミングで新しい靴を購入したのですが、非常に田舎者っぽいなという自己評価でして、これは心の中にしまって置こうかなとも思いましたが。やはりスニーカーがボロいと相手にされないのではないか?というニューヨークに対しての恐怖感もあり...。まあ結果的にはどちらでもよかったなとも。
人生初の来マンは、タイムズスクエアなどベタなところもありつつ、結局リサイクルショップ多めで回ってきました。オレゴンから移動して来た時から、ずっと買い過ぎた荷物を日本に送る件で頭が一杯になっており、郵便局なんかも立ち寄り調べるといった感じ。買い付けに来たわけでもないのに、常に荷物の事ばかり考えてしまっており、早く楽になりたい一心であります。
ニューヨークのUber Eatsの人たちの乗ってる自転車は、漕ぎ出しの僅かな時間は人力に見えるが、明らかに漕いでないのに40km/hくらい出てるし、あれは一体何だったんだろうかと。あと、フレームに自転車のチューブぐるぐる巻きにしてるし。
今回の旅で一番印象に残ったスニーカー。真っ黒のエアフォース1に白い紐を付けていたんですが、格好良かった。真似しようかと思っております。
マンハッタンの情報量の多さと、気温の暑さでグッタリしますが、金銭を巧みに求めてくる観光客狙いの記念撮影の人たちを避けつつ、生のタイムズスクエアを見学し都会浴をたっぷりした後に、その日も早々に帰宅し、一日中気がかりだった日本への荷物の発送を終わらせるべく調査し、値段と荷物の量のバランスが合っていたヤマト運輸を使うことにしたんですが、なんせ配送の手続きが全く分からないため、JFK付近のヤマトUSAの営業所に翌朝行くことに。
それが決まったので急に気持ちが軽くなり、一分一秒無駄にしないぞ!ということで、MIZ TARNIEさん(@miztarnie)のガイドブックを読んで行ってみたかった、NYクラシックのMVにも登場する某交差点と、日本での輝かしい地位を退き、現在はニューヨークにてミュージシャンとして活動する唐木さん(@rootsy)が、バーのような場所で演奏しているのがブルックリン内の近い場所でしたので、日が落ちる前にとりあえず交差点 → ライブという流れで向かうことに。
その例の交差点をパシャパシャ撮った後に、バーに行きお酒を飲みながら演奏を聴きましたが、外がだんだん暗くなり不安になって来ると共に、酒が回ってきたのと店員さんにチップをいつ払ったら良いのだろうかというのが合わさって、ソワソワして落ち着かなくなってきましたので、4、5曲聴いて帰ることに。
翌朝、30キロ近いスーツケースを持って、宿の前から出るバスに乗りヤマトUSAのサービスセンターを目指すのですが、ちょうど出勤のラッシュに遭遇し、ニューヨークの労働者たちと共にバスに揺られサウスジャマイカ地区を縦断。明らかによそ者が入ってきたという雰囲気で視線が突き刺さりまして、なんてところに大荷物を抱えて来てしまったんだと。あとGoogle Mapを頼りに来たのですが、2回もバスに乗り間違えて大変な思いをしました。
無事到着したヤマトでは、クイーンズ育ちで日本語(敬語のみとのこと)が使用可能というスタッフの方が、懇切丁寧に教えてくれまして、無事に発送できました。なんでも、ここまで来なくてもブルックリンの集荷所に持っていけば良かったとの事でズッコケましたが良い思い出に。
その後帰りのバスでは、乗っている間中怖そうなお兄さんにジーーーっと見られていて、行きよりもさらに怖かったです。
帰宅後、昼過ぎだったのもありまだまだ時間があるということで、Donsta君(@iDonsta)に教えてもらった、その日からスタートのグラフティやヒップホップなどストリートカルチャーの美術展「Beyond The Streets」(日本語の記事)に行き有名アーティストたちの作品を結構な時間をかけて鑑賞してきました。入り口ではなるべく写真を撮りまくってインスタにアップしてねと、スタッフから言われまして、プロモーションをSNSですることへの抵抗の無さが、さすが世界一の都会だなと。その写真をたくさん撮ってきたので下の方に載せておきますので良かったらどうぞ。
それが見終わって、ブルックリンの街をブラブラして帰った後、数日分の洗濯物をやっつけるため近所のコインランドリーへ。ニューヨークの中で一番コミュニケーションをとったのは、そこのプエルトリコ系のオバさんでした。優しかったなぁ。帰る日まで三日くらい行きましたが、また来いよと言われました。
洗濯を待っている間に隣のベトナム料理屋でフォー食べましたがフォー1杯も高かったなぁ
ブルックリンに貼ってあったゆるふわGANGのポスター。
藤原とうふ店のチャリ
シュプリーム:ブルックリン店の前にいた人のカバンがこれで、あまりの懐かしさに思わず声を掛けて写真を撮らしてもらった。
今になってようやく知るAKAロックスミスの意味
Beyond The Streets
2019年海外旅行 ニューヨーク1日目編
- 2019-09-26 /
- 食べ物・旅
まずは到着した初日、風呂に入ってまず下腹部にお湯をかけるような感覚で、滞在場所の近所でありますブルックリンはウィリアムズバーグ地区の散策に出かけました。
着いた日は平日でしたが、なぜか自分と同じくらいもしくは自分より年上っぽい男性が街角でダラダラしている姿を見かけ、仕事してないんかな...それとも土地持ちか...いやひょっとしたら...などと想像が膨らんでしまい、ついついジッと見てしまいます。いつだってトラブルは見てただろみたいなのから始まりますので、とにかく見ないように、また余裕のあるふりをしながらも、目に入って来るものすべてがシャッターチャンスみたいな気持ちを抑えながらも控えめに写真撮影。
滞在地:アメリカ ニューヨーク
携帯電話:ソフトバンクをそのまま使用(アメリカ放題)
移動:CITI BIKE(レンタル自転車)、電車・バスの7日券Metro Card
宿泊:短期ルームシェア
その土地の空気に馴染むため、リサイクルショップに行くことが多いのですが(良く言えばゴミから地域性を推測)、ウィリアムズバーグには無さそうなんで、慣らしでお洒落なお店やブランド店をウィンドウショッピングに。流石は世界一の都会だけに、オレゴン州より人がクールな印象であります。当たり前か。
とりあえずなんですが、数年前に間違えたサイズを購入した(Mサイズがピチピチだった)Run The JewelsのTシャツの大きいサイズが欲しかったので、Fool's Goldの店舗に行ったんですが、レーベルを離れてしばらく経つし当たり前の様に無いわけで、スタッフに訪ねると用意できない代わりにステッカーを三枚くれました。NYの人案外と優しいなと。尋ねて良かったです。
