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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

第7回鳥取県内建築系教育関係者交流会

ミニシンポジウム「建築士法改正と建築教育カリキュラム」(仮題)の開催

 とっとり建築集団が主催してきた鳥取県内建築系教育関係者交流会は今年で第7回を迎えました。昨今の建築教育現場では、建築士法改正にともなうカリキュラムの見直しが急務となっています。本年の企画は交流会の原点に立ち戻り、建築教育カリキュラムを主題として意見交換を交わすことになりました。このような企画内容ですので、建築の専門家だけでなく、生徒・学生の皆様の参加も歓迎いたします。参加希望者の方は、大変お手数ですが、事務局に連絡するか、このブログにメールアドレス付のコメントをいただければ幸いです。

  開催日時: 平成21年6月13日(土)14:00~
  会  場 : 鳥取環境大学 大会議室
  交流会  : 
      14:00~14:15 開会挨拶・趣旨説明                             
      14:15~15:35 建築教育カリキュラムの現状(各校20分)     
                  14:15~ 鳥取工業高校
                  14:35~ 鳥取短期大学
                  14:55~ 米子工業高専
                  15:15~ 鳥取環境大学  
       15:35~15:45 休 憩
       15:45~16:50 ディスカッション(参加者全員) 
       16:50~17:00 閉会挨拶
  
17:30~19:00 懇親会(会場「たくみ割烹」tel: 26-6355)

  参加予定組織等: 鳥取大学、鳥取工業高等学校、鳥取短期大学、
              米子工業高等専門学校、米子工業高等学校、
              鳥取環境大学、とっとり建築集団 他
  参加費: 懇親会にご参加の方のみ  一般5,000円、学生3,000円
  申し込み締切: 6月5日(金)

事務局: 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科
       tel/fax 38-6508(学科事務室)


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  1. 2009/05/31(日) 00:28:17|
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チームASALAB デスマッチ(Ⅰ)

駐車場ミニサッカー01四人


めがね組 Vゴール!!

 Lablog愛読者の皆様、覚えていらっしゃいますでしょうか、今年度、学校裏の駐車場で生まれたチームASALAB。ゼミと魯班営造学社のメンバーなどからなる「駐車場ミニサッカー」サークルです。
 チームASALABも誕生して1ヶ月がたちました。誕生したころの活動方針は、「毎週木曜のプロ研後は駐車場サッカーをする」「運動不足を解消し、ダイエット!!」ということだったのですが、何かとみんなが集まれず、チームでの活動が出来なかったのです。
 ところが、27日のおやつ時、私とアシガル君がゼミ室で作業をしていると、携帯電話がなりました。「あっ、メール」だと思って見てみると、教授より「今日の夕方、駐車場サッカーをやりましょう」とのお誘いでした。我々はもうすでに学校に来ており、服はジーパン、靴は革靴であり、とてもサッカーをやる格好ではなかったのですが、記念すべき2回目の活動に「参加しないわけにはいかない!」と思い、参加を決意。すぐに4年メンバーは連絡を取り合い、学校に集合。しかし、タクオさんは授業補助のため遅れてくるとのメールが入りました。

駐車場ミニサッカー03教師 さて夕方になり、駐車場に集合して、GWにネット通販で教授が購入された【ビブス】を身に纏い記念撮影。教授と黒帯くんはフットサルシューズを履き、ジャージ姿で戦闘準備万端。メンバーは教授、黒帯、ガード、アシガル、黒猫の計5名。
 まずは、5角形をつくり、軽くパス回し。そして体も温まったところで、前回もおこなわれた「鳥かご」をすることに。ネット通販購入物その2【マーカーコーン】を4角形に置き、真ん中に鬼(ディフェンス)の形でスタート。ルールとして、ボールはツータッチまで。当然、ミスは交代です。そんなルールの中、みんなが適度にディフェンスを交代しながら練習をしていると、遅れたヒーロー、タクオさんが現れます。タクオさんも揃い、6人になったところで3対3のゲームの開始です。

 ゲームはタクオさん、アシガル、ガードの「めがねチーム」と教授、黒帯、黒猫の「ノンめがねチームに」分かれました(提案はタクオさんです)。車の駐車場12台分ぐらいの場所の4隅と中間地点に【マーカーコーン】を置きフィールド完成。そして、「めがね」vs「ノンめがね」の熱き戦いが始まります。教授がボールを上空に打ち上げ、キックオフ! 6人はフィールドの中を動き、シュートを狙います。しかしなかなか入らない。開戦からしばらくすると、めがねチームの弱点が判明。その弱点とは「めがね」にほかなりません。ヘディングをするとめがねが飛んでいくらしく、頭上のボールは危険だというのです。「ノンめがね」チームの教授はその弱点をついて、どんどんロビング・ボールを打ち上げます。そして、先制シュートを決めたのは「ノンめがね」の黒猫でした。しかし、その後、「めがねチーム」のガードが同点ゴールを決め、前半終了。

