私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オジャラン(4)

2015-09-09 22:19:58 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
オジャランの論考小冊子:
Liberating Life: Woman’s Revolution
 (生命の解放:女性革命)
の翻訳の続きです。興味を持たれた方は下記のサイトから全文を読み取ってください。単行本としても販売されています。

https://peaceinkurdistancampaign.files.wordpress.com/2011/12/ocalan-liberating-life-woman_s-revolution.pdf

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2. 女性の革命:新石器時代

父権制(男性優位制)はこれまで常に存在していたのではない。国家統制的文明の台頭以前の千年間、社会における女性の地位は大変違ったものであったという強力な証拠がある。 実際、その社会は女性中心的で、女性の周辺に構築されていた。
 ザグロス-タウルス地域系内(訳注:クルド人の古代からの母国地帯)では、中石器時代とそれに続く新石器時代の社会が第4氷河期の終わり、ほぼ2万年前に、発達し始めた。よく発達した道具と高度の集落システムを備えたこの見事な社会はそれ以前の氏族社会より遥かに進歩したものだった。この時期は我々の社会的特質の歴史における一つの驚くべき時代を形成している。いまだに我々と共にある多くの発展はこの歴史的段階まで遡ることができる:農業革命、村落の設立、商取引の根源、それに母親を基礎とする家族、はたまた、部族と部族組織体も含めて。
 我々が今日でも使っている多くの手法、道具、用品は、多分この時代の女性による発明や発見に基づいている。例えば、異なった植物のいろいろ有用な利用や、動物の家畜化、植物の栽培、住居の建設、育児栄養の原理、くわ、手動粉挽き、それに多分、牛車なども。
 私にとって、この時代の地母神崇拝はこれらの偉大な進展における女性の役割に対する尊敬を象徴している。それが抽象的な豊穣性の神格化だとは私は考えない。それと同時に、母親としての女性に基礎を置いた階級制は、この母親概念の歴史的根源であり、それによって、あらゆる社会が依然として母親というものを一つの権威として尊敬し、感謝の念を持つのである。彼女はこの権威を要求する:何故ならば、母なるものは、最も困難な条件の下でも、出産し、そして、栄養物を与えて生命を保つ最重要な生命要素だからである。まことに、この謝意に基礎を置いた文明と階級制は、必然的に、女性を崇めることになる。この母親概念の長続きの本当の理由は、母なるものは、人間という社会的存在の基礎を具体的に形成するという事実にあり;それは抽象的な出産能力によっているのではない。(訳注:これはフェミニズム論の重要なポイントだと思います。抽象的に‘母性’を祀り上げるのは一種のマヤカシだと私は思います。)
 新石器時代の間に、完全に共同体的な社会秩序、いわゆる“原始社会主義”、が女性を中心にして形成された。この社会秩序では、国家的秩序の強制執行はまったく見られなかったが、それにもかかわらず、システムは何千年もの間、存在し続けた。この永続した秩序こそが、人類の集団的な社会意識を形作ったのである;そして、楽園(パラダイス)という我々の概念構成へ導いたのは、このかつての平等と自由の社会秩序を取り戻し永続化しようという我々の終わるところのない希求でもある。
 平等と自由によって特徴づけられる原始社会主義は母権制秩序の社会的道徳性が所有権を許さなかったからであり、この所有権こそが社会的分裂の拡大化の背後にある主な要因である。原始社会主義では、男女の間の労働の分担と、この分担に関係する他の諸問題は、まだ所有権と権力関係に基づいていなかった。集団の内部での私的関係はまだ発達していなかった。採集した、また、狩猟した食物は全員に属した。子供達は一族に属した。男であれ女であれ、誰もある一人の人間の私的所有物ではなかった。これらすべての事柄について、いまだ小規模で大きな生産能力を持たなかった共同体が、確固とした共通の思想的、物質的文化を持っていた。社会を維持する基本的原理は分け合いと団結であったのであり、―― 生命を脅かす危険である所有権と暴力はこの文化を存続不可能にしたであろう。
