アニメができたらいいなと妄想しているブログ

他人の作品を観て、「自分ならこうするのに」と、妄想するのって楽しいですよね。その妄想を割と本気でまとめてみたら、アニメの原作ができるんじゃないかっていう、さらに妄想なんですけれど、二次創作という名前の寄生をして、誰かに完成品を作ってもらおうと素材になりそうなものをばらまいています。

相互RSS募集中です

魔改造

「ロード・オブ・ザ・プルトニウム」を考えてみました

本家の「ロード・オブ・ザ・リング」は、「指輪を持て余した結果それを棄てにゆく」というストーリーですが、「指輪を核のゴミに置き換えたら面白いかなあ」という、ただの思いつきです。宮○駿アニメが「子供たちが自然を大切に考えるようになって欲しい」みたいな評価を受けているのなら、これはこれで子供たちへの問題提起になるのではと思っています。(過大評価)

s-s-s-wpcr000011195_LLL


ざっくりと登場人物は実在の人たちと置き換えたほうが作りやすいのではということをふまえて。


【王様】
ゴミを棄てる首謀者。政府とか行政の長の役割。ストーリー上はチート剣士も務める。無敵の強さを誇るが、万が一のことがあったらゲームオーバー/企画自体が終了してしまうので、戦闘に参加できない。ということで、周りからは「肝心なときに」と思われている。

【大臣】
実務を仕切る行政官。「縦割り」になるほど成熟してない(わかりやすくするため)ので、財務とか防衛とか外務とか兼任している形。よーするに偉い人。頭は切れるがヘタレなのが難点。言葉で言いくるめてその場を乗り切る特技を持っている。

【錬金術師】
行政とは離れた設計・開発担当の技術者。政治的な腹芸が使えないので、グループの足並みを乱すトラブルメーカー。エンジニアとしての能力は高く何でも作ってしまうが、余計なものも造りがち。

【神様】(魔法使い)
宗教的な指導者と経済的なリーダー。かつては王を凌ぐほどの人望を集めていたが、経済の発展によって人々の信仰心が弱まり、その力も随分と弱まってしまっている。今回の事態も過去に幾度が「警告」はしていたのだが、低い「信用度」のため歯止めをかけることができなかった。そもそも、「解決」する能力は持っていなくて、人間の力に頼らなければならない。唯一持っている能力が「後回し」。

【鬼娘】
警察・軍隊などの国家による暴力装置。突然変異による人間の亜種。ほぼ無敵だが、物理的な攻撃・防御能力しか持っていない。見た目と武力以外は普通の人。自分の能力を最大限に活かせるので、職業として気に入っている。

もう二人増やして七人にするのが王道だったような。まあ、女の子が少ないので(それが理由で「鬼娘」が誕生しました)、秘書のような女の子を王様の横に置いても良いかもしれませんね。

キャラデザインも考えているのですが、それは後ほど。


物語の背景はやっぱり中世ヨーロッパ風異世界で。核廃棄物だと科学っぽいので、錬金術師の作った「便利なもの」で、やっぱり人造人間(ホムンクルス)でしょうね。寿命があって、棄てなきゃならないのだけど「呪い」が漏れてしまうので、どこにでも棄てるわけにはいかないという代物。ただ、便利なので社会に行き渡っていて「それ無しの生活」はありえないという状況で、これからも作られるし、現時点で大量に出回っているから、それもどうにかしなきゃいけない。まあ、「核のゴミ」と同じ問題を抱えています。


物語のプロローグはこんな感じ。



それは、ずっと昔の話…
ではなくて、未来の物語。

どのくらいの先のお話なのかは
今は言わないでおきましょう。




まあ、どこへ行っても適当な理由を作って断られるというストーリーです。最終回というか、オチもちゃんと考えています。


アニメ「pet」についてひとことふたこと言わせてください

僕は原作者の三宅乱丈さんのファンで、この作品には思い入れが強いので、アニメ化についてはいろいろと考えていたことがあって、そのいくつかを語らせてください。

53

作品自体が独特の世界観というか「三宅乱丈ワールド」全開なので、それをうまく表現できるのかがとても大きなポイントだと思っています。作品には「ヤマ」とか「タニ」と呼ばれる架空の世界があってそのビジュアルがストーリーに大きく関わっているので、この場所ぼ描き方がとても重要なのです。

