うちの娘は、熱烈なフィギュアスケート・ファンなんですが、昨夜のSPは最初から「みたってしかたない」と白けておりました。どうせ、出来レースだというわけです。
それでも、家内はみたいという。で、みたんですが、ごらんのとおりの結果です。
浅田真央はたしかに不振でした。演技中、家内は6位ぐらいといい、わたしは、いや3位ぐらいじゃないか、と反論したのですが、結果は6位(キム滑走前の段階で)。家内に軍配があがりました。それにしても、58点というのは低すぎるんじゃないのかな?
で、ヨナさんですが・・・いきなりよろめいてくれまして、画面からオーラが感じられません。家内は「駄目だね、この演技」といい、予想はやっぱり6位。いんや、ちがう、とわたしは言ったんです。また1位だぜ、みてろって。そしたら、ほんとに1位になったんで、予想した私本人が唖然呆然。
なにも変わってませんね。
いまのところ、安藤の動画しかみれないようですが、突出したパフォーマンスだったのではないでしょうか。ヨナさんよろめいてこれを上回るってんだから、「もうフィギュアみるのをやめよう」と訴える人が多くなるのも無理からぬところでしょう。
VIDEO あれっ・・・上の画像、早くも削除されましたよ。しゃぁないなぁ・・・代わりに、昨年の世界フィギュアを貼りましょう。外国のメディアに頼るしかないのね。日本のマスコミは駄目です。
VIDEO これが、女子フィギュア史上最高の演技ですよね。浅田真央の復活を心から祈っています。
[ヨナさん、よろめく(Ⅴ)]の続きを読む
2011/04/30(土) 01:39:53 |
スポーツ |
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福岡市埋蔵文化財センター主催の平成23年度考古学講座「住まいと暮らしのうつりかわり」で、トップバッターを相務めることになりました。
日時・演題等は以下のとおりです。
日時: 平成23年5月21日(土)13:30~15:30
演題: 「弥生時代建築の実証的復元 -竪穴住居と掘立柱建物-」
会場: 福岡市埋蔵文化財センター
講演内容は、2009年
11月10日 に開催された全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会(第22回研修会 鳥取大会)での基調講演に近いものになるでしょう。ただし、会場は福岡ですので、地元の大原D遺跡(糸島半島、縄文草創期)の焼失住居跡復元なども取り入れることになるだろうと思っています。
はやく資料を送らないといけません。チラシと一緒に資料返送用の大きな封筒が同封されておりました。そのチラシを下に貼り付けておきます。クリックすれば、画像が拡大しますので、ご活用ください。
[「住まいと暮らしのうつりかわり」講演会のお知らせ]の続きを読む
2011/04/29(金) 00:00:13 |
講演・研究会 |
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STARDUST REVUE 30th Anniversary Tour スターダスト・レヴュー30周年記念コンサートに行ってきました。4月24日(日)@とりぎん文化会館。
よく聴く音楽には、なにがしらかの記憶がまとわりついている。スタレビに関していうと、ずばり「恋」と「失恋」の想い出ですよね。そういう人が多いでしょう。「トワイライト・アヴェニュー」「今夜だけきっと」「ハーバーライトもう一度」「追憶」「もういちど抱きしめて」と聴いていくと、走馬燈のように妖精たちの姿が浮かんでは消えていく、だはは・・・
30年前にスタ★レビが結成されたとき、わたしは24歳。根本要と柿沼清史(ベース)は1歳年下です。そのころスタ★レビのスの字も知らなかった。「要ちゃんの声に似てる」とか「しゃべり方まで似てる」と言われ始めたのはその5年後でして、自らCDを買うことはなかったけれど、(前にも書いたかもしれませんが)ダビングされたカセットテープがよく送られてきました。そして気づいたら、カラオケの持ち歌でスタ★レビがいちばん多くなっていて、奈良と鳥取はいうに及ばす、北海道、福島、福岡、大分、フィリピン等など、どこでもよく唱いましたね。
そんな私ですが、コンサートに行くのは初めてのこと。若い頃のかれらがテレビで演奏する映像をみたとき、「これ、パス」と反応した記憶があるのですが、ユーチューブを漁ってみるとなかなかおもしろいので、これまでお世話になった恩返しにライブを視る決心をしたのです。
主婦層が多かったな。後ろの席にいるご婦人たちは、要ちゃんのMCにゲラゲラと大笑いされ続けておりました。あのころの妖精たちがこうなったのかと思うと感無量ですねぇ・・・
30周年ツアーの売りは、1ステージで「30年30曲(リクエスト付)」。夕方5時開演で、8時半まで休憩なしのステージです。いつもは長い要ちゃんのMCを短くするしかない、ということで、トークが3分を超えたら赤ランプが点滅するようになっておりました。この作戦はどうかなぁ・・・歌よりMCが聞きたいと思ってた聴衆も少なくないでしょうね。私も、もう少しおしゃべりを堪能したかった方かもしれません。
VIDEO ↑25周年ツアーのメンバー紹介。今回も似たようなもんでした。楽しいね。
[めぐり逢えてよかった]の続きを読む
2011/04/28(木) 00:13:04 |
音楽 |
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鳥取県埋蔵文化財センターより『鳥取県の考古学 第1巻 旧石器・縄文時代』が刊行されました。全ページカラー刷りの一般向け概説書です。本書の「19 くらしの風景-住む-」に図版を提供しました。39ページに、御所野遺跡の中型住居復元パースと智頭枕田遺跡竪穴住居復元模型の写真が掲載されています(↓)。枕田の復元模型は4期生のケンボーが2007年度の卒業研究で制作したものです。懐かしいですね。
図書情報 書 名: 鳥取県の考古学 第1巻 旧石器・縄文時代
編 集: 鳥取県埋蔵文化財センター
デザイン: 勝美印刷株式会社
印刷所: 有限会社 蛍光社
発行日: 2011年3月31日
ページ: 全68ページ
本書の詳細は、鳥取県埋蔵文化財センターの
HP をご参照ください。
↑画像をクリックすると、画面が拡大します。
[『鳥取県の考古学』第1巻に図版提供!]の続きを読む
2011/04/27(水) 00:00:05 |
建築 |
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島根県は古事記編纂1300周年を記念して、平成24~25年度に東京・京都国立博物館、古代出雲歴史博物館で出雲大社の歴史を含む企画巡回展示を計画している。この展覧会に出陳する出雲市青木遺跡の復元模型に含まれる神社関係建築群の設計依頼が昨年末にあった。すでに本学で1月14日、古代出雲歴史博物館で2月14日に打ち合わせしている。さらに4月8日に田和山遺跡の竣工検査を終えたあと、島根県古代文化センターに立ち寄り、設計側に対するスピーチを依頼した。
4月23日(土)午後2時すぎに島根県のM氏・H氏が来学され、研究室のメンバーにむけてご講演いただいた。聴講者は学生だけでなく、復元設計に取り組むOB4名も加わり、さながら同窓会のような雰囲気のなかで、青木遺跡に係わる考古学・古代史の最新の見解をご披露いただいた。
青木遺跡は古代の神社遺跡であることが確実視されており、今回の復元では8世紀後半を想定して、検出された8棟の建物跡のほか、Ⅰ区とⅣ区の間に通る道路(未発掘地)でも2棟の建物を仮想して復元することになった。合計10棟の建物を復元するのである。この日の講演を聴いて、学生およびOB諸君は青木遺跡の概要を知り、それぞれ担当する建物の特徴を理解できたであろう。さっそく、このゴールデン・ウィークには、各自が担当する建物のラフな図面を描くことになった。
これから先、このプロジェクトの進捗をお伝えできるか、はたまた内密に作業を進めていくかは分からないが、来年の展覧会がいまから楽しみではある。
島根県のMさん、Hさん、遠いところまでご足労いただき、たいへん貴重な情報を丁寧かつ詳細に説明していただきまして、まことにありがとうございます。
研究室一同、がんばります!
