ボクシングとか格闘技が好きで割とチェックしているのですが、バトルものの作品には何か欠けているような気がして、それをうまく作品に組み込めれば、本物が持っている緊張感のようなものを味付けとして、よりリアルな作品ができるのではと思っています。
去年行われたWBSS決勝戦の井上VSドネアですが、2019年最高試合との声も高く、格好の素材として参考になるのではないかと取り上げてみました。
実はこの試合、井上の圧倒的な有利との予想がされていました。ところが、2Rでドネア選手の必殺の左フックを井上選手が食らって一気に形勢が逆転してしまい、苦戦を強いられた井上選手がなんとかそこからの逆転勝利を掴んだというものです。
ドネア選手も5階級を制覇したスーパーボクサーなのですが、37歳という年齢から「もうピークは過ぎたのでは?」と言われていて、一方の井上選手は「強すぎる」逸話がたくさんあって、「一方的な試合になるのでは?」という予想も少なからずあったのです。その予想とは異なる流れにしてしまったのはドネア選手の放った「一発の左フック」だったのです。
この「左フック」というのはドネア選手の必殺技ともいえるもので、過去、この「左フック」で何人もの選手をKOしています。ですから、この展開も「想定内」といえば「想定内」なわけなのですが、そこまでのプロセスが興味深くてこれをストーリを作る素材として行かせないかなあと思って取り上げてみました。まあ、たくさんの人達から「名勝負」と呼ばれている試合ですから、参考にしないわけにはいかないと思います。
ここで、キーワードになるのが「削る」という言葉で、対戦型格闘ゲームで説明すると相手の体力ゲージのポイントを減らしてゆく作業のようなものです。格闘ゲームだと体力ゲージは単純に減ってゆくだけなのですが、実際の格闘では体力ゲージの残量によってステータスが変化してゆくということがよく起こるのです。
ここがとても重要な部分で、よくスポーツ選手が「100%の力が出せれば…」と言いますが、これは「HPがフルの状態のステータスで勝負できれば…」とも言いかえることができると思うのです。つまり、「コンディションづくり」とか言われる部分がとても重要で、その成果次第で結果が大きく変わってしまうというのがほとんどのスポーツに当てはまるのですが、ボクシングなど「相手にダメージを与える競技」では、相手のコンディションを崩すことが試合中にできるわけで、それを作戦として取り入れたものが「削る」という行為なのです。
わかりやすいのが「スピード」で、スタミナ切れを起こしてしまうと動きが鈍くなってしまう状況が起こります。相手に対してスピードで劣っている場合、体力を「削って」先にスタミナ切れを起こさせようという作戦はセオリーのひとつだったりします。「ボディ打ち」が、相手にダメージを与えるよりも体力を奪うことに効果があって、積極的にそれを選択する作戦も存在します。よく言う「ボディブローのように後から効いてくる」という言い回しはこれが語源になっています。
話を井上VSドネアに戻すと、僕の想像ですが最初の時点で二人のステータスは井上選手のほうが上回っていたのだと思います。そのままだと井上選手の2RKO勝ちの可能性もあったはずで、そのくらいドネア選手の「左フック」は、井上選手のステータスを変化させてしまったのだと思います。
もう一つ伏線があって、このときのダメージで井上選手は自身の必殺技である「右ストレート」が使えなくなっていたのでした。というか、被弾した右目が全然見えなくなっていて距離感がつかめないので「右ストレート」を打つための踏み込みができなくて、いつもは必殺だった「右ストレート」が普通の「右ストレート」しか打てなくなっていたのでした。
逆にドネア選手の「左フック」は12Rまで生きていて、井上選手の反撃もそれをかいくぐりながらという形は最後まで終わることがなく、スリリングな展開のまま終了するという、とても緊張感のある試合になったのです。
2R以降、井上選手は防御に寄せた作戦に切り替えて逆転の機会を伺うというか、お互いに「削り合い」の展開になってゆくのです。ドネア選手視点では、相手がダメージを負っているのは明らかなので追撃しておきたいし、井上選手視点では、自分のダメージの度合いを悟られないように攻撃的に振る舞いつつ体力の回復と反撃を試みたい、そういう一進一退の攻防がつづくのでした。
そして11R、井上選手のもうひとつの必殺技「左ボディ」が炸裂して、ドネア選手はダウンしてしまうのです。プロレス的には9.9カウント。疑惑のノックダウンでしたが、このダウンが大きく判定に作用したのでした。
まぁ、ラスボスが主人公よりも強くて「勝てそうにない雰囲気」は、設定としては必要(重要)なものだとは思うのですが、それだと順当には勝てないわけで、そこからどうやって勝利するかまでの「からくり」は考えておかなければならないわけで、そのヒントにはなるのではないかと考えています。