 主流社会とは対照的に、新石器時代社会の自然との関係は、思想的また物質的文化の両方で、エコロジーの原理の遵守を通じて維持された。自然は人間たち自身と同じく、生き生きと活発なものと見做された。自然のこうした意識の仕方は、自然の中に多数の神聖なものや神格を認める心理を養った。もし我々が、集団的生活の本質は地母神を敬う気持ちに根をもつ神性の形而上学に基礎を置いていることを認識すれば、我々は集団的生活の最も重要な点をより良く理解できよう。
 理解しなければならないのは次のことである:何故に、また、如何にして、新石器時代の母権制(女性優位)システムが取って代わられることが可能だったのか?
 社会的集団が形成されるごく初期から、女性の食料採集と男性の狩猟の間には対立的緊張があったから、結果として、二つの異なる文化的進化が社会内で進展した。
 母権制社会では剰余生産物は、大量ではなかったが、蓄積された。(これが経済の始まりだった―― 概念としてではなく、実質として ―― そして、ここで我々は資本主義的経済とか寄贈経済といった、異なるタイプの経済の起源を見出す。) この剰余をコントロールするのは、養育者としての女性だった。しかし、男性は(多分、より成功率の高い狩猟技術を発達させることによって)その地位を向上させ、より高い社会的身分を獲得しその身辺に従者たちを集めるようになった。以前は有力者の集団に属していなかった“老賢者”やシャーマンは、そうした強者の男性(ストロングマン)に付属するようになり、男性優位支配のイデオロギーの構築の手助けをした。彼らは意識的に女性に敵対する大変組織的な運動を推し進めた。
 新石器時代の母権制社会では、制度化された階級構造はなかったが、今や階級制度が徐々に導入されてきた。シャーマンと経験を積んだ年長の男性との提携はこの面で重要な展開だった。この男性間連携が彼らの影響下に引き込んだ若い男性たちの上に打ち立てたイデオロギー的支配力は共同体の中での彼らの地位を強化した。重要なのは、男たちが獲得した権力の性質である。狩猟と一族を外的危険から防衛することは共に殺戮と傷害に依存することであり、軍事的性格を持っていた。これが戦争文化の始まりであった。
 共同体性はその上に階級制と国家権力が設立される基礎である。もともとヒエラルキー(階級制)という言葉は司祭、つまり、年配の賢者、による政府を指していた。はじめの頃には、それは前向きの機能を持っていた。自然発生的社会の有益な階級制を民主主義の原型と見做すことさえ出来るだろう。地母神と賢明な年長者たちが共同体の安寧と社会の運営管理を護った。彼らは、富の蓄積と所有権に基づかない社会における必要で有用な、基礎的要素であった。社会は自発的に彼らに尊敬を捧げた。しかし、自発的な依存性が権威に、有用性が自己利益に姿を変えると、それは常に、お呼びでなかった権力の機関に道を譲ってしまう。その権力の機関は、集団の安全と集団的生産という形に偽装して影に隠れる。この偽装こそがすべての搾取的圧政的システムの核心である。それはこれまでに発明された最も邪悪陰険な産物であり、それが、すべての形の奴隷制、すべての形の神話と宗教、すべての組織的な皆殺しと強奪をもたらしたである。
 疑いもなく、新石器時代社会の崩壊には外的な理由があったが、主な要因は司祭たちの神聖国家社会だった。低メソポタミア地域とナイル河流域における最初の諸文明の伝説がこのことを確証する。発達を遂げた新石器時代の文化は、新しい人工的な灌漑の技術によって、そうした社会の設立に必要な剰余生産物を供給した。その剰余生産物の周辺に形成された都市社会が一つの国家の形に組織化されたのは、ほとんどの場合、男性が新しく獲得した地位と権力を通してであった。
 都市化は商業化を意味した。それは商取引を生んだ。商取引は植民地の形で新石器時代の血管の中に浸透した。商業化、交換価値、所有権は急速に成長し、新石器時代の崩壊を加速した。


