26日は早朝から飲茶の接待をうけた。中山大学に近い「順峰山荘」というレストラン。美味い。衝撃的な美味であり、同行した某準教授も広東系マレーシア人ながら、これほどの飲茶を体験したことがないという。やはり中国人は脅威だ。これだけの味を知っているということ自体、恐るべしである。日本にお招きしても、いい加減な接待はできない、ということを改めて教えられた。朝ご飯でこの味なんだからね。
飲茶には、ワン先生、Kさんに加え、中山大学人類学系の先生2名が加わった。お二人とも若い。40代。お一人は日本で4年の留学経験があり、もう一人の先生は考古系で、話の輪がひろがった。わたしの名はそれなりに知られているようだ。「昔の名前ででています」って感じかな・・・
朝食後、中山大学のキャンパスをご案内いただいた。バークレー(USC)を思い出した。広いひろいガーデンの中に様式建築がぽつりぽつりと建っている。歴史があり、緑に包まれた共有スペースがある。歩いているだけで、とても気持ちいい。日本でこういう爽快感を得られるキャンパスといえば、そうだな、北大ぐらいじゃないかな。東大も重厚な趣きがあって素晴らしいけど、大半の日本の大学は狭っ苦しい(京大がその典型)。中国のキャンパスにしたって、北京大学も清華大学も同済大学も復旦大学も、これほど長閑でひろびろとしていなかった。中山大学が中国の例外なのかもしれない。
人類学系の教室は赤煉瓦の建物で、広東省の文物保護単位。まず、費孝通(フェイ・シャオトン)の題字に驚かされた。費孝通はロンドンに留学してB.マリノフスキーに学んだ社会人類学者。江蘇省の故郷をフィールドにして著された“Peasant Life in China”は中国農村の民族誌として高く評価され、日本でも『支那の農民生活』として翻訳出版された。序をマリノフスキーが書いている。たしか1940年代の翻訳だったはずだが、中華人民共和国成立後の長い混乱のあいだ、フィールドに入れない人類学者、社会学者にとって「聖典」であり続けた。北京に留学していた1983年に、ある日本人の中国語学者がこう語った。
「費孝通は、現在、社会科学の分野で世界に通用する唯一の中国人学者だ」
上にいう「現在」とはもちろん1983年時点のことである。いまは多くの社会科学者が世界レベルの仕事をするようになっているに違いない。
中山大学人類学系はアメリカ式の学科構成をとっている点でも特筆すべきであろう。日本も中国も、人類学と考古学は別の学術分野に分けられ、学科も異なっている。しかし、アメリカでは考古学は人類学の一部とみなされ、人類学科のなかに考古学が含まれるのが一般的だ。中山大学はこの方式をとっており、それは中国でも例外的であるという。ただ、中国の場合、アメリカほど考古学が人類学化しているわけではない。アメリカでは、おもに民族誌のデータを理論化して文化の枠組をつくり、それに発掘調査のデータをあてはめていくプロセス・アーケオロジーが主流だが、日本や中国は基本的に出土遺物・遺構に即した実証的研究が主流である。
爽やかなキャンパスを通り抜け、地下鉄に乗った。めざすは沙湾の町並み保存地区。ワン先生とグオ先生が調査されている地域でもある。(続)
- 2007/12/28(金) 00:20:40|
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- 2008/01/15(火) 23:16:04 |
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