ポートランドでは街の情報を必死に拾おうとするあまりに、また自転車乗りまくっていたので耳ふさぐのが怖かったのもありほとんど音楽を聴いてないんですが、若い頃から憧れの対象だったアメリカやニューヨークへの想いみたいなものを成仏させに来た旅でもありますので、出来ればニューヨークでは自分が聴いてきた音楽を、誕生した街の空気感の元聴いてみたいというのがあったんですね。
そんなんで現行だけでなく90-00年代のクラシック(ブルックリンのアーティストも入れたりして)や古い音楽も色々とiPhoneに入れまして、地下鉄乗ったり、街を歩いたりする時に耳を塞ぐのは若干怖かったですが、ちょくちょく様子を見ながら色々なところで聴いてみたところ、驚くことに自分には現地で聴く90年代のヒップホップクラシックがあまり響かなかったという。
思うに街も最新の状態にアップデートしていて、自分も新しい音楽を聴くようにしているからでしょうか。まあ90年代からすでに20年以上経過しているため当たり前だよなと思うんですが。実際にはNotorious BIGのJuicyやCam'RonのOh Boyなど変わらず良かったものもいくつかありましたが。(メローや、景気良さそうなものは良かったです。逆に荒廃した感じに合いそうなものはそうでも無かったですね) 行ったことない場所を想像して、脳内であんなに補完して聴いてきた思い出の音楽よりも、爆音で通り過ぎる車から流れてくる誰か分からないTRAPの方が全然しっくりくるんですよ。俗っぽい方が合うというか。逆にもっと古いドゥーワップなんかのオールディーズはしっくりくるような感じがしました。
そんな常に刷新されているニューヨークに魅了されてしまいまして、今更なんですが定期的に行きたいなと思うようになってしまいました。あと、NY行ったこと、住んだことのある人たちが言っている、街であの音楽が流れていた、この音楽が流れていたみたいのを自分は全然感じなくて、知らない内にヒット曲を沢山聴いているみたいなところは無かったなと。一切聴かなかったラジオをたくさん聴いて街を徘徊すれば良かったなと、これを書きながら思った次第であります。
話戻りますが、ダラダラとブルックリンを散策しておりましたら、夕食の時間が近づいて来ましたので、初めてのアメリカでの夕食を取ることに。国民食でありますピザを3ドルで買いまして、コーラをお供にして路上で夕食タイムに。チーズしか乗っていないシンプルなのを注文したんですが、自分の食の好みに合っておりとても美味しかったですが、毎日これを食べず冒険しないといけないなと。
消火栓も家帰ってきて写真でよく見ると武骨でかっこいいな。コーラとピザに合います。
食べながらついでに明日の朝食はどうしようか...なんて考えてしまい大分面倒なので、ポートランドで食べたものをそのままスーパーマーケットに買いに行って、毎日食べれば良いかと考え、暗くなって怖くなるといけないので明るいうちに早々に引き上げ、ベーグルなんかを買いに家から徒歩3分のKEY FOODに行くことに。
クリームチーズをパンに付けて食べるなんて普段からしないもんですから、よく分からなかったんですが(ポートランドで覚えた)、英語が通じない(自分も通じないが)移民の総菜コーナーのおばちゃんに、何とか説明して売り場を教えてもらい、そのほかにもベーグルとジャムとヨーグルト、オレンジジュースを五日分ほど購入して帰宅。
毎日同じでも平気という食に異常なまでに保守的である事が、こういう時はプラスに働いてくれて良かったなぁと思いましたが、ちゃんと野菜取ることを意識して考えて行かないと、本当に昔教科書で読んだ壊血病になるんじゃないかと心配になり、その後は野菜をかなり意識して摂るように。
あと、アメリカに行ったら是非購入して帰りたいと思っていた、フォームのカップも普通に売っておりましたので、多すぎるなとは思いましたが20個(1セット)買って帰りました。
着いた日は平日でしたが、なぜか自分と同じくらいもしくは自分より年上っぽい男性が街角でダラダラしている姿を見かけ、仕事してないんかな...それとも土地持ちか...いやひょっとしたら...などと想像が膨らんでしまい、ついついジッと見てしまいます。いつだってトラブルは見てただろみたいなのから始まりますので、とにかく見ないように、また余裕のあるふりをしながらも、目に入って来るものすべてがシャッターチャンスみたいな気持ちを抑えながらも控えめに写真撮影。
滞在地:アメリカ ニューヨーク
携帯電話:ソフトバンクをそのまま使用(アメリカ放題)
移動:CITI BIKE(レンタル自転車)、電車・バスの7日券Metro Card
宿泊:短期ルームシェア
その土地の空気に馴染むため、リサイクルショップに行くことが多いのですが(良く言えばゴミから地域性を推測)、ウィリアムズバーグには無さそうなんで、慣らしでお洒落なお店やブランド店をウィンドウショッピングに。流石は世界一の都会だけに、オレゴン州より人がクールな印象であります。当たり前か。
とりあえずなんですが、数年前に間違えたサイズを購入した(Mサイズがピチピチだった)Run The JewelsのTシャツの大きいサイズが欲しかったので、Fool's Goldの店舗に行ったんですが、レーベルを離れてしばらく経つし当たり前の様に無いわけで、スタッフに訪ねると用意できない代わりにステッカーを三枚くれました。NYの人案外と優しいなと。尋ねて良かったです。
ポートランドでは街の情報を必死に拾おうとするあまりに、また自転車乗りまくっていたので耳ふさぐのが怖かったのもありほとんど音楽を聴いてないんですが、若い頃から憧れの対象だったアメリカやニューヨークへの想いみたいなものを成仏させに来た旅でもありますので、出来ればニューヨークでは自分が聴いてきた音楽を、誕生した街の空気感の元聴いてみたいというのがあったんですね。
そんなんで現行だけでなく90-00年代のクラシック(ブルックリンのアーティストも入れたりして)や古い音楽も色々とiPhoneに入れまして、地下鉄乗ったり、街を歩いたりする時に耳を塞ぐのは若干怖かったですが、ちょくちょく様子を見ながら色々なところで聴いてみたところ、驚くことに自分には現地で聴く90年代のヒップホップクラシックがあまり響かなかったという。
