2019年海外旅行 ニューヨーク到着編
- 2019-09-20 /
- 食べ物・旅
たった4日間の比較的安全な土地への滞在だったとは言え、ぬるま湯につかっていたオッサンにはとんでもなく大冒険であった人生初のアメリカ滞在ですが、いよいよメインイベントでありますニューヨークへ移動する日に。夜の便に乗り朝到着というおよそ5時間程度のフライトですが、どうやらアメリカ国内は西端から東端までは3時間の時差があるということで到着は早朝との事。
初のアメリカにテンションが上がってしまい、調子に乗ってリサイクルショップで靴(8足くらい?)や金属製の文具、陶器まで、かなり無計画に買ったりしたので、荷物がやけに重くなってしまいました。とりあえず歩いて駅に向かったものの、道の悪さと重さと疲れで出て僅かな時間で嫌になってしまい、生まれて初めてUberを呼ぶことに。既に日本で登録が済んでおりましたので、相乗りで手配して数分後に迎えに来てもらえたんですが、実際には相乗りの相手は乗っておらず安い値段で自分しかいない状態で行けたのでラッキーでした。
空港に到着し早速荷物の預け入れを行ったところ、なんだか重いなと思ったら重量が55kgだったようで、担当してくれた黒人のスタッフに、下の名前で「○○これ大丈夫だと思ったんか?あと3kg減らしてくれ、何とかするから」みたいな感じの事言われて、下の名前で呼ばれたことにビックリしたのと、なんて優しい人なんだろうかとビックリしたのと。無理やり減らしてなんとか通ることが出来ました。ニューヨークに着いてからこの50㎏の荷物を持って宿まで向かうのに、地下鉄乗ったり階段を上がったり、置き引きから荷物を守ったりと色々あるでしょうし、これ持ってコペンハーゲンには行けないだろうからどこかから荷物を送らないとなぁとか考えると憂鬱な気分になります。
そして飛行機に乗る訳ですが、たまたま並んでいた時話したサンフランシスコからボストンにボート競技のため向かう19歳の青年が、これまたたまたま隣の席になり、向こうがこちらに興味を持ってくれた為、この旅初めてとなる長時間のコミュニケーションチャンスが訪れました。およそ5時間の飛行機内限定で、夜中のフライト且つ朝着ということもあり、向こうの睡眠を邪魔するわけにもいかないなと思っておりましたが、向こうも気にしてないようで色々コミュニケーションをとっていたら寝ない内に到着。
出会いと別れが恐ろしいスピードで過ぎ去って一睡もしないままニューヨークに到着してしまいましたが、荷物のあまりの重さと、日本を出る少し前にYoutubeで見たニューヨークでのトラブルの体験談により、バキバキに覚醒したままジャマイカ駅から地下鉄に乗ることに。
まず券売機で空港からの電車エアトレインに乗ってきた代金と、地下鉄とバスを1週間程度利用する為のメトロカードを購入しようとして、券売機と格闘しておりましたが、10分くらいやってもどうにも買えないため近くの職員に聞くと、横のキオスクでしか買えないからそこで買えと。券売機で買えるようにしとけや、と心の中で思うものの、改札を出た瞬間から置き引き、スリ、強盗への警戒からかすぐさま防御モードに切り替え。
そんな緊張からか、地下鉄の入り口では1回目のスキャンで通らず焦り、2回目で開くもトランクが通せずで結局中に入れず。いきなり窓口のお世話になり横のドアを開けてもらい無事地下鉄に乗りました。どうにかなるだろうと思いGoogle Mapの言いなりに乗ったもんですから、宿の人に教えてもらった行き方とは全く違うAのラインに乗って目指すことに。ほぼ日本の地下鉄と変わらないじゃないかと思うような綺麗で明るい車内に、心の余裕が生まれますが、コートスクエアで乗り換えたGのラインは、写真や映像で見たことのある銀色の狭いアノ地下鉄で、緊張のあまり固まってしまいましたが、斜め前のエアジョーダン6にビリビリのスリムジーンズでドレッドの若者に恐喝されないよう、慣れた雰囲気を出しでなるべく目が泳がないよう、旅行から帰ってきた風に振舞います。恐らく名古屋の下の町から来ている雰囲気ビンビンだったと思われます。
ニューヨークに限らず今回の旅のために、それぞれの街に合わせて乗り換えや時間が調べられるアプリを入れて行きましたが、実際にはGoogle Map一つで済んでしまいました。ただし今いる場所から目的地までかなり適当に使っていたため乗り間違いも多発し、ニューヨークでは大分大変な目に合うこともありました。