あえて言ってしまいますが、ここは「原作の絵を忠実に」再現してはダメなところだと思っています。というのは、僕の勝手な想像ですが原作者の頭の中に浮かんでいるものはもっと違った「絵」なんだと思っています。「ブレードランナー」の原作者がシド・ミードの描いた絵を見て「私の頭の中に浮かんでいる絵そのものだ!」と、言ったとか言わなかったとかの逸話がありますが、「そういう絵」が描けるのも才能のひとつというか、原作者の三宅乱丈さんの頭の中には自分の描いた絵が存在するので、ある程度の補正がかかっていて、自分の書いた絵が他人の目に映っているものとは違うのではという疑惑が僕の中にあるのです。

これは、松本人志さんの映画にも僕は感じていて、彼は「言葉」の世界では天才なのですが、同じレベルの映像表現を出来るようになるには誰かの補助が必要なのではないかというのが僕の考えです。つまり、松本さんの頭の中にはとても面白い画像が浮かんでいるのに、それを表現できる「エキップメント」のような存在が不足していたので「あの形」で世に出てしまったのではないかというのが僕の想像です。

そこで、そういう「異世界」の表現に長けている制作会社はと、僕の少ない知識の中では「シャフト」がベストなのではないかということで、主人公のひとり悟に「シャフ度」をさせて描いてみたのが上の絵です。

僕は、キャラの喋り方や話すテンポなども、この作品ではとても重要だと思っていて、これも原作者の頭の中では出来上がっていても、それをアニメ化するには、また別の才能が必要だと思っていて、「シャフト」の会話のさせかたがこの作品には合っているのではないかというのも僕の考えた「ベストなアニメ化」だったのです。

ところが、「シャフト」というアニメ制作会社は「可愛い女の子」を中心に作品を作る会社で、この「pet」という作品には「可愛い女の子」が登場しないので、無理だろうとは思いつつ「シャフト版 pet」というものを考えてみました。




【シャフト版 pet】

  • 作中に出てくるキャラを全員女の子にする。
  • ヒロキと司を百合の関係にして悟と三角関係を作る。
  • 林はステキなオジサマにして、三人にとっては「師匠」のような存在にする。



きっと原作者はOKを出さないでしょうね。


「妹じゃない!」考えてみました

以前Twitterでつぶやいていた『自分の妹だと思っていた存在が実は妹ではなく「なりすまし」で、妹はそいつに食われていて、過去に自分の家族が犠牲になった者たちが復讐に来て、自分は「妹」を守るべきか?というストーリー』ですが、少し詳しく。

まあ、お気づきだとは思いますが、モデルというかネタ元は「阿良々木月火」ちゃんです。

阿良々木月火

「ずっと妹だと思っていた『アレ』は…」というお話なのですが、僕なりのストーリーだとこういう感じになります。

ある日、家族がまるごと「何か」に襲われ、妹と主人公以外が殺されてしまうところから、物語は始まります。なんとか生き延びた二人の前に「妹」を殺そうとする者が現れ、兄妹は「彼ら」から逃れる旅が始まります。

設定としては、兄妹の家族を襲った「何か」が、妹になりすまして追手から逃げています。兄妹を追っているのは、その「何か」に自分の家族を奪われた過去を持つもので、目的は「復讐」です。 

客観的には主人公も同じ「被害者」で、今現在妹の姿をしている「何か」は「妹の仇」なのですが、姿形が妹と変わらず、喋り方や記憶もトレースしていて、入れ替わってからも妹として過ごした期間が長く、「解っていても受け入れられない葛藤」をドラマにしようと思っています。

その葛藤をもっと複雑にするための設定として、妹が「食われた」のではなく「寄生されている」というのも考えてみました。寄生の度合いで話を複雑にすることもできると思っています。例えば、妹の意識が僅かに残っていて主人公に助けを求めるとか、観客はとてもつらい思いをすると思います。「もしかしたら元通りに妹を取り戻せるかも?」という可能性を少しでも作っておくと、妹に見せかけた「何か」を追手から守るための大義名分が作れます。

どちらにせよ、その「何か」を守っている主人公が「悪」なのですけどね。

「寄生」で思いつくのが「ロイコクロリディウム」ですが(こういうのに弱い方は決してググらないで下さい)、前半の妹はとても可愛くて、主人公を応援したくなるように誘導しておいて、後半、寄生された妹のビジュアルでドン引きさせてしまうというアイデアもあります。どういう姿に変わろうと、妹は妹なわけですから兄の愛情は変わることなく、悪い方向へ流されていってしまうというストーリーを考えています。