思うに街も最新の状態にアップデートしていて、自分も新しい音楽を聴くようにしているからでしょうか。まあ90年代からすでに20年以上経過しているため当たり前だよなと思うんですが。実際にはNotorious BIGのJuicyやCam'RonのOh Boyなど変わらず良かったものもいくつかありましたが。(メローや、景気良さそうなものは良かったです。逆に荒廃した感じに合いそうなものはそうでも無かったですね) 行ったことない場所を想像して、脳内であんなに補完して聴いてきた思い出の音楽よりも、爆音で通り過ぎる車から流れてくる誰か分からないTRAPの方が全然しっくりくるんですよ。俗っぽい方が合うというか。逆にもっと古いドゥーワップなんかのオールディーズはしっくりくるような感じがしました。
そんな常に刷新されているニューヨークに魅了されてしまいまして、今更なんですが定期的に行きたいなと思うようになってしまいました。あと、NY行ったこと、住んだことのある人たちが言っている、街であの音楽が流れていた、この音楽が流れていたみたいのを自分は全然感じなくて、知らない内にヒット曲を沢山聴いているみたいなところは無かったなと。一切聴かなかったラジオをたくさん聴いて街を徘徊すれば良かったなと、これを書きながら思った次第であります。
話戻りますが、ダラダラとブルックリンを散策しておりましたら、夕食の時間が近づいて来ましたので、初めてのアメリカでの夕食を取ることに。国民食でありますピザを3ドルで買いまして、コーラをお供にして路上で夕食タイムに。チーズしか乗っていないシンプルなのを注文したんですが、自分の食の好みに合っておりとても美味しかったですが、毎日これを食べず冒険しないといけないなと。
消火栓も家帰ってきて写真でよく見ると武骨でかっこいいな。コーラとピザに合います。
食べながらついでに明日の朝食はどうしようか...なんて考えてしまい大分面倒なので、ポートランドで食べたものをそのままスーパーマーケットに買いに行って、毎日食べれば良いかと考え、暗くなって怖くなるといけないので明るいうちに早々に引き上げ、ベーグルなんかを買いに家から徒歩3分のKEY FOODに行くことに。
クリームチーズをパンに付けて食べるなんて普段からしないもんですから、よく分からなかったんですが(ポートランドで覚えた)、英語が通じない(自分も通じないが)移民の総菜コーナーのおばちゃんに、何とか説明して売り場を教えてもらい、そのほかにもベーグルとジャムとヨーグルト、オレンジジュースを五日分ほど購入して帰宅。
毎日同じでも平気という食に異常なまでに保守的である事が、こういう時はプラスに働いてくれて良かったなぁと思いましたが、ちゃんと野菜取ることを意識して考えて行かないと、本当に昔教科書で読んだ壊血病になるんじゃないかと心配になり、その後は野菜をかなり意識して摂るように。
あと、アメリカに行ったら是非購入して帰りたいと思っていた、フォームのカップも普通に売っておりましたので、多すぎるなとは思いましたが20個(1セット)買って帰りました。
2019年海外旅行 ニューヨーク到着編
- 2019-09-20 /
- 食べ物・旅
たった4日間の比較的安全な土地への滞在だったとは言え、ぬるま湯につかっていたオッサンにはとんでもなく大冒険であった人生初のアメリカ滞在ですが、いよいよメインイベントでありますニューヨークへ移動する日に。夜の便に乗り朝到着というおよそ5時間程度のフライトですが、どうやらアメリカ国内は西端から東端までは3時間の時差があるということで到着は早朝との事。
初のアメリカにテンションが上がってしまい、調子に乗ってリサイクルショップで靴(8足くらい?)や金属製の文具、陶器まで、かなり無計画に買ったりしたので、荷物がやけに重くなってしまいました。とりあえず歩いて駅に向かったものの、道の悪さと重さと疲れで出て僅かな時間で嫌になってしまい、生まれて初めてUberを呼ぶことに。既に日本で登録が済んでおりましたので、相乗りで手配して数分後に迎えに来てもらえたんですが、実際には相乗りの相手は乗っておらず安い値段で自分しかいない状態で行けたのでラッキーでした。
空港に到着し早速荷物の預け入れを行ったところ、なんだか重いなと思ったら重量が55kgだったようで、担当してくれた黒人のスタッフに、下の名前で「○○これ大丈夫だと思ったんか?あと3kg減らしてくれ、何とかするから」みたいな感じの事言われて、下の名前で呼ばれたことにビックリしたのと、なんて優しい人なんだろうかとビックリしたのと。無理やり減らしてなんとか通ることが出来ました。ニューヨークに着いてからこの50㎏の荷物を持って宿まで向かうのに、地下鉄乗ったり階段を上がったり、置き引きから荷物を守ったりと色々あるでしょうし、これ持ってコペンハーゲンには行けないだろうからどこかから荷物を送らないとなぁとか考えると憂鬱な気分になります。
そして飛行機に乗る訳ですが、たまたま並んでいた時話したサンフランシスコからボストンにボート競技のため向かう19歳の青年が、これまたたまたま隣の席になり、向こうがこちらに興味を持ってくれた為、この旅初めてとなる長時間のコミュニケーションチャンスが訪れました。およそ5時間の飛行機内限定で、夜中のフライト且つ朝着ということもあり、向こうの睡眠を邪魔するわけにもいかないなと思っておりましたが、向こうも気にしてないようで色々コミュニケーションをとっていたら寝ない内に到着。
出会いと別れが恐ろしいスピードで過ぎ去って一睡もしないままニューヨークに到着してしまいましたが、荷物のあまりの重さと、日本を出る少し前にYoutubeで見たニューヨークでのトラブルの体験談により、バキバキに覚醒したままジャマイカ駅から地下鉄に乗ることに。
まず券売機で空港からの電車エアトレインに乗ってきた代金と、地下鉄とバスを1週間程度利用する為のメトロカードを購入しようとして、券売機と格闘しておりましたが、10分くらいやってもどうにも買えないため近くの職員に聞くと、横のキオスクでしか買えないからそこで買えと。券売機で買えるようにしとけや、と心の中で思うものの、改札を出た瞬間から置き引き、スリ、強盗への警戒からかすぐさま防御モードに切り替え。
そんな緊張からか、地下鉄の入り口では1回目のスキャンで通らず焦り、2回目で開くもトランクが通せずで結局中に入れず。いきなり窓口のお世話になり横のドアを開けてもらい無事地下鉄に乗りました。どうにかなるだろうと思いGoogle Mapの言いなりに乗ったもんですから、宿の人に教えてもらった行き方とは全く違うAのラインに乗って目指すことに。ほぼ日本の地下鉄と変わらないじゃないかと思うような綺麗で明るい車内に、心の余裕が生まれますが、コートスクエアで乗り換えたGのラインは、写真や映像で見たことのある銀色の狭いアノ地下鉄で、緊張のあまり固まってしまいましたが、斜め前のエアジョーダン6にビリビリのスリムジーンズでドレッドの若者に恐喝されないよう、慣れた雰囲気を出しでなるべく目が泳がないよう、旅行から帰ってきた風に振舞います。恐らく名古屋の下の町から来ている雰囲気ビンビンだったと思われます。
