僕は「未来のアニメは3DCGに向かってゆくと思っている派」なのですが、2017夏アニメは手描きアニメと思われる作品ばかりのように感じています。やっぱり、CGアニメは不評なのでしょうか。
CGアニメの不評を買っている原因のひとつに「動きが不自然」というものがありますが、これはCGが理由ではなく、そのオペレーションが確立されていないからだと僕は思っています。1970年代のスポ根アニメの中にはありえない動きをしているものもたくさんありましたから、いずれは解決できる問題だと思っています。ただ、そのためには人材が必要で、業界にお金が集まらないと能力のある人も集まらないわけで、そのスピードはすごくゆっくりになってしまいます。
で、ベルセルクのアニメが一旦終了(再開がいつになるのかわからない一区切り)したのですが、その終わり方が気になるのです。
まあ、最後の「見せ場」が手描きになっていたということなのですけどね。たしか、放送前にwowowでやっていた特別番組では、CGによる作画にかなりの手応えを感じているようなお話を制作の人がしていたように記憶しているのですが、結局は手描きに軍配が上がったということなのでしょうね。現時点でCGアニメが発展途上なのは明らかなのですが、僕の目には、この作品のシーズン中の間に、その成長は感じられませんでした。乱暴な言い方ですが、「使えない」という判断が現場でも下されたのだと推測できます。
原作もあまり先に進んでいないようで、この続きのアニメ化はかなり不透明だということです。ですから、「最後は~」という気持ちが少なからずあったことは確かで、その結果が「手描き」というのは少しさみしい気持ちになってしまいます。もっとポジティブに受け止めることができればよいのですけどね。
CGと言っても、日本のアニメでは2.5Dくらいのポジションで、最終的に出来上がったものは2Dで、その作画のためのツールのひとつという位置づけというのが現状だと思います。メカやモブキャラではCG作画が中心になってゆくと思われます。問題はそこから先なんですけどね。
というより、あの作品をCGで作ってほしかったという残念な気持ちがあるのです。
このシーンなんかはどういうリアクションをとればよいのか解らなくてとっても困りました。この作品は登場人物毎にエピソードがあって、その別々のエピソードが重なり合ってくることに面白いところがあるのですが、その重なる前の予兆というか、「引き」とか「タメ」みたいなものがあって、その部分が全体にメリハリをつけていというかすごく面白いところだと思っているのです。
ところが、その登場人物のビジュアルがいまひとつ弱くて、「たぶん」と思っているシーンで「ところで、誰だっけ?」みたいに、いつも躓いてしまうのです。もう「引き」とか「タメ」とか以前に、全体の流れに乗れていない感じなのです。
えっと、ケイが子供の時に車の中で契約書を出していた人とは別人だよね?とか、
えっと…誰だっけ?とか
えっ!知り合いなの?とか、すごく乗り遅れている自分がいるのです。まあ、宇川さんの登場の仕方だと、前回出会ったのはケイと美空が一緒のときだったようなミスリードになっています。
CGによる作画の利点はいくつかあると僕は思っていて、そのひとつがキャラの固定化だと考えています。固定化というのは、登場人物が区別できるということと、再登場時にすぐに誰なのか理解できるというもので、これはストーリーを作ってゆくにはすごく重要なことで、漫画やアニメに限らず映画や小説でも工夫を凝らす部分になっています。そのとき、手描きの作画よりもCGのほうが有利なのではと僕は考えているのです。
もうひとつは、細かい表情が作れると思っています。手書きの場合だとどうしても漫画からの影響が大きくて、「怒っている」「笑っている」などの記号として表情を扱ってしまいがちなのですが、CGでは「45%くらいで怒っている顔」とかパラメーターを使って「中間値」を表現することも可能になります。実際にはキャラクターの表情をどうやってパラメーターに対応させるのかとか、萌えデザインとの折り合いをどうするのかとかの問題はあるのですけどね。それにしても、こうやって並べるとよく分かるのですが、例に使った4人の女性キャラは揃って「無表情」なので本当にキャラがつかめないのですよ。そして、中心人物の春埼美空が「無表情」が特徴ということで、すごく難易度が高くなっているのです。
逆に、ディズニー・アニメはやりすぎくらいに表情が豊かなのですが、このやり取りなんかはそれがすごく良い結果を産んでいて、とても良く出来たシーンになっています。海外でアニメの映画が大ヒットしていて、それらがCGで作られたのものばかりなのを見ていると、日本のアニメが手描きにこだわり続けるのはなんだか、フィルムにこだわって映画を撮り続けているのと重なるような気もしています。
「それ」が良いのは理解できるし、「それ」にしか出せない表現というものがあることも理解できるのだけれど、「それ」はあくまでも手段であって、大切なのは観客を喜ばせること、面白いものを作ることナノじゃないかなあと妄想するのでした。
キャラの固定化については、もうひとつ腹案があるのですが、それはそれで長くなりそうなので次回に。