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事件が起きて

 昨日、4年ぶりに警察署に行った。前日に電話があり、昨日の診療前には二人の刑事がクリニックに来られ事情を聞かれ、その後何回かの電話でのやりとりの後、調書の作成のために夜、署に行った。選挙のポスターが大量に廃棄された事件である。それも、単に「剥がす」なんて物でなく、ポスターは無惨にナイフで切り裂かれて身の危険すら感じさせられ、ぞっとするほどの物であった。夜署に行った時には、すでに一人の男性が逮捕されていた。狭い取調室で刑事と向き合う。

 告示後、ポスターを貼った翌朝から、市民の方から「ポスターが剥がされている」とどんどん電話がかかり、対応に追われた。一晩で大量に剥がされた。それも、安佐北区と佐伯区を除く区全域にわたり、計55カ所。それは大変だった。元々少人数のボランティアでやっている物を、すべての所に警察官とできるだけ鑑識と、事務所の者が共に出向き、検分を終えて、改めて新しいポスターを貼りに行く。大変な労力だ。

 刑事さんは、前回の選挙の時にひどいでっちあげの中傷文書を大量に蒔かれた事件に取り組んで下さった方である。一通りの調書を作り終えて、刑事さんが言った。「先生には四年に一回来てもらうようなのう。どうしてかのう。」と。私は言う。「前回の時、おかげ様で実行犯は捕まえてもらったけど、 指示した者まで行かなかったじゃないですか。それがそのままだったら、またやるわねえ。」

 前回実行犯の逮捕された四人のうち、最後まで裁判が残った一人の弁護士から配達証明付きの文書が来たことがある。その上で、いやだというのに、半ば強引に弁護士に押しかけられて面会もした。それは、「百万円払うから、裁判官あてに執行猶予にしてほしいと上申書を書いて欲しい」というものであった。私は「お金なんていりません。彼が、実は誰に指示されて、いくらお金をもらってやったのか、それをちゃんとしゃべってくれたなら、喜んで上申書は書きましょう。それをしゃべりもしないで、ただお金だけでというのでは、いやです」と言った。その後、お金はもっと払う、上申書は書かなくてもいいから、ただお金だけは受け取ってくれ、と要求は変わったけれど、すべて突っぱねた。

 「今回のことも、あれだけ大量に広範囲にたった一人で出来るとはとても思えないし、しかも彼一人の考えでやったとも考えられません。ちゃんと、指示したのは誰なのか、金の流れはどうなのか、調べてくださいね。」と言い、「これから、じっくりやらせてもらいます。」の言葉を聞いて警察署を後にした。

 新聞の報道では、たった数十行の小さな事件だけれど、当事者にとっては、大変な労力と精神力を要する、疲れ果てるほどの出来事だった。警察官が来ると連絡があった夜は、いろいろな出来事を想像して、眠れなかった。

 そんなこんなで、ブログはお休みしていました。これは事件の報告だから、と勝手に判断して皆様にご報告いたしました。また、ぼつぼつのペースでブログも書かせていただきます。

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友人からのメッセージ

 昨夜は遅くに帰って、お風呂に行って、24時間のスーパーマーケットに行って買い物をし、ごたごた片付けなどをしていたら、3時を過ぎてしまいました。でも、ブログを辞めたくはありません。

 今日は、私の裁判に友人がメッセージを寄せてくれましたので、了解を得て、皆様にご紹介したいと思います。彼は、北海道で第1号の家庭科の男性教師です。以前から、Q&Aを通じて知り合いでしたが、昨年、広島と北海道で会い、すっかり意気投合したものです。友人の力を借りてのブログで違反かもしれませんが、お許しを!!

 北海道北見市 江口凡太郎
  私は、高校で家庭科を担当しています。今から15年前の初任時代、家政科女子クラスの授業で力量不足のため「授業崩壊」し、大変苦労していました。何とか方法はないものかと、藁にもすがる思いで、『さらば悲しみの性』を授業で読みました。すると、「シーン」と生徒は夢中で読んだ後に、「カリカリ」と字を書く音だけが教室に響きました。感想用紙に、びっしりと自分たちの思いを書いてくれました。そこには、「コンドームをつけて」と言えない、言いにくいというような正直な感想が多く書かれていました。これが、私が家庭科で、「性教育」をはじめるきっかけとなりました。以来、自分の中でも、「性」と「生」、「いのち」最近は「死」などにこだわって授業をしいます。河野先生の著作にも大変お世話になっており、雑誌のQ&Aに投稿して掲載していただいたこともありました。
 昨年8月に、河野先生初めてお会いした時に「あなたのやっていることは”脅し”よ!」とズバッと指摘され、衝撃的な初対面となりました。私は、『さらば・・・』の前半部分を中心に授業で読んでいました。このように「脅し」に使う教師が多いのだそうです。こんな、ダメ実践を重ねてきた私ではありますが、私どもの代りに裁判を闘ってくださっていると知り応援させていただいてます。
 私は、昨年まで2年間育児休業を取得しました。今年度は、どの分野も久しぶりの授業で、正直手探り状態です。そこで、11月の釧路市での河野先生の講演をメモしてプリントで配りました。裁判の話しもしました。高校3年生の選択授業でしたが、多くの生徒が「勉強になった」「わかっているつもりだったが、知らないことがあった」「この授業を選択してよかった」「性教育に反対している人は若者の現実をわかってない」・・・力強い感想をたくさん書いてきました。私も授業にブランクがあって、手探りの授業だったのでホットしました。こうした、たくさんの生徒から元気をもらって、私も日々がんばろうと思います。この高校生の「元気」を河野先生や関係者の方にも是非伝えたいと思います。応援している私にも、たくさんの力強い応援があるのです。だからこそ、「間違いない」という実感があります。政治やメディアから流れる世論の風向きは不安がありますが、ねばり強くしたたかにやっていこうではありませんか!来週、3年生は最後の授業です。私は最後に二つのメッセージを伝えるつもりです。①「悲しみの性(生)」にならない「喜びの性(生)」を生きよう!②20歳になったら必ず投票に行こう!です。

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ポケベル終了!!

 ポケットベルのサービスが3月いっぱいで終わる。ポケベルには本当にお世話になった。勤務医の時代から、そして開業して16年半、会わせて20年以上の間、これのおかげで私は自由に行動出来たと言ってもいい。全国どこに行っていても設定を少しだけ変えれば、ポケベルが追いかけて来るのだから。

 私のクリニックでは、留守番電話に「当院の患者さんで緊急のご用件の方は、お名前、電話番号、ご用件を吹き込んで下さい。折り返しお電話いたします。」と入れている。患者さんからメッセージが入ると、ポケベルが鳴る。私は携帯電話で留守電のメッセージを聞く。患者さんの電話番号を聞いて、そこに私から電話をする。多くの場合は電話のアドバイスですむ。緊急であれば、休日でも夜中でもクリニックに出かけて行って患者さんにも来て戴く。流産などの手術を要すると判断する場合には、私が家から出る前にあらかじめスタッフを呼んでおく。また、内科的な事と判断すれば「舟入病院に行って」と指示をしたり、私が遠方に行っている時は、当番医や友人に診療を頼んだりする。このごろは、日曜日でも診療をしている友人は何人もいるから。飛行機に乗る時はスイッチをオフにしておくから、飛行機を降りるとすぐにクリニックに電話をして、メッセージが入っていないか確認をする。

 こうしてクリニックを閉めている時も、一応患者さんとコンタクトを取るようにしている。それを可能にしてくれていたのが、ポケットベルだ。海外に行っている時以外は、24時間ずっとポケベルの、というよりはクリニックに管理されていて、よくそれで息が詰まりませんね、と言われもするが、それが私の職業なのだから、仕方がないこと。物は考えようで、これで患者さんと繋がっているからこそ、私は制限つきでも自由に行動出来るのだから、ありがたいと思って来た。

 でも、困るのは、電話番号が入っていない時。それから、講演依頼などで、「またお電話します。」とだけ言われること。黙って切ってくださればポケベルは鳴らないのだけれど。それに電話番号を早口でしゃべられた場合、聞き取れない。何回も聞き直しても、聞き取れない時は、仕方がないから、内容によってはクリニックに行って直接電話器から聞き直す。さらに、相手が携帯電話の場合は、ほとんどの人が非通知の電話は拒否するようにしている。私は、個人の携帯は出来るだけ番号を教えたくないから、非通知にしているのだが、それでも拒否されると仕方がないから、通知でかけ直す。すると、それを登録しておいて、そこに直接かけて来る人もいる。

 そんなこんなでまあ、いろいろとあっても、でも、本当にポケベルにはお世話になった。これが終了するとどうしよう、と悩んでいた。留守に電話がかかると携帯に転送されるようにしている方もあるが、それでは休診日には40件も電話がかかったりするので、私はたまらない。メッセージが入った時だけ転送されるようにならないものか。

 と、昨日、診療が終わった時間に甥っ子が来てくれた。そして、電話機のマニュアルを見ながら、ひょいひょいと設定してくれた。なんと、留守電にメッセージが入った時だけ私の携帯に転送されるように。「こんなことができるんだあ。」と、びっくり。ではこれまでもポケベルでなくとも良かったのかしら。それにしても、「まあ、あなた、偉くなったねえ。」と、甥っ子に感謝したのでした。

 昨日はひどい事件が起こって大変だった。広島の方はテレビや新聞で報道されているのでご存じだろうが、こんなひどいことが起こると、やはりこのブログでも、書きたいと思う。どうして、選挙の事は書けないのか、本当に書いてはいけないのか、もう一度ちゃんと確認をしておきたいと思う。

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プリンが死んで

 昨日は早朝から遅くまで走り回ってへとへとで帰宅。帰って玄関のドアを開ける時、まだふとプリンが迎えに来てくれる錯覚を覚える。

 どんな時間であろうとも、私が帰ると、必ず「ニャ、ニャ、ニャ」と飛んできて、足にもぶれつくようにして、一緒に部屋に入る。だっこをすると、私の首に顔をこすりつける。床に座ると膝に乗って来るし、寝ころぶと胸やお腹に乗ってくる。

 そうして17年、一緒に生きて来た猫のプリンが死んでもうじき二ヶ月になろうとするが、まだ生きているような、そして改めてもういないことを実感してしょぼっとする。

 プリンは、娘が思春期のとてもしんどい時にお友達からもらって来た子猫だ。小さくて、手の平に乗るような、やんちゃな子だった。口の上にまるで口ひげのように黒い模様があるので、「チャップリン」をもじって「プリン」。荒れた娘の心がプリンによってどれだけ癒された事か。娘は進学した高校(と私たち親も含めて多くの大人達にだと思うが)に強く反発し、中退した。その後通信と大検で高卒の資格を取り、名古屋の予備校の寮で一年生活し、大学生になった。予備校に行く時に娘は、プリンを私たちに託した。以来、私たち二人と私の父とプリン一匹の生活が続いた。やがて父も死んで、結局私たちと一匹の生活となった。