問答無用で妹が襲われるという状況を考慮すると、刀で斬り合いをしていた頃の時代がしっくり来るかなあとか思っています。「何か」に対して科学的なアプローチをする必要がないというメリットもありますね。チャンバラだったら、「鬼滅の刃」とかも参考にできるかもしれませんね(パクリではない)。と、言いながら「ある日~兄妹だけ生き残って」という部分が…。

追手は一人ではなく、色々とバリエーションがあればストーリーにも広がりができるのではと思っています。その中から「理解者」が現れ、仲間を作るというのもアリかなと考えています。結局、テーマは「家族愛・信頼・仲間・犠牲」といったところになると思っています。


「妖怪人間ベム」に関するアイデアがいくつかありまして。

まずは王道。「僕の考えたリメイク版」

妖怪人間ベム

こうゆうものって、キャラの名前や男女を変えたり、キャラを追加したり減らしたりすると、オリジナルがわからなくなってしまうので、こっそりするものなのですけどね。元ネタとして使って「インスパイアされた」という作品です。

考えたのは「現代風」ということで何と戦うのかが重要になると思います。舞台は、A.I.が世の中を動かしているくらいの近未来ということにします。「動かしている」と言っても、実際の管理者は人間で、A.I.は補助的な活動というか、あくまでも「執行者」としての権限しかありません。

具体的には「BEM」でも登場しましたが、例えば「清掃者」。街の中から「不浄なものを排除する」というプログラムで動くA.I.が、アンドロイドを使って清掃を始めたのだが、「不浄なもの」の中に人間が分類されてしまい(※注)殺人兵器となってしまうというもの。その問題に管理局が直接関与してしまうと、問題の原因が自分たちにあることが公になってしまうため、「妖怪人間」を使ってそれを処理しようというもの。

(※注)A.I.を飛躍的に発達させた「ディープラーニング」という方法では、なぜそういう結果になったのかは人間からは見えなくなってしまい、ごく僅かに生じる誤判定の理由が特定できないと言われています。



「妖怪人間」を使う理由はA.I.とは真反対に位置する存在として、誤動作したA.I.(アンドロイド)を排除するには最適とされたため。ただ、「妖怪人間」も、人間によって作られた「人工生命体」であり、A.I.と同様「人間を目指して作られたもの」だということ。「妖怪人間」とA.I.は敵対しながらも目指しているものは同じという複雑な背景になっています。

もうひとつのA.I.怪人は「エネルギー管理者」。限られたエネルギーを効率的に使うために作られたプログラムによるもの。老人や障害者などを「非生産能力者」として判定してしまい、彼らへのエネルギー分配を絶つことが効率化を生むとして、これも殺人兵器になってしまうというもの。

こちらもマクロ的かつ一方的な視点からみれば世の中にとっては有益な存在となっています。で、妖怪人間たちも世の中の役に立つため「殺人兵器」と戦うことになっています。


ここで「人間の定義」という問題が生まれます。


肌の色が違うだけで別の生き物とされていた時代がありました。今となっては違和感のある感覚ですが、お互いの気持ちが通じ合い感情を共有することで、共通の「人間」という生き物なのだと理解されるようになりました。では、機械の体の相手と意識レベルでの交流ができるようになったら、判断の基準はどうなるのかということです。

A.I.が進化してゆくといずれは「意識」や「感情」が生まれるようになると言われています。そしてそれらは「人間」なのかという問いに答えなければならない未来も予想されています。肉体という存在があって、それとつながっていることで「人間」なのか、肉体が人工のものであれば人間と認められないのかという疑問も生まれます。そして、人工物の中にも機械じかけのものと有機物によるものとで違いがあるのか?と。

そういう背景を持ちながら、妖怪人間たちは「人間になれるのか?」というのが物語のテーマになっています。


「ドラゴンタトゥーざんまい」

「僕だったらこうする」シリーズです。

もう、ホモストーリーを認めちゃって、久慈悠を主人公にした恋愛ドロドロ祭りにしちゃいます。元ネタは「ドラゴンタトゥーの女」です。

悠は幼い頃に殺人を犯してしまい(リスベットのパクリ)保護観察みたいな特別な施設に入所されられてしまい、そこで虐待にあって精神的に微妙な感じに成長してしまいます。

そうなる以前に、近所の子と遊んでいた記憶が唯一の「拠り所」となってギリギリのところで人格崩壊を防いでいる状態だったりします。で、そういう生い立ちや、不完全な人格によってマトモに就職ができなくて、社会から隔離された生活を送っているのです。