VIDEO [青木遺跡ジオラマ -古代神社建築復元設計プロジェクト(Ⅰ)]の続きを読む
2011/04/26(火) 00:00:41 |
建築 |
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VIDEO 「建築の保存と修復」という選択科目で、英文のテキストを使っています。毎年のオリエンテーションで「英語のテキストを使うことに対する感想」を自由に書いてもらうのですが、今年度の学生は例年に比べてはるかに拒否反応が大きいので、生まれて初めて「英語を大の苦手としている学生は受講しないほうがよいかもしれません」というアドバイスのメールを流したところ、2回目の講義では却って受講者が増えてました。
わたし自身、英語が得意なわけじゃありません。旅することを生き甲斐にしているもんで、英語と中国語で日常会話できる程度のレベルではあるわけです。そういういい加減な教師ですが、ではさっそく音楽を題材にレッスンしてみましょう。
ご存じの方も多いでしょうが、ジャズのスタンダードに、
There will never be another you
という曲があります。1940年代前半に書かれた映画の主題曲。これをどう訳すべきでしょうか。直訳するならば、「もう一人のあなたなんて決してあらわれないでしょう」でいいのかな・・・日本のレコード会社は、これを「あなたなしでは」と意訳して、売り出しました。「あなたなしでは」を逆に英訳すると without you になっちゃいますね。「あなた以外の人はいない」というわけだから There will never be another you は、「あなただけ」のほうが近い日本語のように思うんですが・・・つまり、
Only you
でもよいだろうと思うわけです。そして、「オンリー・ユー」をタイトルにする曲は少なくありません。わたしたちの世代における「オンリー・ユー」と言えばプラターズでして、それをいちばん上に貼りつけました。Only you と同じ意味で、ちょっと気障な表現になるのが、
Nobody but you
ですね。
VIDEO [There will never be another you]の続きを読む
2011/04/25(月) 00:06:03 |
音楽 |
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4月21日(木)。竹中工務店のS所長とOさんにお越しいただき、13講義室でプロジェクトの概要を説明していただきました。市街化調整区域のさとに地区を、医療と福祉のエリアに変えていく構想をよく理解でき、地区計画の突破口としての古民家再生の意義も分かりました。ありがとうございます。
来週28日は、いよいよ里仁地区を訪問します。行程は以下のように決まりました。
午後3時: さとに田園クリニック 集合
①クリニック視察
②ぶらり村歩き:田園と路地・風景の視察
③古民家訪問
さらに、学生諸君には課題をだしました。来週までに、「医食同源」もしくは「薬膳」に係わる文献を各自1冊以上借り出して読んでおくこと。その1冊は、次の授業にもってこないといけません。授業後、さっそくメディアセンターに文献探しに行ってもらいました。
このプロジェクトに関連する分野は多岐にわたり、
・農業(田園活用) ・風景 ・料理 ・建築とインテリア ・医薬
などの項目を複合的に考えていかなければなりません。わたしは、以上の要素に加えて、「音楽」が重要だろうという指摘もしました。クリニックの控え室で、患者さんたちの神経を落ち着かせるようなBGMが必要であるように、薬膳料理をふるまう古民家のレストランでも、その空間とメニューにふさわしい音楽が流れているべきでしょう。それもプロジェクトのあいだに考えていかなければなりませんね。
VIDEO この曲の次にでてくる「僕は一寸」もあわせてどうぞ。「僕は一寸」は高田渡に捧げた曲のようですね。
[第2回「医食同源 ―福祉のむらおこしと古民家再生」]の続きを読む
2011/04/24(日) 00:00:20 |
研究室 |
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つい先日、ゼミOBのホカノくんから電話が。なんでも同僚でこれまたゼミOBの黒帯くんと一献傾けている最中とのこと。東京在住の二人は、かの大震災によりたいへんな思いをしているのでしょうけども、電話越しに元気な声を聞いて安心しました。特に用件はなかったようですけどね・・・
さてさて、そんな忘れたころにやってくるホカノくんの電話のように、またしても「纒向」関連でメディアに登場しました。4月12日発売の月刊『歴史人』に、纏向遺跡の復元CGが掲載されております。「激論!古代史の謎」特集号という事で、100頁以上にわたって特集が組まれており、その内容は以下のような4部構成となっています。
『歴史人』5月号 保存版特集「激論!古代史の謎」 発行:KKベストセラーズ
第1部 卑弥呼の謎はここまで解明した!
第2部 最新事実、続々公開!九州説VS畿内説 邪馬台国論争に決着! 第3部 聖徳太子の謎を徹底解剖する
第4部 大化の改新の謎を解く
ASALAB制作のCGは第2部のPART2
『「邪馬台国=畿内説」を裏付ける巨大古墳群の存在』 に掲載されており、34ページをめくればページ半分を割いて、「朝焼けに輝く纒向遺跡大型建物群」の復元CG が登場!(←) かたや九州説についても、当然書かれているわけですが、マキムクCGと同じようにページ半分をつかって掲載している吉野ヶ里遺跡の復元建物写真をみて先生が一言、「これ(吉野ヶ里遺跡)、邪馬台国の時代よりも何百年か古いのよね」と、チクリ・・・
月刊『歴史人』は昨年10月に創刊したばかりの新しい雑誌です。まだひろく認知されていないかもしれませんが、全国の書店やコンビニでお買い求めいただけます。
ぜひともお買いあげください!(タクオ)
[マキムクCG、月刊『歴史人』に掲載!]の続きを読む
2011/04/23(土) 00:00:26 |
研究室 |
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VIDEO サティの生活実感工房に行くと、なにかが起こりますね。
良い音楽が流れていた。たぶん1本はガットギターで、もう1本はスティール弦だ。上手いなぁ・・・だれだろう?
