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パンフレットを改訂しました。

改訂版「子供のハナを考える」のパンフレットができました。内容改訂だけでなく、パンフレットそのものが大きくなり、文字も大きく見やすくなっています。待合室のラックに入れてありますので、ご自由にお持ち下さい。「ハナが止まらない」「セキが続く」「中耳炎を繰り返す」患者さんには、お役に立つと思っています。このテーマ、いずれこのブログでも、少しずつ解説していきますね。僕もぼちぼち文字の大きな「らくらくホン」に切り替えかなあ。

湯布院にて

病気の流行もなく、静かな時間が流れています。診療時間が流動的ですが、この時期はお許し下さい。以下、雑談です。
先日、大分に帰省した時に、湯布院に宿泊しました。別府から湯布院にかけて、鶴見岳(1375m)と由布岳(1584m)という九州らしい山があり、よく登っていました。由布岳の麓の湯布院(由布と湯布は字が違います)はいわば庭みたいなもの。今回、久しぶりに泊まって、人の多さにビックリ。新宿の雑踏かと思いました。あまりに雰囲気が変わっており、静かな昔の金鱗湖が懐かしく思い出されました。
泊まったホテルは「はな村」。部屋に向かう廊下で、一枚の水墨画が目にとまりました。竹カゴを伏せた状態にしてつっかい棒をし、その下のお米をスズメたちがついばんでいる絵。小学生の頃、棒に結わえた糸を引いて、スズメを捕まえてよく遊びました。絵に描かれたスズメのかわいさと、絵の暖かさに、一目ぼれ。
食事の時に、仲居さんに「あの水墨画、誰が描いたの?譲ってくれませんか?」と言うと、「ここの女将さんが書いたもので、売り物ではありません」との返事。「女将さんと交渉するから」と言うと、「明日、伝えておきますが、売ることはできません」。翌朝、朝食のテーブルに、一枚の小さなスズメの水墨画が添えられていました。題材は「なかよしこよし」。その後、女将さんに会って、お礼を言うことができました。小さな思い出の絵になりました。細やかな心遣い、我々の仕事にも通じるものがあります。
湯布院や鶴見岳(ただし、時間がないのでロープーウェイで)を散策し、大分の母に会って、そのまま帰京。この日の歩数は23000歩。この「なかよしこよし」は医院の入り口の、左の下駄箱の上に。来院時には見て下さいね。

大分にて(?)

21日から23日まで休ませていただき、ご迷惑をおかけしました。8月下旬から9月中旬までは、病気の流行もほとんどなく、年間を通じて最も静かな季節です。待ち時間はあまりないのでは?
13年ぶりの大分。母と2時間ほど話ができました。お墓の事、健康のことなどいろいろ。年齢とともに老いるというより、「老いと戦う」ことを学びましたね。もうすぐ88歳。9月の敬老の日に歌う予定の歌を、3番まで歌ってくれました。ついでに、プラス4曲も。記憶のトレーニングらしい。私が「雨が降って数日閉じ込められることもあるよね。寂しくないのかい?」と尋ねると、どうも意味を理解できないようで「なんで寂しいの?」という答え。高速で30分ほどの湯布院に宿泊し、翌日に再び家に。「なんで来たの?早く帰りなさい」。性格が似すぎて、昔からあまり口を聞かないのですが、家内は大のお気に入り。「女の子はいいね。男はいらないわ」が口癖。
写真を載せるべきか迷ったのですが、めったにないことなのでお許し下さい。たまには、このような企画もあっていいのかなあ?

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私は母親似と言われています。
縮小大分  母
家内とのツーショット。「九州男児なんて弱いだけ。男は嫁さんの言うことを聞くように」と言いたいらしい。

大分にて(?)