ニューヨークに限らず今回の旅のために、それぞれの街に合わせて乗り換えや時間が調べられるアプリを入れて行きましたが、実際にはGoogle Map一つで済んでしまいました。ただし今いる場所から目的地までかなり適当に使っていたため乗り間違いも多発し、ニューヨークでは大分大変な目に合うこともありました。
目的地でありますブルックリンのメトロポリタンの駅に着き徒歩で数分移動しましたが、案の定さほど遠くない宿までも、舗装状況と地下鉄&宿の階段で拷問かと思うような過酷な移動でした。飛行機降りてから宿までの情報量と乗り越えるイベントがあまりに多すぎてへとへとになりました。
今回ニューヨークの宿探しは、やはり他の地区と比べて治安が不安だったのと、金額が高額なのが引っ掛かったので、どこに宿泊すべきか取っ掛かりもなく困っていたのですが、一時期住んでいたDonsta君(@idonsta)のアドバイスを元に、現地で短期ルームシェアをしている人をブルックリン周辺で探して、綺麗なマンションの一室(共同トイレ&バス&キッチン)にそこそこ安い金額で入りました。元々私の住んでいるところ周辺出身の人で、本棚にはナニワ金融道とゴリラーマンという、近所の床屋の待合のような家から出られなくなりそうなラインナップでしたので、読まないよう心掛けました。大家さん以外には、昼過ぎに仕事に行き、夜帰ってきて朝までラップトップで音楽を作っている長期契約者の白人男性(中年)がおり、サウンドクラウドでもバンドキャンプでも良いからアカウントを教えて欲しいとお願いしましたが、シークレットプロジェクトだと即答で断られました。
これまでも金銭や時間など様々な都合から、もしかしたらニューヨークへは一生行けないかもしれないなと思っていましたが、こうして一番行きたかった頃を過ぎてようやく来れた事を嬉しく思いますが、無理してでももう少し早く来ていればなと後悔もしております。英語が話せないのに危険が多い場所に行くのが怖かったというのももちろんありましたので、いまだに若い頃に聞いていた治安が悪いという噂がそのまま頭に残っていて、大家さんに危ないところは無いかあまりにしつこく聞いたため、やや鬱陶しそうな感じでしたね。笑
大丈夫だと言われて、まずは近くのエリアを徒歩で巡るため外に出たら、いきなりミュージックビデオの中なんかでしか見たことのない、消火栓を開けて数人が楽しんでいるのを見かけて、本当にコレやっているんだなという感動と、本当にコレが許されているんだなという無法地帯ぶりに、やっぱり少し怖くなり気を付けないとなと思った次第であります。
初のアメリカにテンションが上がってしまい、調子に乗ってリサイクルショップで靴(8足くらい?)や金属製の文具、陶器まで、かなり無計画に買ったりしたので、荷物がやけに重くなってしまいました。とりあえず歩いて駅に向かったものの、道の悪さと重さと疲れで出て僅かな時間で嫌になってしまい、生まれて初めてUberを呼ぶことに。既に日本で登録が済んでおりましたので、相乗りで手配して数分後に迎えに来てもらえたんですが、実際には相乗りの相手は乗っておらず安い値段で自分しかいない状態で行けたのでラッキーでした。
空港に到着し早速荷物の預け入れを行ったところ、なんだか重いなと思ったら重量が55kgだったようで、担当してくれた黒人のスタッフに、下の名前で「○○これ大丈夫だと思ったんか?あと3kg減らしてくれ、何とかするから」みたいな感じの事言われて、下の名前で呼ばれたことにビックリしたのと、なんて優しい人なんだろうかとビックリしたのと。無理やり減らしてなんとか通ることが出来ました。ニューヨークに着いてからこの50㎏の荷物を持って宿まで向かうのに、地下鉄乗ったり階段を上がったり、置き引きから荷物を守ったりと色々あるでしょうし、これ持ってコペンハーゲンには行けないだろうからどこかから荷物を送らないとなぁとか考えると憂鬱な気分になります。
そして飛行機に乗る訳ですが、たまたま並んでいた時話したサンフランシスコからボストンにボート競技のため向かう19歳の青年が、これまたたまたま隣の席になり、向こうがこちらに興味を持ってくれた為、この旅初めてとなる長時間のコミュニケーションチャンスが訪れました。およそ5時間の飛行機内限定で、夜中のフライト且つ朝着ということもあり、向こうの睡眠を邪魔するわけにもいかないなと思っておりましたが、向こうも気にしてないようで色々コミュニケーションをとっていたら寝ない内に到着。
出会いと別れが恐ろしいスピードで過ぎ去って一睡もしないままニューヨークに到着してしまいましたが、荷物のあまりの重さと、日本を出る少し前にYoutubeで見たニューヨークでのトラブルの体験談により、バキバキに覚醒したままジャマイカ駅から地下鉄に乗ることに。
まず券売機で空港からの電車エアトレインに乗ってきた代金と、地下鉄とバスを1週間程度利用する為のメトロカードを購入しようとして、券売機と格闘しておりましたが、10分くらいやってもどうにも買えないため近くの職員に聞くと、横のキオスクでしか買えないからそこで買えと。券売機で買えるようにしとけや、と心の中で思うものの、改札を出た瞬間から置き引き、スリ、強盗への警戒からかすぐさま防御モードに切り替え。
そんな緊張からか、地下鉄の入り口では1回目のスキャンで通らず焦り、2回目で開くもトランクが通せずで結局中に入れず。いきなり窓口のお世話になり横のドアを開けてもらい無事地下鉄に乗りました。どうにかなるだろうと思いGoogle Mapの言いなりに乗ったもんですから、宿の人に教えてもらった行き方とは全く違うAのラインに乗って目指すことに。ほぼ日本の地下鉄と変わらないじゃないかと思うような綺麗で明るい車内に、心の余裕が生まれますが、コートスクエアで乗り換えたGのラインは、写真や映像で見たことのある銀色の狭いアノ地下鉄で、緊張のあまり固まってしまいましたが、斜め前のエアジョーダン6にビリビリのスリムジーンズでドレッドの若者に恐喝されないよう、慣れた雰囲気を出しでなるべく目が泳がないよう、旅行から帰ってきた風に振舞います。恐らく名古屋の下の町から来ている雰囲気ビンビンだったと思われます。