 歳を取って、腎不全となりご飯も食べなくなってからは、それは大変だった。毎日獣医さんに通い、点滴と利尿剤の注射。プリンがおびえるので、連れて行くのがいいのかかわいそうなのか分からないまま、でも点滴を止めると餓死しそうでそれも怖いから、結局は連れて行く。お昼時間に飛んで帰っては、私が帰れない時は夫が一人で、せっせと通った。平均一日1万円。ペットの保険に入っていないから、家計も結構たいへん。結局一月通った。終わり頃は垂れ流しで、紙おむつを敷き詰めて、それもはずれると、その始末に追われた。でも、足が立たなくなって、足を引きずるようにはってトイレに近づく姿に何度も涙した。娘もぷりんとは最後だから、と、数日、最大の休みをとって看病に帰って来た。

 プリンは最後の力だったのだろう、私たち二人の間に入って来て、そこで死んだ。きれいなタオルをお布団にして箱にいれ、お花を入れて携帯で写真を撮り、「プリンが死んだよ」と娘に送信した。娘はすぐに電話を掛けてきて、「パパとママだから、ここまで生きることができたんよ。ありがとう。」と言った。それからしばらくは、特に夫はそして私も少し、ペットロス症候群だと思う。涙ばかり出て、困った。プリンのトイレや残ったえさもいまだに捨てられないまま置いてある。

 ペットは心を癒してくれる。病んだ人がペットを飼うようになって元気になるのは本当だ。誰かと心を通わせることが生きて行くのには必要なのだ。でも、そのペットを亡くした時は、人々はどうするのだろう。どうやって立ち直るのだろう。少なくとも私たちは、また何かを飼おうという気はない。飼うのはかわいくても、死ぬのがいやだ。まして、ペットでなく家族や愛する人を亡くした時もう、どうすればいいのか、途方にくれそうな思いがする。父や母を亡くしただけでも、しんどかったのに。

 プリンは、ペットの葬儀やさんに頼んだら、お経まで上げてくれて、火葬の報告、葬った共同墓地の写真など、とても丁寧に葬ってもらった。今度春のお彼岸供養式典まであるとお知らせが来た。土曜日なので行けないけれど、娘が帰った時に一緒にお墓参りをして、そしてその時に、すべてのグッズを整理しようと思っている。

 リアルタイムではないけれど、一度、プリンのことはちゃんと書いておきたかったので。猫の話なんぞに付き合っていただいてありがとうございました。

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三つ子ちゃんがやってきた

 私の診察室の机の上には、三つ子ちゃんの写真が飾ってある。女の子二人、男の子一人。小さい時のスナップ、三歳の七五三、そして五歳の七五三と、順々にならんでいる。お母さんが受診する時に持って来て下さった物だ。そして、今日は実物が現れた。三人の子どもたち、みな元気いっぱい。にぎやかにわいわいと診察室に入って来た。かわいい!私は診察に子どもがついて来るのがとてもうれしい。まして、三つ子だもの。今日は、この子達とずっと遊んでいたい気分だ。

 丁度今日、向井さんの双子の子どもたちが最高裁で実父母とは認めないという判決が出たと報道されていた。向井亜紀さんと高田延彦さん夫婦の子どもたちだ。子宮癌で子宮を摘出した向井さんの卵子と高田さんの精子を体外で受精させ、代理母に出産してもらった。だから遺伝的には二人の子どもたちだ。双子が産まれたアメリカのネバダ州は、二人を実父母として認めている。でも日本の法律は認めないと。遺伝的には親子であっても日本の民法は実際に出産した人を母とすると決めているからと。遺伝子検査は実際の犯罪の捜査や親子鑑定にも使われている一方、こなような場合は親子であっても親子ではないそうなのだ。

 科学の進歩とともに、様々な妊娠や出産が出現している。私は法はゆるやかであればいいと思っている。さまざまなケースが、子ども達にとって有利になる様に判断されるべきだと。ケースバイケースで、この子にとって何が望ましいか、が判断の基準になればいい。自分の子どもが欲しくて究極の不妊治療を受ける人も、養子縁組みで子どもを育てるという選択をする人も、本当に様々な人がいるのだから、様々に法も運用されるべきだと思う。

 三つ子ちゃんと短い時間だけどふれあって自分が癒されながら、向井さん親子のことを考えた。

 今日は、今日中までしか出来ないことをすべてすませた。きっかり午前0時にすべてを済ませて家に帰って着替えをしたら、夫が「足が腫れてるよ。」と言った。本当に膝から下がぱんぱんで、ソックスの跡がぎゅっとへこんでいる。土曜日は診療がしんどい。その上で明日からの準備だから、いつの間にか足も腫れたのだろう。

 もう、選挙については書いてはいけないらしい。本当は、いろいろな活動の裏話などレポートしたいのだけれど、どうも法が整備されていないようだ。ホームページは更新出来ない。でも、ブログはどうですか。日記なのですけれど、日記の中に自分が何をしたかが入るだけなのですが、と、選挙管理委員会に問うたが、「お返事ができません」といわれた。ということは、自由かも知れないが、逆に取り締まりも自由に出来るということかも知れない。だから、これから二週間は、私に取って診療とともに、最大の活動を書くことを遠慮しなければならない。でも、私はそれこそ「いろいろ」だから、「いろいろダイアリー」は頑張ってみようと思う。

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マニフェスト

 事務所にマニフェストを下さい、とやって来る人が多い。また、電話やメールで言って来る方も数多くある。世はまさにマニフェストブームと言っていいだろう。選挙公約というのは、以前からあった。どうしてそれがマニフェストになったか。きっとこれまでの公約があまりにおおざっぱで、口から出まかせでいいことばかり言って、そして選挙に通りさえすれば、けろりと忘れて決して守られない物として存在していたのだろう。それが、マニフェストになったら、何となく守られるであろう物として受け止められているのではないか。一種の幻想かも知れないのだけれど。

 秋葉さんは、前回の公約をきちんと検証している。実現出来たもの、ほんの少しだけど実現しなかったこと(女性助役など)をちゃんと提示する。みこし連のホームページを是非覗いて見て欲しい。前回の公約が決して言いっぱなしの物ではなく誠実に取り組んで来たことがわかっていただけると思う。

 今回の選挙から、マニフェストを配ることが許される。しかし、証書を貼った物を7万枚。配るのは告示後の個人演説会場か、街頭演説の候補者の周辺かに限られる。それも、A4の裏表、二つ折。秋葉さんのマニフェストもぎっしり書いた物を印刷した。財政再建を成し遂げた今、これから多くのプロジェクトが動き始める。緻密な計算の元に民間の活力を導入しながら。

 それと、当選したなら秋葉さんに是非やって戴きたいのは、「議会改革」である。財政再建の為に、市長の給料を削り、市役所の職員の給料を削り、人件費をさんざん削って、職員の方達には気の毒なことだった。でも、議員の給料は全く削られていない。政務調査費などの議会の情報公開度も悪くて、それがために広島市の情報公開度は全体としてとても悪くなっている。議会と市長は対立しているように思われているlようだが、それは以前の話。議会の一部の人たちと対立はしているが、議会全体としては、今の議長になってからは、友好的である。提案された議案で否決または修正可決されたものは一つしかない。だから、きっと議会も市と共になってこれから変わるであろうと期待する。

 他の方達のマニフェストを見て、びっくりした。ほとんどがすでに秋葉市政の元で取り組んでいることだ。「マネフェスト」と誰かが言った。それと、とうてい実現出来ないことを言っている人もいる。たとえば市の職員をひどく削って人件費を浮かすという人もいる。そのペースで言うと、市の現業職員も削らなければならない。たとえば、病院職員(これは厚生労働省の問題であるのだが、どんな立派な医療をしても赤字となってしまう故、現場の職員は、ひどく過労を強いられている)、消防署の職員、学校の職員など、こんな所にもこれ以上の人員削減を強いらなければならない。それは、完全に現業の機能麻痺を意味する。言うだけのことはいくらでも言える。でも、ちょっと考えるとそれが実現不可能であると、すぐに分かる。

 告示が目前になって、もう、私もこのブログで選挙のことは言えなくなるから、今のうちに、言いたいことは言っておきたい。後一日。いよいよ本格的に頑張る時が近づいた。

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語学

 21日の水曜日が祭日で、そして今日は木曜日の休診で、私にとっては珍しい、めったにない連休だった。で、今日の午後は例の山口の病院の手伝いを入れていた。午前中は遅くから事務所。そして、昼すぎから車を飛ばして約1時間半。車を運転する時は、このごろは、聞き流しの英語とハングルを交互に聞く。CDを交互に録音しているから、スイッチ一つでいい。

 今日は初めに英語。日常会話だったり、旅行先の話だったり。まず英語が流れて次に日本語。単に会話だけでなく、文化がいろいろと分かって面白い。それに、今の旅では、空港で入国審査の際、写真を撮られたり、税関でおみやげの一部を包みを開けて見せなければならなかったり、なかなか厳しくなっている状況がうかがえる。また、旅先で病気になって病院に行くが、保険の違いでいろいろと病院から支払いの方法を聞かれたりする。私たちの所では、患者さんに支払いをどうするのかたずねてから、診察をする等ということはまずない。

 ハングルも、同じ。ハングルが流れて次に日本語。今日の内容は誕生日に招待されて行って、そこで食事をしたりお酒を飲んだり。韓国では、家庭に招待された時、まずいっぱいご飯を食べて、それからお酒を飲む。また、過労で倒れた人を病院に見舞いに行く話も。韓国では、夫婦別姓だし、呼ぶ時も○○ちゃんのママ、という呼び方が一般的で、母親をその人の氏名で呼ぶことはあまりない。だから、お見舞いに行っても、その方の名前がわからなくて、困る話もあった。

 この様に、日常の生活の中で交わされる会話が面白い。英語もハングルも、なかなか今一歩のところが上達しない。ハングルはNHKの講座で勉強を初めて、もう7年になる。同時に始めたフランス語やイタリア語、中国語は、すっかりあきらめた。何とか残ったのがハングルだけれど、足踏み状態だ。なんども韓国に行っても、短期の滞在では、言葉は上達しない。今のところ、車に乗った時だけが語学学習の時間。こんなことでは、状達するはずがない。

 私に時間ができたなら、まずアメリカかイギリスに3ヶ月留学して、語学学校に通う。そして、今度は韓国に3ヶ月留学する。たぶん、3ヶ月あれば、だいぶステップアップするだろう。英語の映画や韓国ドラマを字幕なしで見ることが出来るようになるのが夢だ。いつか、死ぬまでに留学することが出来るだろうか。

 夜、また英語とハングルを聞きながら車を飛ばして事務所に一目さん。今日、素晴らしいことに、すべてのリーフレットを配り終えたと、一心に頑張った男性が晴れ晴れとして報告してくれた。すごい!膨大なリーフレットの山を見た時には途方にくれそうだったけれど。「あすからは、電話作戦に頑張ります!」と彼は言う。本当に一人一人の力に担われて、事務所は存在する。考えてみれば、秋葉さんは、多くの善意の人に支えられて、大変だけれど幸せな人なのですよ、と伝えたい。

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ボランティア

 昨日は、変わったボランティアが現れた。治療院を開業しているプロの女性の方が、事務所で忙しくしている者にマッサージや針をして下さると言う。それはありがたい。早速に部屋の隅についたてで仕切りをし、簡易ベットを設置してお願いし、手を挙げた者が次々と入れ替わって治療を受けた。

 私の番が来てベットに行くと、上半身裸になって、と言う。事務所で裸。そして、ベットにうつぶせになってまずマッサージ。形や首のオイルマッサージで、それは気持ちがいい。つい寝不足の身でうとうととする。そしたら、肩が硬いから、針をした方がいいと言われた。私は、針治療は受けたことがない。大体、とんがった物が嫌いで、注射や採血が恐ろしい。医者のくせして、と言われそうだが、痛みというより、針を刺されるというそのことが怖い。でも、まあ、この度は、うつぶせで後からだから、針をさす所は見えないし、何事も体験!で、お願いすることにした。針は痛くないと聞いていたが、やっぱり痛い。首や肩に何本も刺して、それに電気を通す。と、ぴくぴくとして、それが刺激になる。それなりの心地いいことなのだろうが、そのうち、右の頭の一カ所がとても痛くなった。痛い、痛いというと「では、そこにも針をしなければ」と言われて、情けなかった。痛ければ、抜いてもらえるのかと思った。で、痛い所にさらに針を刺して、しばらく我慢。楽になるためのそのプロセスはつらい物なのだと、ひたすら我慢。

 でも、終わった時には、すっかり体が軽くなってありがたいことでした。こんなボランティアの方が来て下さるなんて、感激!

