「大江戸の娯楽裏事情」
安藤優一郎「大江戸の娯楽裏事情 庶民も大奥も大興奮!」について。
楽しく読める。
タイトルには「裏事情」とあるが、裏世界というわけではなくて、楽しみにつきまとうお金の話や幕府の統制がどういうものだったのかという話が中心になっている。
そのお金の話を本書から拾ってみる。
まず、本書で最初にとりあげられている富くじ(宝くじ)だが、
となっている。
還元率は70~75%で、当時の人は千両当たっても700両ぐらいしか手に入らないと嘆いたようだが、現在の宝くじの場合は還元率は50%未満である。籤に関しては現代日本の方があくどいというわけだ。
ところで富くじは江戸だけで出されていたわけではない。本書には大坂の富くじの例として、十返舎一九「東海道中膝栗毛」の中で、弥次さんがくじを拾った話が引用されていた。組違いであたりではなかったのだが、てっきりあたりと勘違いする話であるが、この籤を出していたのが坐摩神社である。娘の安産祈願や、出産後の宮参りで参拝した神社であるが、「東海道中膝栗毛」にも出てくるところとは知らなかった。
次に遊郭の費用を見てみよう。
とある。
以前、山口博「日本人の給与明細」の記事で品川宿の場合、北側で一貫目(約2万円)、南側は昼間400文(約8000円)、夜600文(約12,000円)と書いているが、貨幣換算レートが本書とは違うが、やはり吉原の半額のようだ。
遊女を買うのは結構な価格だが、芝居となるともっと高い。
芝居はたくさんのスタッフ、キャスト、舞台装置、劇場が必要だから、興行には大金がかかっただろう。入場者が多いといってもこの時代の劇場だと席数は今よりずっと少なかっただろうから、遊女よりもコストが高かったのかもしれない。
それでもお大尽でもなければ、安いほうへ流れる客も多いわけで、吉原と岡場所、大芝居と小芝居は、それぞれ商売敵。とりわけ格上だが金のかかるほうは、いろいろ客寄せに工夫をした。有名な吉原の桜もその一つだという。
芝居に通うのはそれなりに裕福な人であり、庶民は芝居を見るかわりに、寄席で芝居噺を聴いて楽しんだという。落語にも芝居噺というジャンルはあるが、これは落語ではなくて、芝居の物まね、声色といったもので、本物の芝居を観た気にさせたという。
その寄席の入場料だが、
という。今の寄席の半額以下である。
それにも行けないというわけではないだろうが、役者絵も良く売れたわけだが、錦絵は一枚24文(600円)である。
食べ物(外食)の値段が次の通りだから、感覚的には案外現代のそれと大きく違わないように思う。
蕎麦はシンプルなかけ蕎麦だろうか。天ぷら蕎麦なら、その分が足されて20文(500円)になるのだろうか。そういう食べ方があったのかわからないが。
寿司は現代の回転ずし並みの値段ということだろうか(最近は物価高騰で100円は維持できていないらしい)とかだから、感覚的には近いかもしれない。なお江戸時代はトロは下魚で嫌われていたというから、食べられていないあるいは食べるにしてもタダ同然だったかも。
お金の話からはずれるが、飲食のことを書いたので、江戸時代にあった大酒大食という遊びというか催しについて、本書にある例を紹介しておこう。
ただし、この頃のお酒はアルコール分はずっと低かったという。
こうして娯楽の費用を見てみると、案外、現代に近い金銭感覚のように思える。
楽しく読める。
タイトルには「裏事情」とあるが、裏世界というわけではなくて、楽しみにつきまとうお金の話や幕府の統制がどういうものだったのかという話が中心になっている。
そのお金の話を本書から拾ってみる。
なお、本書では現在の貨幣換算は次の目安で統一されている。
1両 | 4分 | 16朱 | 4000文 | 100,000円 |
1分 | 4朱 | 1000文 | 25,000円 | |
1朱 | 250文 | 6,250円 | ||
銀1匁 (1/60両) | 67文 | 1,667円 | ||
1文 | 25円 |
まず、本書で最初にとりあげられている富くじ(宝くじ)だが、
富くじ | |
1札 | 4,000円~10,000円 |
