「世界史を大きく動かした植物」(その2)

81aCBR0WRgL.jpg 稲垣栄洋「世界史を大きく動かした植物」の2回目。

前の記事では、主にコムギをとりあげた。といってもコムギに限らないイネ科植物の特徴や、もっと広く農業という人類の営みの意味などを中心に紹介した。

第2回目では、他の13種の植物について、主に私が知らなかった、あるいは聞いたことがあってもその解釈が新鮮だったことなど、断片的になるけれど紹介していこうと思う。

断片的ではどうも、という人は本そのものを読まれたらと思う。昨日も書いたように、これらの重要植物について、かなり簡潔にまとめられているから、この記事を読むよりわかりやすいと思う。


■イネ
今日は、まずコムギに次いで広く作られているコメ。

イネの章からは、コムギと比較して、イネの優れた性質が特筆されているのでそれを引用しよう。「なぜ日本は人口密度が高いのか」から(日本に限らず米産地は小麦地域に比べて人口密度が高い)。
 イネは東南アジアなどでも盛んに作られているが、数ある作物のうちの一つでしかない。食べ物の豊富な熱帯地域では、イネの重要性はそれほど高くないのである。
 日本列島は東南アジアから広まったイネの栽培の北限にあたる。
 イネはムギなどの他の作物に比べて極めて生産性の高い作物である。イネは一粒の種もみから七〇〇~一〇〇〇粒のコメがとれる。 これは他の作物と比べて驚異的な生産力である。
 十五世紀のヨーロッパでは、コムギの種子をまいた量に対して、収穫できた量はわずか三~五倍だった。これに対して十七世紀の江戸時代の日本では、種子の量に対して二〇~三〇倍もの収量があり、イネは極めて生産効率が良い作物だったのである。現在でもイネは一一〇~一四〇倍もの収量があるのに対して、コムギは二〇倍前後の収量しかない。
 さらにコメは栄養価に優れている。 炭水化物だけでなく、良質のタンパク質を多く含む。さらにはミネラルやビタミンも豊富で栄養バランスも優れている。そのため、とにかくコメを食べていれば良かった。
 唯一足りない栄養素は、アミノ酸のリジンである。ところが、そのリジンを豊富に含んでいるのがダイズである。そのためコメとダイズを組み合わせることで完全栄養食になる。ご飯と味噌汁という日本食の組み合わせは、栄養学的にも理にかなったものなのだ。かくしてコメは日本人の主食として位置づけられたのである。
 一方、パンやパスタの減量となるコムギは、それだけで栄養バランスを満たすことはできない。コムギだけではタンパク質が不足するので、どうしても肉類などを食べる必要がある。そのためコムギは主食ではなく、多くの食材の一つとして位置づけられているのである。

西洋では「人はパンのみにて生くるものにあらず」というそうだが、なるほど、コムギで作られるパンだけでは生きていけないわけだ。それに対して「コメだけ食べておけば大丈夫」というぐらいである。コメはほぼ完全栄養食品なのである。
そして、その収量がコムギの比ではない。つまり太陽エネルギーを化学エネルギーに転換する効率がずばぬけて高いわけだ。 しかも、それだけではない。
 ヨーロッパでは、三圃式農業と呼ばれ、ジャガイモや豆類など夏作物を作る畑と、コムギを栽培する畑と、作物を作らずに畑を休ませるところの三つに分けて、ローテーションして土地を利用した。こうして三年に一度は休ませないと、地力を維持することができなかったのである。 コムギは三年に一度しか作ることができなかったのである。
 これに対して日本の田んぼは毎年、イネを育てることができる。一般に作物は連作することができない。イネのように毎年、栽培することができるというのは、じつにすごいことなのである。しかも昔はイネを収穫した後に、コムギを栽培する二毛作を行った。ヨーロッパでは三年に一度しかコムギが栽培できないのに、日本では一年間にイネとコムギと両方、収穫することができたのである。
 すでに紹介したように、イネは、作物の中でも際立って収量の多い作物である。
 収量をたくさん取ることのできないヨーロッパでは、広い面積で農業を行うしかなかった。一方、日本の田んぼは、手を掛ければ掛けるほど収量が多くなる。そのため、やみくもに面積を広げるよりも、手を掛けて稲作が行われたのである。

つまりイネには連作障害がない。これは水田栽培で、必要なミネラルなどは水に乗って運ばれてくるし、地力を弱める老廃物もまた水に乗って洗い去られるということだそうだ。

連作障害というのは農作物ではよくいわれる話だが、野草の場合はどうなんだろう。我が家の庭に勝手に生えている野草類は、だいたい毎年同じ場所に繁っているが、こいつらは連作障害ってないんだろうか?