駐車場ミニサッカー02シューズ 本当はハーフタイム(休憩)がほしかったのですが、そのまま後半戦スタート。普段から空手をたしなむ黒帯くんや自主練をつんでいる教授は前半の勢いのまま動くのですが、特に運動せず、移動は専ら車でかつ喫煙者の私「黒猫」はチームの中で1人だけバテバテになり、肺で呼吸することが辛くなってきてしまいました。後半戦、しばらくは両者譲ることなく時間が過ぎていたのですが、私が動かなくなってしまった結果、最後に「めがね」のタクオさんが決勝ゴールを決め、試合は「めがねチーム」の勝利に終わった。教授からは「おまえのせいで負けた」と責められ、ブログの執筆を命じられた次第です。

 久しぶりにいい運動をし、終わった後にはTシャツや靴下、ズボンの下は汗でビッショリになっていました。次回はいつになるかは未定ですが、もっと動けるようにスタミナを増やしておきたいと思います。まわりから、「禁煙」か「禁●」のどちらかを実行するようにせまられましたが、どちらも無理だと思います。(黒猫)

駐車場ミニサッカー04ゲーム





  1. 2009/05/30(土) 00:30:58|
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遠くはなれて

 オリジナル、オリジナル・・・と六弦倶楽部の代表が会員に呼びかけはじめたのは、昨年の今ごろだっただろうか。会員は年末までにひとり1曲ずつオリジナル作品を作ってほしいという依頼で、結局、これに応えたのは代表自身とmakotoさんの二人だけだった。
 オリジナルか・・・、じつは、ここだけの秘密にしておいてほしいのですが、わたしも高校~大学のころソングライターだったのね。大学の前半期にクンベーという愛称の同級生と二人でテープに多重録音し、ジャケットまで作った。そのテープをまたダビングし、親しい友人たちに配っていたのだが、当の本人はすでにそのテープをなくしてしまっている。ワイフはみた記憶があるという。ほんの少し前まで、そのテープが奈良の家のどこかにあったというのだが、例の大病以来、頭がぼけてしまって、どこにあるのか分からないまま・・・
 あの多重録音にはたしかオープンリールのテープレコーダーを使ったはずだ。あの大きな録音機は母の家に預け置いた記憶があるので、兄嫁に電話で訊いてみたのだが、やはり「分からない」とのこと。
 最期の手段にでた。先週、わたしは思い切ってクンベーに電話し、テープの存否を訊ねてみたのだ。答えは、

    「あるよ!」

 その後、メールで連絡が入り、以下のようなメッセージが記してあった。

   「今、カセットテープを引っ張り出して聞きながらこのメールを打ってます。たぶん、
   30年ぶり位にテープを回していると思う。特に、テープのたるみ等の劣化している
   様子はみられない。もちろん、当時の録音技術だからクリアーな音とは言えないが、
   音づくりに関してはとてもしっかりしているぞ。参考までにタイトルを書いておきます。」

 その曲目名はなんと英語で書いてあるではないか。

 A面  1.THE VISION OF YOU
     2.YAKITORI YA BOJOH
     3. All OVER BLUES
     4. IN THOSE TIMES / MY LONLINEST DAYS

 B面 5.SAWADA CAME BACK TO KAMBA
     6.I WANNA DREAM
     7.TOO TIRED TO LOVE YOU
     8.FARTHER ALOOF                【1976.7.24録音】

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  1. 2009/05/29(金) 00:59:52|
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2009「盃彩亭」修復

P1020623.jpg

 どうも、こんにちはアシガルです。新型インフルエンザが流行っておりますね。皆様は、予防のほうはしっかりしているでしょうか?ボクはばっちりしていますよ。
 さてさて、先週の22日(金)のゼミは学内で行いました。えっ?ゼミは学外で行うのじゃないの?と思ったあなた!!甘いですね。このまえ黒帯君が下見報告したように、大学の裏山にある「茶室」の一部が破損しており、腰掛け待合にいたっては全壊しておりまして、このまま放置するわけにもいきませんから、ゼミの時間を使って解体&修理を行うことなりました。まず、茶室修復班腰掛け待合解体班の2班に分かれて作業、2班の作業が終わったあとツリーハウスに移動しました。

