憲法と安全保障
昨年来、話題になった新しい安全保障関連法が、2016年(平成28年)3月29日午前0時から施行されている。
昨日、NHKの世論調査の結果が報道されていたが、一時憲法改正が必要という意見が優勢だったが、このところ不要という意見が逆転して優勢になっていて、最新の結果では、憲法改正必要が27%、必要ないが31%。
今日の朝日新聞では同社調査で、必要が37%、不要が55%という。
おそらく、これは安全保障関連法の影響だろう。
議論が進むと、反対意見、憲法擁護論が強くなるというのは、国の安保政策の説明が不十分ということかもしれない。
法施行時には、賛否の意見がいろんな報道番組で紹介されていたことも記憶に新しい。
そして思った、やっぱりこの国は論理的思考は苦手なんじゃないかと。
賛成意見は、国際情勢が緊迫しているから、新しい安保法制は適当あるいはしかたがないというもので、今回のNHKの世論調査でも改憲論の理由のトップとなっている。
反対意見は、平和憲法を守るべき、戦争に巻き込まれる国になりたくないというもの。
私は安保法制については賛否の判断を保留するけれど、議論の建て方が稚拙だということだけは言っておきたい。
○集団的自衛権は主権国家には認められた権利
こんなことをわざわざ言う感覚は不思議。戦争をする権利だって主権国家にはある。我が国は、自身の選択で、といって悪ければ憲法により、戦争を放棄したのだ。他の国に認められていても、自らその権利を放棄したのである。これが集団的自衛権の根拠になると考えているなら、論理的とはいえない。これは「論点先取の虚偽」にあたる。
○アメリカに押し付けられた憲法
そうかもしれない。しかし本音がどこにあったかは別として、戦争放棄を憲法に謳うことが戦後復興、国際社会への復帰への諸外国の理解と協力をひきだすのに有利だったはずで、押し付け憲法というのも実は怪しい(「戦争放棄」の明文化は日本側の希望という説もある)。むしろアメリカはその後、戦争放棄憲法があるために、日本を同盟国として自由に使うことができなくなるという読み違いをしたほうが当たっているのではないか(ならばアメリカに押し付けられた改憲という言い方もできるだろう)。
ただ、戦後復興・国際社会への復帰という目的は達したから改憲するというのなら筋は通っていると思う。
○米国の後方支援
後方支援はれっきとした戦争行為だろう。
以前、湾岸戦争で日本が艦船への給油活動をしたとき、戦闘艦には給油しないと言ってたが、そんな理屈が敵国に通るはずはない。他艦船に給油すれば、その分、友軍は戦闘艦への給油に回せるわけだから。
どうも安全保障法制の議論では、どんなことができるか(How)の議論が目立つ。しかし、後方支援がれっきとした戦争行為なら、どんなときに後方支援ができるのかという議論を抜きにしてはいけないだろう。後方だからいいんだということにはならない。
米国が戦争していれば後方支援するというのは無責任である。米国がどんな戦争をしているときに後方支援をするのかが明らかにされていなければならない。
○邦人保護
もちろん外地における邦人保護は現地政府の役割だけれど、邦人保護が必要になるのは、現地が戦争状態で、頼みになる政府が存在しないような状態だろうから、効果的に作戦を遂行するためには、大戦力の一気投入が必要な場合もあるだろう。そのためにも兵力限定以上に期間限定が重要だろう。
その次に来るのは邦人保護ではなく、平和維持活動ということになるだろうけれど、邦人保護→国益保全→兵力の居座りの歴史を繰り返さない歯止めはどう考えているのだろう。
○核武装
戦争する国だったら核武装も考えなければならないという意見がある。この意見を聴くと、何のために戦うのか(What)ということと、どういう手段で戦うか(How)という異なるレベルの議論が混ざっていることが自覚されていないと思う。ただし、いかなる国際情勢(たとえば、アメリカと戦ったり、中国と戦ったりするような情勢)にあってもパワーを発揮することを目的とするならば、つまり無方向性の絶対的パワーを持つこと自体が目的なら、核武装の必要性の論拠にはなるだろう。
必要な戦争はやるんだというなら、中国と戦うとき、米国と戦うとき、どんな戦略・戦術があるのか、勝ち目はどうやったら見えてくるのか、そこを教えてもらいたいものだ(もちろん戦争が避けられないことの説明も必要だが)。
「侵略戦争」を起こしたとか、同盟国としてそれに協力したと言われたあげく、戦争に敗けちゃ、前の戦争と同じになってしまう。
国土が蹂躙されるなら話は別だけど、敗ける戦はしちゃだめでしょう。