「近代日本の地下水脈 I」(その2)

保阪正康「近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇」の2回目。

71cD8ZjwQiL_SL1500_.jpg 今日は、副題の「哲学なき軍事国家」のほうに注目してみよう。
「哲学なき」という表現だが、本書では次のとおり書かれている。
 私はこの無残な敗北の背景に、当時の日本には真っ当な「軍事学」がなかったことがあると考えている。
 世界のどの国も、その国固有の軍事学がある。それは、戦場における作戦や武器の運用のテクニックなど、いわゆる「戦術」のことではない。「どのようにして国を守るのか」「戦争が避けられない事態となった場合、どう対処するのか」という、リアリズムに基づいた根本的な国策のバックボーンとなる、国防の大方針である。あるいは、「軍事哲学」と言うほうがわかりやすいかもしれない。その哲学は、その国の歴史、地政学的条件、隣国との関係、国民性、経済的余力といったものを踏まえた上で組み立てられる。
 たとえば海に囲まれたイギリスは海軍を充実させ、海洋国家として覇権を握った。また、世界各地に植民地を持ったため、国際情報の分析・収集に長けた情報機関を持つに至った。ロシアは広大な平原を縦横無尽に駆け巡る騎馬隊が伝統的に強かった。近代以降は戦車など陸戦部隊の強さに定評がある。また、「厳しい冬」を利用して戦う方法は、ナポレオン遠征を退けた際だけでなく、現在のウクライナ戦争にもみられる。永世中立国のスイスは、永世中立という強靭な国家理念を貫くため、徴兵制度を今も続けている。四方を強国に囲まれているため、陸軍の練度の高さには定評がある。こうした国々は、それぞれ与えられた地政学的条件や国家の理念をもとに、独自の軍事哲学をもっているといえる。
 一方、近代の日本の歩みをつぶさに検証していくと、日本には独自の軍事哲学と呼べるものがなかったのではないかと考えざるを得ない。
 そして今もなお、日本は軍事哲学なき状態が続いているのではないか。

はじめに 失敗の本質は軍事主導」にあった
「人命軽視」の答えを探す旅/戦争が「ビジネス」であった戦前の日本/日本が模索した「五つの国家像」/「地下水脈化」した国家像/西南戦争と民権運動
 
第1章 日本にありえた「五つの国家像」
「歴史の地下水脈」とはなにか?/司馬遼太郎が指摘した「攘夷の地下水脈」/五つの国家像/暴力によって成立した体制は暴力でしか守れない/山縣有朋の「主権線」と「利益線」/戦争を「ビジネス」にした日本軍エリート/日本は帝国主義の「実験国家」/人身売買有罪と「芸娼妓解放令」/「道義」を掲げ中国で戦った日本人/不平士族と民権運動/藩をもとにしたアメリカ型の連邦制国家/攘夷と「小日本主義」/無自覚的帝国主義からの出発/日本が植民地化を免れた要因/不平等条約という重荷/日本人乗客だけが全員死亡/プロイセンに理想の国家像を見る/征韓論の台頭/征韓論は「帝国主義」の萌芽か/天皇に武力を与える
 
第2章 武装する天皇制
天皇の武装化はなぜ必要だったのか?/武士と農民の不満/「軍人勅諭」で神話を国家原理に/政治への関与を厳しく戒める/「統帥権」と「輔弼」で軍人がやりたい放題/「明治政府にとって都合のよい天皇」に仕立てる/「これは朕の戦争ではない」/涙を流した明治天皇/伊藤博文の「説得」/大正天皇の文学的才能/御製に託した厭戦気分/昭和天皇の帝王学/「しかし、よくやった」/統帥権を行使できなかった昭和天皇/勝手に作られた「天皇のイメージ」/皇族が首相になるのには反対/昭和天皇の独り言/ポツダム宣言受諾を決めた理由/昭和天皇の涙の意味/昭和天皇に戦争責任はあるか?/戦争責任は「言葉のアヤ」/平成の天皇と「民主主義」
 
第3章 「軍事哲学」なき軍の暴走
軍事哲学とはなにか?/「海主陸従」の逆転/フランス陸軍をモデルにする/プロイセン方式へ乗り換える/アメリカの軍制を採用しなかった理由/戦術を学んでも「軍事哲学」は学ばず/シビリアン・コントロールなき日本/丸暗記とゴマスリのエリートたち/朝鮮半島進出への野望/「主権線」と「利益線」/清を仮想敵国に設定/民権派から国権派に転じた徳富蘇峰/清を騙した西欧列強/三国干渉の屈辱と「臥薪嘗胆」/戦争の「蜜の味」/閔妃暗殺事件の謀略/森鷗外が翻訳したクラウゼヴィッツ/中国を「面」で支配する無謀/東條英機のお粗末な答弁/石原莞爾の軍事哲学/「世界最終戦論」/アメリカを知らなかった軍人たち/「親米保守」の空虚な思想/自壊する日本のナショナリズム/いまだ軍事哲学なき日本
 