こういう店で流してる音楽はたいてい有線なんですが、展示台の下にCDプレーヤー付きラジカセを発見。店員さんに訊きました。「このCD、だれの演奏ですか」、と。
億劫そうに、店員さんはCDジャケットをもってきた。
家カフェ -Acousphere
帰宅後、さっそくネットで情報を漁りました。これは良いね・・・五臓圓ビルのカフェ「
ポーム 」にも、これだとあうかもしれませんよ。ゴンチチよりも、こっちの方を薦めたいですね。
アコースフィアは、奥沢茂幸と清水敏貴のギターデュオ。二人とも1971年生まれで、バークリー音楽院の同級生だとか。40歳か・・・良いころですね。あの日に帰りたい。
「家カフェ」という概念は、要するに、そのCDに納められた音楽で、ホームをカフェに変えちまうんだ、という発想です。だからポームだって、この音楽なら空気を変えられるでしょう。ジャズ系のギタリストは、即興演奏の「方法」にばかりこだわって「歌」が消えてしまう人が少なくないけれども、このデュオのギターは歌ってる。気持ちよいですね。
ただ、タック&パティと共演したことを誇らしげにHPに書いて「売り」にしているのはどうなんだろう?・・・タック&パティと聞いてただちにイメージできるのは、鳥取県ではわたしぐらいのもんですよ(実際は20人ぐらいいるでしょうが)。日本では無名に等しいグループをもちあげたって仕方ないし、少なくとも私は、タック&パティの音楽に大きく感心したことはありません。アコースフィアは自立したプロのミュージシャンなのだから、もっとオリジナリティを強調したほうがいいよね。
VIDEO [続・手のひらの音楽]の続きを読む
2011/04/22(金) 00:12:11 |
音楽 |
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六限倶楽部の第17回練習会が4月29日(午前11時~)に開催されるという朗報に驚喜した。
昨年7月20日、鬼太郎空港で開催された
第14回練習会 への参加を最後に、第15回(9月)、第16回(11月)を続けて欠席した。常識的にはありえないことなんですが、摩尼寺「奥の院」の発掘調査はギター狂のわたしをそこまで追い込んでいたのである。
クリスマス・コンサートだけは絶対でようと準備していた。ところが、急遽「中止」の報告があり、茫然自失・・・年が明け、「中止」の理由を知った。代表をつとめるチョトロクさんに重病が発覚し、年末に大手術を受けられていたのである。手術は成功し、安堵の胸をなでおろしたが、自宅療養が続いているようなので、ご無理は言えない。「練習会をしませんか」なんて誘っちゃいけない、と自制しつつ、時を待っていた。そして、ついに六限倶楽部のサイトに練習会の開催通知が掲載され、繰り返しますけれども、驚喜したんです。驚喜したものの、自分のスケジュールが不確定なところがあるので、正式なお返事をしておりませんでした。
ただ、4月10日に寄せられた本ブログのコメントに対して、「4月29日に六弦倶楽部が開催されるそうですね。行けると信じて行動します 」と
リプライ しています。練習する時間がないけど、メニューをみつくろって駆けつけようと思ってたんですが・・・なんと国民の祝日たる29日(金)は授業日であることが判明しました。老眼鏡をかけて学年暦をしっかりみなおすと、29日は出勤日で、5月6日がその代休になっているではありませんか。
授業を休んで「ギターの会」に参加してるなんてことが分かったら、当局には睨まれるし、文科省も五月蠅いでしょうね・・・夕方ならなんとかなるんですが、午前11時開催では打つ手がありません。
無念です。
捲土重来、捲土重来・・・次回を楽しみに、2ヶ月生きていくしかありません。
第17回練習会の成功を教室から祈っておりますので。
VIDEO [無念、六弦倶楽部第17回練習会!]の続きを読む
2011/04/21(木) 00:08:27 |
音楽 |
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新年度が始まって、屋台骨として研究室を支えてきたエアポート&部長コンビをはじめ、苦楽を共にしたゼミのメンバーがいっせいに卒業し、演習室はついこの間までの喧騒がうそのように静まり返っています。6年前、彼らと同じようにこの研究室を旅立ったのが先日の事のように思い返されるところですが、そんな過去を振り返っている暇はございません! 今年度は、すでに3大プロジェクトが動き始めており、これまでにも増して気を引き締めている次第です。さて、先月のことになりますが、とある修士学生から浅川研究室に一通のメールが届きました。内容は以下のとおり・・・(一部省略)。
新潟大学修士学生のIと申します。私の所属する研究室では、主に新潟県内の
町並みなどに関する調査研究を進めており、 県内有数の町並みの残る小須戸
地域の取り組みにも関わっております。この小須戸地域では、昨年7月に大規
模な火災が発生し、 町屋8棟を含む21棟が全半焼する被害を受けました。
現在は、火災からの復興が大きな課題となっております。そこで、今後に
向けて倉吉での復興の取り組みを参考とさせていただけないかと考え、連絡
させていただいた次第です。「倉吉再興 -倉吉重伝建地区火災町屋群の
復興計画」の報告書に余部がございましたら、ご送付いただくことは可能で
しょうか・・・
「倉吉再興・・・」は、平成15年に重伝建地区倉吉で発生した火災により全焼した2棟の町家について復興計画案に取り組み、報告書として発行されたものです。この研究に当時学部3年だったヤンマーと共に取り組んだのが私でして、先のメールをいただいたものですから私が対応することに。もちろん、報告書はすぐに郵送させていただきました。するとそこからトントン拍子に話が進み、彼のほうから倉吉を訪問したいとの申し出があったものですから、つい先日ご案内した次第です。
VIDEO ↑これ、凄く良いですね!
[新潟からの訪問者]の続きを読む
2011/04/20(水) 00:02:02 |
研究室 |
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VIDEO オープンチューニング&フィンガーピッキングのアコギ・ソリストをめざす素人が、プロ奏者のカバー演奏をユーチューブ上で披露するのが流行してますね。たぶん、いちばんカバーが多いのはアンディ・マッキーの「ドリフティン」でしょう(↑)。中には、フィリピンのギタリストまで「
ドリフティン 」してるんですが、例のごとく弦が錆びているので、ライトハンドやレフトハンドだけの音が小さくて、可哀想になってしまいます。
上の映像にみるように、この演奏はど派手です。ライトハンド奏法、パーカッシブ奏法、タッピング奏法が全部詰まっている。ただね・・・ライトハンド奏法はみてくれほど難しくありません。わたしは、それを「ムーンタン」の演奏で知りました。「ドリフティン」も演ればできるだろうとは思いますが、演りません。これは、若者の音楽だね。50代のおじさんがトライするプレイではなかろうと思う次第です。
VIDEO 前から挑戦してみたいと思っていたのは、ピエール・ベンスーザンの「ソーロング、マイケル」。アコースティック・ギターの革命児、マイケル・ヘッジスの交通事故死を悼んで書かれた曲です。哀愁をおびたメロディアスな曲ですよね。ベンスーザン本人の演奏は上の映像でしか確認できません。やはりカバーが出ていますが、「ドリフティン」ほど多くはなくて、その理由の一つは、たぶん「ソーロング、マイケル」のほうが難しいからでしょう。アンドリュー・ヨークの「レッティン・ゴー」とほぼ同じくらいの難度だろうと想像しています。ポーム(手のひら)が大きくないと、きびしいでしょうね・・・
下にカバーをひとつ貼りつけておきます。
VIDEO [さよなら、マイケル]の続きを読む
2011/04/19(火) 00:24:15 |
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VIDEO 上のCM、懐かしいでしょう。
ウッドベース、弾きたいなって思う夜がありませんか?