 私たちは、ボランティア選挙をしている。党派の推薦は受けない。だから、あくまでも個人の意志でやりたい人に出来ることを出来る範囲でやっていただくという方針を貫く。毎日、入れかわり入れかわり、多くの人々がやって来て、いろいろと作業をして下さる。もっぱら今は事務所の中での作業だが、これから告示になると、これにまかないのご飯づくりや、街頭演説について回ってマニフェストを配ったりといろいろな仕事が沢山出てくる。

 ある人から「なぜこんなに人が集まるのですか」と聞かれた。何の魅力ですか、と。それは、やはり秋葉さんの魅力でしょうし、それに真に広島のことを考えて、何らかの関わりをしたいという人が集まって下さるのでしょう。と、答えるしかない。すくなくとも、利権を考えるような人はいない。

 私はエイズのボランティアも長年やってはいるが、ボランティアの基本は、あくまでも自由な意志で。だから「去る人は追わず、来る人は拒まず」の姿勢は崩さない。入って来たとたん、このグループは、マンネリ化していて活気がないだの、このようにすべきだの、まるで評論家のようにあれこれ述べる人もいた。そう思うのなら、それを自分でやって。私たちは、評論家はいらない。自分で出来ることを出来る範囲でやるのが原則。もちろん、グループ全体としての任務の方向付けや総合的なまとめなどは、責任持ってやるけれど、そもそもマンネリ化することが悪いこととは思っていないのだから。こんなグループは、しこしこと息切れしないように、地道に続けて行くことが何より大切なのだから。まあ、気をつけなければならないのは、スパイというと聞こえが悪いが、情報収集のためにボランティアを装って入って来る人もいるから、そこのチェックだけはちゃんとしなければね。エイズウィルスの感染者であるということは、そう大っぴらに出来ることではない。その個人情報は大切に守らなければならないのだから。それをオープンにしてしまうような人は警戒しなければならないけれど。

 そんな風な対応で、これまでやって来た。選挙も全く同じだと思う。息切れしないように、けんかをしないように、楽しく、笑顔で最後まで頑張りましょう!

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ウェブ2.0

 昨日、東京から「花王」のウェブの責任者のFさんが来られた。私は、ほぼ10年前から花王のサイトの月刊誌の中の「体の情報」のコーナーでテーマ別の体や病気の特集と、Q&Aをやって来た。当時は、まだ私はいろいろな原稿を手書きで書いていたころだ。初めそのサイトを立ち上げると相談に来られた時は、ホームページと言ってもピンと来なかった。インターネットなるものがどんな物なのかも良く知らない。でも、体について広く情報を発信し、少しでも多くの人たちの力になれれば、という思いで始めたことだった。それからすぐにワープロを使う様になった。初めはワープロで書いた物をプリントアウトし、それをファックスで送っていた。そのうち、ワープロに最低限のパソコン機能がついたものを買いそれで送信出来るようになって、Fさんたちもちても楽になった、と。それから、いよいよパソコンを買って現在の状態になったのが、2002年だった。

 内容もずいぶん多岐に渡った。初めは、体の仕組みから入った。子宮だの、卵巣だの、解剖から機能に渡るまで。私はそこに、ちゃんと外性器の解剖も入れるべきである、と主張し、それは単純なイラストなのだけれど、もしもクレームが付いた時に備えて、会社としてその対応が論議されたという。女性特有の病気だけでなく、冷え性、肩こり、腰痛、目の健康、花粉症など主に働く人の体について、情報を発信し続けた。Q&Aは、悩みを募集すると、どっと、何百も寄せられるので、とても対応しきれず、しばしば募集停止せざるをえなかった。大体月に5.6の質問に答えたが、時にはマイナーな悩み特集で一気に50問答えたり、「こども特集」をしたり。

 でも、今、花王のダイナミックな会社内部の再編成に伴って、ホームページもウェブ1.0からウェブ2.0に変えていくという。「なんだ、それは?」で、Fさんが具体的に説明してくれた。たとえば、wwwで情報を一方的に伝えるのでなく、個人の発信情報「たとえば先生がブログを始めた」という、それも2.0.なのだと。アマゾンで本を検索すると、例えばこの著者の別の本であるとか、関連のお勧めの本なども出てくる。それも2.0.なのだと。第一世代のインターネットから、第二世代に入って行く、それを花王のウェブもやって行くのだそうだ。その体制が取れるまで、ちょっとの間Q&Aの新たな募集と答えは少しお休みしたい、とのことであった。これまでの特集や質問、お答えは分類していて見ることはできる。

 家に帰ってからウェブ2.0を検索して勉強して、やっと何となく分かって来た。私が例えば生理痛の答えをするとそれに関連して、子宮内膜症であるとか、鎮痛剤であるとか、低用量ピルであるとか、そんなところにも一目でリンク出来るように、ソフトを作って行くのだそうだ。その作業が本当に大変で、だから、しばしば会社で夜明かしをすることにもなるし、トイレにも自由に行けなかったり、という生活だと。そんな生活だから、中学生の娘さんとのコンタクトもむずかしくて。と、そんな話をいっぱいした。

 いやー、世の中進みますねえ。その進歩に人間が追いついて行くのに四苦八苦で。でも、企業としてはどんどん先取りしてやっていかないと、存在が危うくなる事だってあるのだから。しかし、それを一身に受け止めてひたすら一翼を担う彼女に、「過労死しないように。娘さんも、とても大事な時にさしかかっているのだから。目を話さないようにね。会社には出来ないものは出来ない、とちゃんと言いなさいよね。」などと言うしかない。

 私にとっては、毎月の課題に少しお休みが出来るので、やれやれ助かった、という思いだけれど。

 

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秋葉さんが救急車で運ばれた!!

 今日のお昼、事務所に行ったら、いっぱい問題があって、お弁当も食べす゛にあれこれ対応していた。問題の一番大きかったのは、今日午後6時から開かれる予定の青年会議所主催の市長選の立候補予定者の公開討論会についてだった。突然、昨夜にファックスで質問用紙が送られてきていた。私たちが目にしたのは、今日になってから。しかも、その質問がひどかった。すべて二者択一。例えば「高齢者福祉、子どもの福祉、いずれを優先させますか?」というような、どちらかを選べなんて、無茶な話。こんなのがずらりとならんでいる。そんなばかな!で、青年会議所に連絡を取ってこんな質問には答えられない旨、連絡をした。そもそも今回の会は、いろいと問題があっていた。初めはパワーポイントを使うので、その準備をして下さい、と伝えたら、「ご遠慮下さい」だった。今時、どんな話でも、学会でも授業でも講演会でも研修でもパワーポイントくらい使うでしょう。で、それなら、と仕方なくパネルを作ってそれを使うことにしたら、それも使わないように、と言う。人に話を聞いてもらう時に、わかりやすくグラフを示すくらいの工夫や努力を普通するでしょう。それをすべてしてはならない、と。ただ口で話すだけだったら、なんとでも言えるでしょう。きちんと数字などを示しながら話すのが何がわるいのでしょう。と、猛烈な抗議を行った結果、パネルだけはO.K.となった。そして、今度はこの質問だ。私たちの抗議に説明に来る、とのことだった。同時にみこし連のホームページの取材をしたいとテレビ局が来ていた。まず、青年会議所の方が質問の意図を説明に来られたのをNさんと一緒に聞く。「先生、これは、学生にさせるのディベートではないのですよ。むりやりこんな質問に答えさせて、これは、票かかっていることなのですよ。」と抗議。

と、そこに奥から「先生、先生」と緊急の手招きをされた。で、と中座して行くと、なんと、「秋葉さんがボールが目に当たって、救急車で大学病院に運ばれた」という。もう、びっくりで、「何のボール?」と聞くとそれは分からない、と。で、ただちに第一報を電話してくれた人にこちらから電話して聞く。だって、ゴルフボールなのか、テニスボールなのか、バレーボールなのか、同じボールでも危険度は全然違う。そしたら、野球のボールだという。挨拶回りをしていて、丁度飛んで来たボールが当たったのだそうだ。なんということ!頭にあたれば、まあ、こぶが出来るくらいだし、お腹に当たればイテッくらいですむものを。どうして、丁度目なのよ、と思う。それからが、もう、気をもんだ。テレビの取材も気もそぞろ。それに、気づかれないようにしなければ。だって、まだどんなことになるのが分からない。手術だの、安静だの、どの程度のけがなのか。今日の討論会は、まずダメだろう、この先は?と、先に心配しても仕方がないのだけれど、それでも頭に浮かぶ。まあ、候補者がいなくても選挙はできるな、頑張らなくっちゃ、なんて。

 すべての診察がすんで秋葉さん自身から電話があったのが、午後5時。角膜が傷ついて、網膜にも出血があるけれど、手術はしなくても大丈夫だと。とりあえずは通院でいいそうだ。で、「今日の討論会は、どうぞ、お休み下さい。けがなのですから、ちゃんと皆様にお話して分かって戴きましょう。安静にしていた方がいいでしょう。」と、勧めた。秋葉さんも準備をするつもりだったのが、できなかったし気が進まないはずだ。ただ、秋葉さん不在でこれまでの市政をいろいろ批判ばかりされるのは、少し悔しいですけどね、と。そして、診断書だとか、あれこれ話しているうちに、やっぱり出ましょうか、ということになった。100%話せなくても、70%でも、出た方がいいでしょうか、と。

 診療がすんで、アステールに飛んで行く。秋葉さんは、目の痛みなどおくびにも出さず、ちゃんと話した。目が痛い時には、頭まで痛くなる。脳ととても近い所なのだから。私たち事情を知っている者は、本当に気が気ではなかった。Nさんは、冷たいタオルを持って行ってあげようか、これで冷やしながらの方がいいのでは、と言ったけれど、始まってからではどうもタイミングが取れない。遠目だと、右目の腫れと変色が返ってほりが深く見えて、かっこ悪くはない。でも診察のために散瞳してあるはず、舞台の上の照明はとてもまぶしいでしょうに、などなど。無事すんだ時には、本当にほっとした。秋葉さんは良く頑張った。