はじめに
 
第1章 コムギ
    ―一粒の種から文明が生まれた
あるとき、私たちの祖先は、人類の歴史でもっとも「偉大な」発見をした。
突然変異を起こした「ヒトツブコムギ」 との出合いにより、 私たちは狩猟生活を捨てて農耕を選択する。
木と草はどちらが進化形? /双子葉植物と単子葉植物の違い /イネ科植物の登場 /イネ科植物のさらなる工夫 /動物の生き残り戦略 /そして人類が生まれた /農業は重労働 /それは牧畜から始まった /穀物が炭水化物をもつ理由 /そして富が生まれた /後戻りできない道
 
第2章 イネ
    ―稲作文化が「日本」を作った
戦国時代の日本では、同じ島国のイギリスと比べて、すでに六倍もの人口を擁していた。 その人口を支えたのが、「田んぼ」というシステムと、「イネ」という作物である。
稲作以前の食べ物 /呉越の戦いが日本の稲作文化を作った!? /イネを受け入れなかった東日本 /農業の拡大 /イネを選んだ日本人 /コメは栄養価に優れている /稲作に適した日本列島 /田んぼを作る /田んぼの歴史 /どうしてコメが大切なのか /江戸時代の新田開発 /コメが貨幣になった理由 /なぜ日本は人口密度が高いのか
 
第3章 コショウ
    ―ヨーロッパが羨望した黒い黄金
ヨーロッパでは家畜の肉が貴重な食料であったが、肉は腐りやすいので保存できない。
/香辛料は、「いつでも美味しい肉を食べる」という贅沢な食生活を実現する魔法の薬だった。
金と同じ価値を持つ植物 /コショウを求めて /世界を二分した二つの国 /大国の凋落 /オランダの貿易支配 /熱帯に香辛料が多い理由 /日本の南蛮貿易
 
第4章 トウガラシ
    ―コロンブスの苦悩とアジアの熱狂
コロンブスは、アメリカ大陸で発見したトウガラシを「ペッパー(コショウ)」と呼ぶのである。
しかし、彼は本当にコショウの味を知らなかったのだろうか。 これには彼の苦悩が隠されている。
コロンブスの苦悩 /アメリカ大陸の発見 /アジアに広まったトウガラシ /植物の魅惑の成分 /トウガラシの魔力 /コショウに置き換わったトウガラシ /不思議な赤い実 /日本にやってきたトウガラシ /キムチとトウガラシ /アジアからヨーロッパへ
 
第5章 ジャガイモ
    ―大国アメリカを作った「悪魔の植物」
アイルランドでは突如としてジャガイモの疫病が大流行。
大飢饉によって食糧を失った人々は、故郷を捨てて新天地のアメリカを目指す。 移住したアイルランド人の子孫の中から成功者が輩出する。
マリー・アントワネットが愛した花 /見たこともない作物 /「悪魔の植物」 /ジャガイモを広めろ /ドイツを支えたジャガイモ /ジャーマンポテトの登場 /ルイー六世の策略 /バラと散った王妃 /肉食の始まり /大航海時代の必需品 /日本のジャガイモがやってきた /各地に残る在来のジャガイモ /アイルランドの悲劇 /故郷を捨てた人々とアメリカ /カレーライスの誕生 /日本海軍の悩み
 