エレクトリック・ベースは1台もっているんですが、先の引っ越しの際、生活空間が狭くなり、半ば廃棄処分となって、いまは家内の実家の元勉強部屋においてあります。ウッドベースはフレットレスだから、すぐに弾けるわけではないでしょうが、調弦は同じらいしいから、きっとなんとかなるでしょう。
そうそう、新居はもちろん相変わらず狭いので、アレグレ・ファクトリーで買った12弦ギターは、いまだギターケースに入ったまま寝室の片隅においてあります。こんな状態で、ウッドベースを買い込んだら、大変だね。置くスペースがないし、ベースを弾くと低音の振動が床を伝わって近所迷惑になるしね・・・しかし、上の動画を注意深くみると、長助さんが弾いてるのは、ウッドベースもどきのエレベですね。これだと、ヘッドフォンをつければ、室内練習ができる(でも、スペースがないな・・・)。
そもそも、ジャズ界において、ギタリストが質・量ともに貧困な状態にあるのは、ベースがリードプレイもやっちゃうからじゃないのか、とわたしは思っています。極端な話、ジャズにギターは要らない。厳密にいうと、「歌伴をのぞいて」ギターなど必要ではない、とさえ言ってしまえるんではないでしょうか。ユーチューブで有名なギタリストの映像を漁るのですが、ここに貼りつけたいと思うものはきわめて少ない。ラッセル・マローンとかアンソニー・ウィルソンなんかが例外的な存在ではありますが、かれらもダイアナ・クラールというボーカルのバッキングをしているときが良いのであって、ボーカルなしのプレイだと魅力は半減します。
ギターは歌伴、あるいは伴奏の楽器なんだとつくづく思いますね。ボサノバでは歌が表にでるから、ギターの占める位置は高い。ロック、ブルース、フォーク(民謡)では言うに及ばすです。
一方、ベースはジャズに不可欠な楽器であり、たんなるリズム・セクションから、いつのまにか(たぶんスコット・ラファロあたりから)リード楽器として重要な位置を占めるようになり、きら星のような大スターを多数輩出しました。音量からみても、ホーンやピアノに対抗できるのは、ギターではなく、ベースであった、という言い方ができるかもしれません。
下はロン・カーターの「ソング・フォー・ユー」。カーペンターズのヒット曲をしっとり歌い上げています。
VIDEO [麒麟ベース]の続きを読む
2011/04/18(月) 00:54:53 |
音楽 |
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4年生になって初ブログになります。文章を書くのが苦手なので、これまでにも何度かブログを書かせてもらいましたが、いまだに慣れません。が、ASALABの活動をきちんと伝えられるよう頑張ります。
寒さも和らぎ、桜も綺麗に咲いて、通るたび気持ちを癒されつつも、ASALABなじみの先輩方がそれぞれ社会へと旅立たれ、研究室にぽっかりと穴があいたような、改めて先輩たちの存在の大きさに気付かされる日々を送り、さみしい気持ちでもありましたが、そんななか、15日(金)に第1回目のゼミが始まり、今回新しく3年生2人が仲間入りしてくれました。新メンバー2人に加え、4年、院生、先生合わせて計5人が新ASALABメンバーです。数でみると少なくなってしまいましたが、3年生は2人ともしっかりしているので、いい戦力を迎えることができ、また3大プロジェクトに関しても興味を持ってくれているので、3年前期授業等で忙しくなると思いますが、頑張ってくれると思います。研究室の活動を持続するにあたり、心強い限りです。
そんなこんな談笑しつつ、まずは恒例のケーキ登場。ケーキを囲んで初の集合写真。2枚撮ったのですがよく見てみると2枚とも目つぶってる人が・・・新メンバーN君。初っ端からやってくれますね。この調子で頑張ってください。ではケーキ入刀といきます。切った後に気がつきましたが人数が5人。でもケーキは6等分に。取り合いになるのかなと思ったら、新メンバーN君フルーツ駄目だったみたいで・・・申し訳ないです。残りの1切れは女子2人で半分こして頂いちゃいました。ケーキからこぼれおちたフルーツは素早くタクオさんが・・・。
それでは新たなメンバーでASALAB、頑張っていきたいと思います。卒業された先輩たちに負けないように、そして、先輩方が築いてきた魅力ある研究室活動をストップさせないように頑張りますので、今年も新ASALAB、どうぞよろしくお願いいたします。(ヒノッキー)
[2011 ASALAB始動!!]の続きを読む
2011/04/17(日) 00:00:08 |
研究室 |
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授業が始まりました。プロジェクト研究も始まりましたよ。今年度前期のP1&P3のテーマは「医食同源 ―福祉のむらおこしと古民家再生」です。14日(木)の初回授業には、9名の1・2年生が集まりました。このプロジェクトは某クリニックと某工務店からの依頼によるもので、今後の展開が楽しみです。
プロジェクトの概要 鳥取市の里仁(さとに)地区は、医療クリニックを中心としたむらおこし(福祉と医療の地区計画)を進めようとしています。その目玉となる事業は、クリニックのオーナーの自宅である古民家を、以下のような機能をもつ施設に再生しようというものです。
1)医食同源の薬膳料理を地産地消で提供するレストラン
2)薬膳のための料理教室
3)地域の集会施設
学生諸君には、①民家再生のコンセプト(新しい間取とインテリアの計画)、②薬膳料理のメニュー(低カロリーで健康と美容に最適の料理)、③田園むらおこしの地区計画などに取り組んでもらいたい、と思っています。このプロジェクトは、田園クリニックのオーナーと工務店からの要請によるもので、依頼主からの指導をうけます。また、プロジェクトは1・2年生合同でおこない、構成メンバーを2~3班に分けてアイデアを競ってもらいます。優秀なアイデアを提供した班に対しては依頼主が表彰することになっています。
[第1回「医食同源 ―福祉のむらおこしと古民家再生」]の続きを読む
2011/04/16(土) 00:00:16 |
研究室 |
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2011年度の初仕事も出雲でした。
田和山で焼けた復元住居の再建工事が終わり、その竣工検査があったのです。
本来ならば、昨年末に全行程を終えているはずでしたが、ほかならぬ私がストップをかけてしまいましてね。越屋根に難がありました。いろんな問題を抱えていたのですが、ご覧のとおり綺麗に葺きあがりまして、喜んでいます。
越屋根はできるだけ小さくしなければなりません。土屋根の勾配と違うところもはっきり分かるようにしたいし、ケラバの転びも表現したい。茅は逆葺(さかぶき)にします。難しいんですよ。
田和山の竪穴住居は、わたしの代表作です。最新のアイデアがいちばん詰まっている復元住居なんです。
ごらんのように、田和山は雨。数日ぶりに山陰の空が湿りました。8日のことです。田和山でタクオと合流し、検査後、県の古代文化センターへ。今年度前期、青木遺跡(出雲市/8世紀)の復元模型設計の仕事がありまして、その打ち合わせを軽くしました。まずは、担当者に大学まで来て講演してもらおうと思っています。
[田和山 はるさめ 木綿街道]の続きを読む
2011/04/15(金) 00:00:07 |
景観 |
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五臓圓ポームを訪ねて 放課後の夕方、五臓圓ビルを再訪した。
3月末の竣工、そしてオープン、おめでとうございます!!