茶室完成


 腰かけ待合解体班: 茶室前の待合を解体し使えそうな材をストック。
  
 茶室修復班: 水屋の屋根の付け替えと垂木の付け替え。
          ステンドグラスのゆがみの補正(ストッパーの付け替えなど)
          茶室内の掃除と茶室周りの除草。

 茶室まわりの整備が結構大変で、最終的には上の写真にみるように、テーブルやベンチが完備されたバーベQスペースに生まれ変わりましたよ。
 先生はスイカを買うと言っていなくなり、5時前にエアポートさんの携帯が鳴りました。先生は修復の終わった茶室のまわりでスイカを食べようとしていたらしいですが、そこには誰もいない。そのころボクたちはツリーハウスで活動してました。その後、まもなく段ボール箱に切りスイカをいれておろおろ歩いてきた先生と合流したのでした。

 スイカを食べながら、恒例の「仁義なきジャンケン」。以下、敗北した轟くんの感想です。皆様どうぞ、お楽しみください。そうそう、部長さんのコメントもついてます。

DSC02674.jpg
【倒壊した待合い】


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  1. 2009/05/28(木) 00:28:48|
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シニアグラスとフレキシブルルーペ

老眼鏡02 また、ネット通販で安物買っちゃいましたよ。「ナンニーニ おしゃれ シニアグラス ブルー」と「Vixen フレキシブルルーペ RH65 4333-08 」。要するに、老眼鏡と虫眼鏡でござんす。
 老眼が進んでましてね。眼鏡はいちおう遠近両用なんすが、あんまり役に立たないなぁ。問題は会議ですよね。スクリーンの映像などは近視用、手元の資料は遠視用、で見分けるわけですが、結局、資料をみるときは眼鏡をはずしてしまう。しかし、最近は眼鏡をはずしても手元の資料がみえなくなってきた。
 専用の老眼鏡が必要なわけです。家内は100キンで老眼鏡仕入れてましたが、わたしゃ、いつものネット通販。ごらんのとおり、柄がブルーの「おしゃれ シニアグラス」なんすが、うぅぅ~ん、もうちょっとブルーが目立って欲しかった・・・、まぁ、でもこれで、寝床で文庫本の『伊賀の影丸』が読める。不死身の邪鬼との戦いですよ。斬っても斬っても生き返ってくる不死の邪気と戦う少年忍者、影丸。
 
 シニアグラスは折りたたみ可能なモーバイルですが、早晩、どこかに置き忘れそうだな。一方、フレキシブルルーペは固定式。こっちのほうが拡大率は大きい。論文はこれで読むのがよいですね。アシガルに貸したら、鳥取城の古絵図をじろじろみていたな。
 研究者というのは、半分、文献を読むのが仕事なんですが、こうして目がみえなくなっていく。実質、研究人生も終わったようなもんですね。
 でも、まだ、ちゃんと夢をもってますよ。先週、とても良いことがあったので、これもまた近々報告しましょう。
 虫眼鏡01 虫眼鏡02




  1. 2009/05/27(水) 00:00:04|
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実績報告(Ⅴ)-科研2年目の成果

2008年度科学研究費補助金挑戦的萌芽研究
文化的景観としての水上集落論 -世界自然遺産ハロン湾の居住動態と景観分析-
(課題番号19656157)

 年度初からしばらく昨年度(1年目)調査の成果にもとづく世界自然遺産ハロン湾水上集落の景観シミュレーション作業の仕上げにあたるアニメーション制作に集中した。筏住居が大多数を占める現状の景観をB期とし、筏住居が皆無で家船だけだった10年ほど前の景観をA期、ベトナム側の施設計画に基づく近未来をC期とし、各時代の景観をアニメーションCGで表現した。いうまでもなく、B期については調査の成果、A期は「復元」、C期は「シミュレーション」である。このうちC期については、世界自然遺産ハロン湾の景観とスケール感・デザインの両面で調和しているとは言い難く、むしろB期の筏住居を積極的に評価して、これを継承するようなデザインを近未来も採用し、機能・構造の強化を図るべきと考え始めている。
 8月には、昨年の調査地クアヴァン漁村で補足調査をおこなった。わずか1年しか経っていないのに村の人口は微増し、カラオケ店や浄化水販売点が設置されていた。カラオケ店については、村の若者は歓迎しているものの、年長者は「夜、うるさい」ので煩わしく思っている。世界的にみれば、水上居民の「陸上がり」から水上集落は減少の一途を辿っているが、ハロン湾では人口微増にして「都市化」の傾向を読み取れる。ハロン湾での補足調査後、カンボジアのトンレサップ湖のチョンクニアス村でも水上集落の調査をおこなった。数年前と比べ、あきらかに家船は減っており、筏住居やそれが陸上がりした小型の高床住居が岸辺に多数建設されていた。
 10月には北京で開催された日中韓共催の国際シンポジウムで、ハロン湾調査に関わる発表をした(Trasformation of Cultural Seascape on Ha Long Bay, Vietnam)。年度末には個人研究費と科研費残金をあわせて、ネパールのヒマラヤ山麓で広大な段畑の文化的景観とバクダプル、カトマンドゥ、パタンの世界遺産を視察した。
 2009イシランメ02 2009イシランメ01
↑今年もイシランメの実が枝もたわわ・・・というほどでもありませんが、たくさん獲れましたよ。