ニューヨークに限らず今回の旅のために、それぞれの街に合わせて乗り換えや時間が調べられるアプリを入れて行きましたが、実際にはGoogle Map一つで済んでしまいました。ただし今いる場所から目的地までかなり適当に使っていたため乗り間違いも多発し、ニューヨークでは大分大変な目に合うこともありました。
目的地でありますブルックリンのメトロポリタンの駅に着き徒歩で数分移動しましたが、案の定さほど遠くない宿までも、舗装状況と地下鉄&宿の階段で拷問かと思うような過酷な移動でした。飛行機降りてから宿までの情報量と乗り越えるイベントがあまりに多すぎてへとへとになりました。
今回ニューヨークの宿探しは、やはり他の地区と比べて治安が不安だったのと、金額が高額なのが引っ掛かったので、どこに宿泊すべきか取っ掛かりもなく困っていたのですが、一時期住んでいたDonsta君(@idonsta)のアドバイスを元に、現地で短期ルームシェアをしている人をブルックリン周辺で探して、綺麗なマンションの一室(共同トイレ&バス&キッチン)にそこそこ安い金額で入りました。元々私の住んでいるところ周辺出身の人で、本棚にはナニワ金融道とゴリラーマンという、近所の床屋の待合のような家から出られなくなりそうなラインナップでしたので、読まないよう心掛けました。大家さん以外には、昼過ぎに仕事に行き、夜帰ってきて朝までラップトップで音楽を作っている長期契約者の白人男性(中年)がおり、サウンドクラウドでもバンドキャンプでも良いからアカウントを教えて欲しいとお願いしましたが、シークレットプロジェクトだと即答で断られました。
これまでも金銭や時間など様々な都合から、もしかしたらニューヨークへは一生行けないかもしれないなと思っていましたが、こうして一番行きたかった頃を過ぎてようやく来れた事を嬉しく思いますが、無理してでももう少し早く来ていればなと後悔もしております。英語が話せないのに危険が多い場所に行くのが怖かったというのももちろんありましたので、いまだに若い頃に聞いていた治安が悪いという噂がそのまま頭に残っていて、大家さんに危ないところは無いかあまりにしつこく聞いたため、やや鬱陶しそうな感じでしたね。笑
大丈夫だと言われて、まずは近くのエリアを徒歩で巡るため外に出たら、いきなりミュージックビデオの中なんかでしか見たことのない、消火栓を開けて数人が楽しんでいるのを見かけて、本当にコレやっているんだなという感動と、本当にコレが許されているんだなという無法地帯ぶりに、やっぱり少し怖くなり気を付けないとなと思った次第であります。
2019年海外旅行 ポートランド編
- 2019-09-11 /
- 食べ物・旅
航空券、ホテルが決まり必要なものも購入し、準備万端で行く気も満々だったのですが、行く手前になると極度の不安からか、一体自分は何のためにこんな長期間に渡って沢山お金を使って海外に行くのだろうか?という疑問に頭が支配されそうになりますが、あんなところにもこんなところにも行くぞ!という過密なスケジュール組みで、それを打ち消すのを繰り返し、遂に出発の日に。
家族に見送ってもらい搭乗。デルタ航空を使いデトロイトを経由してポートランドに向かう機内では、Wi-Fiがメール用に使えて自身のiPadで映画が見れるのと、スターバックスのコーヒーが飲めるという事に驚きましたが、まあ結局どれもあまり利用することもなくといった感じでしたが。
前に座る太った白人中年の寝相が悪く、気になってしまい落ち着かなかったので、目を疲れさせて寝るため映画をいくつか見ましたが、中でもオレゴン州が舞台となった「グーニーズ」を小学生ぶりくらいに見て、チャンクとスロースが最後に抱き合うところで少しばかり泣いてしまい、広瀬すずのコギャルの映画見ていた隣のオッサンに気味悪がられました。
乗り換えで着いたデトロイトは外に出る時間がないものの、空港の黒人職員がこちら側に案内で話すの自体がすでにラップみたいだし、荷物検査では靴まで脱がされるし、アメリカに着いたのをビンビンに感じさせてくれます。iPadを出し忘れて止められた時は、別室に連れていかれて尻の穴まで検査されるんじゃないかと思うほどなんだかピリピリしていて緊張しましたが、無事に乗り継ぎ夜のポートランドへ。
滞在地:アメリカ オレゴン州 ポートランド
携帯電話:ソフトバンクをそのまま使用(アメリカ放題)
移動:BIKE TOWN(レンタル自転車)、電車・バスの一日券、Uber
宿泊:ホステル(8人部屋)
そもそもポートランドを選んだ理由に、西海岸に行ったことのある&仕事でよく行く友人数人にロサンゼルスはどうか聞いたところ、僕が行きたそうなところは車が無いとどこも行けないのでは?と言われたため、同じような西海岸の文化圏でなるべくコンパクトで交通の便が良いところを選んだ結果なんですが。
安全で暮らしやすいなんて書かれている場所とはいえ、はじめてのアメリカ到着が夜遅くて、しかも電車で移動ということで怖くて仕方ありませんが、そこは余裕を見せるため「静かなるドン」をスマホで読み平常心を取り戻す努力を。しかしながら携帯はひったくりが来ても離さないよう固く握りしめ、かばんも足で挟んでがっちりガードという完全に素人旅行者であります。
到着した駅から暗い道を歩くこと15分でホテルに辿り着いたわけですが、後日夕方ウロウロしていると普通にプッシャーとか角に立ってるようなところだったので今思えば怖かったなと。ホテルにチェックインしている時に併設のカフェを見ると近所のおじさん達が数人で楽器を演奏してセッションしている最中で中々良い雰囲気。
部屋の建物は古い洋館で独特の匂いがしますがまあ特に問題は無し。部屋を開けた瞬間、靴履いたまま寝ている誰か(メキシコ人の女の子だった)が目に飛び込んで来て度肝を抜かれましたが、誰にも興奮を伝えられないし、夜も遅いし、周りの事も考えライトも携帯の懐中電灯機能くらいしか使えないので、荷物だけロッカーに入れ南京錠をかけて、着いたそのままの状態で寝ることに。
翌朝明るい時に部屋を見れば、ボロいけど値段的には特に問題なく風呂トイレもまあ掃除もしてあるし良いかなと。どうにかなると思いホステルを選択しましたが、やはり英語が使えないとコミュニケーションが取れず、同室の宿泊者と仲良くなれないのはすぐに気付きましたし、最後までそれは変わらなかったです。
ホテルが用意してくれているベーグル一つとコーヒーの朝食を食べ、さっそく行動開始。前日の夜には気付きませんでしたが、バックトゥザフューチャーに出てくるような、ブランコが玄関先にあるアメリカ丸出しの住宅が目の前に現れ、いきなりアメリカを実感し興奮しましたが、15分もしないうちに慣れました。