第6章 トマト
    ―世界の食を変えた赤すぎる果実
世界で四番目に多く栽培されている作物がトマトである。
アメリカ大陸由来の果実が、 ヨーロッパを経てアジアに紹介されてわずか数百年の間に、トマトは世界中の食文化を変えていった。
ジャガイモとトマトの運命 /有毒植物として扱われたトマト /赤すぎたトマト /ナポリタンの誕生 /里帰りしたトマト /世界で生産されるトマト /トマトは野菜か、果物か
 
第7章 ワタ
    ―「羊が生えた植物」と産業革命
十八世紀後半のイギリスで、安価な綿織物を求める社会に革新的な出来事が起こる。
蒸気機関の出現により、作業が機械化され、大量生産が可能になった。
これが「産業革命」である。
人類最初の衣服 /草原地帯と動物の毛皮 /「羊が生えた植物」 /産業革命をもたらしたワタ /奴隷制度の始まり /奴隷解放宣言の真実 /そして湖が消えた /ワタがもたらした日本の自動車産業 /地場産業を作ったワタ
 
第8章 チャ
    ―アヘン戦争とカフェインの魔力
神秘の飲み物=紅茶を人々が愛すれば愛するほど、チャを清国から購入しなければならない。
大量の銀が流出していくなか、イギリスはアヘンを清国に売りつけることを画策する。
不老不死の薬 /独特の進化を遂げた抹茶 /ご婦人たちのセレモニー /産業革命を支えたチャ /独立戦争はチャが引き金となった /そして、アヘン戦争が起こった /日本にも変化がもたらされる /インドの紅茶の誕生 /カフェインの魔力
 
第9章 サトウキビ
    ―人類を惑わした甘美なる味
手間のかかる栽培のために必要な労力として、ヨーロッパ諸国は植民地の人々に目をつける。
そして、アフリカから新大陸に向かう船にサトウキビ栽培のための奴隷を積むのである。
人間は甘いものが好き /砂糖を生産する植物 /奴隷を必要とした農業 /砂糖のない幸せ /サトウキビに侵略された島 /アメリカ大陸と暗黒の歴史 /それは一杯の紅茶から始まった /そして多民族共生のハワイが生まれた
 
第10章 ダイズ
    ─戦国時代の軍事食から新大陸へ
中国原産のダイズから生まれた味噌は、徳川家康と三河の赤味噌、武田信玄と信州味噌、伊達政宗と仙台味噌など、戦国時代に栄養豊富な保存食として飛躍的に発展を遂げていく。
ダイズは「醤油の豆」 /中国四千年の文明を支えた植物 /雑草から作られた作物 /「畑の肉」と呼ばれる理由 /コメとダイズは名コンビ /戦争が作り上げた食品 /家康が愛した赤味噌 /武田信玄が育てた信州味噌 /伊達政宗と仙台味噌 /ペリーが持ち帰ったダイズ /「裏庭の作物」
 
第11章 タマネギ
    ―巨大ピラミッドを支えた薬効
古代エジプトで重要な作物であったタマネギの原産地は、中央アジアである。
乾燥地帯に起源をもつタマネギは、害虫や病原菌から身を守るために、さまざまな物質を身につけた。
古代エジプトのタマネギ /エジプトに運ばれる /球根の正体 /日本にやってきたタマネギ
 
第12章 チューリップ
    ―世界初のバブル経済と球
オランダは東インド会社を設立し、海洋交易で資産を蓄えており、オランダ黄金時代の幕開けの時期だった。
そして、人々は余っていた金で球根を競って買い求めたのである。
勘違いで名付けられた /春を彩る花 /バブルの始まり /そして、それは壊れた
 
第13章 トウモロコシ
    ―世界を席巻する驚異の農作物
トウモロコシは単なる食糧ではない。
工業用アルコールやダンボールなどの資材、石油に代替されるバイオエタノールをはじめ、現代はトウモロコシなしには成立しない。
「宇宙からやってきた植物」 /マヤの伝説の作物 /ヨーロッパでは広まらず /「もろこし」と「とうきび」 /信長が愛した花 /最も多く作られている農作物 /広がり続ける用途 /トウモロコシが作る世界
 