集中講義でビル工事を視察したのは
1月29日 のこと。見学後、ゼミ生一同「ダウラ」に移動し、紅茶しながら五臓圓ビルの感想を語りあった。五臓圓ビルの未来は2階のカフェにかかっているだろう、というのが、そのときの共通意見である。ダウラはリピーターの多い紅茶専門店だ。スリランカを中心に、インド、ネパール、中国の茶葉を仕入れて、聞いたこともない名前の紅茶を何種類も飲ませてくれる。また、手作りのスィーツやカレーが、その紅茶にじつによくあって美味しい。五臓圓ビルのカフェは、はたしてダウラのライバルたり得るのかどうか、が話題になった。
オープンからまる1週間を経た4月6日にぼくたちは五臓園ビルを訪れ、2階の「ポーム(Paume)」でコーヒーを飲んだ。一人はエスプレッソ、もう一人は五臓圓スペシャルブレンドコーヒー。味が似ている。エスプレッソにしては薄く、ブレンドコーヒーにしては濃い。大きな違いを感じない。スィーツはガトーショコラにした。美味しいですね。五臓圓ビル新生オープン記念「ダイヤレモンサイダー」も飲んだ。キリンレモンの原型ともいうべき純なソーダの味がした。かつて大繁盛したというレストラン「ソーダ・ファウンテン」に因むメニューである。
店の名「ポーム(Paume)」はフランス語で「手のひら」を意味する。それは、「手づくり」をイメージさせる言葉なのだと説明された。ポームのドリンクとケーキはすべて「手づくり」なのだという。しかししかし、それをいうなら、ダウラだって、蕎麦切り「たかや」だって、みな手作りではありませんか。地産地消のこだわりだってある。「手づくり」だけならどこにもある、ということです。
メニューを示しておこう。
GOZOENオープン記念サイダー ¥300(限定160本)
五臓圓スペシャルブレンドコーヒー ¥350
カプチーノ ¥400
エスプレッソ ¥350
ミックスジュース ¥400
オレンジジュース ¥300
グレープフルーツジュース ¥300
ロールケーキ(大江ノ郷の卵と鳥取県産米粉を使用) ¥400
本日のケーキ〈ガトーショコラ〉 ¥400
[手のひらの音楽]の続きを読む
2011/04/14(木) 00:33:58 |
建築 |
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この国の人びと ホテルのオープン・レストランでブランチをとったあと、そのままビーチサイドのチェアに横たわり、老眼鏡をかけて文庫本を読む。文庫本に飽きると、ビーチで泳いだ。海からあがり、体についた潮を流すためプールで泳ぎなおす。結構な距離を平泳ぎしていると、プールサイドにガイドのドンさんがあらわれた。近所に住むタクシー運転手と、驚いたことに、ニキを連れている。ニキは白いワンピースを身に纏い、見違えるような清楚さをふりまいていた。3人はプールサイドのチェアに腰掛け、カラマンシを飲みながら、わたしがプールで平泳ぎするのを笑顔で眺めている。ドンさんが声をかける。
「社長、今日は、どこでランチを食べましょうか?」
昨日は中華料理だった。今日はスペイン料理にしよう。シャングリラ・ホテルの近くにある老舗のスペイン・レストランに連れていかれた。そこに、ドンさんの奥さんと娘さんもあらわれた。わたしの役目は、こういう人たちにランチを御馳走することだ。かれらにとって、レストランでの食事は、味覚と栄養のチップのようなものかもしれない。少し高くつくが、日本で学生たちに振る舞うことを思えば安いものだし、大勢でわいわい食事するのはとても楽しい。この日は、イカスミのパエリアと牛舌のシュチューを堪能した。
かれらは貧困のなかにいる。しかし、みなあかるく、たくましい。そんなかれらを、わたしは好きになっていった。かれらはかれらで、わたしのことを「ストリクトな日本人」だと思っていたというが、マルセロ大橋でのジョギングあたりから、「変わった日本人」という印象に落ち着いていったらしい。
道路がでこぼこで、路肩がゴミだらけなのは、かれらのせいではない。政治がわるいのだ。なにもかも知りながら、すべてを受け入れて、たくましく生きるかれらと過ごすことで、わたし自身もあかるさを取り戻すことができた。
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2011/04/13(水) 00:00:30 |
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カルカルの町並み シヴォ・シティはフィリピン第2の都市で、マニラのイントラムノスのような広範囲の歴史的市街地エリアはないけれども、海に近い独立広場の周辺にサントニーニョ教会、シヴォ大聖堂、マゼラン・クロス、サンペドロ要塞などの植民地遺産が集中して残っている。これらの遺産については、いろんなところで紹介されているだろうから、今夜はカルカル(Carcar)の町並みについて少しだけ話しておこう。
カルカルはシヴォ・シティの南約40キロにあり、アレクサンドリア聖カトリーヌ教会を中心とする小さな町だ。アレクサンドリア聖カトリーヌ教会は1870年代の建築だが、道路に沿って立ち並ぶコロニアル洋式の住宅は、その表札に記された年代を信じるならば、1600年前後の木造建築である。
1600年といえば、関ヶ原の戦だ。時代は桃山から江戸に向かいつつあり、鎖国を目の前に控えていた。世界史に目を転じると、アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊が大敗したのが1588年。スペインからの独立をめざすオランダが東インド会社を設立したのが1602年のことである。東方アジア海域の覇権を、オランダがスペインから奪いとろうとしていた時期に日本は鎖国に入る。ご存じのように、欧米列強のなかではオランダだけが平戸島に租界地を許される。
カルカルの住宅群はスペイン支配末期の遺産であり、日本でいえば桃山の木造建築ということになるので、もしカルカルが日本にあったとすれば、「重要文化財」クラスの扱いがなされていただろう。ただし、木造住宅建築の年代が「1600年前後」と言われて、それを鵜呑みにする建築史研究者は多くはない。民家史からみれば、そこまで遡る住宅は例外的な存在である。雨が多く、蒸し暑いフィリピンで、400年も前の木造建築が今まで存続しえるのか、どうか・・・ただ、わたしには西洋建築の年代を判定する力がない。ここに示した一連の写真を彩る細部の意匠がどの時代の洋式に見合うのかを判断する基準をもっていないのである。