3. 最初の大きな性的決裂

歴史的唯物論の革命/反革命の図式と同じ調子で、私は女性男性間の関係の歴史における注目すべき転換点を性的決裂と名付けることを提案する。歴史上、これまで二つのそうした性的決裂があった。私は、将来、もう一つの性的決裂があるだろうと、予言する。
 文明に先立つ社会の時代には、“強い男性(ストロングマン)”の組織された力は動物を捕らえ、外敵に対して社会を守るという目的だけのために存在した。女性がその感情的労働の成果として打ち立てた家族・氏族集団を羨望したのが、この男性組織だった。家族・氏族の乗っ取りは最初の本格的な暴力の組織化であった。その過程において強奪されたものは、女性そのもの、その子供達と親族、それに、それまでの物質的、道徳的文化の蓄積のすべてであった。それは家族経済という最初の経済の略奪だった。原始司祭(シャーマン)、老練年長者、ストロングマンの組織された勢力は、宗教的統治という、初めてのそして最も永続性のある父権的司祭支配階層権力を構成するのに力を合わせた。これは類似の段階にあるすべての社会で見られることであり、社会階級、都市、国家が現れる段階以前までは、この司祭統治は社会的、経済的生活において支配的であった。
 シュメールの社会では、バランスは次第に女性に不利になっていったが、両性は紀元前二千年までは未だ大体のところ平等だった。女神を祀る多数の神殿とこの時期の神話的テキストは、紀元前4000年と2000年の間、シュメール人の文明の中心をなしていたが、女性-母性文化のシュメール人への影響は男性文化の影響と比肩していた。当時はまだ、女性をめぐる恥の文化は発達していなかった。
 かくて、母性-女性崇拝に対する優越性を発展させる新しい文化の始まりを我々はここに見る。社会的階級制度の出発以前の、この権力と司祭支配階層の発達は歴史における最も重要な転換点の一つを形成する。この文化は定性的に母性-女性文化と異なる。食物収集とその後の耕作という母性-女性文化の主要な要素は戦争行為を必要としない平和な活動である。圧倒的に男性の仕事であった狩猟は戦争文化と過酷な権威に基づいている。
 狩猟を主な役とするストロングマンが母権的秩序の成果蓄積を羨望したのは理解できる。男性支配を確立すれば、多くの利点が生み出されよう。狩猟を通じて獲得した権力の組織は、今や、支配し、最初の社会的な階級制度を打ち立てる機会を彼に与えた。この進展は悪質有害な意図を持った解析的知能のごく最初の使用だったのであり、それから先、それは全面的に使われるようになった。それに加えて、聖母崇拝から聖父崇拝への遷移は、解析的知能が神聖性の陰に本性を隠すのを許した。
 かくて、我々の深刻な社会問題の起源は、ストロングマンの周りにカルト化した、つまり、宗教化した父権的社会の中に見出される。女性の奴隷化と共に、子供たちのみならず、男たちの奴隷化の土壌もまた用意された。男性が奴隷労働を使って価値を蓄積(特に剰余生産物の蓄積)する経験を積むに従って、奴隷に対する統制支配が拡大した。権力と権威はますます重要性を増していった。ストロングマン、長老、シャーマンの三者は協力して特権的な集団を作り、抵抗し難い権力中心を形成した。この中心で、解析的知能は、一般大衆の心を統御するために、異常な神話的物語を作り上げた。シュメール人社会のために作成された(そして少々手を加えて長く後世に伝えられた)神話的世界では、男性は天と地の創造者として神格化されるまでに高められる。女性の神格と神聖さはまず品位を下げられ、続いて抹消されたが、その一方で、支配者で絶対権力者という男性概念は社会にしっかりと刷り込まれた。かくて、神話的物語の巨大なネットワークを通じて、文化のあらゆる面が、支配者と被支配者、創造者と被創造者(物)の関係で覆われることになった。社会はこの神話的世界にだまされて、次第にそれは人心を捉えていった。やがて、それは宗教の形をとり、人間の間に厳格な区別があるという概念が込められた宗教になった。例えば、社会の階級的分割はアダムとイヴの天国から追放され、苦役の罰を与えられる物語に反映されている。この伝説はシュメールの支配者-神に創造する力を授け、その従属者は下僕として作り直されることになった。
