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2009/07/27

vote:国民審査投票権を行使しようのサイト

一人一票を実現しようと題するサイトでは、国民審査で選挙権格差に合憲判断を下した裁判官への罷免投票を(実質的に)呼びかけている。

その親サイトらしい一人一票を実現する「一人一票実現国民会議」というところは、coming soonのようだ。

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コメント

特定の学説や価値観にに従わない裁判官は罷免してしまえ、というのは、それこそ、価値観の多様性の否定とか、最高裁判事が15人いる意義を否定するように感じますね。

そういう意味では、この運動には不透明な政治的な意図を感じます。

切り口としてはいいのかもしれませんが、賛成できません。

投稿: こう | 2009/07/27 22:49

しかし民主主義というのは政治的な実践でもありますから、政治的意図が込められた行動というのは批判として成り立たないように思います。

法律を学んでいると、それが政治的所産であることを忘れがちになりますが、こうさんのおっしゃる多様な価値の存在を認めることは、その価値が相互にぶつかり合うことを認めることでもあり、さらにはぶつかり合っていずれかの価値が生き残る(=いずれかの価値が排斥される)プロセスこそが民主主義的体制です。

このレベルの話と上記サイト運営者の政治的主張に共鳴するかどうかという話とはまた別ですがね。

投稿: 町村 | 2009/07/28 08:26

>しかし民主主義というのは政治的な実践でもありますから、政治的意図が込められた行動というのは批判として成り立たないように思います。

政治的意図が込められていることを批判しているのではなく、政治的とが不透明なことを批判しているのですが。

詳しくは書きませんが、あの程度の情報・議論で十分と考えているのであれば、専門家の言うことだからと、何も考えない傾向のある人々を扇動しているに過ぎません。

そういう不透明な政治的意図(無知な人々を扇動するかのような意図)が存在していると、間接的に批判しているんですが。

投稿: こう | 2009/07/28 11:59

なるほど、確かにきちんと情報を出している感じはしませんね。

しかしその意図は単純明快なのではないでしょうか?

要は、一票の格差を是認する判決を下した裁判官は最高裁から辞めさせようというわけでしょう?

似たような運動として、現長官に対して、裁判員制度反対の方々から罷免票を突きつけようという動きもあります。

個別の裁判官に対して、その法的主張・政治的主張を根拠として罷免すべきだ・いやすべきでないという議論や運動をするのは、国民審査制の予定していたところだろうと思います。

投稿: 町村 | 2009/07/28 12:50

>意図は単純明快

単純明快というのは、見た目(方法論)だけの話で、罷免で議論が完結するかのような印象を与えることを含んでいるわけですが。

罷免をしたところで、後任が必ず違憲論を唱えるとは限りませんし、そしたらまた、同じような扇動をするんでしょうか?解決するまでやるんですか?しかも、どう解決するんでしょうか?ゴールは?罷免だけで解決しなかった場合は?最終的に1対1.01になったときにもまだやるんですか?(別に先生に答えてほしいわけではないです。念のため)

更に言えば、根本的に政治家の無能を責めるのではなく、司法を変えるという選択肢に本当に妥当性と効果があるのかどうかは、一般人から見えれば分からないことだらけだと思いますが。

そういう意味合いにおいては、罷免運動の政治的な意図は格段に不透明さを増します。

そもそも、裁判自体は、少数意見を述べる重要性を含んでいるわけで、国民審査は、使い方によってそういう少数意見を握りつぶすことすら可能にする制度ということを議論として理解している必要があるわけです。特定の論点だけを基準にした罷免運動というのは、そういう危険性をむしろ高めるわけですから、その説明は必要でしょう。

そのような否定的な側面も存在することを強調することなく、むしろ敢えて無視するような議論の仕方が、「意図は単純明快」とか、「国民審査制の予定していたところ」といえるんでしょうか?