当選金1,000両の場合 100両―主催寺社の修復料として奉納 100両―次回くじの購入費として札屋へ支払い 40~50両―札屋への手数料 |
プロローグ~銭を持たない江戸っ子の誇り | ||
「お楽しみ」があふれる百万都市 | ||
第一章 「大当たり!」江戸の宝くじ | ||
人気過熱の富興行 | ||
(1)二日に一人が「億万長者」 | ||
高額当選金には、前後賞、組違い賞も/三百年前に御免富が誕生/三カ月で四十五力所の富突興行/札屋が支えた富札の販売 | ||
(2)当選金の泣き笑い | ||
立会人は寺社奉行所の役人/受け取れる当選金は七割だけ/夢と消えた弥次北の「当たり札」 | ||
(3)御免富の舞台裏 | ||
委託された興行プロモーターの記録/影富は一枚二十五円程度/御免富は全面禁止へ | ||
第二章 「飲む・打つ・買う」の泣き笑い | ||
歓楽街に咲いた、 あだ花 | ||
(1)グルメブームの到来 | ||
大衆化と高級化の外食産業事情/素人向けの料理本も百花繚乱/茶漬け一杯が十数万円?/初物食いに走る江戸っ子/とんでもない大食い・大酒飲み大会/人気作家による料亭でのイベント・書画会 | ||
(2)「こんなものにまで?」 バラエティーに富んだ賭け事の横行 | ||
さいころ賭博、かるた賭博の大流行/ 「おはなし、おはなし」という隠語の影富/賭博にも寛容だった遠山奉行 | ||
(3)江戸四宿、深川、吉原 ―色街の激しい生存競争 | ||
巻き返しを図る吉原の営業戦略/岡場所が賑わった理由/浮世絵とのコラボで岡場所に勝つ | ||
第三章 粋な男女で寄席と歌舞伎は大賑わい | ||
寄席七百、芝居小屋二十 | ||
(1)寄席の激増と意外な客層 | ||
多彩な演目と女浄瑠璃の登場/入場料は十六文から、せいぜい四十文/寄席通いに耽る武士や女性も/幕府も期待した効果 | ||
(2)女性を夢中にさせたファッションリーダー | ||
一日に千両落ちた場所/流行色、流行語の発信源/歌舞伎からはじまったキャラクター商品/江戸三座が営業不振に/宮地芝居の隆盛 | ||
(3)天保改革という受難 | ||
江戸三座の移転に反対した町奉行・遠山金四郎/強引な水野忠邦によって、猿若町が誕生/寄席の味方もした遠山の金さん/改革失敗で息を吹き返す | ||
(4) 江戸城内で能を楽しんだ町人たち | ||
かつては秀吉も保護した芸能/城内に入れるチャンスだった町入能/「色男!」一日限りの無礼講 | ||
第四章 大奥も大喜び、江戸の祭り | ||
将軍様も楽しんだ非日常空間 | ||
(1)神輿深川、山車神田、だだっ広いは山王様 | ||
江戸の三大祭り、そして天下祭とは?/将軍と女性たちが楽しんだ天下祭の原則/天下祭に秘められた幕府の本当の狙い/見物を禁じられた江戸詰藩士の秘策 | ||
(2)江戸の華・天下祭のスタイル | ||
神輿・山車・附祭、ときには曲芸も/カネに窮して、妻や娘を芸者や遊女に?/特徴がすぐに分かる江戸型山車の誕生/ゾウも出てきた! 附祭の大騒ぎ/幕府の規制も空文化させた天下祭の賑わい | ||
(3)祭礼番附という名の台本とリハーサル | ||
日記で分かる、取締掛名主と当番町の決定/「餅は餅屋」でプロデューサー請負い/業務用と販売用、 二種類の祭礼番附/参加者の衣裳チェックと前日リハーサル | ||
(4)祭礼当日の喧騒と江戸入城 | ||
禁断の江戸城内に入った祭礼行列/進行を遅延させた大名屋敷の武士と女性/いよいよ最後、お礼参りと収支決算 | ||
第五章 開帳という大規模イベントの裏表 | ||
成功と失敗の法則 | ||
(1)「出たとこ勝負」の御開帳 | ||
寺社修復は自力が原則だが/寺社を救う江戸出開帳の原則/会場の立地環境が決め手/浅草寺境内には、百六十九体もの神仏が集合!/天候不順と流行病には勝てない | ||
(2)娯楽と話題作りに頼った集客戦略 | ||
開帳札というポスター/江戸の話題をさらった大パフォーマンス/持ちつ持たれつの歌舞伎と開帳/開帳の成否はイベント、見世物、霊宝次第 | ||
(3)大奥での出開帳 | ||
