大日本史

以前、珍之助さまのブログに、吉野の吉水神社にある水戸光圀の書状の写真が掲載されていた

その記事では「弁慶の籠手」とか「静御前の鎧(あぶみ)」とかも紹介されていて、ホンマかいなというものだった。私はその光圀書状の花押をネットで調べて、たしかに光圀のものに似ているという趣旨のコメントを投稿している。

珍之助さまも「アヤシイ」と書いておられたが、ところがどっこい、先日、NHKの「知恵泉」を見ていたら、その書状が紹介されていた。(なので、珍之助さまの記事に「ホンモノらしい」というコメントを追加しておいた。)

放送は2016.4.5で「水戸黄門・人生のプロ(前)ライフワークを続ける知恵」というテーマ。

光圀が「大日本史」編纂事業をはじめたとき、資料がない、集まらないという問題に直面し、助さんなどを全国に遣わして資料収集にあたらせた。それに協力してくれたところには、光圀が礼状とお礼の品物を届けていたという。
また、傷んだ資料を見せてくれた領民には、その資料を金箔押しの表装をして大事にするように返したという話も紹介されていた。

光圀といえば、綱吉に犬の毛皮を送り付けたというような豪傑で居丈高な感じとか、あるいは、日本で最初にラーメンを食べたとかで、わがままな趣味人というイメージがあった。
また、黄門さまといえば、越後のちりめん問屋に身をやつし、できの悪い役人を懲らしめるというパターンで喝采を浴びているわけで、後の世にも黄門気取りのデキの悪い政治家がマネして困る人物。
だけど、どちらとも違って、そういう下品な人物ではなく、公家にも領民にも腰を低くして、ゆきとどいた心遣いをした気配りの人物だったというわけだ。

全国を漫遊したというのは、全国に助さんなどを遣わして資料を集めたということがそのもとになったのかもしれないし、人気者となったのは御三家の権威をバックにしながら、それでもなお腰を低くして接したということが下敷きになっているのかもしれない。

番組では、光圀が史記の「伯夷・叔斉」の話を、自分の境遇に引き付けて感じ入ったことから、歴史書の編纂に取り組んだと説明されていた。「伯夷・叔斉」の話は、高校の漢文の授業で知ったけれど、私には偉い兄弟ではなくて、アホちゃうかとしか思えなかったのだけれど。
(この話が役に立つのは「おじ・おば」を漢字で書くとき。「伯」か「叔」かと迷ったとき、「伯夷・叔斉」が兄・弟というのを覚えておけば間違わずにすむ。)

正直に言うと、「大日本史」というのは名前は知っていても読んだことはない(というか、通して出版されていないのでは)。歴史の本などで、ときに引用されているものは目にするけれど(その多くは解釈について否定的なように思う)、これを通して読むことは考えたこともない。
それはやはり、近代史学のような文献批判とか物的証拠といったものに基づいているのか、実態を知りもしないのに、疑問を持っていたこと、光圀あるいは水戸藩の独善的な歴史解釈を押し付けているものではないかと思っていたからだと思う。

しかし、解釈に難があるということを割り引いても、そのコト・ヒトを取り上げたということ自体が大変な業績なのだということに気が付いた。そして、番組中では、勝者の歴史ではなくて、敗者や報われなかった人を意図的にとりあげた編集がされているという説明もあった。
また、「大日本史」そのものを読む人は少なくても、そのスピンオフ作品は数多いらしい。知らぬうちに「大日本史」をもとにした話を読んだり聴いたりしているのかもしれない。

今日12日の「知恵泉」は水戸黄門の後編「水戸黄門・人生のプロ(後)人生、楽あり!」。
こんどは好奇心旺盛な黄門さまの話らしい。
(ラーメンの話とか出るのかな)


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