 ああ、もう、どうぞこれから最後までけがなく病気なく、元気で闘えますように、と、今、祈るような気持ちでいる。

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イベント、キムタク、

 今日は、オフの日曜日。しばらくは日曜日は空けている。大切なイベント当日。早めに事務所に行き、法定はがきの送付の作業。ほとんど出来上がって、そしてイベント会場へ。動員など一切しないから、一体どれだけの人が集まるか分からない。それも、日曜日の夕方から夜というとても集まりにくい時だ。でも、よく来て下さった。

 舞台づくり、練習、本番。ボランティアの人もいっぱい集まって下さった。私は、演劇をやっていたので、舞台のイベントは大好きだ。照明や段取りなどの裏方仕事もとても楽しい。今回は、プロの方達がしっかりやって下さったので、その他の高齢のゲストの方達のお世話やボランティアの配置などあれこれで走り回った。長野から来て下さった狭間さんの素晴らしかったこと。しみじみと、朗々と歌い上げ、語りもとても素敵で。応援のメッセージを語って下さった方達。それぞれ味のある話で盛り上がる。野中広務さんや山田洋二監督などから寄せられたメッセージには会場からエエッと声が上がったけど、その内容はまた、とてもありがたい物だった。

 それに、なによりも秋葉さんの話を皆さんにじっくり聞いて戴いてよかった。この話を聞いてもらえば、「金がないからといってなんにもしない」という批判がいかに見当違いか、分かって戴けたであろう。大変な借金を背負った中で、よくぞここまでさまざまなことができたものだし、財政再建も彼なればこそ、だと思った。

 最後におみこしを担いで会場を走り回ってくれたのも若いボランティアたちで、威勢がよかった。

 とにかく、楽しく会を終えることができて、ほっとした。今後はもう、地道に淡々とことを進めるだけだ。ボランティアの皆さんも最後まで無理をしないで関わって欲しいと思う。

 夜12時近くに帰宅。さすがに足がだるい。でも、今日は「華麗なる一族」の最終日。撮っておいてもらったビデオを見る。韓流ドラマではさんざん泣いたけど、日本のドラマをこんなに一生懸命に見て、夫婦そろって泣いたのは、本当に久々だった。キムタクはやっぱりいいなあ。早くから、彼は演技の天才だと思っていた。演技だけでなく、なにげなく発する言葉にも光るものがあった。ここまで順調に伸びて、彼は、そのうち、日本の重厚な俳優になるであろうと思う。もう少し年を取って渋くなるのが楽しみだ。これでドラマが終わってしまって、日曜の夜の楽しみがなくなって少し寂しい。

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同期会

 昨日は、年一回の「47会」だった。昭和47年に広島大学の産科婦人科に入局した者の集まりだ。入局した当時は8人だった。一人、精神科のドクターになってこの会とは距離を置くようになった。もう一人は一昨年に倒れてしまって会には出て来られない。

 この倒れた彼の所には47会の4人で2月にお見舞いに行った。もう退院して家にいるが、行っても分かってもらえなかった。学生時代からあんなに仲良しだったのに、私を認識してもらえなかった。握手しようとしたら、とてもいやな顔をされた。じっと座って外を見ているだけで、おそらく私たちの会話の理解もしていないだろう。

 私の父が倒れて一年間意識がなかった時、こちらが話しかけて、それを理解しているのではないか、分かっていてもその反応を声や体で示すことが出来ないだけではないかと、しばしば感じたことがある。娘が「おじいちゃん、○○よ。」と呼びかけると、ぶわっと涙が溢れて、ああ、きっと父は娘のことが分かっている、と思ったこともあった。でも、同級生の彼は、一緒に行った男性達には時々笑顔を見せるのに、私だけは無視だったし、会話にはなんの反応もなかった。帰りの電車は少々つらくて、ため息ばかりだった。

 その二人を除いて、6人が集まった。でも、会話がだめだ。私を除いて5人はゴルフをする。年一回の集まりも遠方の人はホテルに泊まって、翌日ゴルフをすることになっている。ゴルフ好きの人たちってよく話すことがあるものだと思うほど、いつもゴルフのことで話が盛り上がる。私は蚊帳の外だ。それと、日母という産婦人科医の集まりの代表の選挙の話。それまで長く会長をしていた坂元先生が現役のまま亡くなって選挙が行われる。誰が会長になるのか、私は立候補している人の考えのどこがどう違うのかもさっぱり分からないから、当然、興味もない。それと参議院選挙、医師会はある人を推薦しているが、その人が医師たちにどんな働きをしてくれたのか、さっぱり見えない(私が診ようとしないからかも)ので、応援する気にもならない。

 それよりも、私は事務所のことが気になるので、中座して帰った。帰り道、みんないい人達なのに、どうしてこんなに合わなくなってしまったのだろう、と少し情けなかった。高校の同窓会や演劇部のOB会は、そんなことはない。みんなそれぞれの道を歩んでいても、すぐに元の仲間に戻れて、それは楽しいのに。

 急いで事務所に行く。明日は(もう、今日)アステールでのイベント。することはいっぱいある。それに、みこし連の車が出来てきて、政治活動としての街宣が始まった。秋葉さんの街頭での演説も本日から。どちらも反応は上々でとても楽しかった、と皆さんの報告を聞く。頑張れよ、と声を掛けられたり、リーフレットを私にも下さい、とむこうから取りに来られたり、手を振ってもらったり、と。さあ、これからだ!!

 どうそ゜、今日の会が大成功に終わりますように。がんばらなくっちゃ。

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失礼な話

 ここ数日、とても失礼な話を聞いた。私は二人の人から、全く同じ内容を。そして、秋葉事務所に来ている友人も同じ内容の話を複数の人から聞いたと言う。秋葉さんの住まいの話だ。大体のことは知っていたが、この根拠のない話を聞いて、秋葉さんの妻に改めて問うてみた。

 市長の任期満了に伴い、官舎を出なければならない。新しい住まいは子どもたちの通学の都合もあって、近くにということで住まいを探したと。そしたら、近くの超高層ビルの豪華なマンションの一室が空いていると言って来た人がいた。でも、そこはとても高価で、不自由で、すぐにお断りしたと。で、そこから見下ろすようにひっそりと在るマンションの一室に転居したと。家賃は高層マンションのそれより、8分の1だ。

 でも、私と友人が聞いた話は「秋葉一家は、あの超高層マンションに転居した。それも、それを建てた業者の○○さんと癒着して、ほとんどただ同然で提供してもらっている」というものである。ああ、始まったね。以前も書いたが、選挙の際必ずといっていいほど、意図的にうその情報を流す人がいる。それによって人格をおとしめようとするものだろう。

 前回の選挙も前前回も、それはひどかった。私の親戚の親しい者が勤務している会社にあるスーパーマーケットの経営者がやって来て、みんなの働いている部屋で「話を聞いてください。」と、大声で全く嘘の秋葉さんの情報を話して行ったと。虚偽を書いたビラを大量に配布するだけでなく、こうして会社を次々と回って、嘘を流すということを、本当にやっている人がいるのだ、と、びっくりした。そのスーパーには、行きたくもない。

 秋葉さんは、業者と癒着するような人では、絶対にない。市長になった後、私たち選挙を主体的に担って来た者に対しても、それは同様である。絶対に口利きなどしない。私も右翼から、しつこく脅迫されたことがある。「一体、いくらもらっているのか」と。「もらってなんかいないよ。私は私でちゃんと仕事をしていて、収入はあるもの。お金をもらうために、選挙の応援をしたのとは違うよ。」というと、「おかしいのう。そんなら、なんのためにするんや。」という。彼らの世界にいると、ボランティアで何かをするということの意味がわからないのだろう。秋葉さんが特定の会社や業者に便利を計る人ではないからこそ、ここまで強力に市政の改革を推し進めることができた、と私は確信する。

 秋葉さんは自分ではほとんどこのようなことは言わないけれど、市長の交際費の全面公開を行っている。これは、とても難しいことで、東京都の知事に立候補を表明している人の公約に「交際費の情報公開」を上げている人もいる。なんだ、広島市なんて、とっくにそんなことは実行されているわ、とおかしかった。しかも、食料費はゼロ。もちろん、なんにも食べないことはないが、全部自腹である。人とあって何か食べる時は、自分でお金を払う。市長をして私服を肥やす何てことは絶対にない。

 私たちはボランティアでこれからも担おうとしている。私たちに厳重に下されている指示は、「仲間と何を食べても、すべて割り勘で」ということである。今日は私のおごり、というのは、絶対にしてはならない、と。それは、「買収」という選挙違反につながる。運動員が違反をしては絶対にいけない、と。それは、クリーンに市政を推し進めて来た秋葉さんを汚す事になる。右翼には絶対に分からないだろう。私たちは自らの「利権」のために、ボランティアとして集まって来ているのではない。

 私たち自身、きれいな選挙をしよう、と決意している。ということは、他陣営の失礼な行為も許さないということだ。今回のことは、ささいなことであっても、言いふらされた嘘が、次々と拡がって行って、それがあたかも事実として多くの人に認識されることがあるというのは、経験済みである。だから、些細なこともみのがさず、対応していく、ということである。

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赤ちゃんが生まれて...

 今日は山口県のある市の産婦人科に一日中いた。朝8時から診療。早いので、前夜から個室に泊めていただく。8時に外来に降りて行くと、もう待合室はいっぱい。ここは産婦人科と小児科のみの開業医だけれど、ものすごく沢山の患者さんが来る。お産は月に100。外来患者も一日約100人。それも圧倒的に妊婦健診。それを産婦人科は院長一人で診るという、めちゃくちゃな病院だ。といっても、一人常勤のドクターが来るというのが決まっていて、だから二人で診る体制で病院を新しくしたのだと。ところが、来る予定のドクターは沖縄で、沖縄も産婦人科医が不足していて、今勤務している病院が手放さないのだそうだ。でも、患者はどんどん来るし、お産もいっぱいあって、SOSを求められた。私や友人の産婦人科医が時々手伝いに行く。今日は、午前中は院長と二人だから診療ははかどる。でも、午後は院長は医師会に出かけて、私一人。

 朝、お産で入院している人が4人いた。午前中に一人生まれた。後三人。一生懸命外来を診ていると、「お産です」。で、走って分娩室へ。一人、無事生まれて、良かった良かったで外来へ戻る。また必死で外来を診ていると、また「お産です」でまた分娩室に走る。このごろのお産は、産婦が一生懸命力むという事はしない。できるだけ力をいれないで自然な子宮の収縮と赤ちゃんの力で出てくるのをひたすら待つ。初産でも、会陰切開はほとんどしない。助産師さんが、一生懸命会陰保護をするが、それでもやっぱり破れる。破れた会陰を縫うのは医師の仕事。一人目のは初産だったから、なかなか縫うのもしんどくて、腰が痛くなった。二人目は二度目のお産の人で、簡単だろうと思った。無事に元気な男の子が生まれて、また良かった良かったで。ところが、後産、胎盤が出ない。助産師さんがへその緒を一生懸命引っ張って、私がお腹をマッサージして、でも出ない。とうとうへその緒がブッチンとちぎれた。必死でマッサージをしながら、10分経っても20分経っても出ない。癒着胎盤。福島県で、癒着胎盤の胎盤を無理に出そうとして産婦さんが失血死したとして、ドクターが逮捕された。こんなので逮捕とはあまりにひどい。日本中の産婦人科医が怒った。そのことが頭をよぎる。助産師さんはギブアップ。「先生、お願いします」と言う。私はナイロンのピンクのエプロンをし、滅菌の手袋をして、子宮の中に手を入れて、胎盤をはがし引っ張り出すという「用手剥離」をした。産婦さんは悲鳴を上げてつらいし、こちらも、力づくで必死。幸い、うまくいってちゃんと胎盤は出て来た。出血もほとんどなくて、やれやれで、どっと冷や汗が出てきた。傷を縫ってまた急いで外来へ。まだまだ沢山の患者さんが待っている。