大奥に食い込もうとする寺社/護国寺と成田山に見る桂昌院の政治力/大奥に上がった身延山久遠寺の祖師像 | ||
(4)開帳の大スポンサーだった江戸の豪商 | ||
現在まで伝わる豪商三井家の御稲荷さん/スポンサーからの厳しい条件/ビロードの牛が登場/開帳の経費を立て替えた豪商住友家/豪商の顧客サービスに利用された開帳 |
ところで富くじは江戸だけで出されていたわけではない。本書には大坂の富くじの例として、十返舎一九「東海道中膝栗毛」の中で、弥次さんがくじを拾った話が引用されていた。組違いであたりではなかったのだが、てっきりあたりと勘違いする話であるが、この籤を出していたのが坐摩神社である。娘の安産祈願や、出産後の宮参りで参拝した神社であるが、「東海道中膝栗毛」にも出てくるところとは知らなかった。
坐摩神社は、富くじだけでなく落語の寄席でも賑わったとかで、「上方落語寄席発祥の地」の碑がある。(行ったときには気づかなかった)
次に遊郭の費用を見てみよう。
遊女遊び | |
吉原 座敷持(中級遊女) | 金二分(約5万円) |
他に料理、芸者・幇間への祝儀 | |
深川 | 銀12匁(約20,000円) |
吉原の料理等は不要 |
以前、山口博「日本人の給与明細」の記事で品川宿の場合、北側で一貫目(約2万円)、南側は昼間400文(約8000円)、夜600文(約12,000円)と書いているが、貨幣換算レートが本書とは違うが、やはり吉原の半額のようだ。
遊女を買うのは結構な価格だが、芝居となるともっと高い。
芝居見物の費用 | |
桟敷席の場合 | 一両二分 |
飲食代なども含めた芝居茶屋への支払い |
遊女も岡場所なら1対1の商売かもしれないが、吉原だと幇間や芸人、料理人など多くのスタッフがいたと思うけど。
それでもお大尽でもなければ、安いほうへ流れる客も多いわけで、吉原と岡場所、大芝居と小芝居は、それぞれ商売敵。とりわけ格上だが金のかかるほうは、いろいろ客寄せに工夫をした。有名な吉原の桜もその一つだという。
芝居に通うのはそれなりに裕福な人であり、庶民は芝居を見るかわりに、寄席で芝居噺を聴いて楽しんだという。落語にも芝居噺というジャンルはあるが、これは落語ではなくて、芝居の物まね、声色といったもので、本物の芝居を観た気にさせたという。
その寄席の入場料だが、
寄席の入場料 | 16文~28文 |
他に、下足札代(4文)、 座布団代・煙草盆代(各4文) |
それにも行けないというわけではないだろうが、役者絵も良く売れたわけだが、錦絵は一枚24文(600円)である。
食べ物(外食)の値段が次の通りだから、感覚的には案外現代のそれと大きく違わないように思う。
食べ物(外食) | |
蕎麦 | 16文(約400円) |
握り寿司1つ | 4文~8文 |
天ぷら1つ | 4文 |
蕎麦はシンプルなかけ蕎麦だろうか。天ぷら蕎麦なら、その分が足されて20文(500円)になるのだろうか。そういう食べ方があったのかわからないが。
寿司は現代の回転ずし並みの値段ということだろうか(最近は物価高騰で100円は維持できていないらしい)とかだから、感覚的には近いかもしれない。なお江戸時代はトロは下魚で嫌われていたというから、食べられていないあるいは食べるにしてもタダ同然だったかも。
お金の話からはずれるが、飲食のことを書いたので、江戸時代にあった大酒大食という遊びというか催しについて、本書にある例を紹介しておこう。
文化14(1817)年3月23日 「大酒大食の会」
<参加者40人>
大食のほうは知らないが、大酒のほうは昔、なにかの本で読んだ憶えがある。うろ覚えだが、飲酒量の単位が升ではなくて斗だったと思うから、本書の例より一桁多い酒量ということになるが、これは一日以上かけての飲みくらべだったはずである。上にあげた本書の例はどのぐらいの時間をかけて飲んだんだろうか。<参加者40人>
- 三升盃で6杯半
- 五升丼で1杯半
- 饅頭50個、薄皮餅30個、羊羹7棹
- 飯54杯、唐辛子58本
- 盛り蕎麦63杯
ただし、この頃のお酒はアルコール分はずっと低かったという。
こうして娯楽の費用を見てみると、案外、現代に近い金銭感覚のように思える。