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2015/03/26

politique:自衛隊は軍隊じゃないという意味

安部首相が自衛隊を「我が軍」と呼び、これに文句がつくと菅官房長官が擁護するという一連の流れが話題になっている。

確かに自衛隊は世界有数の軍事力を擁する組織で、国際法的に軍隊扱いをされるし、またそうあるべき存在であるのは確かだ。しかし、それを敢えて「軍隊ではない」という建前を維持することの政治的な意味・意思について思いを致せば、安部首相と菅官房長官が良くて浅薄、悪ければ下心をもって、上記の発言をしたように見えてくる。

以下はツイッター等で書いたことの転載。

まず、自衛隊は軍隊かどうかで揉めるのなんてアホらしい、現実的には既に軍隊だという人がいるが、軍隊とは言わないという建前が、これまで軍備増強を野放図にやっては行けないという共通了解、あるいは紛争に戦力を使うのは悪という共通前提を保持してきた。

そのような機能を持つ建前は、当然現実とは異なるわけだが、背後の真実を口に出すことで、建前が持ってきた機能、すなわち軍備増強や軍事力使用への心理的な抵抗感が失われる。

こうして憲法9条の空文化がまた一つ進む。これこそが下心を持って発言する首相の思う壺だ。

このように建前ないしフィクションを置くことで、一定の政治的な機能を仮託することは、憲法9条に限ったことではない。法概念のそのような機能を知らないで、「現実には軍隊ですよね」というのはナイーブというものである(ナイーブ=英語では素朴とか単純バカみたいな意味で使われる。)。こちらが上で言う浅薄の意味だ。

もちろん、軍隊じゃないということの機能を知りながら敢えて現実には軍隊だと言ってみせるのは別だ。
政治的に軍備拡張、軍事的圧力で国際紛争の解決をできるようにする、憲法9条をなくそう、そういう選択をしている人が「自衛隊は軍隊にほかならない」と発言するのはよく分かる。これはナイーブじゃない。確信犯とでもいうのか。こちらが下心だ。

なお、このように言うことは、別に自衛隊が現実に軍隊なのかどうかを議論したいというわけではない。むしろその種の議論は不毛だ。そうではなくて、自衛隊は軍隊とは違うんだという建前の下で、だから軍拡はしないし、対外戦争に積極的にもならないという政策の方向性を維持すべきだということだ。

このことは、少なくとも旧軍とは同じじゃない、連続性もない、旧関東軍のようなことができる態勢も意識もない、だから軍隊とは呼ばないという歴史に根ざした政治的意思が凝縮されている
自衛隊を軍隊と認めることは、このような歴史認識を薄れさせるという点で有害で、逆に覆すことを狙っているかもしれない。
このことを指摘することは、自衛隊が軍隊じゃないと主張することとは違うのだが、この点がなかなか理解されないようだ。

旧軍との関係を度外視しても、アメリカや中国、あるいはロシア、NATO、下は北朝鮮に至るまで、軍事力で他国との紛争に自国の意図を押し通そうとすることが行われている。
自衛隊はそのような道具としては使わないし、使えない限度での存在に留めるというのが、自衛隊は軍隊ではないという建前の現在意味するところなのだ。
自衛隊は軍隊だという人の意図が上記の軍事力による国際紛争手段を日本もできるようにしたいというところにあることを指摘し、それは憲法上の禁止事項だと指摘しなければならない。

このような議論の中で、現実に自衛隊は軍隊だとか、国際的に軍隊だという発言は、実にナイーブだと言わざるをえない。

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