目的地でありますブルックリンのメトロポリタンの駅に着き徒歩で数分移動しましたが、案の定さほど遠くない宿までも、舗装状況と地下鉄&宿の階段で拷問かと思うような過酷な移動でした。飛行機降りてから宿までの情報量と乗り越えるイベントがあまりに多すぎてへとへとになりました。
今回ニューヨークの宿探しは、やはり他の地区と比べて治安が不安だったのと、金額が高額なのが引っ掛かったので、どこに宿泊すべきか取っ掛かりもなく困っていたのですが、一時期住んでいたDonsta君(@idonsta)のアドバイスを元に、現地で短期ルームシェアをしている人をブルックリン周辺で探して、綺麗なマンションの一室(共同トイレ&バス&キッチン)にそこそこ安い金額で入りました。元々私の住んでいるところ周辺出身の人で、本棚にはナニワ金融道とゴリラーマンという、近所の床屋の待合のような家から出られなくなりそうなラインナップでしたので、読まないよう心掛けました。大家さん以外には、昼過ぎに仕事に行き、夜帰ってきて朝までラップトップで音楽を作っている長期契約者の白人男性(中年)がおり、サウンドクラウドでもバンドキャンプでも良いからアカウントを教えて欲しいとお願いしましたが、シークレットプロジェクトだと即答で断られました。
これまでも金銭や時間など様々な都合から、もしかしたらニューヨークへは一生行けないかもしれないなと思っていましたが、こうして一番行きたかった頃を過ぎてようやく来れた事を嬉しく思いますが、無理してでももう少し早く来ていればなと後悔もしております。英語が話せないのに危険が多い場所に行くのが怖かったというのももちろんありましたので、いまだに若い頃に聞いていた治安が悪いという噂がそのまま頭に残っていて、大家さんに危ないところは無いかあまりにしつこく聞いたため、やや鬱陶しそうな感じでしたね。笑
大丈夫だと言われて、まずは近くのエリアを徒歩で巡るため外に出たら、いきなりミュージックビデオの中なんかでしか見たことのない、消火栓を開けて数人が楽しんでいるのを見かけて、本当にコレやっているんだなという感動と、本当にコレが許されているんだなという無法地帯ぶりに、やっぱり少し怖くなり気を付けないとなと思った次第であります。
初のアメリカにテンションが上がってしまい、調子に乗ってリサイクルショップで靴(8足くらい?)や金属製の文具、陶器まで、かなり無計画に買ったりしたので、荷物がやけに重くなってしまいました。とりあえず歩いて駅に向かったものの、道の悪さと重さと疲れで出て僅かな時間で嫌になってしまい、生まれて初めてUberを呼ぶことに。既に日本で登録が済んでおりましたので、相乗りで手配して数分後に迎えに来てもらえたんですが、実際には相乗りの相手は乗っておらず安い値段で自分しかいない状態で行けたのでラッキーでした。
空港に到着し早速荷物の預け入れを行ったところ、なんだか重いなと思ったら重量が55kgだったようで、担当してくれた黒人のスタッフに、下の名前で「○○これ大丈夫だと思ったんか?あと3kg減らしてくれ、何とかするから」みたいな感じの事言われて、下の名前で呼ばれたことにビックリしたのと、なんて優しい人なんだろうかとビックリしたのと。無理やり減らしてなんとか通ることが出来ました。ニューヨークに着いてからこの50㎏の荷物を持って宿まで向かうのに、地下鉄乗ったり階段を上がったり、置き引きから荷物を守ったりと色々あるでしょうし、これ持ってコペンハーゲンには行けないだろうからどこかから荷物を送らないとなぁとか考えると憂鬱な気分になります。
そして飛行機に乗る訳ですが、たまたま並んでいた時話したサンフランシスコからボストンにボート競技のため向かう19歳の青年が、これまたたまたま隣の席になり、向こうがこちらに興味を持ってくれた為、この旅初めてとなる長時間のコミュニケーションチャンスが訪れました。およそ5時間の飛行機内限定で、夜中のフライト且つ朝着ということもあり、向こうの睡眠を邪魔するわけにもいかないなと思っておりましたが、向こうも気にしてないようで色々コミュニケーションをとっていたら寝ない内に到着。