隔離されているとはいえ、一部では社会とのつながりも残っていて、そこで過去の記憶にあった「友だち」と再会するのでした。

そこで、再会するときに一希は女装していて、悠は一希に恋をしてしまうというお話です。そして、悠は自分の記憶の中の「友だち」と一希が同一人物だということに気づき、その恋愛感情に火が着いてどうしようもなくなるほど暴走してしまいます。

そんな中、二人は事件に巻き込まれてしまいます。悠は文字通り「命がけ」で一希を助けて事件は解決するのですが、一希の感謝の気持ちを自分への愛だと勘違いした悠は、二人の「運命」を信じて愛の告白をしようとするのですが、一希には全くその気がなくて、それに気付いた悠がひっそりと一希の前から消えてしまうというストーリーです。

index


まんま「ドラゴンタトゥーの女」ですね。(笑)






「どろろ」21話 感想 百鬼丸の立ち位置について

百鬼丸が化物を退治していって、全部倒したら体が元に戻ってメデタシメデタシというのが表面上のストーリーなのですが、それでは面白くなくて、ヒネリを入れようとして家族を絡めてみたのですが、どうも上手くいかなかったようです。

どろろと百鬼丸


わかりやすいように整理してみると
  • 百鬼丸にとっての「敵」は誰なのかわかりにくい
  • 百鬼丸の「問題点」は何なのかわかりにくい
  • どろろの「役割」が何なのかわかりにくい

この3点が、重要ポイントだと思うのです。

とりあえず、百鬼丸の魔物退治と醍醐家とのつながりが微妙な気がするのです。魔物が退治されると領主としての力が弱くなるという設定なのですが、地獄道の御神体のようなものだけでは当事者の景光にしかわからないと思うのです。兵庫や陸奥を含め醍醐家の配下の者たちが百鬼丸に敵意を抱くには弱いのではと感じています。

そこで、醍醐家は直接魔物の力を使って国を治めているという設定はどうかなと思っています。つまり、醍醐家の重役に各々魔物をあてがって、国をいくつかの自治区に分けて統治しているという設定です。百鬼丸が魔物を倒してしまうとその領地を統治できなくなってしまい、その地域を狙っていた隣国から攻め込まれてしまう事になり、百鬼丸の存在が醍醐家にとっては敵となってしまうという設定です。

百鬼丸が化け物退治をすることは、社会貢献になっていないというのも面白いと思います。魔物を退治することは一般的には世の中のためになることですが、この物語の中では統治のための「力」として働いていることにします。魔物を退治すると井戸が枯れたり、土砂崩れが起きたりとかそういうのもいいかもしれませんね。逆に魔物が生贄を必要としていたりして、善悪をはっきりさせないという設定もアリだと思います。

原作のどろろは「いくさ」と「サムライ」が大嫌いです。そこはブレないようにして、百鬼丸が元々侍の家系だったり、醍醐家の国力を弱めた結果、戦が勃発してしまったり、どろろの望まない立ち位置にいるのも強調して良いかもしれないです。原作は「打ち切り」っぽい噂があって、最後はムニャムニャした感じで終わっているのですが、しっかりと描ききっても、どろろと百鬼丸は最後は別れてしまうという雰囲気はあります。

一緒にはいられない理由として「たくさん人を殺したから」というのもアリだと思います。魔物とともに醍醐家の重役も一緒に殺してしまうというのも業が深いです。有能な家臣が少なくなったということで、間接的に戦の原因にもなっています。妖怪とか魔物を倒していったのですが、民衆からは歓迎されていなくて、逆にどろろは民衆の味方というか、将来のリーダー的な地位に収まっていたりします。

結局、どろろと百鬼丸はお互い別々の道を歩むことになるのですが、それでも百鬼丸を引き止めたいと思うどろろは最後の「賭け」で、百鬼丸とヤッちゃうっていうのもいいと思うんですけど。


「キャロル&チューズデイ」 7話 感想 「残念だった」です。

感想というか、ひとことで言うと「残念だった」です。
作品の中に使われている音楽に関する人たちは、皆さん業界のプロらしいので、原作者というか脚本の方なのでしょうか、「音楽に対する愛」を感じないのです。