まずは慣らしがてら、ホテルから100mほどのところにあるホームセンターで2時間くらい商品を眺めておりましたら、おおよそ10人くらい居る店員の全員から話しかけられ、こうした少しのコミュニケーションで防犯的なものをしているのだなと感心。目的が無いのにホームセンターをウロウロするのが信じられないと言った感じですが、「I'm From Japan. I Like Hardware Store.」でなんとか切り抜けた次第であります。
リサイクル店、ポートランドらしい店を混ぜこぜで回った感じですが、勝手に雑誌ポパイ的な洗練されて文化的なイメージを持って行ったものの、実際受けた印象はアメリカの田舎の都会(名古屋みたいなものか)を強く感じたのと、気候が過ごしやすいこと、人がフレンドリーなところなんかでしょうか。みんな個人が経営するコーヒーのロースティングもしている店でコーヒー飲んでるみたいな印象もなく、魔法瓶に入ったコーヒーをジョボジョボ継いでくれて2ドルみたいな感じです。
ナイキの本社がある他、なぜかアディダスの本社もあるこの町は、スニーカーがきれいな状態で中古で売られていることも多く、滞在中通っていたリサイクルショップのオジサンには「お前は毎日良いものを買っていくな」と言われますが、とても良いものとは思ってなさそうな日本ではあり得ない値付だったり、アメリカの多くの人たちは新品至上主義なんだろうなと思うようなところもチラホラ。
かと思えば、郊外のアメリカのビンテージ服を集めた店では、日本の古着屋に行った方が良いのではないかと思うほどの値段が付いており、どうりで気の利いた古着がゴミを売っているような店から出てこないわけだと納得しました。
ちなみに、ポートランド滞在時の移動手段のほとんどは、ナイキが運営するレンタル自転車サービス「BIKE TOWN」を結構使用しまして、ほんと降りては乗り降りては乗りの繰り返し。基本的に異常にタイトなスケジュールを立てたところもあり、電車とバスの一日券で大まかに動きながら、細かいところをBIKE TOWNで行き、極力移動時間を圧縮しました。他にも1ドルで解除して一分いくらで乗れる電動キックボードみたいなのもあり、そこら中でガラの悪い人が乗っていたり、道端に乗り捨ててあったりとよく見かけました。
飲酒も普段ほとんどしなくなったのと、一人で飲むのもなぁというのもあり、そういったナイトスポットには行きませんでしたが、せめてと思い土曜の夜にロッキーホラーショー(仮装あり、ツッコミあり)を観に行ってきましたが、地元の人々の熱演もありましたがあまりの疲労に半分以上寝てしまいました。
携帯でクレジットカード支払いができる仕組みを見て、本当にクレジットカード社会なんだと実感。
ポートランド名物ともいうべきZINEが、普通に図書館に置いてあるのは凄いなと。
様々な場所でどこから来たのかを結構な頻度で聞かれましたが、こちらが日本と答えても特にアクションがあるわけでもなく、あまり話が膨らまなかったです。みんな芸者、忍者、寿司とか言うかと思ったんですが、そんな人一人もいませんでした。そんな中、たまたまこの服を着て行った無印良品ポートランド店にて、男性店員に「お前のTシャツ最高だから写真撮らしてくれよ!」と言われましたが、そこがピークでそれっきりどの国に行っても無反応でした。とりあえず全体通してこの1いいねのみでしたね。笑
家族に見送ってもらい搭乗。デルタ航空を使いデトロイトを経由してポートランドに向かう機内では、Wi-Fiがメール用に使えて自身のiPadで映画が見れるのと、スターバックスのコーヒーが飲めるという事に驚きましたが、まあ結局どれもあまり利用することもなくといった感じでしたが。
前に座る太った白人中年の寝相が悪く、気になってしまい落ち着かなかったので、目を疲れさせて寝るため映画をいくつか見ましたが、中でもオレゴン州が舞台となった「グーニーズ」を小学生ぶりくらいに見て、チャンクとスロースが最後に抱き合うところで少しばかり泣いてしまい、広瀬すずのコギャルの映画見ていた隣のオッサンに気味悪がられました。
乗り換えで着いたデトロイトは外に出る時間がないものの、空港の黒人職員がこちら側に案内で話すの自体がすでにラップみたいだし、荷物検査では靴まで脱がされるし、アメリカに着いたのをビンビンに感じさせてくれます。iPadを出し忘れて止められた時は、別室に連れていかれて尻の穴まで検査されるんじゃないかと思うほどなんだかピリピリしていて緊張しましたが、無事に乗り継ぎ夜のポートランドへ。
滞在地:アメリカ オレゴン州 ポートランド
携帯電話:ソフトバンクをそのまま使用(アメリカ放題)
移動:BIKE TOWN(レンタル自転車)、電車・バスの一日券、Uber
宿泊:ホステル(8人部屋)
そもそもポートランドを選んだ理由に、西海岸に行ったことのある&仕事でよく行く友人数人にロサンゼルスはどうか聞いたところ、僕が行きたそうなところは車が無いとどこも行けないのでは?と言われたため、同じような西海岸の文化圏でなるべくコンパクトで交通の便が良いところを選んだ結果なんですが。
安全で暮らしやすいなんて書かれている場所とはいえ、はじめてのアメリカ到着が夜遅くて、しかも電車で移動ということで怖くて仕方ありませんが、そこは余裕を見せるため「静かなるドン」をスマホで読み平常心を取り戻す努力を。しかしながら携帯はひったくりが来ても離さないよう固く握りしめ、かばんも足で挟んでがっちりガードという完全に素人旅行者であります。
到着した駅から暗い道を歩くこと15分でホテルに辿り着いたわけですが、後日夕方ウロウロしていると普通にプッシャーとか角に立ってるようなところだったので今思えば怖かったなと。ホテルにチェックインしている時に併設のカフェを見ると近所のおじさん達が数人で楽器を演奏してセッションしている最中で中々良い雰囲気。
部屋の建物は古い洋館で独特の匂いがしますがまあ特に問題は無し。部屋を開けた瞬間、靴履いたまま寝ている誰か(メキシコ人の女の子だった)が目に飛び込んで来て度肝を抜かれましたが、誰にも興奮を伝えられないし、夜も遅いし、周りの事も考えライトも携帯の懐中電灯機能くらいしか使えないので、荷物だけロッカーに入れ南京錠をかけて、着いたそのままの状態で寝ることに。
翌朝明るい時に部屋を見れば、ボロいけど値段的には特に問題なく風呂トイレもまあ掃除もしてあるし良いかなと。どうにかなると思いホステルを選択しましたが、やはり英語が使えないとコミュニケーションが取れず、同室の宿泊者と仲良くなれないのはすぐに気付きましたし、最後までそれは変わらなかったです。