年代はさておき、カルカル木造住宅の意匠は見事なものだ。もしこの国が中国であったなら、上海の新天地や田子坊のような「保全」的再開発を敢行し、フィリピン有数の観光地に変身させていただろう。かりに日本であったとしても、重要伝統的建造物群に選定されるのは間違いなく、神戸北野のような洒落た街になっていたかもしれない。それだけの潜在力を有する植民地景観遺産なのだけれども、いまはただの住宅群であり、このまま劣化が進めば、歴史的な町並みが崩壊してしまうにちがいない。
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2011/04/12(火) 00:00:29 |
建築 |
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バンドリア と ラウド マクタン島最後の夕べにアレグレ・ギター・ファクトリーを再訪し、一も二もなく事情を説明した。
昨夜、ホテルのレストランでバンド演奏を聴いたのだが、小型の12弦ギターに大変興味をもったので、一昨日買ったギターと買い換えたい。そう訴えると、店員は12弦は1台しかない、と言って、オベイション・タイプの12弦ギターをもってきた。普通の12弦だった。いや、違うんだ・・・こんなに大きくなくて、形もひょうたんのようで、13年前に3000ペソで買ったって言ってたんだけど・・・
そんな楽器はない、という困った顔しながら、しばらく考えたあげく、
「それは、ラウドかオクタヴィーナじゃないのかな?」
と若い店員は自分の推測を口にした。
2日前の訪問時に「マンドリンもどき」と表現した弦楽器の正式名称はバンドリア(BANDURRIA)という。マンドリンのようにもみえるが、弦が多くて、チューニングも異なる。マンドリンは4コースの8弦(同音2弦×4)で、チューニングは上からGDAE。一方、バンドリアは6コースの14弦で、弦の配列はやっかいきわまりない。下の3コースが同音3弦、4~5コースが倍音2弦、 6コースが単弦となっている。いちばん上を単弦とする発想はよくわかる。ルート音を低く固定したいのだろう。
↑左からBANDURRIA(小) OCTAVINA(大) LAUD(中)。右端がオーナー兼ギタリストのフェルナンド・ビボット・アレグレさんです。
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2011/04/10(日) 00:04:42 |
音楽 |
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12弦に魅せられて ホテルのコテージではネットに接続できなかった。毎夜、仕事のために、ロビーに出て無線LANをつかまえるのだが、ギターを買った翌日の夜は喉が渇いて、カラマンシを飲みたくなり、レストランにパソコンをもちこむことにした。ロビーに近いオープン・レストランの端で無線LANをキャッチできる可能性があるというので、期待に胸をふくらませ、ラップトップを開いたが、結局は駄目だった。つながらない。
すでにバンドの演奏は終わっていた。プールに近い軒下の席で、6弦ギターと12弦ギターの二人が練習している。12弦がリーダーのようで、6弦に対して、小声でコードチェンジを指示していた。カラマンシを飲みながら、しばらくその練習を聴いていたのだが、練習が一休みしたのをみて、バンドのメンバーに声をかけ、オベイション・タイプの6弦ギターに触らせてもらった。やはり弦が錆びている。ファクトリでの試奏と同様に、アルペジオからはじめた。「ジャズギター?」と二人のギタリストは目を見開き、「スタンダードを弾いてくれ」と頼まれた。そんなに弾けるわけはないんだけれども、「酒とバラの日々」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「ユードゥ・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」「ミスティ」などを弾いた。チェット・アトキンスも弾いた。
「みなさんもジャズを演るんですか?」と問うと、12弦ギターのリーダーは「いや、バラエティだよ」と答えた。
バンドは4人編成。少し離れた席で休んでいた女性ボーカルが近づいてきて、「あなたのために何か唱いましょうか」とウィンクする。その笑顔をみて断るほど、無粋ではない。カラマンシのある席に戻り、4人に演奏をお願いした。女性ボーカルは得意なラブ・バラードを2曲唱った。日本の女性歌手のバラードである。だれの歌なのか知らない。徳永英明がカバーしそうなラブソングで、とても良いメロディだった。驚いたのはアンサンブルと役割分担である。あれだけ弦が錆びて、チューニングが不安定なのに、乾いた良い音がしている。アンプを通さないと、ウッドベースと12弦と6弦で、じつに味わい深い音の重なりに聴こえる。こういうバンドの演奏を、スリランカと中国のホテルでも聴いたことがある。もちろん、どちらもフィリピンのバンドだった。フィリピンはこういう「ムード・ポップス」系バンドの輸出国でもあるわけだ。エゴを捨て、客のリクエストにあわせて、どんな曲でも耳障りにならないように聴かせなきゃならないんだから、大変な仕事だと思う。「癖」があってはいけない。シングル・モルトとはちがって、個性を消すことが肝心なんだ。
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2011/04/09(土) 00:22:54 |
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アレグレ・ギター・ファクトリー フィリピンはギターの国でもある。長いスペイン支配の置きみやげとして、ギター生産が盛んであり、とりわけマクタン島の Alegre は全国に名を知られているブランドだ。オーナーのフェルナンド・アレグレさんは高名なギタリストでもあり、CDを何枚か出している。
2日めの夕方、さっそくアレグレ・ギター・ファクトリを訪れた。まずは、ナイロン弦のガットギターから試奏させていただいた。いま練習している曲のコード展開にしたがって、Am7→B♭maj7→B7→E7♭9のアルペジオを軽く流した後、いくつかのフレーズを弾いてみた。残念ながら、Alegre のガットギターを弾きやすいとは思わなかった。
スティール弦のアコギの陳列スペースに移動。そこで、マンドリンもどきの楽器に目を奪われた。買いたい気持ちがわき上がってきて、その衝動を抑えるのに時間がかかった。この弦楽器については、後日、改めて述べる。
このファクトリ、なかなか商売が上手い。たとえば、わたしのような客が「ホテル・カリフォルニア」を演奏し始めたとしよう。すると、オーナーのアレグレさん自らがギターでコードを刻み、店員の1名はベースでルート音を押さえ、女性店員はマラカスを揺らす。客の演奏にあわせるのである。良い気分にならないわけはない。
