musik:札響定演でも事業仕分けが話題に
昨晩の札幌交響楽団による定期演奏会は、素晴らしいゲストを迎えて今期最高のコンサートの一つとなったことは間違いない。
ピアニストにロシアのニコライ・ルガンスキーを迎え、ラフマニノフのピアノコンチェルト2番。誠にクリスマスシーズンにふさわしい、華やかな音色であった。
指揮者は京都市交響楽団の常任を勤める広上淳一。個性の強い感じの指揮ぶりであった。
さてその指揮者が、ロシアで揃えたプログラムを終えた後、珍しくスピーチに立った。
例の事業仕分けについてである。
彼が言うには、まだオーケストラが直接予算減額になるというところまで行かないが、その可能性は高いとして、危機感を表明した。
ヨーロッパは音楽家を含む芸術家が政治家になっていたりするので、予算緊縮の折に文化的支出に手を付けることは余り考えない、アメリカは基本的に金持ちが支援するので、金持ちを見つけられたところは生き延び、そうでないところは潰れるという社会、日本はそのどちらもないという。その日本で頼りになるのは市民の支援しかないというわけである。
ついでに、CDはカップヌードルで、オーケストラの生演奏はレストランの食事だ、いつでもどこでもお湯を入れれば同じ味にありつけるのがCDなのに対して、素材も料理人も季節にも影響されるけど圧倒的な楽しみを与えられるのが生コンサート。そんなレストランのような存在がなくなっては、皆さん困るでしょう、ともいう。
事業仕分けなるやり方は、もちろん予算の査定という形で従来も行われてきたことと同根だ。
しかし、従来付けられてきた予算を見直して、削減や廃止の対象を選び出すというのであるから、従来予算が安定的につけられてきた側としてははしごを外された感があって承伏できないと思うのは当然だ。その中身が、経済効率や短期的メリットだけの尺度では測れないものであれば、無駄の排除という論理と衝突する。
文化、芸術、科学技術(それも応用にすぐ結びつくわけではない分野)といった活動は、経済的には無駄に見えやすいことから、そもそも予算が乏しいし、削減対象になりやすい嫌いがある。
予算の付け方に問題がないわけでもないだろう。大きな予算を付けましたと胸を張りやすいのは、コンサートホールの類、つまり箱もの行政になりがちだ。それだと建設業者も喜ぶので、文化予算で公共事業もできるといううまみがある。例のアニメの殿堂とやらがその典型例である。
さらに、箱ものには維持費がかかるが、それも地方に負担させれば、国の立場からはラッキーというものである。
文化芸術のカギは人を育てること、文化芸術の発信を担う人の活動を支えることのはずだが、その方面はなかなか目立たないし、支援の対象はどこまでかという問題もある。
総論的には異論がなくても、各論となると多くの難問が出てくるおそれがある。
さて、小沢氏が小沢氏に陳情に行ったことでも話題となった音楽関係の予算削減だが、実際の仕分けではどういうことになったのか?
行政刷新会議資料集の第三会場分には、次のような記述がある。PDF資料参照。
独立行政法人・日本芸術文化振興会関係((財)新国立劇場運営財団、(財)おきなわ運営財団[日本芸術文化振興会からの業務委託]、芸術創造・地域文化振興事業、子どものための優れた舞台芸術体験事業、芸術文化振興基金事業)については、圧倒的に予算を縮減したいというのが、私たちのチームのまとめである。
この結論を出す前提となるコメントには、次のようなコメントも見られる。
●国が行う事業と独法を経由する事業を、「地方に仕分ける事業」と「国が行う事業」とにまず仕分
け、効果がどれくらい見込まれるかという試算の基に縮減すべき。2つの運営財団は廃止して独法
に戻す。
●独法と財団の関係は、管理部門のコストを減らすため、財団を統合するか、独法直営で実施す
べき。
この点はよいであろう。幾層にも独法だの財団だのが重なって資金を流通し、中間マージンで無駄が発生している状況、そのそれぞれに天下りポストが用意されている状況を一挙に整理せよという発想は、どんどん進めよう。
また、
●国が子どものためだけに事業をすることは必然性に欠ける。中心は地域での取り組み。
●芸術創造・地域文化振興事業と子どものための優れた舞台芸術体験事業は地方へ。
●すべて地方へ集中。
地方が事業主体となるべきだという発想も、そのための予算を移管するという前提なら良いのではないか。国の事業が皆無でよいというのはよく分からないが、地方が主体となれば、訳の分からぬ中間団体の予算転がしみたいなやり方を省略することにつながる。
#ま、地方がそんなに信頼できるかという問題はあるが。
それに引き換え以下の部分には危惧を感じる。
●寄付が伸びるような文化政策の動機付けが見えない。いかに芸術文化といえども数百億円の国費を投入する以上、いつの時点で投入額をゼロにできるのか、見通しを示せなければ厳しい評価をせざるを得ない。
●寄付を集める仕組み作りの努力が不足している。国が補助するというのは知識不足。そもそも文化振興は国の責務か、民間中心で行うか、議論が必要。
●寄付を増やすような政策体系を考えるべき。
●文化の振興という数値では図れない事業の必要性は否定しないが、効果説明が不足でばらまきの批判をおさえられるものではない。
●芸術・文化に国がどう税を投資するか明確な説明がなされない。縮減やむなし。
寄附を伸ばすような政策が望ましいことはいうまでもないが、それは税制の課題もある。説明が十分できないならばらまきだということだが、効果の説明は直接目に見えるものではないことを理解できなければ、すれ違いとなる。
それに、いつの時点で投入額をゼロにできるのかの見通しというが、文化芸術分野でそのような見通しはないのである。
そういうわけで、仕分けには適切な視点が多々含まれていると思うが、他方で乱暴に経済効率のみで切り捨てようという発想も見え隠れしている。何が重要なのかをきちんと理解した上での具体的実施が望まれるところである。
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コメント
なぜか某大阪知事と某交響楽団が思い出されました。
まあ予算の削減っちゅうのは難しいんだなぁ、と。
投稿: そ。 | 2009/12/12 13:45