具体的には、いくつかの疑問が浮かんでいて

アンジェラ

【「勝ち・負け」って、音楽に必要ですか?】
料理関連のアニメ作品にも言えることなのですが、「勝ち・負け」を決めて何になるの?って話で、それを聴いたり、食べたりしたひとが「良かった」とか「美味しかった」で、いいんじゃないのかと思うのです。

ライブハウス

【ロディくんに紹介してもらった「あのライブハウス」はどうなったんだろう?】
あのライブハウスで「お試し」の演奏をしたのに、反応がないわけですから、「不合格」の烙印を押されたと解釈して良いはずです。音楽に対して愛とか情熱とかを持っている人の対応だとすれば「平日だけどウチでやってみるかい?」くらいの挨拶程度もなかったわけですから。仕事ができる人は対応も早くて、サイドニアフェスの後はどうするとか、そういう話がなかったのですからやっぱり「不合格」という形を暗に語っていると捉えるべきでしょう。

ロディ

設定がよくわからなくて、まず、経営者が「大物」とか「事情通」とかなら、ライブハウスのお客が10人とか不自然すぎます。「私のお眼鏡にかなった者しか出演させないよ」的なハイレベルのお店を演出している割には、お客が少なすぎではないでしょうか?「前座で一曲だけ」という条件を出すぐらいだから、後からものすごいバンドが出てくるわけで、その人達と楽屋で交流があったりとかあるはずなのですが、そこまでは作り込んでいないのですね。

通常、ライブハウスは出演者オーデションというのがあって、営業時間外とかに経営者側がザックリ演奏を聴いてくれる機会を用意してくれるのですけどね。後はデモテープとか、今ならデモ動画なんかを見せるのですが、「それくらい作っとけよ」と言いたいです。まあ、「デモ動画」っぽいものは見せているわけですから、それで伝わらない程度の実力しかなかったのか、見る目がなかったのかのどちらかということになるのですけどね。

結局、PV制作の回とか、オーデションの回とかが構想に入っていたわけで、そのストーリーとの「整合性」とかが雑になって意味不明のプロットが出来上がった感じを受けました。せっかくの生演奏を披露する場なのですから、「当日、ライブハウスに何人呼べるか」というのもマネージャーの力量なのですけど、それをやっている雰囲気すら見えないのも問題だと思うのです。(ストーリー的にも)

ガス

「出演料を使い込んじゃった」というプロットを入れてしまった脚本には、本当に失望させられました。アーチストとマネージャーとの間のトラブルで、一番ダメなのが「金銭に関するもの」なのは、ガスが、この業界に長くいるのなら当然体に染み付いていなければならないものだと思うのです。脚本の方は軽い気持ちで入れたギャグのつもりなのでしょうけど、これは本当にマネージャーとしては致命的とも言える失敗で、ストーリー的には「本気度」のバロメーターになっていて、ガスがキャロル&チューズデイの二人に対してどのくらいの情熱があるのかを表している重要な設定だと僕は思っています。

原作者か脚本家が、音楽に対して情熱を持っていないのが作品の中の主人公たちに反映しちゃっているというのが僕の感想です。

ちょっとだけ僕の願望というか可能性として、2クール作品らしいので、これから波乱のひとつやふたつは充分考えられます。ということで、オープニングの「火星の歴史に刻まれることとなった奇跡の7分間」というのが、ここから数十年くらい先のお話で、二人の最初のチャレンジはあえなく失敗してしまうという前半部分のための演出なのじゃないかというものです。

失敗してしまうことが前提の布石みたいなもので、「あれじゃ、うまくいかなくてもしょうがなかったよね」っていうとこからの復活がメインテーマなら、いくらか救いがあると思うのです。

練習しろよ

こんなところで油を売っていたり、バイトとかやってる場合じゃないと思うのです。もっと練習したり、曲を作ったりに一生懸命にならないといけないのですが、それも含めて「あのときは考えが甘かったよね」という描写という可能性もあると思うのです。

結局「キャロル&チューズデイ」は一旦解散して、二人は別々の道を歩むっていうストーリーなのかもしれませんね。

「音楽で~というアニメ」と思わせておいて途中からスーパーロボットで火星連邦対地球帝国で宇宙戦争になっても構わないと思っています。そして、数年後に二人はバッタリ出会って、そのときは敵同士で、