第14章 サクラ
    ─ヤマザクラと日本人の精神
ソメイヨシノが誕生したのは江戸時代中期である。
日本人は、けっして散る桜に魅入られてきたわけではなく、咲き誇るヤマザクラの美しさ、生命の息吹の美しさを愛してきた。
日本人が愛する花 /ウメが愛された時代 /武士の美学 /豊臣秀吉の花見 /サクラが作った江戸の町 /八代将軍吉宗のサクラ /ソメイヨシノの誕生 /散り際の美しいソメイヨシノ /桜吹雪の真実
 
おわりに



■コショウ
次にとりあげるのはコショウ。
コショウが大航海時代を開かせる重要な貿易品であったことは、本書も説明しているけれど、周知のことなので、ここではとりあげない。もっと素朴な疑問は、ヨーロッパ人はどうしてコショウを自分たちで栽培しなかったのだろうかである。これは本書で冷涼なヨーロッパでは育たない植物だったという説明がある。それに加えて、熱帯に香辛料が多い理由も次のように説明がある。
熱帯に香辛料が多い理由
 丁子、シナモン、ナツメグ、ジンジャーなど、ヨーロッパの人々がインドに求めた香辛料はコショウだけではない。
 それにしても、どうしてヨーロッパの人々に必要な香辛料がヨーロッパにはなく、遠く離れたインドに豊富にあったのだろうか。
 香辛料が持つ辛味成分は、もともとは植物が病原菌や害虫から身を守るために蓄えているものである。冷涼なヨーロッパでは害虫が少ない。
 一方、気温が高い熱帯地域や湿度が高いモンスーンアジアでは病原菌や害虫が多い。そのため、植物も辛味成分などを備えている。

そういえば植物だけでなく、動物でも毒を持つものは熱帯に多そうに思う。


■トウガラシ
コショウに続いてとりあげられているのは、こちらも英語ではpepperであるトウガラシ。
 トウガラシも他の果実と同じように、未熟なうちは緑色をしていて、熟すと赤くなる。つまり、トウガラシも「食べてほしい」というサインを出しているのである。
 ただしトウガラシは、食べてもらう相手を選り好みしているようである。
 サルのような哺乳動物は、辛いトウガラシを食べることができない、しかし鳥は、トウガラシを平気で食べることができる。辛そうなトウガラシをやっても、ニワトリは喜んでついばむ。鳥はトウガラシの辛味成分であるカプサイシンを感じる受容体がないため、辛さを感じないのである。鳥にとっては、トウガラシもトマトやイチゴと同じように甘い果実に感じられるのだろう。
 トウガラシは、種子を運んでもらうパートナーとして動物ではなく鳥を選んだ植物である。鳥は大空を飛び回るので、動物に比べて移動する距離が長く、より遠くまで種子を運ぶことができる。また、鳥は果実を丸飲みするので、動物のようにバリバリと種子を噛み砕くこともないし、動物に比べると消化管が短いので、種子は消化されずに無事に体内を通り抜けることができる。そのため、トウガラシは、動物に対しては忌避反応を起こさせるのに、鳥はまったく感じないという絶妙な防御物質を身につけたのである。

この話は他の本かテレビ番組でも聞いたことがある。
そういえば先日の「チコちゃんに叱られる」では、植物のポリフェノールの話がとりあげられていて、渋みであるポリフェノールは動物に食べられないための工夫というわけだが、巧みなのは、甘い果肉の中の種子の周りにポリフェノールの渋皮があるという構造。果肉で惹きつけて、種子は食べさせないという仕掛けだそうだ。

上でトウガラシは英語ではpepperと書いたがそれについて。
 世界の地図を知っている現代の私たちからすれば、アメリカ大陸をインドと間違えるなどというのは、とんでもないことのように思える。しかし、当時は大西洋を西へ進めばインドに到達するはずだと考えられていた。しかも、当時のヨーロッパの人々にとってインドというのはまったくの未知の土地である。コロンブスが最初に到達した陸地をインドだと勘違いしたとしても、なんら不思議はないのだ。
 ところが、コロンブスの勘違いはこれにとどまらなかった。
 コロンブスの航海の目的は、インドからスペインへ、コショウを直接運ぶ航路を見つけることにあった。当時、肉を保存するために不可欠なコショウはアジア各地からインドに集められ、アラビア商人たちの手でヨーロッパに運ばれていた。そして、アラビア商人たちが独占するコショウは、金と同じ価値を持つといわれるほど高価なものだったのである。
 そしてコロンブスは、アメリカ大陸で発見したトウガラシを、あろうことかコショウを意味する「ペッパー」と呼ぶのである。
  :
 もしかすると……と勘繰ると、これはコロンブスが意図的に間違えていたのかもしれないとも思える。