 シュメールの神話は人間の形をした神の肋骨からの創造の物語を含んでいた。――ただ、その創造を実行するのは女神ニンフルサグであり、それは男神エンキの命を救うためであった。時が経つうちに、物語は男性を利するものに変わって行った。エンキとニンフルサグ-イナンナの神話における対抗関係と創造性の反復性要素は二重の機能を担っていた:一方では、女性を貶めてその過去の創造性の重要さを減少させること、他方では、奴隷でも召使いでもない人間の形成を象徴することであった。(私が思うに、この最後のシュメールの司祭を作り上げる着想はそれ以後の神-下僕のジレンマのすべてに一役演じることになった。これについての真実をはっきりさせるのは大変重要なのだが、宗教的文献はそれに目を瞑るか、あるいは、そうした考え方を即座に退けてしまうかである。これは、神学者たちが真実を、つまり、彼らの利害が関わっているのを、隠す必要があると感じるからであろうか?)
 シュメール社会において立案されたそうした神性の個体は自然との新しい取り組みと新しい社会的権力の反映である。;いや、それ以上で、それらは人々の心理状態を新しくリセットする目的で配備されたと言ってよいだろう。自然の次元からの影響が減少するに伴って、社会的次元からの影響が重要さを増し;女性の影響は次第に減り、従者としての、下僕としての人類を際立たせることに関して顕著な事態の進展が行われる。社会で力を増す政治的権力が神々の中のある種の神たちに特別の地位を与えることになる一方で、その結果、消える神もあり、形を変えてしまう神も出てくる。かくて、バビロニア期の間、君主の絶対権力は神マルダックの隆盛に反映されている。このシュメール神話の最終段階は一神教宗教の誕生の発端に達したことを示唆している。
 子供が男性の持ち物であったこうした結社的集団では、父親はできるだけ沢山の子供を持とうとした(勢力の獲得のために、特に男の子を)。子供の支配は父親に母親-女性の蓄積したものを奪い取ることを可能にした。;こうして所有権システムが作り出された。司祭-国家の共同的所有権と並んで、私的な所有権が打ち立てられた。私的な所有権の方もまた父権の確立を必要とした。;父権的権利は、親の遺産が(主に)男の子に与えられるようにするために必要だったのだ。
 紀元前2000年前からこのかた、この文化は広範に広がった。女性の社会的身分は劇的に変えられた。男性優位社会はその支配が伝説的になるまでに強化されてしまった。男性の世界が賛美され、英雄化される一方、女性的なあらゆるものは軽んじられ、格下げされ、けなされた。
 この性的決裂は実に過激なものであったから、社会生活の歴史に、それまでに嘗て見られなかった最も顕著な変化をもたらした。中東文化内での、この女性の価値に関する変化を、我々は最初の重要な性的決裂、あるいは、反革命と呼ぶことが出来る。それは、社会の建設的な発展に何物も貢献しなかったから、私はそれを反革命と呼ぶことが出来るのである。建設的どころか、それと反対に、それは家長制による硬直した社会支配と女性の排除をもたらし、人間の生の極端な貧困化に導いた。中東文明のこの断裂は、まず間違いなく、中東文明の漸進的に悪化を続ける状況の最初の一歩であった。時が経つにつれて、この断裂の負の影響はひたすらただ増大するばかりである。二つの声を持つ社会の代わりに、それは一つの声の、男性社会を生み出した。一次元的な極端に男性的な社会文化への転移が行われた。女性の感情的知能――驚異を創造し、情緒に富み、自然と生命に強く関わる知能は失われた。それに代わって、自ら独断主義に屈し、自然から分離し、戦争を最高に高揚した価値あるものとし、人間の血を流すことを楽しみ、専制的に女性を取り扱い、男性を奴隷とすることを自己の権利と見做す一つの残酷な文化から、呪うべき解析的知能が生まれた。この知能は、人間にふさわしい生産と生き生きとした自然に重点を置いた平等主義的な女性の知能とは全く対照的なタイプの知能である。
 母親は古代の女神となった;彼女は今や従順、貞淑な女性として、家の中に鎮座する。男性神と平等どころではなく、彼女は発言することも顔を露わにすることも出来ない。次第次第に、彼女はベールに包まれ、ストロングマンのハーレムの中の囚われ人となる。
 アラビアにおける女性の奴隷化は(モーゼによってアブラハム伝説の中で強化されて)この歴史的展開につながって行く。