ホテルが用意してくれているベーグル一つとコーヒーの朝食を食べ、さっそく行動開始。前日の夜には気付きませんでしたが、バックトゥザフューチャーに出てくるような、ブランコが玄関先にあるアメリカ丸出しの住宅が目の前に現れ、いきなりアメリカを実感し興奮しましたが、15分もしないうちに慣れました。
まずは慣らしがてら、ホテルから100mほどのところにあるホームセンターで2時間くらい商品を眺めておりましたら、おおよそ10人くらい居る店員の全員から話しかけられ、こうした少しのコミュニケーションで防犯的なものをしているのだなと感心。目的が無いのにホームセンターをウロウロするのが信じられないと言った感じですが、「I'm From Japan. I Like Hardware Store.」でなんとか切り抜けた次第であります。
リサイクル店、ポートランドらしい店を混ぜこぜで回った感じですが、勝手に雑誌ポパイ的な洗練されて文化的なイメージを持って行ったものの、実際受けた印象はアメリカの田舎の都会(名古屋みたいなものか)を強く感じたのと、気候が過ごしやすいこと、人がフレンドリーなところなんかでしょうか。みんな個人が経営するコーヒーのロースティングもしている店でコーヒー飲んでるみたいな印象もなく、魔法瓶に入ったコーヒーをジョボジョボ継いでくれて2ドルみたいな感じです。
ナイキの本社がある他、なぜかアディダスの本社もあるこの町は、スニーカーがきれいな状態で中古で売られていることも多く、滞在中通っていたリサイクルショップのオジサンには「お前は毎日良いものを買っていくな」と言われますが、とても良いものとは思ってなさそうな日本ではあり得ない値付だったり、アメリカの多くの人たちは新品至上主義なんだろうなと思うようなところもチラホラ。
かと思えば、郊外のアメリカのビンテージ服を集めた店では、日本の古着屋に行った方が良いのではないかと思うほどの値段が付いており、どうりで気の利いた古着がゴミを売っているような店から出てこないわけだと納得しました。
ちなみに、ポートランド滞在時の移動手段のほとんどは、ナイキが運営するレンタル自転車サービス「BIKE TOWN」を結構使用しまして、ほんと降りては乗り降りては乗りの繰り返し。基本的に異常にタイトなスケジュールを立てたところもあり、電車とバスの一日券で大まかに動きながら、細かいところをBIKE TOWNで行き、極力移動時間を圧縮しました。他にも1ドルで解除して一分いくらで乗れる電動キックボードみたいなのもあり、そこら中でガラの悪い人が乗っていたり、道端に乗り捨ててあったりとよく見かけました。
飲酒も普段ほとんどしなくなったのと、一人で飲むのもなぁというのもあり、そういったナイトスポットには行きませんでしたが、せめてと思い土曜の夜にロッキーホラーショー(仮装あり、ツッコミあり)を観に行ってきましたが、地元の人々の熱演もありましたがあまりの疲労に半分以上寝てしまいました。
携帯でクレジットカード支払いができる仕組みを見て、本当にクレジットカード社会なんだと実感。
ポートランド名物ともいうべきZINEが、普通に図書館に置いてあるのは凄いなと。
様々な場所でどこから来たのかを結構な頻度で聞かれましたが、こちらが日本と答えても特にアクションがあるわけでもなく、あまり話が膨らまなかったです。みんな芸者、忍者、寿司とか言うかと思ったんですが、そんな人一人もいませんでした。そんな中、たまたまこの服を着て行った無印良品ポートランド店にて、男性店員に「お前のTシャツ最高だから写真撮らしてくれよ!」と言われましたが、そこがピークでそれっきりどの国に行っても無反応でした。とりあえず全体通してこの1いいねのみでしたね。笑
カニエ・ウェスト論 《My Beautiful Dark Twisted Fantasy》から読み解く奇才の肖像
- 2019-09-05 /
- 映画・マンガ・本
初めて「Through The Wire」を聴いた時のことは今でも鮮明に覚えておりますが、ズバリ嫌だなーこの感じというのが感想でした。チャカ・カーンの早回しが異常に小賢しく感じ、もっと良いサンプリングベースのヒップホップは沢山あるのにと。
アルバムはまあまあとは思っておりましたが(生意気言ってすいません)、本当の意味でガツンとやられたのは「Gold Digger」の時でした。この時期の私は人生で一番スカスカの音楽を聴いていた時代で、そんな時期とリンクするシンプルな楽曲だったのと、スパイクリーの映画「インサイドマン」でも、人質の銀行員が持っている携帯の着信音になっていたりして、そういうところでも好きだったんですよね。
そもそも何で自分もこんなに目が離せなくなったのかなと考えてみますと、テイラースウィフトの受賞に乱入したところから「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」を出したあたりの、やっぱりおかしいのかなというのと、常に新しい雰囲気を出せる天才かもしれないなということを感じたからでしょうか。今でもゴシップまるけになりながらも、発売する度に我々の設定した低くないハードルを越えてくるという繰り返しで、遂には宗教を立ち上げるというところまで来ましたが、一体どうなって行くんでしょうか。大きい事件とか起こさないと良いんですが。
今回読みましたこちらの本も、現在の流れの大きな転換点になった「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」を読み解き、セルフボースティングの鉄人カニエ・ウエストをアートやファッションなど幅広い括りを交えて知ることが出来る読み物となっております。この作品と繋がってくる前後のアルバムや映像作品なども解説しつつといった感じで満足の内容です。
まだ一回しか読んでないので、ちょっと難しくて何言っているか分からないところなんかもありますが、序盤に出てくる、
「My Beautiful Dark Twisted Fantasyはカニエ・ウエストを凝縮したものであり、カニエ・ウエストとは、ある意味、まだはじまったばかりのデジタル時代の凝縮である」、「My Beautiful Dark Twisted Fantasyはアメリカのマキシマリズム(ミニマリズムの対義語、詰め込み主義)の第一級の証言者」、「カニエ・ウエストとはSNSとヒップホップのあいだにできた子ども:ルー・リード」
なんていう突き刺さる表現が時折出てきてやられてしまいました。音楽を聴きながらもう少し突っ込んで読んでみたいなと。