第4章 戦争が「営利事業」だった日本型資本主義
日本型資本主義の歪みの元凶!/「藩士」から「サラリーマン」へ/経済秩序は「藩」から「国家」へ/藩士たちの大リストラ時代/「政商」五代友厚/三菱と三井の台頭/渋沢栄一vs.岩崎弥太郎/古河市兵衛と足尾銅山/「戦争に勝てばカネが儲かる」と学習/欲望むき出しの帝国主義/「生産性」と「利益配当」への理解が歪む/安田善次郎の禁欲的労働観/大原孫三郎が目指した理想の企業/「資本家は民衆の敵」となる/金融恐慌と財閥の支配強化/「金解禁」という選択/昭和財閥に向けられた凶弾/中国侵略というビジネス/満州に進出した新興財閥
 
第5章 なぜ日本に民主主義は根付かなかったのか?
日本型民主主義とはなにか?/昭和天皇が引用した「五箇条の御誓文」/日本型民主主義の原点は聖徳太子「十七条憲法」/自由民権運動に与えた影響/天皇と国民の間の回路がふさがれる/黒田清隆の脅え/御雇外国人たちの提案を拒否/いきなり過半数割れした「吏党」/予算の通過が困難に/薩長至上主義を丸出し/政党政治のはじまり/「憲政の常道」の成立/五・一五事件の異様な法廷/軍人が政治家を「黙れ」と一喝/「皇紀二六〇〇年」という転回点/攘夷の地下水脈が噴出/神話を国家のルーツに制定/日本人差別への憤り/共産主義への恐怖/仕掛けられた「神話ブーム」/「不要不急」の贅沢品がやり玉に/閉塞感の中で迎えた祝祭/蘇生した尊王攘夷/反軍部の闘士が掲げた御誓文/昭和天皇の「人間宣言」/「民主主義というものは決して輸入のものではない」/天皇が要求した御誓文の挿入/天皇側近との暗闘/天皇の「自己批判」/石橋湛山の「わが五つの誓い」/「与えられた権利」の空虚さ
 
おわりに
著者はこのようにいうが、一応言えば現在は「専守防衛」が哲学なのではないかと思う。ただ専守防衛という考え方が、飛び道具の発達でぐらついているように思う。だから、敵基地攻撃能力を備えるという方向に進んでいる。

そのことは暫く措いて、戦前の日本国の軍事哲学を考えると、実は国防よりも軍優勢体制を確立することが主眼だったのではないか、つまり軍事哲学ではなく、権力哲学。
昨日も書いたが、天皇を戴くことで、それを守る軍というレトリックにより、軍に対する批判は天皇への批判、つまり日本国民としてあるまじきことという論理を、武力を背景に押し通した、そう見える。
そしてそのために「玉をとりこむ」という、幕末に勤王志士たちが考えたことを、現実のものとすることが必要だった。
 天皇と国民の間の回路がふさがれる
 ところが時代が下るにつれ、五箇条の御誓文の地下水脈は抑圧されるようになる。とりわけ薩摩藩や長州藩出身の政府高官たちは、自由民権派の動きを警戒していた。もし、軍自由民権思想が流れ込めば、新政府に反旗を翻すだろう。そうなれば、暴力革命によって得た権力は、いとも簡単に奪われてしまう
 危機感に駆られた彼らは、明治十五(一八八二)年、軍人勅諭(陸海軍軍人に賜りたる勅諭)をすべての軍人に向けて下した。
 軍人勅諭は、軍を天皇直属のものとすることを徹底させるために、陸軍卿の山縣有朋が作った訓戒である。この冒頭では『古事記』『日本書紀』を用いて神武天皇による建国を持ち出し、天皇は優れた武人であると印象づけている。そこでは軍人が自らの命を捧げる存在としての天皇を、極端なまでに神格化している(第2章のページ参照)。
 軍人勅諭の登場により、天皇と国民の間に軍部が介在し、神格化された天皇像を一方的に国民に押しつける構図が生まれた。軍部は軍人勅諭という教典によって、現実の天皇と国民との間にあった回路をふさぐ形となった。国民は、軍人勅諭に書かれた「神話の世界の天皇」というイメージしか持てなくなる。その目的は、「統帥権」の独立を盾に、軍部が政治への介人や戦争そのものを独善的に行うことにあった。
 さらに明治二十三年十月には「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)が発せられた。教育勅語には、国民を「臣民」へと教育するための訓戒としての意味が込められている。とりわけ注目すべきは以下の一節である。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」
 臣民一人ひとりが天皇のために徹底的に奉仕し、献身することを命じている。
 この価値観は昭和の敗戦までの五十五年間、日本人の道徳を支配した。

開かれた皇室というのは、こうした事態を防ぐという意味があるのかもしれない。

その天皇がこの時代をどう過ごしたのか、それは次稿で。

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