政治家の責任のとりかた

20240715zentai.jpg 兵庫県知事がパワハラ疑惑を受けていろいろ取沙汰されている。職員の自殺疑いがあったため、それに一層拍車がかかったようだ。
同じ政党の先輩が大阪府知事をしていたが、このときも職員が自殺している。
まぁ程度の問題はあるかもしれないが、パワハラ(まがい?)はあったのだろう。

パワハラというのは難しいとは思う。ちょっと叱責されただけで自分のことを棚に上げてパワハラ上司という人もいるだろう。セクハラ以上に判定は難しいかもしれない。
ただ報道によると、車両通行止めのところで降ろされて歩かされたことで職員を叱責したという。パワハラというほどでなかったとしても、玄関先まで車で乗り付ける特別扱いを求めたのだとしたら、傲慢さは否定できないだろう。

追い打ちをかけるように副知事が辞職している。しかもその副知事は知事に一緒に辞めましょうと言ったとか。となるとこの副知事は知事の態度はパワハラ認定されてもおかしくないと考えていたのだろう。

さて、その知事は、県民の付託を受けて知事をしているのだから、職務を全うすることが正しいと主張しているようだ。

政治家の責任のとりかたっていろいろあるんだろうが、兵庫県民はパワハラをするような人と知った上でこの人を選んだのだろうか。この人がトップに立ったら傲慢で高圧的になるとわかっていても投票しただろうか。

水戸黄門よろしく悪役人を懲らしめてほしいという県民が多かったのかもしれないが。


これが施策の失敗とかの場合、そのダメージを少しでも回復するために、最後まで職を全うするというのならまだわかる。失敗したら責任をとって、その事業から手を引くというのは何だか違う。後始末に責任を持つのが正しいのではないか。
だからといっていつまでもぐずぐずとその地位にとどまろうというのも見苦しい。だいたいそういう時は後始末というより、さらに下手をうって状況をより悪くすることのほうが多いような気もする。

大阪万博はどうやら事業費が倍近く膨らんで、かなりの赤字になるという予想があるが、誰が責任をとるんだろう。政治家がやめても赤字がなくなるわけではない。この事業を推進した政治家を選んだ人たちが責任をとれば良いのだろうが、実際にはそれは不可能で、選ばなかった人も責任を負うことになるわけだ。


また、問題を起こした政治家が、次の選挙で当選したら禊を済ませたというような言い方がされることがある。当選したら旧悪は不問にするということか。もちろん選挙前にきちんと責任をとっていれば問題ないと思うが、その逆ってどうなんだろう。

先日の東京都知事選では、有力な対立候補を上回り2位の得票を得た候補者(I氏)がいた。斬新な手法で無党派層の支持を集めたと多くのマスコミが持ち上げた。
しかし一方で、態度が高圧的、対話をはぐらかす、実績といっていたものは、たまたまコロナ禍で多額の国の補助が入ったため数字が良くなっただけとか、本当に期待できる政治家たりうるのか疑問を投げかける情報も目にする。それによると前職で居続けるといずれ失政がバレるから都知事選に出たのではという見方まである。

前職の後任者の選挙では、I氏の後継を打ち出した候補者は落選している。I氏の地元での評価は良くないようだ。


というか責任のとりかたどころか、責任をとったことにはするが、本当には責任はとらないというのが政治家なのかもしれない。

「私が責任をもつ」という場合は、責任のとりようがない(取り返しがつかないとか、個人ではどうにもならないなど)ことが明らかなときに使われる言葉だという話もある。


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