16日の診療が終って、羽田から大分へ。九州での雷雨が影響して出発が遅れて、6時過ぎに空港着。レンタカーでホテルへ。家内に荷物を頼んで、別府の料亭へ7時過ぎに滑り込み。高校の生物部の同窓会。生物部の2人の先生は無事退官されて出席。37年ぶりに会う後輩たちとも話ができました。同級は私を含めて3名(他3名は欠席)。昔から仲の良かった友人たちです。発起人は同級で、福岡の海ノ中道海浜公園(水族館)の館長の高田君。彼が「今の仕事の原点は、生物部にある。皆に有難うと言いたかった」と挨拶。私も同じ気持ちでした。登山やキャンプ、実験の話で盛り上がった同窓会でした。当時もムチャクチャなことをやっていましたね。
次の朝、車を途中に置いて、家内と徒歩で、小学校2年、5年、6年の3年間お世話になった荒金先生の家へ。途中で雷雨。76歳の先生が途中まで、車で迎えにきてくれました。おそらく40年ぶりの再会。2時間ほど話をしました。私は学生時代、ほとんどの先生と波長が合わないというか、ソリが合わないというか。でも、荒金先生には特別の思い入れがありました。何と言っても、自由にやらせてくれたことです。先生に「授業中でも、蝶が飛んでいると、外に飛び出して網を振り回していましたね。自由で楽しかった。」と言ったら、意外な返事が返ってきました。「あまりに自由にさせ過ぎて、人生を誤った子供たちも多かったんじゃないかなあ。教育者として本当の申し訳なく思っている。」私が「先生、私は曲りなりにも、まともな人生を送ってますから、大丈夫ですよ」と言ったら、「タケちゃんは、まあいいとして、そのままズルズル人生を送った子も多かったかもしれない」私が笑って「そんなことないですよ。勉強も人生もしっかり教えてもらいました」と言ったら、少し微笑んでくれました。40年のブランクも全くなく、冬の夜当直室に忍び込んで、ダルマストーブを囲んで、先生といろいろ話をしたことを思い出しました。
家内は笑いながら、横で話を聞いていました。先生が最後に「お母さんと時々電話で話すよ。タケシはお嫁さんがいいからねと、いつも奥さんをほめています」と言ってくれました。雨もあがり、車で送ってくれるという優しい申し出を断り、別府の町を家内とゆっくり歩きながら、「故郷を空けすぎたかなあ」と思いました。「人生は前を向いて、自由に歩くもの」という哲学ですが、道端に何か落し物をしていたことを思い知らされた別府散歩になりました。その後、最大の落し物(?)かもしれない、母に会うために、車で大分に向かいました。この雑談も、本当に長過ぎます。この日の歩数は17000歩。

連絡(確認)事項

1)8月18日(月曜日)は休診させていただきます。
2)8月19日、20日は通常通り診療します。
3)8月21日、22日、23日は休診させていただきます。
4)8月25日の週は通常通り診療します。
5)現在流行している病気はオタフクカゼ、ヘルパンギーナ、プール熱です。(この3疾患の詳細は過去のブログを参照して下さい)

8月18日

「今週は診療していますか?」という電話が、頻繁にかかってきます。今週はほとんどの小児科、耳鼻科、眼科、皮膚科は夏休みのようです。診察の時に「今週やっていて本当に助かります」という感謝の言葉を聞くと、この子供も病気も少ない時に、診療していて良かったと思いますね。3人の娘たちが親元を離れた時から、時間に流動性を持たせたいと思っていました。他の医師が休んでいる時に働く、病気が流行して、患者さんが困っている時にに働くことが、年寄り(?)の役目。
逆に来週からは、ほとんどの医院が診療していますし、病気も少ないため、18日(月)と21日(木)、22日(金)、23日(土曜)は休診させていただきます。19日(火)と20日(水)は診察します。
17日と18日は久しぶりに、故郷の別府に帰省するつもりです。最後に帰ったのがいつか?思い出せません。おそらく13年ぶり?もうすぐ88歳になる母と、少し話をしておかなくてはと考え、帰省する決心を(そんな大げさなものではありませんが)。ご了承いただければと思っています。
(追伸)
前回、オタフクカゼのウイルスが変異しているという話をしました。不思議なことに、オタフクの流行があっても、オタフク髄膜炎を起こしやすい流行と、全く起こさない流行があります。ウイルスに差があるのかもしれません。7月中旬よりにオタフクの小流行がありますが、髄膜炎を4名(3名入院)経験しました。オタフクにかかって髄膜炎をおこすのは30名に1人と言われていますが、現在流行しているオタフクはもっと頻度が高いように感じています。髄膜炎はオタフクを発症した日から一週間以内に、発熱、頭痛、嘔吐で発症します。今回のオタフクは要注意です。