******(第3節おわり)******

 オジャランの論考小冊子:
Liberating Life: Woman’s Revolution
 (生命の解放:女性革命)
の始めの部分の翻訳を一応ここで閉じます。粗雑な翻訳で申し訳ありませんが、これでも、クルド人問題、女性解放問題などに興味をお持ちの方の食欲をそそる役は果たすことは出来たのではないかと考えています。
 次には、これもまた重要なオジャラン文献の一つである、
Democratic Confederalism(民主的連邦主義)
の翻訳を始めます。
 アブドゥッラー・オジャランの名に、なぜ私がこれほど拘るか? シリア北東部の小都市コバニをめぐるクルド人とIS(イスラム国)軍との死闘のことをやや詳しく知ったのは本年2015年の初頭で、それまで私はアブドゥッラー・オジャランの名を知りませんでした。いや、多分、この名を目にしたのは、1999年、オジャランの逃避行、逮捕、拉致のドラマが展開された時、カナダのマスコミを通じてであったと思われますが、このゲリラ指導者の名前は私の記憶の中にとどまっていませんでした。
 しかし、今は、私の心の中でオジャランの名は大きくなるばかりです。更に、現在のシリア情勢に関する私の読みも変わりつつあります。米国、 有力NATO諸国、トルコ、イスラエルなどにとって、ロジャバ革命と呼ばれるクルド人の革命的政治勢力は、アサドのシリア政権と同じほどに、打倒してしまいたい政治的軍事的勢力だと、私は見ています。離島の独房に閉じ込められているオジャランを偉大な思想的指導者として仰ぐ、おそらく、百万のオーダーの若く屈強なクルド人男性女性の革命志向のエネルギーは、今後の中東情勢を決定するピボットとなる可能性が十分あると、私は考え始めています。このクルド人男性女性集団とISテロリスト集団は全く対照的な価値観を信奉する集団です。この革命集団と反革命集団がコバネで激突し、クルド人の革命集団が、この春には、勝利を収めたというのが現状です。シリアのアサド政権を打倒して、米欧の言いなりになる政権に変換することに成功しても、あとにオジャランを指導者として固く団結するクルド人集団が生き残ることになれば、米欧と中東の保守勢力にとっては、中東問題は解決に向かうどころか、むしろ、これまでよりも、より根源的な問題を抱え込むことを意味します。英語に“Elephant in the room” という表現があります。知らない方は辞書をチェックして下さい。シリアで政権変換(レジームチェンジ)を企んで来た諸勢力は、これ以上、部屋の中にいる巨象(オジャランの革命思想を信奉するクルド人勢力)の存在を無視できないことを悟り、この邪魔者を殺しにかかっています。これがシリア問題の目下の要諦です。今回、エルドアンのトルコが、米国が引率する反イスラム国有志連合に加わって、本気でIS叩きに加わった、というのは全くの嘘っぱちで、すべての力は部屋の中の象を殺すことに向けられようとしているのです。

藤永 茂 (2015年9月9日)

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オジャランと人間解放 (sugiyama,hideko)
2015-09-11 10:03:34
続