しかしながら、いまさら6弦のアコギを買っても仕方ない、という諦めは最初からあった。だから、マンドリンのような楽器に魅せられたのかもしれない。ところが、しばらくして、あるギターに吸い寄せられてしまった。中央にサウンドホールがなく、左上に穴のあいているギターをみつけたのである。もう3年も前になってしまうが、2008年の2月ころから、ハワイアン・スラッキーギターに興味を持ち始め、ケオラ・ビーマーの教則本&DVDに従って、おもにFワヒネ・チューニング(CFCGCE)の曲を練習し、六弦倶楽部の
第7回練習会 で「イサ・レイ」というフィジーの民謡を披露した。ポリネシアの民謡は3コードで足りるのに、ワヒネ・チューニングは開放弦でmaj9thもしくはmaj7thの響きがあり、そのギャップがなんとも心地よい。そして、ビーマーがこのタイプのギターを使っていて、「欲しいな」と思ったのである。
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2011/04/08(金) 00:00:54 |
音楽 |
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鳥取環境大学建築・環境デザイン学科では、下記の要領で新たに「建築意匠(および西洋建築史)」分野の専任教員を募集することになりましたので、お知らせします。関係方面へご周知いただくとともに、適任者のご推薦について、ご高配のほどお願い申し上げます。
記
1.職名・人員 : 助教1名
2.所 属 : 鳥取環境大学環境情報学部 建築・環境デザイン学科
3.任 期 : 平成23年10月1日から平成27年3月31日まで(更新なし)
4.専門分野 : 建築意匠(および西洋建築史)
5.担当予定科目:
[講義]住まいの空間論、建築環境論の歴史(西洋建築史)など
[演習]環境デザイン演習、建築設計演習およびプロジェクト研究1~4
6.応募資格:
① 博士の学位を有する方、または、博士学位と同等以上の実績・能力を有する方
② 学生の教育・指導と校務に情熱と誠意をもって対応していただける方
③ 着任後、鳥取市または近郊に居住できる方
*国籍不問、ただし、講義や演習を日本語で可能な方
7.提出書類:下記の書類をすべて期限内に提出してください。
① 個人調書(写真を添付、「学歴」の欄に[学位の種類][学位記番号」[学位授与年月日][学位授与大学名]を明記のこと)
② 教育研究業績書(論文・作品などのほか、競争的研究資金の獲得状況なども記入のこと)
③ 業績資料―主要な著書(3点以内)、主要な論文(抜刷り、5点以内)、主要な建築作品の写真、設計図書、または現場監理の記録など
④ 着任後の教育研究および学生指導に関する抱負(A4版、2000字以内)
*上記の①②については、所定の様式を本学のホームベージ
(
http://www.kankyo-u.ac.jp )から入手してください。
また、提出書類はすべてA4版で作成してください。
8.応募の締切り: 平成23年 6月30日 消印有効
9.採用予定日 : 平成23年10月1日
10.給 与 : 本学の給与規定による
11.応募書類の提出先:
〒689‐1111 鳥取県鳥取市若葉台北1‐1-1
鳥取環境大学 総務課 教員採用担当
* 封筒に「専任教員募集(建築意匠分野)応募書類在中」と朱書きのうえ、
簡易書留かEXPACK500または宅配便で、期限内に到着するように送付して
ください。
12.選考方法 : 第1次 書類選考
第2次 面接審査
(旅費などの経費は応募者の自己負担でお願いします)
13.問い合わせ:鳥取環境大学 総務課 教員採用担当
E-mail:
[email protected] TEL 0857-38-6700 /FAX 0857-38-6709
* 錯誤を避けるため、お問い合わせは原則としてE-mailでお願いします。
お電話での連絡は極力ご遠慮ください。
14.その他
業績資料を除き、提出資料はご返却できませんので、予めご了承ください。
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2011/04/06(水) 01:00:35 |
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ここ一月ばかり、ブログの「続き」のいちばん下にユーチューブの音楽画像を貼りつけるのが常態化するようになりました。毎晩、適当に音楽を選んでいるわけではありません。音楽の選択には、じつは、ずいぶん時間を浪費しています(それが趣味なのだから仕方ないですが)。いくつかの「軸」を交錯させながら、その日の音楽を決めています。そのひとつの「軸」がギターであることはおわかりでしょう。ほかにも2~3の軸があるのですが、それがなんなのかについては、ご想像にお任せします。
音楽映像貼り付けにともない、ブログ・オーナーとして、お願いがあります。 できれば、以下のような順序で記事を読んでいただきたいんですね。本日の記事を例にとりながら、説明させていただきます。
1. まず、このページのいちばん下にある
[LABLOGの正しい読み方]の続きを読む をクリックしてください。続きを含む全文が画面にあらわれます。
2. 「続き」のいちばん下にユーチューブの音楽画像が貼りつけてあります。画面の中央にある矢印をクリックしてください。これで音楽が流れ始めますが、いったんこの画面は見捨てます。
3. ユーチューブから流れ始めた音楽を聴きながら、文章を最上段から読み進めてください。
4. 文末まで読み終えたら、もう音楽は終わっているでしょう。できれば、ここでもういちどユーチューブ音楽画像の矢印をクリックしていただけませんでしょうか。こんどは画面をモニターいっぱいにひろげてください。映像とともに音楽を楽しんでいただきたいのです。
以上、勝手なお願いでしたが、気が向いたときにでも、お試しいただければと・・・
[LABLOGの正しい読み方]の続きを読む
2011/04/05(火) 14:25:59 |
研究室 |
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4日(月)、11年目を迎えた環境大学の入学式が挙行されました。
今回はじめて、患者に参席してもらいました。開始30分前、いちばん奥のほうの席に座らせてから、控え室に向かいました。開会後、壇上から姿をさがすのですが、人に埋もれてしまって視界におさまりません。会場は人でいっぱいになってしまいましてね。久しぶりの大入り満員です。
入学生が増えて、ほんとうに良かった。
えっ、なんでまだ壇上にいるのかって??