 赤ちゃんが生まれるといのは、本当に感動的なことで、大好きなのだけれど、まさか癒着胎盤なんて、めったにないことに当たるなんて。しみじみ感動を味わうこともできなかったわ。やっぱりお産というのは何が起こるかわからないことで。時には、命がけにさえなることなのだ。

 残りの一人の産婦さんは、心音がおかしい。陣痛とともにかなり下がる。おかしいなあ、と警戒しながら外来においてあるモニターを見ていると、やれやれ、やっと院長が帰って来た。羊水も濁っていると助産師さんの報告。これは、帝王切開をしないといけないかなあ、と院長がつぶやく。「そうですね。あぶないですね。」とは言ったけど、わあ、しんどい。私はもう疲れている。院長は一人で帝王切開も出来る人だし、スタッフの体制もしっかり取れている。なにしろ開業医でも、助産師が10人もいるのだから。で、私は帰らせていただいた。それでなくとも、約束の時間よりうんと遅くなってしまったのだから。

 この病院で診療すると、広島のビルで診療しているのと、ずいぶん違う。三人目、四人目のお産という人が沢山いる。五人目という人だって。それに、早産しそうな人に入院を勧めると、みなさん、「はい」と実に素直に入院される。上の子はおじいちゃんやおばあちゃんなどの家族がちゃんとみてくれる。家も狭いアパートでなく、圧倒的に庭のある一軒家がほとんどなのだから。ここにいるかぎり、少子化なんて、一体どこのこと?とさえ思う。

 やっぱりなあ、人間らしい生活をしようと思ったら都会より田舎の物よねえと思う。

 雨の中、車を飛ばして広島に帰る。遅くなって申し訳ない、と事務所へ。もう、これで大体の約束は終わったから、後は診療以外は事務所に入り浸ることができるから。と、いい訳めいたことを言う。みなさん、怒りもせず、疲れたでしょう、と肩なんぞをもんでくれたりして、ありがたいことでした。

 

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いろいろ

 昨夜、遅くに車を運転してお隣の山口県に来た。その前にある会議に出て、丁々発止、議論。久々に激しくやりあったので、運転しながら自然にそのことが頭に浮かぶ。私は、もうじき60才。なのに相変わらす、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり。いつかは花やお野菜を作りながら誰ともぶつからず、のんびりとおだやかな日々を送ることができるのだろうか、と自分でも苦笑する。

 11時近くに目的地着。テレビとメールを見ながらご飯。久しぶりに福岡の二番目の兄からメールあり。兄は、陶芸家であるが、同時に地域の文化協会の代表などをしながらあれこれ忙しくしいる。そしたら、仲間が立候補した選挙の後援会長になって忙しくしている、でも、初めてのことなのでいろいろととまどっている、とのことだった。まあまあ、そうなの。兄妹で似たようなことを、と、また苦笑。ブログを始めた事などを返事。

 ご飯を食べて、ああしんど、とベットに横になってテレビのニュースを見ていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。はっと目がさめたら、朝5時だ。秋葉事務所のMLで「熱が出た」と書いている人がいる。それは大変。次々と入れ替わりながら何人もが倒れている。そしたら、うん?私ものどが痛い。エアコンは空気を乾燥させる。あわてて洗面所にお湯を張り、ポットにお湯を追加してふたを開けたまま蒸気を出す。このようなポットの使い方が良くないことは分かっているが、加湿器がないので、緊急の処置だ。どうぞ、ひどくならないようにと祈る。

 ブログを初めて、私には全く新しい世界が拡がった。沢山の方がブログを書いている。広島ブログなんてのも、初めて知って、皆様のを読ませていただいている。面白いし、感動的だし。様々な人生に触れさせていただいて、ただただ感謝。先日娘に会った時に、「ママのブログはね選挙目当てということが、見え見えじゃないの」と辛辣なことを言われた。始めた動機は決して選挙目当てではなかった。でも、私の生活が今そうなっているし、診療は当然毎日しているけど、患者さんのことをそうプライバシーに触れて書くわけにはいかないからね、これからもいろいろ書くからさあ、読んでよね、と言っておいた。でも、その選挙だって、何人もの方に忠告を戴いて、何でも書けるという訳にはいかない。公にできるぎりぎりの所を公開する、なかなか難しいけれど、皆様に知っていただきたいことはいっぱいある。

 今日は朝8時からここで仕事。今晩はここでのことを書きます。

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ドクハラ

 診療の場では、毎日さまざまな女性達に出会う。初めて出会う人もいるし、長い付き合いの人もいる。

 14才の時からもう15年付き合っている人がいる。初めは、陸上部でのハードなトレーニングで無月経になっての治療だった。そこから、いろいろとあって、一人子どもを生んで、でも相手の暴力、DVで苦しんだあげく、やっとの思いで離婚。それから一人でこどもを育て、またこの度新たな出逢いがあり、結婚。彼女にとって第二子を出産する。妊娠の34週まで私のクリニックで健診をした。そして第一子を生んだ病院に紹介し、出産を依頼した。あらかじめ彼女自身が出産の予約は取っていての転院である。大きな病院は土曜日の診療はない。うちでは、土曜日も夕方まで診療をするから、仕事をしている人には都合がいい。だから、産休に入るまで健診は当方で、という人は結構いる。

 紹介状を書いてしばらくして、その彼女が話があるとやって来た。そして私の前で涙ぐんだ。診療に行ったら、もう、薬はのまなくていい。すぐに産んでもいいから、と言われた。彼女はハードな仕事をしていて早産気味で子宮の収縮を押さえる薬を処方していて、そのことも紹介状に書いている。そして、胎児の体重はどれくらいですか、と尋ねたら、それには答えないで、「胎児の足が長い。お父さんが違うからだろうな」と言われたと。子連れで健診に行っていて、上の子の前でそう言われたと。それだけは言って欲しくなかった、と泣く。一子と二子の父親が違うからと言って、それはないだろう。まして、それをこどもに聞かせることはさらにないだろう。全く、無神経というか、意地悪というか。で、もうそこには行きたくない。どこか今からでも産ませてもらえる病院があるだろうか、という相談であった。もちろん、もっとやさしく対応してくれる個人の医院に紹介した。

 別の女性。とてもとても苦労してやっと一人の子を得ることが出来た。そして、この度リウマチになってしまったと。かかりつけのドクターが大きな病院のリウマチ科に紹介してくださってそこで診療を受けた。そしたら、なんの病状の説明もなく、副作用の説明もなく、ただ、薬を飲むように、ということであったと。で、それらを尋ねたら、「飲みたくないのなら、飲まなくていいです。でも薬を飲まないのだったら、うちには来なくてもいい。」と言われたと。で、もうそこには行きたくなくって。私がひどいリウマチに罹って、その体験記を本に書いていた、そのドクターはどこなのかを私のクリニックの受付で尋ねて、そこに行ったと。そしたら、もう、診察の方法から違って、すごく丁寧に見てくださって、詳しく説明してくれて、すっかり安心してそこで治療をしてもらえる、ということであった。「まあ、私はあなたがそこにかかったなんて、知らなかったわ。いえばちゃんと紹介状を書いたのに。」といったら、「河野先生が本に書いていた、それを読んでここに来ました」と、自分で言いましたから、という。

思わず「きゃーっ、どうしよう。」と言った。私の治療の体験記ではあるけれど、そのドクターの診療や会話など、かってに書いている。そしてそれを何の連絡もしていない事に、ハタと気づいた。で、あわてて「かってに書いてすみませんでした」と手紙を書いて、本のそこの部に付箋を付けて、彼女に先生に渡してもらうようにことづけた。冷や汗をかいてしまった。まあ、ドクターの悪口を書いた訳ではないし、こんな素晴らしいドクターがいるということを書いたが故に、彼女はそのドクターに出会うことが出来たのだわ、とかってに自分でいいわけをする。

 それにしても、あまりに会話に無神経なドクターがいるものだ。これからは医学部では、コミュニケーション学とか、アサーションとか、会話の講座を作るべきだと思う。患者さんにとっては言葉一つで病状が良くなったり悪くなったりもする物なのだから。そう、私自身にもいいきかせながら今後の診療もしたいと思う。

 秋葉事務所では今、宛名書きや袋詰めなど、単純な作業で大わらわだ。ボランティアの人も次々来てくれる。中には、通りがかりの人で「何かお手伝いさせてください」と飛び込んで来てくださる方もあって、うれしいことだ。ただ、日によって人が多かったり足りなかったりする。それがボランティア選挙の難しいところでもあるのだが、仕方のないことだ。

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風邪?インフルエンザ?

 風邪引きさんは、診療の場には年中来院するが、インフルエンザは季節を選ぶ。

 今、だいぶインフルエンザの患者が増えて来た。B型もA型も両方ある。妊婦がインフルエンザに罹ると、なかなか難しい。妊婦はお薬を飲んではいけないと思っている人が多くて、高熱でもじっと我慢をして寝ていたりする。でも、熱は母体の表面だけではない。体の中も当然高熱となる。特に、子宮の中は、羊水が熱々だ。胎児は頭までどっぷりとお風呂につかっているのと同じになる。大人だって、お風呂に1時間も使っていると、ふらふらになるだろう、まして小さな胎児である。熱を出した妊婦さんの胎児の心音を聞くと、とても早くて、一分に180以上も拍動していたりする。ということは、1秒に3回も心臓が拍動しているということだ。こんなのが続くと、胎児は弱ってしまう。時には、心臓が停止し、胎内死亡を起こすこともある。だから、早く母体の熱を下げることが重要となる。

 今、タミフルの精神作用が問題になっているが、あれはこどもや若い人のことであって、大人は大丈夫。早くに飲むと、速効である。でも、タミフルは妊婦にはなかなか使いづらい。胎盤の通過性があるというし、催奇形性はないようだが、胎児への安全性は確立していない。今のところ、妊娠週数と症状を見ながら、ケースバイケースで対応しているが、いつも悩む。  

 さて、秋葉事務所にも、風邪引きさんが三人も現れた。体がだるい、のどが痛い、微熱がありそう、体調が悪い、などの症状が少しでもあると、すぐにクリニックに来てもらってインフルエンザテストをする。そして点滴をし、薬を出す。幸い、みんなただの風邪で、インフルエンザは出ていない。事務所の宿命として換気は悪く、インフルエンザに一人が罹ると、あっという間にみんなに拡がるだろう。それは、過去の選挙の教訓がある。私も選挙の真っ最中に高熱が出てふらふらになったことがある。当然、夫にもうつって、二人が真っ赤な顔になった。