追記;①オジャランの女性解放と全く縁のないコメントがありますが、その場合は表題を冠していただきたい。さもないとよむだけで膨大な時間をとられてしまう。

② 翻訳の前後に藤永さんの貴重な追記があり、論文引用の場合にやくにたっていますが、コメントに対する藤永さんのご意見もうかがわせてもらうと興味深い。
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オジャランと人間解放 (sugiyama,hideko)
2015-09-11 17:19:34
いつも貴重な翻訳ありがとうございます。素晴らしいオジャランの思想を紹介してくださりとてもうれしいです。

オジャランの男女平等論はマルクス・エンゲルスの女性解放論とそうかけ離れた議論ではありませんが、マルクス・エンゲルスの方がより男性の視点からのアプローチが強いということが言えますね。

マルクス・エンゲルス、レーニンの解放論では、まず労働者階級の解放があり、そののちに女性の解放が勝利するという二段階解放論であり、革命を進行させる上で常に女性解放は後方に追いやられた感は否めないです。それに加えて女性の数世紀にわたって培われていった常に男の影にかくれているという意識は男性からはむしろ称揚されてきました。

とりわけ、ロシア革命におけるレーニンの様々な女性解放に対する考え方を集めた資料を渉猟していると、やはり階級闘争が先行、その勝利の結果を待たなければ女性解放は得られないという論が大前提として提示されている。
ここからロシア人女性の長~い死闘が始まるわけで,その負の残滓をいまだに現代の女性は背負っているようで目を覆いたくなることが多いです。と言っても理解不可能かもしれませんが、それだけ女性の意識の中に埋め込まれた負的なものの残影が濃く残っているという意味です。当方の私的な見解では、19世紀のロシアの革命的知識人、チェルヌイシェフスキーの方が両性の平等な人間的解放という観点からははるかに理かいがあり、進んでいたと思います。
これを論述していくと実に長いスペースが必要なので端折りますが、これは単に社会主義革命における女性の解放という問題を考察すると同時にロシアの歴史的社会的特殊性をも考慮に入れる必要があるでしょうね。いみじくもエマヌエル・トッドも『帝国以後』で言っているように革命前からのロシア男性を中心にしたしっかりした家父長的農業共同体の存在があったことも大きな影響を及ぼしていたことも視野にいれるべきでしょう。

このプロセスを考えると、シュメール文明の影響を受けているクルド人の両性の在り方にはもっと柔軟性があり、生命を生み出す女性に対してもっと優しい、慈しみの気持ちがあったように思えますね。それがどういうものであったかは類推の域を出ませんが。少なくともオジャランは女性の感情的知能――驚異を創造し、情緒に富み、自然と生命に強く関わる知能は失われたと書いている表現には瞠目せざるをえません。
そしてそれに代わって戦争を最高に価値あるものとして見、人間の血を流すことを重要視した男性の輩出を否定的にとらえていることは20世紀では画期的です。20世紀から今世紀にかけて男性的、好戦的、専制主義を論破して非難する男性思想家は数多く存在しますが、オジャランのようにその男性の持つ独断と専制主義を女性の持つ自然と生命にかかわる知性の称揚と対峙させて論ずることができたのは稀に見る不世出な思想家と言えるでしょう。







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山本太郎議員と翁長沖縄県知事を守れ! (通りがけ)
2015-09-16 21:18:05
阿修羅「山本太郎議員の正当主張に狼狽し逆上した島田敏男(植草一秀の『知られざる真実』)」へ書き込みました。
http://www.asyura2.com/15/senkyo192/msg/741.html#c77


山本太郎議員がNHKの放送番組内でNHKを直接攻撃した。

この行為により、石井紘基議員や中川大臣や西岡参院議長や松下金融大臣また佐宗邦皇氏のように、モサドテロリストに直接暴力で山本太郎議員の生命を狙われる危険が飛躍的に高まった。