文書上、pepperと書いてあっても、現物を見れば似ても似つかぬものとすぐにわかるだろう。もしそれを狙ったのなら、あまりに姑息。それとも中のタネだけを見せたんだろうか。



■ジャガイモ
次はジャガイモ。南米原産ということは良く知られている。
ヨーロッパへの普及だが、ドイツといえばジャガイモ料理(ジャーマンポテト)がすぐ思い浮かぶが、導入に熱心だったのはフリードリッヒⅡ世だったと思う。
そしてイギリス、フランスでも君主が普及を図ったのだけれど……
 しかし、アンデスのやせた土地で収穫できるジャガイモは、食糧として重要だと評価する識者たちもいた。しかも高地に育つジャガイモは、冷涼な気候のヨーロッパでも育てることのできる特殊な芋である。
 そして、大凶作に苦しむヨーロッパでは、このジャガイモを普及させるための挑戦が始まるのである。さて、この悪魔の植物をどのようにして広めていけば良いのだろう。
 ジャガイモを普及させようとしたのは、イギリスのエリザベス一世である。
 エリザベス一世は、まず上流階級の間にジャガイモを広めようと、ジャガイモ・パーティを主催する。ところが、ジャガイモを知らないシェフたちが、ジャガイモの葉や茎を使って料理を作ったため、エリザベス一世はソラニン中毒になってしまった。
 こうしてイギリスでは、ジャガイモは有毒な植物というイメージが強まり、ジャガイモの普及が遅れてしまうのである。

フリードリッヒⅡ世よりも100年も前のことだから、ジャガイモの毒性が良く知られていなかったとしても、エリザベスⅠ世の罪ではないと思う。
そしてフランスでは、ドイツよりも遅れて18世紀末に普及する。
 ヨーロッパが大飢饉に見舞われたとき、フランスはコムギに代わる救荒食を賞金付きで募集した。このときにパルマンティエがジャガイモの普及を提案したのである。
 そして、彼の提案どおり、ルイ一六世は、ボタン穴にジャガイモの花を飾った。そして、王妃のマリー・アントワネットにジャガイモの花飾りを付けさせて、ジャガイモを大いに宣伝したのである。その効果は絶大で、美しい観賞用の花としてジャガイモの栽培がフランス上流階級に広まり、王侯貴族は競って庭でジャガイモを栽培するようになった。
 次に、ルイ一六世とパルマンティエ男爵は、国営農場にジャガイモを展示栽培させた。そして、「これはジャガイモといい、非常に美味で栄養に富むものである。王侯貴族が食べるものにつき、これを盗んで食べた者は厳罰に処す」とお触れを出して、大げさに見張りをつけた。
 ジャガイモを庶民の間に普及させたいはずなのに、どうして独占するようなマネをしたのだろうか。じつはこれこそがルイ一六世らの巧みな策略だったのである。
 国営農場は、昼間は大げさに警備したが、夜になると警備は手薄にした。そして、好奇心に駆られた人々は、深夜に畑に侵入し、次々にジャガイモを盗み出したのである。こうしてジャガイモは庶民の間にも広まっていった。

ルイ16世といえば、錠前づくりにしか興味のない、どちらかというとおっとりとした王様のように思われているが、このアイデアがルイ16世のものかどうかは別として、こういう巧みな施策を、しかも庶民を飢えから救うために行ったわけだ。
そうやって救おうとした群衆によって、殺されてしまう。
「パンがなければジャガイモを食べましょう」と言っておけばよかった……



随分長くなったので、残りの植物については次稿で。

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