他の論点で気に食わない意見を書く裁判官であるから、これを名目に罷免してやろうとかも十分出来るわけですから、十分な情報がない状態では、扇動的でより危険な国民審査制度の使い方を推奨しているようにしか見えません。

少数意見を潰すことの危険性を理解している法曹が、その説明をしないことに、危険性を感じます。

議論をして、問題点に対して国民的な深い議論をしてゆくというのは大いに結構ですが、明確なのが方法論だけで、それ以外はかなり不明確で、本当に国民的議論を深めようとしているのかかなり疑問です。

で、今日の読売の朝刊を見ると、メディアに対するプレゼンスだけはきっちりしているようですから、本当に国民審査に資するための議論を目的としているのか、むしろ大衆扇動だけが目的のような気がして危惧を覚えるんですが。

投稿: こう | 2009/07/28 16:00

はじめまして・・

話題の根幹は、一票の格差問題を主題にしている体裁を作りつつ、国民審査の質を高めようという方向性だと解釈も可能なので、批判的にはなりえません。
 
 確かに、意向に沿わない最高裁判事を罷免させる性質はありますが、それは政治権利として否定するべきではないように思いますし、制度としての特殊性を鑑みれば、恣意性・作為性は仕方ないと思います。

ところで、
>あの程度の情報・議論で十分と考えているのであれば、専門家の言うことだからと、何も考えない傾向のある人々を扇動しているに過ぎません。

 何も考えないのではなく、考えることを放棄した国民が多いことへの批判を前提にするべきではないでしょうか?

>そういう不透明な政治的意図(無知な人々を扇動するかのような意図)が存在していると、間接的に批判しているんですが。

私は、無知な人々を扇動することを批判するべきだと思いません。扇動される側に問題があるのであって、扇動などという批判は主観的すぎて同意しかねます。

 政治とは概ね扇動的要素が過分に含まれるのであって、民主主義とは、合意形成によって形成されるものに過ぎないことを考えれば、扇動する側の価値観の自由を考えれば、決して不当とは思えません。

同時に憲法において規定される判事の罷免権は形式論ではなく、参政権の一部ですから、政治的自由意思の尊重は大前提ではないでしょうか?

 私のように、大選挙区制度を前提にしている原理主義者にとっては、一票の格差を首肯しかねますが、
まずは、国民審査制度について再考する必要性は否定しません。

 総選挙と言えば、国民審査を思い出す有権者は少ないわけですが、国民審査は世界でも稀にみる制度として、私は誇りに思っています。


  

投稿: 冥王星 | 2009/07/28 16:21

>冥王星さん
初めまして。

>それは政治権利として否定するべきではないように思いますし、制度としての特殊性を鑑みれば、恣意性・作為性は仕方ないと思います。

まず、政治権利として、否定すべきとまで言っているつもりはありません。国民審査の意義やその権利自体を否定する意図はありません。

むしろ制度としての特殊性から、恣意的作為的であることが許されるのであれば、それを理解している人間は、敏感になるべきであり、必要があれば警鐘を鳴らすべき、というのが主張の根本です。

それは、考えることを放棄した国民を批判することではなく、理解している人間が、そして知識を有していると目されている専門家と呼ばれている人々が、考えることを放棄しないように、考えさせるために訴える必要性があるという話です。

国民が考えることを放棄しているから、警鐘を鳴らすことすらせずに、それを結果的にであれ利用することを容認するといった議論は、民主主義の否定そのものだと思いますが。

>政治とは概ね扇動的要素が過分に含まれるのであって民主主義とは、合意形成によって形成されるものに過ぎないことを考えれば、扇動する側の価値観の自由を考えれば、決して不当とは思えません。

扇動に自覚的であるあるからこそ、必要な議論・十分な情報提供が民主主義には必要といわれるのであって、逆に扇動的な要素が含まれることは、必要な議論や情報提供をしないことを正当化しませんし、或いは、その訴える結論が如何に、法の理想に忠実なものと考えられるものであったとしても、国民の無知に付け込む形で行われるべきではないと思いますが。

そういう意味では、政治的に不透明な意図がある扇動は、形式的に民主主義の方式に乗っ取っているように見えても、実質的には悪用しているだけという批判が成り立つでしょう。

まあ、最終的には、表面的には方法論の違い、根本的には民主主義に対するアプローチの違いが存在するようですから、これ以上議論をしても埋まらないと思われます。

投稿: こう | 2009/07/28 20:21

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