出会いと別れが恐ろしいスピードで過ぎ去って一睡もしないままニューヨークに到着してしまいましたが、荷物のあまりの重さと、日本を出る少し前にYoutubeで見たニューヨークでのトラブルの体験談により、バキバキに覚醒したままジャマイカ駅から地下鉄に乗ることに。
まず券売機で空港からの電車エアトレインに乗ってきた代金と、地下鉄とバスを1週間程度利用する為のメトロカードを購入しようとして、券売機と格闘しておりましたが、10分くらいやってもどうにも買えないため近くの職員に聞くと、横のキオスクでしか買えないからそこで買えと。券売機で買えるようにしとけや、と心の中で思うものの、改札を出た瞬間から置き引き、スリ、強盗への警戒からかすぐさま防御モードに切り替え。
そんな緊張からか、地下鉄の入り口では1回目のスキャンで通らず焦り、2回目で開くもトランクが通せずで結局中に入れず。いきなり窓口のお世話になり横のドアを開けてもらい無事地下鉄に乗りました。どうにかなるだろうと思いGoogle Mapの言いなりに乗ったもんですから、宿の人に教えてもらった行き方とは全く違うAのラインに乗って目指すことに。ほぼ日本の地下鉄と変わらないじゃないかと思うような綺麗で明るい車内に、心の余裕が生まれますが、コートスクエアで乗り換えたGのラインは、写真や映像で見たことのある銀色の狭いアノ地下鉄で、緊張のあまり固まってしまいましたが、斜め前のエアジョーダン6にビリビリのスリムジーンズでドレッドの若者に恐喝されないよう、慣れた雰囲気を出しでなるべく目が泳がないよう、旅行から帰ってきた風に振舞います。恐らく名古屋の下の町から来ている雰囲気ビンビンだったと思われます。
ニューヨークに限らず今回の旅のために、それぞれの街に合わせて乗り換えや時間が調べられるアプリを入れて行きましたが、実際にはGoogle Map一つで済んでしまいました。ただし今いる場所から目的地までかなり適当に使っていたため乗り間違いも多発し、ニューヨークでは大分大変な目に合うこともありました。
目的地でありますブルックリンのメトロポリタンの駅に着き徒歩で数分移動しましたが、案の定さほど遠くない宿までも、舗装状況と地下鉄&宿の階段で拷問かと思うような過酷な移動でした。飛行機降りてから宿までの情報量と乗り越えるイベントがあまりに多すぎてへとへとになりました。
今回ニューヨークの宿探しは、やはり他の地区と比べて治安が不安だったのと、金額が高額なのが引っ掛かったので、どこに宿泊すべきか取っ掛かりもなく困っていたのですが、一時期住んでいたDonsta君(@idonsta)のアドバイスを元に、現地で短期ルームシェアをしている人をブルックリン周辺で探して、綺麗なマンションの一室(共同トイレ&バス&キッチン)にそこそこ安い金額で入りました。元々私の住んでいるところ周辺出身の人で、本棚にはナニワ金融道とゴリラーマンという、近所の床屋の待合のような家から出られなくなりそうなラインナップでしたので、読まないよう心掛けました。大家さん以外には、昼過ぎに仕事に行き、夜帰ってきて朝までラップトップで音楽を作っている長期契約者の白人男性(中年)がおり、サウンドクラウドでもバンドキャンプでも良いからアカウントを教えて欲しいとお願いしましたが、シークレットプロジェクトだと即答で断られました。
これまでも金銭や時間など様々な都合から、もしかしたらニューヨークへは一生行けないかもしれないなと思っていましたが、こうして一番行きたかった頃を過ぎてようやく来れた事を嬉しく思いますが、無理してでももう少し早く来ていればなと後悔もしております。英語が話せないのに危険が多い場所に行くのが怖かったというのももちろんありましたので、いまだに若い頃に聞いていた治安が悪いという噂がそのまま頭に残っていて、大家さんに危ないところは無いかあまりにしつこく聞いたため、やや鬱陶しそうな感じでしたね。笑
大丈夫だと言われて、まずは近くのエリアを徒歩で巡るため外に出たら、いきなりミュージックビデオの中なんかでしか見たことのない、消火栓を開けて数人が楽しんでいるのを見かけて、本当にコレやっているんだなという感動と、本当にコレが許されているんだなという無法地帯ぶりに、やっぱり少し怖くなり気を付けないとなと思った次第であります。