 今回は選挙が真冬ではないので、インフルエンザの流行がすんだ後だろうと思っていたら、今年に限って流行がえらく遅く、今が丁度流行の始まりとなった。 まだまだ選挙は長丁場だ。みんな、特に当事者が健康で乗り切らなければならない。うがいとマスク、そして体調が少しでもよくないと感じたら、無理をしないで事務所には出ないで、ゆっくり休むこと。そんな指示をして、私はみんなの健康管理の責任者だ。

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今日の会で

 最終の飛行機で東京から帰ってすぐ「やまとの湯」に行って帰って来た。

 今日の会はとても盛況だった。全国の性教育に関わっているドクターの集まりで私は性教育バッシングについてしゃべるように、ということだったけれど、それに加えて、「中絶不可能の時期に来院した思春期妊婦のケアについて」というタイトルの話をした。バッシングは皆さんの報告でも、大変だった。特に東京都は、高校に講演に行く際、教育委員会から使用するスライドを提出するようにといわれ、提出すると、80%のスライドに使用不可の×をつけられてしまったのだそうだ。理由はさまざま。これは中学校で教えている、とか、不必要、とか、気持ちが悪いとか、いろいろと言われたと言う。失礼な話だ。私へのバッシングと並んで、皆さん、東京都の状況には絶望的で、これはやはり知事に代わってもらうしかないのではないか、という話になった。

 私の裁判については、資料集を配布した。私の陳述書や裁判所に提出した証拠説明書などを冊子にした物だ。それと、今、文科省からどのような指示が出ているのか、とか。バッシングがない地域の人も、いつ、突然飛んで来るかわからないので、知っておいた方がいい。例えば、今の文科省のカリキュラムは中学校で性感染症を教える。高校で家族計画としての避妊。本当は、私は義務教育のうちにすべての生徒に避妊をきっちり教えて欲しいと思っている。そうでないと、高校に行かない子や中退する子は何も正しく知らないままに、行動してしまう。私は知らないまま行動することの悲しさをいやというほど見てきた。避妊というのは、いつか、大人になった時にはほとんどの人が必要になる大切なものなのだから。そして、今、性感染症を教えるにも、「性交」や「セックス」という言葉を使ってはならないとされている。教科書からもこのような言葉は消えた。このような言葉を使うことによって生徒を刺激してはならないから、と。「性感染症」を教えるのに、「性交」といわないで、教えなければならない。「性的接触」という言葉で教えるように、となっている。今時、若者達が「性的接触」と言うだろうか。

もう一つ、私のクリニックには、SOSを求めてさまざまな少女達が来るが、もっとも深刻なのが一人悩んであげくにやっとの思いで来た時には、もう遅かった、中絶は法的に不可能という場合だ。そんな中、高校生にどのようなケアをしなければならなかったか、それも一人ひとりみんな異なったケースを取り上げて報告した。性交の経験はない、と言った妊娠8ヶ月の中2の少女の相手は高校生の実のお兄ちゃんであった。一週間後に受験があるて言って初めて来た子は、すでに臨月で、今にも生まれそうな状況だった。本当にびっくりしたのは、彼女が関西の超難関校の医学部を受験すると言ったから。彼女は相手の男に「妊娠したのではないかと思う」と訴えた時、相手が「知らん!」と言ったと。それでぐさっと傷ついて、それを封印。ひたすら勉強の世界に逃げ込んだと。このような子が、自殺や子捨て、子殺しなどの犯罪者に追い込まれて行くのだと思う。決して自業自得といえない厳しい現実がある。でも、私は、何があっても、どんなに困難な状況でも、何とか助けたいと思う。このような5人のケースレポートをした。

でも、なによりも心強かったのは、全国、北海道から九州まで、様々な都道府県で頑張っている産婦人科医の存在だ。実は、私が最長老になる。みんな若い。若いからとっても勢いがいいし、感性もいい。私は、すっかり安心した。こんなにいっぱい力強いドクター達が育っている。私はいつ引退してもいいね、と思った。これまでは、結構性教育のパイオニア意識をもって頑張っていたのだけれど、もう大丈夫。そう安心しながら、広島に帰って来た。

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今、東京です。

 昨日のブログは、変だったと、自分でも苦笑している。私の日付はぐちゃぐちゃだ。私にとって、夜寝るまでが今日で、とにかく寝て起きたら明日だから。昨日の「書けなかった」のは寝る前で、朝起きて出勤前に急いで書いたのがあの文章で。でも、考えてみれは゛その前は朝までほとんど徹夜で書いているのだから、日付で言うとちゃんとならんでいる。で、あらためて分かったことは私は睡眠ももうぐちゃぐちゃだと言うことだ。これは、勤務医時代にひどい生活で、お産や急患で睡眠をまともにとれないままに仕事をしていたそのおかげで、あまり寝ない体になってしまっている。それに、胃のピロリ退治したことにより、体重が増えて、低血圧がすっかり治ってぱちっと目がさめる。目覚まし時計なんて全然使わなくったって、必要な時にはちゃんと目がさめる。なんとも便利な体になった物だと思う。

 今日は、診療がすんですぐに雨の中を車を走らせて空港へ。で、最終の飛行機で東京に来ている。明日、全国の性教育に関わっている産婦人科医の集まりで発表することになっているから。事務所の皆さんごめんなさい、と後ろめたい思いをしながら、でも、これは゛っかりは、私一人では決められないスケジュールなので。で、東京について夜10時半に集合で娘と息子と息子の婚約者の彼女と4人でご飯を食へ゛た。若い三人と久々に会っての会話は発想が柔軟で楽しいけれども、どうにも私の日常と異なってとまどう。もっぱら私は聞き役だ。私と周囲はいつもいつも難しい話は゛かりしているのかも知れない。

 で、今、娘も一緒にホテルに泊まっている。私に「入浴剤、二つ持って来たけど、どっちがいい?」とか、「お風呂あがりには、このコラーゲンジェルをぬって。ママ、乾燥肌で痒いといってたでしょう?」とか、「髪型がおかしいから短く切れ」とか、「通販でこんな服があるから、ママ、買ったら?」とかとにかく私にあれこれ世話を焼いてくれる。多少うっとおしいけれと゜シアワセなことなのだと思う。

これから、明日話すパワーポイントと原稿の点検をして、娘が用意してくれている入浴剤のお風呂に入って、寝ることにしましょう。

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昨日はかけませんでした。

 昨日は、夕方から裁判で、その後弁護士さんも含めて性教育仲間と今後の方針の会議。その上、連載している養護教諭向けの原稿の締め切りで、それでいっぱいいっぱいで、ブログが書けませんでした。

お昼には、先日書いた東京のテレビ局の責任者、チーフプロデューサーと、現場のディレクター、計三人がクリニックに来て、ひたすら謝罪でした。謝罪だけは受け入れましたが、今後どう対応するか未定です。少なくとも、撮影した少女のフィルムは、彼女が許可した部分も含めて、一切使わないで廃棄するようにとだけは、約束してもらいました。

 そんな具合で、秋葉事務所にはちょっとだけしか行けなくて、申し訳ない限りでした。でも、部屋の中は多くの人で、ごったがえしています。沢山のことが同時進行です。

考えて見ればブログを初めて、丁度10日。ひたすら走ってきましたが、今後は一定のペースを作って負担にならないようにするのが、長続きのこつかな?と思っています。何しろ、昨日のを書くのが、本当に私の頭と労力を総動員したものだから、へたってしまったというのも、本音です。また今晩、ちゃんとしたのを書くつもりです。お休みしてすみませんでした。

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柏村さん、しっかりして!!

 2月19日の柏村さんのホームページを読んで、ひっくり返りそうになった。それまでとがらりと変わっている。少し長くなるけれど引用させて戴く。

「さて、広島市長選挙に向けての私の基本的な構想はほぼ固まってきておりますので今日はその大きな柱と行ったところをご紹介させて戴きましょう。今度の市長選挙で私が最重要に考えている点は、まず、広島市民の悲願といってもいい地球上から核兵器の廃絶へ向かって一層強力な機関車にならなければいけない。と共に、広島に住んでいる人々も、日々、平和を実感出来る都市にしなければ行けない。そして、この二大テーマを推進する為には、待ったなしに広島市の財政再建に取り組むべきであると考えており、、、、」

核兵器の廃絶と平和と財政再建ですって!?それが基本時構想ですって!?なんと、これまでとがらりと変わって。「私はタカ派と言われているけれど中道です」と必死にこれまでのイメージを変えようとなさっている、そのつもりでこんなことを言われるのだろうか。柏村さん、これまで国会議員として、核廃絶のために何をなさったのか。イラクの人々のために命がけでがんばっていた高藤さんを「反日的分子」と言い、時の総理からさえもたしなめられた彼が平和を説く!?まさか、平和のために軍備の増強をという論理なのだろうか。広島市の財政再建!?秋葉さんがそれ以前の借金のために、夕張のように財政再建団体になるかもしれない、そうならないために、必死でやって来た財政再建をどう見るのか。なんと、柏村さんらしくない!!これは、きっと誰かにこれまでのイメージを変えるために無理に言わされたことなのではないか、あまりに不自然過ぎる、と思った。

 そして、やっぱり。柏村さんの事務所開きの時に配られた「後援会通信」なるものには、本来の柏村さんが戻っていて、安心した。それでこそ、柏村さん!!いったいあの2月19日は何だったのだろうか。でも、通信には、間違いが目につく。

「8年間で広島市の市債残高は1500億円増加し、いまや1兆円に迫っています。」

こればかりあちこちで言われているようだが、全く不勉強。広島市は「地方税財政改革セミナー」を昨年10月19日に開催している。市長選に出ようとするなら、せめて自分の事務所の人を参加させるなり、後で資料を取り寄せるなりして、勉強すべきだと思う。私でさえ、市長選に関わろうとしたなら、これくらいの勉強はする。国の三位一体改革がどのように地方の、具体的に広島市の財政を圧迫しているか。そして、市債は、平成12年から算出を始めた、実質残高が問題であるということ。これは平成14年度をピークに減少をし、平成17年度の実質残高は7860億であると言うこと。実質残高というのは、「償還の時に国が払ってくれる減税補填債などの特別な市債」と「将来の返済に備えて減債基金に積み立てている額」を除いた金額であって、これを抑制することが財政健全計画の目標になっている、ということ。

 これを知らずしてか、知ってても意図的なのか、ただただ借金が増えているとばかり宣伝している。その上、財政再建といいながら、新球場を200億円のドーム球場にしろなんて、一体、だれがお金を出すと言うのだろうか。「お金がないから知恵をだしましょうよ。」それをもっとどんな知恵なのか、言ってもらわないと分からない。ドーム球場は、東京ドームを除いて全国、維持費が大変で、あの福岡でさえ維持出来なくなったということをどう説明するのか。

「広島を訪れる外国人観光客は増加していますが、日本の学生(修学旅行生)は年々減少しています。」

 修学旅行生だって、広島市に誘致担当課を作った結果、増えていますよ、柏村さん。子どもが減っている現在、修学旅行で広島に来る生徒の数が増えている、というのは、画期的なことなのに、ちゃんと知らないといけません。