また、今回翻訳を担当した長年カニエをウォッチする池城美菜子さんによる文章もあり、決して量が多いわけでないですが読み応えがかなりありとても面白い観察の記録となっております。そしてカニエのやらかした歴史がザっと把握できる2019年途中までの年表もついておりますので、皆様是非今一度アルバムを1stから振り返りながら眺めて酒でも飲んでいただけましたらと。
カニエ・ウェスト論 《My Beautiful Dark Twisted Fantasy》から読み解く奇才の肖像
カーク・ウォーカー・グレイヴス (著), 池城美菜子 (翻訳)
目次
第1部 ポップ界のキリスト イーザス7つの美徳
第2部 早熟の巨匠あるいはモンスターの肖像
第3部 現代一のナルシシスト
第4部 不穏な5枚の絵
第5部 贖罪のアート
第6部 大学(ユニバーシティ)という宇宙(ユニバース)――《The College Dropout》
第7部《808s & Heartbreak》についての短い考察
My Beautiful Dark Twisted Fantasy
Dark Fantasy――高みを目指す男の暗いファンタジー
Gorgeous――自信こそセクシーの源
POWER――デジタル時代のオジマンディアス
All of the Lights――前科者もマイケルも光からは逃げられない
Monster――4つ首のラップ・モンスター
So Appalled――トップ40ヒップホップを揶揄したポッセカット
Devil in a New Dress――マジックアワーに包まれた、悪魔との戯れ
Runaway――許しを請う音のバレエ
Hell of a Life――AV女優と結婚してみたら
Blame Game――分裂していく罵り合いゲーム
Lost in the World――作品全体のDNAを内包する祈り
The Yeezus Singularity――「ただ愛されたい」カニエ・ウェスト教のマニフェスト
解説――カニエ・ウォッチャーが見た奇才の素顔
付録――カニエ・ウェスト年表
アルバムはまあまあとは思っておりましたが(生意気言ってすいません)、本当の意味でガツンとやられたのは「Gold Digger」の時でした。この時期の私は人生で一番スカスカの音楽を聴いていた時代で、そんな時期とリンクするシンプルな楽曲だったのと、スパイクリーの映画「インサイドマン」でも、人質の銀行員が持っている携帯の着信音になっていたりして、そういうところでも好きだったんですよね。
そもそも何で自分もこんなに目が離せなくなったのかなと考えてみますと、テイラースウィフトの受賞に乱入したところから「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」を出したあたりの、やっぱりおかしいのかなというのと、常に新しい雰囲気を出せる天才かもしれないなということを感じたからでしょうか。今でもゴシップまるけになりながらも、発売する度に我々の設定した低くないハードルを越えてくるという繰り返しで、遂には宗教を立ち上げるというところまで来ましたが、一体どうなって行くんでしょうか。大きい事件とか起こさないと良いんですが。
今回読みましたこちらの本も、現在の流れの大きな転換点になった「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」を読み解き、セルフボースティングの鉄人カニエ・ウエストをアートやファッションなど幅広い括りを交えて知ることが出来る読み物となっております。この作品と繋がってくる前後のアルバムや映像作品なども解説しつつといった感じで満足の内容です。
まだ一回しか読んでないので、ちょっと難しくて何言っているか分からないところなんかもありますが、序盤に出てくる、
「My Beautiful Dark Twisted Fantasyはカニエ・ウエストを凝縮したものであり、カニエ・ウエストとは、ある意味、まだはじまったばかりのデジタル時代の凝縮である」、「My Beautiful Dark Twisted Fantasyはアメリカのマキシマリズム(ミニマリズムの対義語、詰め込み主義)の第一級の証言者」、「カニエ・ウエストとはSNSとヒップホップのあいだにできた子ども:ルー・リード」
なんていう突き刺さる表現が時折出てきてやられてしまいました。音楽を聴きながらもう少し突っ込んで読んでみたいなと。
また、今回翻訳を担当した長年カニエをウォッチする池城美菜子さんによる文章もあり、決して量が多いわけでないですが読み応えがかなりありとても面白い観察の記録となっております。そしてカニエのやらかした歴史がザっと把握できる2019年途中までの年表もついておりますので、皆様是非今一度アルバムを1stから振り返りながら眺めて酒でも飲んでいただけましたらと。
カニエ・ウェスト論 《My Beautiful Dark Twisted Fantasy》から読み解く奇才の肖像
カーク・ウォーカー・グレイヴス (著), 池城美菜子 (翻訳)
目次
第1部 ポップ界のキリスト イーザス7つの美徳
第2部 早熟の巨匠あるいはモンスターの肖像
第3部 現代一のナルシシスト
第4部 不穏な5枚の絵
第5部 贖罪のアート
第6部 大学(ユニバーシティ)という宇宙(ユニバース)――《The College Dropout》
第7部《808s & Heartbreak》についての短い考察
My Beautiful Dark Twisted Fantasy
Dark Fantasy――高みを目指す男の暗いファンタジー
Gorgeous――自信こそセクシーの源
POWER――デジタル時代のオジマンディアス
All of the Lights――前科者もマイケルも光からは逃げられない
Monster――4つ首のラップ・モンスター
So Appalled――トップ40ヒップホップを揶揄したポッセカット
Devil in a New Dress――マジックアワーに包まれた、悪魔との戯れ
Runaway――許しを請う音のバレエ
Hell of a Life――AV女優と結婚してみたら
Blame Game――分裂していく罵り合いゲーム
Lost in the World――作品全体のDNAを内包する祈り
The Yeezus Singularity――「ただ愛されたい」カニエ・ウェスト教のマニフェスト
解説――カニエ・ウォッチャーが見た奇才の素顔
付録――カニエ・ウェスト年表
- THEME : HIPHOP,R&B,REGGAE
- GENRE : 音楽