モサドテロリストは日本では官権力を使えるのでモサドの邪魔になる人物をありとあらゆる機会を狙ってあらゆる手段を用いて暗殺成功させようと仕掛けてくる。

政治的デモや集会では浅沼委員長のように衆目の中で刺殺(しさつ)される危険が高い。
危険物満載トラックを暴走させて集会に突っ込ませる方法もある。どさくさに紛れてターゲット人物を確実に刺殺(しさつ)するためだ。

国会前や官公庁施設前では警察や公安が警備と称して妨害し混乱させて潜入テロリストに暗殺(あんさつ)しやすいよう警備の隙を作ろうとするので危険である。

ゆえに、今後はすべての政治集会を道交法を守って行儀よく歌や踊りを交えて「NHK前」だけで行うようにすれば山本太郎氏の身辺警護が非常に安全にやりやすくなる。

既述の♪人畜無害安全平和PR効果抜群全国NHK前100万人お祭りデモ♪の応用
「NHK前でマツリゴトを語る歌舞音曲祭」http://nueq.exblog.jp/24579535/
を、採用すればよい。

山本太郎氏は今日からのすべての国会外活動を「NHK前」一本だけに限定すればテロリストの暗躍を封じ込められる上に、NHK以外のすべてのメディアがこの世界一珍しいお祭りを中継放映するだろうから、日本国内だけでなく全世界にテレビ映像で平和を築く日本人の姿をニュース配信できるだろう。

そしてそうなればますます山本太郎氏の身体生命の安全が守られることになるのである。
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「翁長沖縄県知事」

沖縄で辺野古移設許可を取り消して、実力行使でFreemasonryCIAの戦争策謀を阻止した翁長知事も、山本太郎氏と全く同じCIAモサドテロリストによる暗殺の危険にさらされることになった。


翁長知事も今日から、県庁外政治活動はすべて「沖縄のNHK支局前」だけで随時連日

♪人畜無害安全平和PR効果抜群全国NHK前100万人お祭りデモ♪の応用
「NHK前でマツリゴトを語る歌舞音曲祭」http://nueq.exblog.jp/24579535/

を開催すれば、世界中のメディアが沖縄に取材に来て珍しい平和の祭りを中継放映してくれて、沖縄から沖縄県民自身手づからの武器のない世界平和を地球に作り出すことが出来るだろう。

☆翁長知事はかつての田中長野県知事のように知事執務室を防弾ガラス張りにして県民すべてにリアルタイムで知事執務を公開するという防衛法もある。
返信する
迫りくる日本の悲惨な最後 (kagero)
2015-10-11 14:42:35
日本の現状分析と、私たち愚民への警告もぜひお願いします。今国会で、日本のISに相当したのが、シールズという胡散臭い学生スパイ集団でしょう。彼らが反政府運動を乗っ取ってしまって、大騒ぎする裏で、国民を貧困と搾取、日米の大企業の奴隷に突き落とす、凶悪な売国法が、ひっそりと次々に成立し、小泉売国構造改革は、完全に完成してしてしまいました。トドメはTPPで、もう、完全にオシマイです。というか、この国は311のフクシマですでに終わってますが。人類未体験のメルトスルーが、3基。汚染水は垂れ流し状態で、太平洋はすで腐海と化してしまいました。フクシマ大災厄は、終息などもはや不可能(水になって存在し、分離も不能な、恐ろしいトリチウムが、1/1000になるまで130年!)。後は、水俣などの公害事件でおなじみの、自民党(裏切り第2自民党・民主党もひどかった!)お得意の、隠ぺいと棄民、そして、米軍の下請けの侵略戦争で隠すしかないのでしょう。まともに、補償するだけで、国家予算の何倍になることやら。今、大企業と政治屋のための税金ぶん盗り大会・オリンピックで、最後の饗宴が繰り広げられてます。このままでは、おぞまし自民党「憲法」草案が成立してしまいます。もう、シリア難民以上の難民が、この国から出ることでしょう。本当にSOSです。
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