 この、リーフレットの代わりとしてか配られた粗末な後援会通信は、後は、ただただ秋葉市政の悪口のみで(広島地下開発のずさんな計画は誰に原因があるのでしょう。 平和や核廃絶にかけて来た秋葉さんの努力を外交ごっこだの、パフォーマンスだの、そんなことを言うと、ご自分のイメージが貧しくなるだけなのに)自分の具体的な施策が抽象的で全く見えない。これでは、政策の論争にならない。

 あの参院選の時に、私でさえ「県民党です」のことばにだまされて、投票しそうになった柏村氏の、その後の変遷や、ウィキペディアにすら載せられている「問題発言」など広島市民で知らないものはほとんどないだろう。「元気宣言」というキャッチフレーズだそうだが、いつまでも「テレビ宣言」の人気が続いているとの錯覚は持たない方がいい。真摯に、謙虚にご自分の政策をきちんと発表されて、そうしてはじめて市民も柏村氏の言葉に耳を傾ける様になるであろう。そう、エールを送りたい。

人のことを書くには、それなりの正確さと自分のちゃんとしたスタンスを持たなければなららない。今日のブログは、これまでのように気楽に書き流すのでなく、渾身の力を込めて書いた。だから、徹夜になってしまったではないの。さあ、これから少し寝て、きょうは診療と裁判と。大変な一日になりそうだから。

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テレビ局と娘の友人と

 昨日、今日と東京からテレビ局が来ていた。若年の妊娠の報道特別番組をつくる、とのことで、以前の下取材の後のカメラを持っての取材である。私へのインタビューであれば、これはいくらでも応じられる。でも、問題は当事者に取材をしたい、との希望である。番組を作る上で、それは理解できる。しかし、当事者にテレビに出てしゃべって欲しいとの説得はとても難しい。生むのかどうするのかは当事者も家族もぎりぎりまで追いつめられての選択であって、そんな時に、人にしゃべる義理もないし、ましてつらい。今、次々と中学生の妊娠がある。生むという結論を出した子もいるし、生まないという結論を出した子もいる。世間で言われているように、軽い行動で軽い結論を出すわけでは、決してない。

 とても難しいけれど、やっと一人の高校生の中絶のケアの話をしている所を本人をではなく、私のみを映すということで、了解を得た。手術は痛いのか、どの時点でどんな麻酔をするのか、手術の翌日に試験があるのだけれど、それは大丈夫か、などとおびえながら彼女が質問をする。それらに答えながら、説明をした。どのようにケアをするのか、ということを取材してもらえばれでいろいろ分かるだろう、と。それを私の顔をねらって固定したカメラで、撮影をする。

 しかし甘かった。彼らは、彼女が診察室から出るところ、会計でお金を払うところをずっと別のカメラで陰から追っていたのだ。私は、「そんな了解を彼女から得ていない。」とせまった。もちろん、他人には彼女だとわからなくとも、本人が見れば分かる。「彼女が出て行く姿がほしいのです。」「あなた達がほしくったって、本人にはあなたが出て行く所を撮るとの了解は得ていません。そんな画像は使わないで。隠し撮りなんて、まるで犯罪者を撮影しているみたいじゃないの。」最後は、「では、考えさせていただきます。」とまでしか言わないから、ついに私は切れた。「わかりました。もう、一切ここでの撮影はなかったことにして下さい。私へのインタビューも含めて、すべてを使わないで下さい。許しません。」そして、彼らを受け入れたことを激しく後悔した。しゃべってくれないか、と話した何人かの子をも含めて、本当に申し訳ないことをした。自己嫌悪でいっぱいだ。マスコミの取材というのは、彼らに意図や思いがあって、私たちはあくまでも材料として使われる。それはもう、これまでの経験でよく分かっている。後で何度後悔したことか。また同じことを繰り返してしまった。それも、これまででもっとも強引で失礼な人たちだった。もっとも、今回は放映前だけれど、でも、患者さんを巻き込んでしまって、ああ、もう、申し訳ない。

 苦い思いをひきずりながら一人の女性に会いに行く。今日、秋葉事務所から帰ろうとしたとき、娘から電話があった。友人が広島に来ている。ご飯でもごちそうしてあげて、と。東京で一度会ったことがある女性だし。まあ、とても忙しいけれど、いいよ。と返事をしていた。私の姉と一緒に待ち合わせの場所に行く。彼女に会って「何が食べたい?」と聞くと「ご飯。パンばっかり食べていたから」と言う。近くのお寿司やさんに入って話しをする。なんと、驚いた。今朝の5時過ぎに東京を出て、15時間。青春18切符で鈍行を乗り次いで広島まできた、と。そして千円から三千円あまりの素泊まりのホテルに泊まりながら屋久島までの一人旅なのだそうだ。屋久島で「もののけ姫の森」に行きたいと。来る車中ではパンだけをかじっていたと言う。本当にさわやかないい子だった。若いっていいね。帰りながら、テレビ局のことで不快だった気持ちも彼女によっていつの間にか癒されているのに気づいた。

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今日は裁判の準備です

 今日は秋葉事務所にはお昼休みだけで、夜は失礼した。9日に裁判がある。それについて、裁判所から事前の提示があり、その返事をしなければならない。弁護士さんと相談した後、仲間と相談だ。朝メーリングリストでよびかけたら、5人の人が来てくださった。皆さん忙しいのに、本当にありがたいことだ。

 私にとって性教育は、診療と両輪のライフワークでもある。その私の活動について、全くいわれのない誹謗中傷を雑誌に書かれた。あまりにひどくて、そして私の今後に影響することでもあって、名誉毀損で提訴した物である。裁判というのは、たとえ原告の側であっても、そのプロセスでいろいろと傷ついて行く。途中めげそうになっても、まさか辞めるわけにも行かず、結構孤独になったりもする。でも、私には全国の多くの方が支援して下さっている。それにはげまされながら、ひたすらがんばる。今はまだ詳しくは書けないけれど、いつの日か、また書かせていただこう。でも、これは、単なる性教育だけでなく、教育界全体の問題であると考えている。全国で、そして広島でも平和教育も人権教育もそして命の教育である性教育もとてもやりにくくなってしまっている。子どもたちはどんどん自己表現がへたになり、人と議論することも苦手になっている。皆さんの貴重な意見を聴きながら、固く決心をする。せっかく提訴したのだから、頑張らなくっては。

 その後、まだ残しているレセプトのチェックを全部仕上げて、今日もまた遅くに帰宅。途中セブンイレブンに寄って、今日こそうどんだ。冷凍の鍋焼きうどんを買って帰り家で食べる。おいしい。皆さん、なんと言う食生活をおくっているのか、と、あきれられると思う。でも、子どもたちも巣立った今、時期に寄ってはこんなこともあってもいいのでしょう。食事作りを手抜きすると、それだけいろんなことに時間が使える、そんな実感がある。

 そして、夫と「やまとの湯」にいった。これが私の唯一の楽しみで、週3回行く。いろいろなお風呂に入りに行って、結局ここに落ち着いた。ここは露天風呂が広くて、本当に気持ちがいい。サウナ、水風呂、そして露天と入ると、特に今日のように冷える日は、最高!!

で、お風呂から帰ると、もう一時近い。本当にまあ、一日の短いこと。

こんな他愛ない私の一日の、つたない文章を読んで下さる方が多いのに、びっくりし続けています。コメントも書いて下さっているのに、お返事をしていなくてごめんなさい。また明日にでもお返事の仕方をならって出来るようにします。それに、私のコメントは自分で読んで、O.K.のだけ表示するシステムにしてあるので、time-lagが生じます。そうしないと、とくに選挙の他陣営の誹謗などが出ると困るからです。(すでにそんな表示出来ないケースもありました。)とまどわれる方がおありのようで、すみません。でも、どうぞよろしくおねがいします。リンクしてあるみこし連のホームページも覗いて下さいね。あちらも、どんどん更新されていますし、携帯のモバイルサイトもできています。

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久しぶりに夫と居酒屋へ

 今日は会議で遅くなった。帰る時、今夜は家の周囲のポスティングをするからとリーフレットを300枚持って帰ろうとしたら、Nさんが、「やめてください!!」と激しく言う。「何かあったらどうするんですか」と。「何かって、別に違法なことではないんだから。大丈夫でしょう」と言うと、「そうじゃないです。治安の問題です。夜中に一人でビルなんかに入ったり、路地を歩いたり、そんなのやめてください」と言う。ああ、そんなことか。私は今、選挙違反に敏感になっているから、例えば逮捕とかそんなことばかり考えていた。今更、若い女性でもあるまいし。でも、まあ、危ないことなのかも、と思い直した。

 うちに帰ってインスタントラーメンでも食べようとごそごそしていたら、彼が「あれっ?めし、食ってないの?」と聞いた。このごろは、いろいろで遅くなることが多いので、しばらくご飯は別々で。たぶん私はたべて帰るから、と言ってある。でも、今日は食べそびれた。そしたら、彼が「僕はうどんを食べただけだから。何か食べに行こう」と言う。私は、自転車での帰りがとても寒かったので、熱いうどん、でもそれがもう家にないので、ラーメンが食べたい。また外に出るのはおっくうだと、気が進まなかったのだけれど、それでは栄養が取れないてしょ、と彼がいささか強引だった。で、それならと、リーフレットを持って出かけた。久々に彼と夜道を歩く。本通りに行き、何を食べようか、まず和民、次にサイジェリアで店の前のメニューを覗く。どちらもいまいち。で、結局紙屋町の地下の「参九亭」に行った。本当にどうしてこんなに安いの?というほど安くてでも、おいしい。とらふぐのさしみ、ヤリイカの姿づくり、白魚のてんぷら、すなずりポン酢、生春巻き、キムチ雑炊。で、全部で2530円。一人1265円。もっとも、二人ともお酒は飲まないで食べるだけだから、安いのかも知れない。食べながら、あれこれ話をした。今日事務所にいたら、マスコミのO.B.の方達がどっと来て、夫の話も出た。昔、彼と同じ記者クラブにいた人たちだ。彼が新聞社を辞めて、もう10年以上前になるけれど、皆さん、良く覚えていてくださった。そんな話から、彼といろいろと昔話をする。本当にあっという間に時が経ってしまって。いい年になってしまった。これからあと残りの人生をどう悔いなくすごすか、ということだと思う。

 たらふく食べた後、マンションや個人の家にポスティングをしながら帰った。一人ではなく、ボディーガード付きだから、こわくはない。市内、だいぶ配布出来たが、まだまだ。広島市は約30万世帯だという。全世帯くまなく配るのは、とても不可能。でも、本当に多くの人に見ていただきたい。そして、秋葉さんがこれまでやって来たことを知っていただきたいとつくづく思う。だから、もっともっと精力的にこれからも配らなければ。

秋葉さんは、公約を考えたり、挨拶回りをしながら、お引っ越しで大変だ。任期が終わったから、市長官舎を出なければならないのだそうだ。もし、選挙に勝ったなら、また戻るためのお引っ越し。二回もするなんて、気の毒な話だと思う。まだ任期中に、いつ官舎を出るのか、と、議員の人が議会で嫌がらせのような追及をしたという。もう少し、議会に暖かみがあってもいいだろうに、とつくづく思う。