キャスバル兄さん

という会話を交わしても、それはそれで、「アニメの歴史に刻まれることとなった奇跡の展開」となるんじゃないかと妄想しています。


「盾の勇者の成り上がり」主人公はラフタリアちゃんで その2

「盾の勇者の成り上がり」主人公はラフタリアちゃんで その2

その前にちょっと気になったキャラを

2865fd4e

コイツなんですけどね。まず、何をやっているのかわからないという…。

3c7b6095

亜人の村を襲うっていうことで、何のメリットがあるのか考えてしまうのです。兵隊というものは、装備は揃えなきゃいけないし、腕利きは集めなきゃいけないし、従わせなければならないし、雇い入れるのはけっこう大変なはずで、それを動かすのにも「理由」が必要になると思うのです。で、この亜人の村の襲撃は何の意味があるのかわからないということです。強いて言えば、これが彼の「仕事」だとして解決するしか僕には思い浮かびませんでした。

23a6eb7c

そして、拷問。単純に亜人の殲滅が目的なら、わざわざ連れて帰って、衣・食・住の面倒まで見ている理由が見つかりません。状況から判断すると、「拷問」が目的のようです。これについては、全く金銭的、物質的な利益を生みそうにないので、彼の「趣味」としか考えられないのです。逆に、このあとにラフタリアを「出荷」しているわけですから、商品に毀損を与える行為は全くのナンセンスです。「高く売ろう」という描写もまったくないのです。

人間の行動には「理由」とか「目的」が存在するわけで、彼の行動の「理由」や「目的」は何なのでしょう?もう、単純に「悪人」としてのメタファーを集めて作ったとしか考えられなくて、彼とラフタリアを関連付けてしまうことで、かえってラフタリアのキャラが薄っぺらなものになってしまいとても残念に感じました。

また、両親の死というものは、人格形成にとても影響を与えると僕は考えているのですが、「何だったのだろう?」というくらい影響がなくて、彼女の心の中の傷を説明するチャンスを逃してしまった感も少なからず感じています。友人との結びつきも、普通の友達と特別な友達との違いを、もう少し説明してもらわないと、その関係が両親よりも上位になっている説明が必要になります。


話をラフタリアに戻すと、彼女は「攻撃型キャラ」として大成して欲しいと思っています。というのは、主人公が「盾の勇者」なわけですから、「防御力チート」という設定のほうがわかりやすく、その分攻撃力としてパーティーを引っ張るキャラが必要なわけで、メンバー構成から、ラフタリアちゃんが適任かと思われるからです。尚文くんが「盾キャラ」なのに、チート攻撃力を持ってしまうのが正しい「なろう」なのだったら、ちょっと悲しいですけどね。

9914367f

僕の感覚では、亜人自体が攻撃力のとても強い種族として、殲滅しなければならない理由とか、拷問と見せかけて実はその「力」を恐れているとか、いろいろと背景の要素として使えるとは思うのですけどね。僕としては、「鬼に金棒」みたいに、「誰だよ、亜人に剣を持たせたのは?」くらいの謗言を投げかけられるくらい強いキャラに育って欲しいと思っています。

<% for ( var i = 0; i < 7; i++ ) { %> <% } %>
<%= wdays[i] %>
<% for ( var i = 0; i < cal.length; i++ ) { %> <% for ( var j = 0; j < cal[i].length; j++) { %> <% } %> <% } %>
0) { %> id="calendar-2725067-day-<%= cal[i][j]%>"<% } %>><%= cal[i][j] %>
記事検索
ギャラリー
  • 忍者ハットリさん その後
  • 「ロード・オブ・ザ・プルトニウム」を考えてみました
  • アニメ「pet」についてひとことふたこと言わせてください
  • 「謎設定」を血肉にしてみる
  • 「バトルもの」に足りないもの
  • スティーブン・キングに捧ぐ(死んでないけど)
楽天市場
読者登録
LINE読者登録QRコード
カテゴリー
アーカイブ
RSS
メッセージ

名前
メール
本文

'); label.html('\ ライブドアブログでは広告のパーソナライズや効果測定のためクッキー(cookie)を使用しています。
\ このバナーを閉じるか閲覧を継続することでクッキーの使用を承認いただいたものとさせていただきます。
\ また、お客様は当社パートナー企業における所定の手続きにより、クッキーの使用を管理することもできます。
\ 詳細はライブドア利用規約をご確認ください。\ '); banner.append(label); var closeButton = $('