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2011/03/31

震災関連のいくつかのblog

まず、プルトニウムが怖い人向けの情報、その名も「震災支援:プルトニウムが怖い方へ」(粂 和彦のメモログ

 もちろん、プルトニウムなんて問題ないというバラ色報道とは一線を画した内容になっている。

次に、原発事故報道と戦前の新聞ニュースの現場で考えること

 戦前の新聞報道が戦争遂行に率先して士気鼓舞しまくったことは有名だが、改めて再確認した上で、現在の報道状況を落ち着いてみてみようというもの。

さらに、反面教師としてご紹介。
原発を擁護する」アゴラ(藤沢数希)
 基本的な認識として、日本は今後も原発によるエネルギー調達を積極推進すべきだというご主張なので、そのこと自体には異を唱えるものではない。積極的に、とはさすがに言わないが、原発なしでやっていけるとはとても思えないし、計画停電ぐらいでダメージを受けてしまう脆弱性では代替エネルギーの限度での経済などとても耐えられないだろう。
 しかし、コスト面でまだ原発が安いというのは全く話にならない。原発事故の賠償は、東電にとって安いものだというのがこの人の言い分で、避難の賠償に1兆円、農産物補償に2千億円、「売上が5兆円を越える東電にとっては簡単に負担できる金額であり、原発が40年も稼働できることを考えると、万が一の事故の損害賠償を考慮したとしても、依然として原発の電力は安い」というのである。
 この点についての私の見解は先のエントリ「principle:原発事故の賠償責任は受益者負担」で書いたとおりで、倒産を心配すべき状況にあって払いきれない分を誰が負担するのか、被災者・避難者・出荷制限農家か、国=納税者か、はたまた原発のコストとして受益者=電力需要者か、という問題だと認識している。上記藤沢氏の見解によれば、それは杞憂だそうだ。
 しかしこの人は、自分でも書いている計測不可能なコスト、すなわち廃炉費用を算入していない。加えて使用済み核燃料の貯蔵コスト・処理コストも考慮していない。これらは、そもそもどうするか分からない状態だから簡単なモデル計算もしにくいし、ひょっとすれば無限大かもしれない。それでも、事故と違って使用済み核燃料の貯蔵コスト・処理コストは原発に必ず伴う確実なコストなのだから、それを度外視して安いと言われてもねぇ、というところである。
 結局、原発は高く付くことは否定できず、様々な問題が指摘される代替エネルギーに比べても、例えば寿命の来た施設の処理コストがいくら高く付いても原発の廃炉と使用済み核燃料の貯蔵コスト・処理コストの無限大に比べればタダみたいなものといっても過言ではない。それを認めつつ、しかし現在の豊かな経済を維持発展させるためには、原発を当面維持するしかないというのが正しい認識であろう。

ブロゴスからもう一つ。
非常に迷惑な石原都知事「花見は自粛を」発言〜精神論振りかざしてどうするの?」(木走正水)
 リソースを被災地支援に振り向けている以上、あるいは計画停電の可能性もある以上、夜の花見宴会は困難と言うことはやむを得ないが、だからといって石原都知事は我慢ならんというのが趣旨で、全面的に賛成だ。
 そもそも警備要員や照明確保、仮設トイレ確保ができないから宴会も困難だという理由で花見をやめるのは、自粛ではない。馴染みのバーが臨時休業しているから行かないというのと同じだ。
 それにつけても、このどさくさに紛れて石原慎太郎都知事がした次の発言は、撤回してまた歳言及した震災=天罰発言と並んで、この人の本姓を表している。

石原知事は「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」と指摘。さらに「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」とも語った。

 公選法に違反することになるかもしれないが、この人は次期都知事にも立候補しているわけで、このことをよーく考えて、ついでに上記の戦前新聞報道に触れたエントリも併せ読んで、有権者は投票すべきだと思う。

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