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市長選について

 私が秋葉さんの市長選に関わるようになって、3回目の選挙である。過去二回、他陣営により数々の中傷文章が蒔かれた。一回目はばかばかしい、と無視をした。二回目の選挙の時の文章は、私は許せなかった。何から何まですべてねつ造のあまりにひどい中傷で。だから、私は公職選挙法違反と名誉毀損で刑事告訴をした。「私は訴えますけど、秋葉さんはいかがですか?」とたずね、秋葉さんとワイフのしずかさんの三人が告訴人となった。告訴が受理された後は、何回も警察に行き、調書を作成。そして、4人の男達が逮捕された。結果、全員有罪。主犯格の男は、最高裁まで行ったけれど、結局実刑判決が確定した。途中には、右翼の男がクリニックに乗り込んできたり、電話がかかって来たり、身の危険を感じることもあった。でも、不正は許さない、のその一点で頑張った。

今度の選挙でも、もう、ねつ造の中傷を言って回っている人がいると聞いた。ネット上にも書かれている。私たちは、あくまでもきれいな選挙をする。卑怯な手段は取らない。それは、人間としての誇りでもある。そして、それは同時に他の陣営の卑怯な手段も許さないと言うことだ。

 今日は秋葉さんの作った公約をみんなであれこれ添削をした。みんなの意見を出し合うと、やっぱり一段と素晴らしい物になったと思う。これらを市民の皆様に出して、判断してもらう。政策の論争は多いに結構。それにしても、秋葉さんは厳しい財政の中で、市民のための沢山の政策を展開してきて、私たちは多くの恩恵にあずかっているのに、どうして、「何にもしていない」などといえるのだろうか。

 昨日事務所開きをして大量に蒔かれた柏村氏のリーフレット?にも、意図的なのか、不勉強なのかわからないけれど、ひどい間違いがある。無視はしたくないので、次回はそれへの反論をしようと思う。

 昨日、疲れたなんて書いたものだから、皆さんに心配をかけてしまって。一晩寝れば疲れなんてすぐに取れる。ただ、今は月初め。レセプト(保険の請求)がある。それをしなければクリニックにはお金が入らない。時間がいくらあっても足りない。いつもいつも時間においかけられながら生活しているような気がする。

 でも、今日はパソコンの達人に教えてもらって、広島ブログのバナーを貼り付けることができた!!これでまた楽しみが増えた。一つひとつクリアしながら、楽しみを増やして行こう。それに、今日は娘と電話で話した時に、ブログを始めたということを伝えた。家族に読まれるということは、また一段と緊張するものだ。だって、大学時代のことなんて、これまでほとんど子どもたちには話していないもの。まあ、恥ずかしい人生をおくっているわけでもないし。変わらず本音を語って行きたい、と思う。

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くたくたです。

 土曜日は、週のうちで一番診療が忙しい日。患者さんが来易いように土曜日は半ドンではなく、一日中診療している。今日は、やっと診療が終わったと思ったら、東京から某テレビ局が取材に。近々若年の妊娠、出産についての報道番組を組むのだそうだ。例の「14才の母」から、この手の取材があいついで。でも、問題点が良く分からないままに一種の偏見をもって取材をされることが多くて、うんざり。若年の性というと、援助交際とか、出会い系サイトとか、そんな中で安易に妊娠している、とか。問題はそんな物ではないと言うことから、順々に説いて行く。それでも不十分だから、私の書いた論文とか、著書だとかを渡して、勉強してもらうように、宿題とした。どうせ、番組を作るのだったら、いい番組にして欲しいから。

そして、夜は選挙のリーフレットのポスティング。計8人で走り回って。みんな平気そうだけど、私は足がへろへろ。夕飯も食べる間がないままにでかけたので、お腹はすくし、ああ、疲れた。やっぱり年なのかなあ。

今日は、市長選の他の陣営のことを書くつもりだったけれど、疲れ果てているので、明日にします。

それに、やっぱり大勢の方に読んで戴いているようで、その勢いには、呆然としてしまう。それぞれのお返事もかかなければ。特に、広島ブログのshiozyさんには、本文で紹介して戴いたので、そこから飛んで来てくださる方があって、感謝。また、改めてお礼をいいましょう。とにかく、今日は、明日に備えて、こたつにもぐって寝ます。

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うわぁん、はずかしいよお!!

もう、本当に恥ずかしい。今日はまったく不調で。お昼に書いた本文はどこかに消えてしまったし。夜書いていて途中、用が出来て、保存にしたと思ったら、勝手にアップされてしまっていたし。おまけに、広島ブログのポイントをつけようと思ったら、まるで文字化けのようなのが並んでいるし。さらに、今の私には、それを削除する知恵もなくって。このまま恥をさらし続けるしかないのでしょうか。それに、昨日の日記には、コメントを受け付けない、になってしまってて。そんなつもりはないのだけれど。すみません。まだまだ初心者で。そのうち、ベテランになるべく頑張ります。

で、先ほどの続き。秋葉事務所には、次々と人が尋ねてきて、カンパを持ってきてくださったりリーフレットを沢山持って帰ってくださったり。近所に配ってくださるのだそうだ。1000枚、1500枚と重いのを持って行ってくださるのは、本当にありがたくて。

私も頑張らなくっちゃ、で、メーリングリストでポスティングの参加を呼びかけたら、次々と参加の申し出があって。だから、チームを組んで、市内を回る。これが結構楽しいんだわ。私たちは業者に頼んで配布してもらう、なんてことはしない。あくまでも手作りだから。みんなで出来る範囲でやる。出来ないことは出来ない。まったく、部活ののりで。事務所は部室と同じように、和気藹々と楽しい場になっている。思い返すと、初めての市長選の時には、こんなて゜はなかった。いろいろと疑心暗鬼や、悪口もけんかもあった。泣き出す人もいたし。それを考えると、みんな大人になったものだ。秋葉さんも上機嫌で、全く元気で挨拶回りをしている。さあ、この調子で後一月を乗り切って行きたい!!と思う。

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びっくりしました。

 夜遅くにお寺から帰って、開いてみてびっくりした。コメントがいっぱいあるし、アクセスか゜400もあるし。もう、本当にびっくり。私はまだこのブログを立ち上げるのが精一杯で全然詳しくなくって。写真も載せたい、広島ブログのランキングにも参加したい、コメントへのお返事も書きたい、と思っても、全然分からない。一つ一つ、ゆっくりクリアして行くしかないのだけれど。

 コメント、shiozyさんのコメント、きゃっです。どなたなのか分からないけれど、私の学生時代、すなわち独身時代をご存じだなんて。だったら、あのことも知られているのかしら。わあ、かなわんマイッタ。なんて思いながら、でも、ブログを読んで思わず正座。背中がしゃんとしました。大変な毎日を送られている様子。これからも読ませていただきます。どうぞ、よろしくお願いします。

文月様、本文も読ませていただきましたルご紹介いただいて、本当にどなたなのか分からないけど、恐縮です。これからもよろしくお願いします。

と言うことが、ブログというのはできるということなのですね。どなたなのがわからないまま、ただただ書いてある内容で交流するという、私には今までにない経験で。さあ、またがんばって更新しますね。

 今日は、夕方から私の信頼する後輩の女医さんに代診に来てもらって、広島テレビのテレビ宣言に出演、討論をした。テーマは「赤ちゃんポスト」他のお二人は賛成で、わたし一人反対で。私は医療の現場でびっくりするような出来事に遭遇することがしばしばある。若い女性で、悩んでいる間にあっという間に時が経ってしまって、病院に来た時にはもう人工中絶が不可能だった、生むしかない、でも、育てることもできなくて。という様なケースもしばしばある。でも、彼女たちは決して安易に命を粗末にしている訳でもない。私はこんな子どもたちのために、養子縁組のお世話もして来た。そんな立場から、反対といったのだけれど。そんな場合、もっとちゃんと生む所からケアをしてあげないと。だれがどこで生んでだれがポストにまで連れていくのか。それを考えただけで、ぞっとする。もっと全国にちゃんと相談出来る場が必要だと思う。そんな立場からお話をした。短い時間だけれど、一生懸命お話をした。最後は、もっと性教育の充実を、と、意見は一致したと思う。

また、機会を見て、性教育についてはしっかり書かせていただきたい。

秋葉事務所で。

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今日は休診日です

今日は木曜日で休診日。

午前中は10時から12時まで広島市女性教育会館で講演。「大切にしたい自分のこころとからだ」というタイトル。女性達が沢山来てくれて、満席。私は、女性たちはもっとからだを知らなければならないと思う。ちゃんと知って自分で自分の体の管理ができる、そんな大人にならなければならない。私たちの時代は女はすべて男に任せておくのが一番いいこと、と教えられた。性教育とは、本当に子どもたちに力をつける教育、今こそそれを本気でしなければ。体の学習とともに、そんな話をしたら、皆さん、結構楽しんで聞いてくださった。先週は熊本だったけど、今日は市内なので本当に楽。

 午後は秋葉さんの後援会事務所。夜は今日は1日なのでお寺に「お一日参り」に行く。お一日参りと、もう一日行に行く。今は滝の行。この月に二回でも、しっかりとお経を唱えることで、また先生にお会いすることで、元気をつけていただく。お寺に行くことは私にとって今は欠かせない元気の源となっている。

後援会事務所では、集まった皆さんが静かに淡々と事務仕事をしている。名簿づくり、宛名書き、することは沢山ある。皆さん、ボランティアで熱心に来てくださることに頭が下がる。私にとっては秋葉さんの勝手連、みこし連の代表として三回目の市長選挙となる。今回は、秋葉さんの出馬の決心がとても遅くて、本当に困った。きっと出てくれる、とは思っても、確証を持つまでには、ずいぶんと時が経った。本当に大変な職だもの。もういい加減自由になりたいと思われても、何の不思議もない。でも、今、ここで辞めたのでは、せっかく苦労してここまで市政を刷新されたのが、あっという間に元に戻ってしまうだろう。何としてももう一期やってもらって総仕上げをしていただかないと。まだ広島の再建は途中段階だから。中国新聞に「さすが手慣れたもの」みたいに、事務所開きに向けて用意周到であったと書かれていたが、実情はとてもそんなものではなく、本当に大変だった。事務所開きの一週間前の日曜日に数人で事務所を見に行ったのが実情で。月曜日に内装の人が来てくださって。もちろんこれもボランティアの人。一声かければ、はせ参じる人たちがいっぱいで、これが秋葉さんの強みだ。しかも、それぞれ自分の出来ることの異なる人たちがいっぱい。デザイナーも、コピーライターも、印刷会社の方達も、ほとんど徹夜で頑張ってリーフレットを作ってくださったし、そのリーフレットを拡大してポスターがわりにしよう、とか、次々とアイデアが出て来て、結局それらがうまくかみ合って事務所開きを迎えたと言うことだ。パソコンの達人がホームページを作ってくださって。それに、感心したのは、選挙関連のグッズを見に、秋葉さんの自宅の倉庫にうかがったら、しずかさんが、四年前のグッズをちゃんときれいに取っていたことだ。運動員のジャンバーは、ちゃんと洗濯して、たたんでボックスに入れてあった。背中の赤と青の手のプリントも、何の違和感もなく、そのまま使える。こんな風だから、私たちの選挙は手作りでお金がかからなくて、しかも和気あいあいと楽しくできる。後出しが有利だとか、作戦だとか詮索されるけれど、全然そんなものではなくて、なるべくしてなるのが秋葉選挙であって、それが実情なのだ。

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