ちょうど2500回目の記事となった「別れのサンバ」(
2月22日 )にコメントが入り、その返事に「あと40日で開放されます」と書いたとおり、当時はお役ご免になったことを喜び、昨年出張できなかった3月に3回もの出張(富田林等→上海→マクタン)を計画してしまったのです。
それが、とんだどんでん返しで、「再選」されましてね。詳細は略しますが、紆余曲折ありまして、「次点」のわたしに大学院研究科長のサイコロがまた転がりこんできました。1位当選の候補と僅差ではありましたが、過半数の支持を得た再選ではないので、なんとも尻がこそばゆく、あまり居心地がよくありませんが、辞令をもらったからには最善を尽くすだけであります・・・よろしくお願いします。
大学の桜はまだ咲いていません。代わりに、奈良の家の庭で満開になったユスラウメ(↑)とボケ(↓)の花をごらんください。
こういう「小さい花見」が似合う春ではないでしょうか。
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2011/04/05(火) 00:43:55 |
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守白ART ベトナム料理の店をでて、対面のギャラリーに足を踏み入れた。そこは、李守白という画家の絵だけを集めたギャラリーで、わたしの触覚をひどく刺激した。テーマは「里弄」そのものであり、石庫門住宅や路地の風景、あるいはそこで生活する女たちを描く絵が何種類も展示してある。生真面目を絵に描いたような女性店員が、わたしに寄り添って細かな説明をしてくれる。キャンバスに描かれた、肌も露わな女性たちはみな画家の「情婦」であると、かぼそい声で彼女は言った。「情婦」とは愛人のことである。ややこしいことに、中国語で「愛人」と書くと「妻」の意になる。ただし、これは中国共産党政権誕生後にできた言葉で、生活用語としての「家内」「奥さん」は「太々(タイタイ)」もしくは「老婆(ラオポー)」という。「情婦」のことをふざけて「小老婆(シャオラオポー)」と呼ぶこともある。
この画家の絵をとても気に入った。ただ、一軒目のギャラリーだったので即買いは控え、路地歩きを進めることにした。迷路のような「弄」をうろうろしていると、いつしか家屋番号18の店に行き着き、中をのぞいたところで、さきほどの初老オーナーがまたあらわれた。互いに軽く自己紹介をした。かれは台湾の投資家で、すでに8つの店舗を田子坊に構えている。相当なやり手のようだ。
そこで、
「一店舗、売ってくれませんか?」
とお願いしたら、
「本気なの!?」
と驚いた顔をした。「えぇ。本気ですよ。お金はあります(本当はないけど)」と真顔で答えると、
「それじゃ、一緒に経営しましょう。ここにまだまだ新しい店を開く予定
ですから」
とくる。で、とりあえず、名刺交換・・・はしなかった。儲かる店を手放すほど甘い人物ではないことぐらい、十分わかっている。そして、
「38番がいい。あの店はよくできているので行ってみて。イタリアン・
カフェだよ」
と話をはぐらかせた。うまいこと逃げる。
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2011/04/04(月) 14:18:31 |
都市 |
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田子坊 1999年といえば平成11年か・・・画家の黄永玉が泰康路29弄(29番目の路地)の一画を「田子坊」と名づけた。『戦国策』にみえる芸術家「田子方」の音と相通じる地名によって、この場所を芸術家の街として印象づけようとしたのである。わたしは「田子坊」という地名にもう一つの含意を読み取っている。「田子坊」は「田字坊」にも通ずる。坊とは、条坊の語からもあきらかなように、ほんらい「四角い居住ブロック」をさすことばである。したがって、「田字坊」は「田の字の形をした四角い居住ブロック」と解釈できる。問題は「田」の字のくにがまえの中にある「十」の字であり、これこそが「弄」すなわち小路を示すものではないだろうか。
田子坊の再開発コンセプトは、社区(一般居住区)と産業区(工房)を複合化して観光景観地区を形成しようとするものであり、新天地に比べると、「保全」的な傾向が顕著にみとめられる。しかし、そこにはすでに相当の投資がなされており、多くの企業が324戸ものショップやレストランなどを出店している。
ここは上海の新しい産業を創造する拠点であるとともに、国家のAAA級旅遊景観区であり、すでに以下の栄誉や称号を与えられている。
2006年 中国で最も素晴らしい創意産業区
上海の十大流行エリア
2006~08年 上海の優秀な創意産業区
2007年 最も影響力のある上海のブランド
2009年 上海市文化産業区
2010年 上海万博における「都市、さらに美しく快適に!」の主題実践区
↑「里坊」の模型と案内板。クリックすると、拡大表示されます。
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2011/04/03(日) 20:07:11 |
都市 |
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昨年末、一般社団法人住まい・まちづくり担い手支援機構の「住まい・まちづくり担い手事業(長期優良住宅等推進環境整備事業)」に係わる「旧石橋酒造の継続的な活用の為の建物調査と活用実験における助言」を依頼され、4回にわたって活動したので、ここにその実績概要を報告する。なお、活動先団体は木綿街道振興会、活動場所は島根県出雲市平田木綿街道である。
1.平成 22年 12月 18日(土) 地元住民で組織されている「木綿街道振興会」、担い手支援機構の担当者および行政を交え、木綿街道周辺の町並みを視察すると共に景観まちづくり専門家としての本事業における役割やワークショップ等の内容についてのミーティングをおこなった。「木綿街道」は明治期の形態をよく残す伝統的な町並みを活かした地域づくりを実践しているものの、建築史学的な調査がなされていない。今後、基礎的な町並保存対策調査をおこなう必要性を指摘した。住民の地元に対する愛着や熱意が感じられるミーティングであり、様々な整備事業を活用しつつも打開策を見出せない現状が感じられた。専門家の立場として協力できればと考えている
2.平成 22年 12月 28日(土)~29日(日) 町並み調査として、「木綿街道」周辺の視察および町並みの外観調査を実施した。木綿街道の範囲は、平田町内の新町・片原町・宮ノ町あたりを指しており、とくに新町・片原町を中心とした街道沿いに集中して切妻の土蔵造妻入りの町家群が 軒を連ね、棟の来待石や海鼠壁の装飾、出雲瓦と呼ばれる黒いぶしの瓦などにより独特の景観を形成している。
今後の調査にあたっては、まず新町・片原町の建物について悉皆的な外観調査をおこなう事を確認した。美しい町並みや振興会の活動など、木綿街道の保存活用に向けては恵まれた環境にあるようにみえるが、現実には近年の道路拡張工事や空家の取り壊しなどにより旧来の町並みが失われているのが現状である。木綿街道の保存活用のためには早急な調査とそれに基づいた景観計画が必要であると感じている。
3.平成 23年 1月 8日(金)~10日(日) 町並み調査として、新町および片原町の「木綿街道」沿いに立つ全戸を対象とした町並み外観調査および住民へのヒアリング調査を実施。調査票によるデータの蓄積と、木綿街道に残る町家や民家などの歴史的建造物の現状を理解した。また、あわせて2月のワークショップについての打ち合わせもおこなった。木綿街道の歴史的な理解とその価値を認識してもらうために、実施している町並み調査についての報告を取り入れることとなった。今回、街道沿いの建物外観調査を実施したが、平田のもう一つの交通路であった船川沿いの景観についても同様の悉皆調査が必要であると感じている。
4.平成 23年 2月 13日(日) 旧石橋酒造「空間」の再生ワークショップにおいて、講師として木綿街道悉皆調査の成果を分布図等で報告し、木綿街道およびその周辺の町並みが重伝建地区に値する価値を有していることを示した。また、町並み保全の方向性について言及し、登録文化財を増やすことの必要性、旧石橋酒造ほか市の所有となる建物を一般に公開していくことの重要性を説いた。本題のワークショップではコメンテーターとして各グループの案に対してコメントし、総括として私案を述べた。今回のワークショップでは、地元住民のほか、市外・県外者や観光振興課、商工会といった行政側の参加もあり、木綿街道を中心とした今後の町並み整備やまちづくり活動の可能性を感じている。本事業により、継続して支援して頂きたいと願っている。 (タクオ)
[2010年度研究成果実績報告(Ⅱ)]の続きを読む
2011/04/02(土) 14:57:18 |
研究室 |
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