オタフクカゼとワクチン

今週はお盆の帰省という方が多いのでは?東京は子供の姿は、本当に少なくなりました。プール熱もヘルパンギーナも終息に向かっており、来週は患者さんは少なく、待ち時間は0から10分と予想。
堅い話が続いてそれでなくても暑いのに、さらに暑苦しくて申し訳ありません。15年ほど前に学校の健診で、片方の耳は全く聞こえないことが判明した患者さんが来院しました。子供は片方が聞こえていると、生活上に支障はなく、本人も意識していないため、いつから聞こえなくなったのかはっきりしません。原因として疑われるのは、まずオタフクカゼによる難聴。最近、新聞等でも問題となっています。どのくらいの割合で難聴になるのか?300?400人に1人とも言われますが、明確なデータはなく、私は経験上もっと多いと思っています。オタフク難聴は片方の耳が聞こえなくなって、回復することはありません。
でも、来院したこの子は、オタフクカゼにかかったことがないとのこと。そこで血液検査をしてみました。何と、抗体陽性。免疫があるということは、かかったことありの証明。オタフク難聴であると推測。ところが、その半年後に耳下腺が腫れ、口の中からオタフクカゼウイルスを検出。この子の経験から、オタフクカゼは2度かかる、免疫があってもかかることが証明されました。いろいろな所で、「オタフクの2度がかり」の話をしたのですが、当時は専門の学者も全く取り合ってくれず。しかし、現在では、「2度がかり」は、ほぼ常識になっています。原因はオタフクのウイルスが変異を繰り返していることに。オタフクの抗体を持っていても、変異型(?)オタフクにはかかるということ。私は「自然感染の2度がかり」を3例は証明しています。なぜ、このような話をするのか?
アメリカではMMR(麻疹、風疹、オタフク)ワクチンを2度、日本ではやっとMR(麻疹、風疹)ワクチンを2度接種することになりました。つまり、アメリカではオタフクカゼのワクチンも2度接種。しかし、現在、アメリカではオタフクの流行があり、その中の63%がオタフクカゼのワクチンを2回接種していることが問題となっています。経験上、オタフクカゼワクチンは生きた(弱い)オタフクウイルスを接種して、軽くオタフクカゼにかからせて、免疫を作ることを目的とし、打つことで100%近く抗体ができます。しかし、かかることがある。自然感染が2度あるなら、ワクチンを接種してもかかることがあるのは当然のこと。
1)オタフクカゼは2度かかることがある。原因はウイルスの変異に。
2)ワクチンを接種してもかかることがある。ワクチンで免疫がついていても。
これを前提に、オタフクのワクチンは必要ないのか?私は接種することをお薦めします。その理由を3つ。
1)現状では90%は予防できている。
2)オタフク難聴が恐い。現状ではワクチンしか予防方法はない。
3)オタフクカゼにかかると髄膜炎の危険が高い(オタフク髄膜炎は30人に1人。但しワクチンでも1万人に1人は髄膜炎を起こす)。

日本脳炎ワクチン

7月末より日本脳炎(日脳)ワクチンの接種希望者と、ワクチンについての質問が、急に増えています。その理由はマスコミの報道にあります。3年ほど前(平成17年5月30日)に、日脳ワクチンによる副反応が問題となって、現実的にはほぼ中止状態になりました。すぐに、安全な新しい日脳ワクチンが作られるという妄想がありましたが、そううまくはいきませんでした。今接種されている日脳ワクチンは、このトラブルがおこる前に作られて、保存されていたワクチン原液を、加工して小出しにしているものです。つまり、従来のものと同じ。その保存されている原液も、残りわずか。ワクチンを接種していない人口が増えると、日本脳炎を発症するリスクが高まる?
新しいワクチンは来シーズンに間に合うのか?それが果たして安全なのか?十分に供給されるのか?公費は7歳半までに3回接種なので、年齢を超えた未接種者はどうするのか?多くの問題を抱えています。
個人的には現在のワクチンの安全性は高く、有効であると考えています。私は希望される方には、日脳ワクチンを接種する方針です。日本脳炎にかかることを心配される方、九州や沖縄に旅行される方、東南アジアに渡航される方は、日脳ワクチンの接種はいかがでしょうか。
(参考資料)
1)日本脳炎の発症状況:平成17年(7名)、18年(7名)、19年(10名)
2)日脳ワクチンのスケジュール:
?期3回:生後6か月以上から7歳半までに連続2回。およそ1年後に追加1回(個人的には3歳以上がお薦め)
?期1回:9歳以上から13歳未満で1回
3)日脳ワクチンを受けたい方は、市町村の担当窓口に相談して説明を受けて下さい。

夏休みのお知らせ

当院の夏休み及び9月の臨時診療日のお知らせです。
診療日が追加になりました。

8月・9月の休診日
8月18日(月)
8月21日(木)
8月22日(金)
8月23日(土)

9月3日(水)
9月4日(木)


臨時診療日
9月15日(日) 7:00?9:00
9月23日(祝) 8:00?10:00



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オモチャ

本格的に夏休みですね。ゲガと事故にはくれぐれもご注意を。
2年前から受付に、8月のみ小さな子供向けの(たわいのない)玩具を置いています。ご自由に1個ずつ持って帰って下さい。オモチャやお菓子を小児科で渡すことは、本当はモラルに反することだと思っています。でも、8月の夏休み、東京に子供の姿は少なく、旅行や実家で遊んでいる子供の多いこの時期、病気で医院にかかる子供たちに、些細な楽しみがあってもいいのかなあと、何と宗旨変え。東京でも夏祭り、盆踊りがありますが、あの盛り上がりを見ると、自分の哲学より、子供たちの楽しみが優先という気持ちになりますね。
最近の中国問題で(日本のオモチャのほとんどが中国、台湾製?)で、毎年いろいろ気を使います。より安全なものを選んでいますが、反対に面白みに欠けるかも。その点はお許し下さい。
(夏休みの予定の変更)
9月14日、15日は連休になりますが、15日(敬老の日)の朝7時から9時に診療します。追加です。