  1. 2009/05/26(火) 00:17:48|
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第6回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

01カマド01粘土03


土台修復班

 土台修復班は加藤家での作業となりました。まず、土台下に置く木枠を作るために使う木材を土台加工班の1年生2人と土台修復班全員で土台を持ち上げ代わりの角材と入れ替えました。その後、七輪の修復・カマド本体の欠損部分を粘土で型どりと充填・接着剤の実験の2グループにわかれて作業を進める事にしました。

 ・七輪の修復・カマド本体の型どり:エアポートさん、アシガル君、2年生のY君
 ・充填・接着剤の実験       :部長さん、ピヴォさん、2年生のI君、ガード
    七輪の修復は野焼き陶土と砂を10:1の割合で混ぜ、前回アシガル君が接着して
    くれた面に耐熱の役割になるように付けます。この時空気が入ると割れてしまうので、
    そうならないようにきっちりと付けます。この作業はエアポートさんが担当しました。

 カマド本体の型どりはあぶら粘土を使い欠損部分を埋めていきます。まず粘土こね軟らかくし、欠損部分を埋めます。この作業はアシガル君とY君が担当しました。
 
  01カマド01粘土01


 充填・接着剤の実験はセメントを使うという事でピヴォさんの指導のもと作業を開始。
 
  実験1:モルタルを用いて割れた石の接合
       材料:セメント(普通ポルトランドセメント)、砂、水。
         1.セメントと砂を1:3の割合で混ぜます
         2.セメントと砂が均一な色になるまで混ぜます(空練り状態)
         3.水を少量ずつ加えながら混ぜます
           (水を少しずつ加えるのが上手くできるこつです)
         4.モルタルが完成
         5.割れた石の接着する面に水をかけ濡らします
         6.濡らした面にモルタルを盛っていきます(少し多めに盛ります)
         7.盛ったら石を接合し、溢れ出たモルタルをきれいにとります
         8.接合した部分に隙間なく空気が入ってなかったら完成
 実験結果:はじめは上手く接着できたが、乾燥するとはずれてしまった。これは砂の割合が多かったためだと思われる。本番はセメントと砂の割合を1:3から1:2に変更すれば接着力が上がり上手くいくと推定しているが、さらに石材の破片を粒子化したものを加えるので、砂の量をさらに少なくすべきかもしれない。

 実験2 :エポキシを用いて割れた石を接着
      材料:エポキシパテ(ウッドエポキシ)、石の小さい破片
       1.石の破片を細かく砕く
       2.エポキシパテに細かく砕いた石の破片を混ぜよく練る
       3.接合面にエポキシを盛る
       4.盛ったら接合し溢れた部分をとりきれいにし完成
 実験結果:上手く接着しなかった。

 2つの実験の結果、土台の修復にはモルタルを用いることにしました。
 03接合実験01 03接合実験03



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  1. 2009/05/25(月) 00:20:46|
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第6回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

花0900黄色

 P1&P3「古民家のリサイクル‐カマド復元と蕎麦打ち‐」も第6回をむかえ、カマド復元の形も見えてきて、なかなか楽しくなってきました。1年生も大学生活に慣れ、緊張がほぐれてきたようです。
 先週、エアポートさんバイク事故による離脱というアクシデントがありましたが、数日前より学校に顔を出すようになりました。かすり傷程度で済んだようで、ピンピンしています。無事で何より、と安心しました。バイクのほうは大怪我らしいですが…。ご愁傷様です。

 さて、今回の活動内容は、先週のブログに予告したように、土台木枠の加工班と土台修復班の2班に分かれて行動しました。「土台木枠加工班」は学校の実験棟の広場、「土台修復班」は加藤家で作業をおこないました。今回の作業概要は以下になります。

土台木枠加工班 7名+ナオキさん
 ・2名が加藤家の床の下に置かれている角材を取って学校に持ってくる。
  残りのメンバーは、設計図の詳細な説明を聞き、木枠を制作する手順を把握する。
  また、H木材店よりお譲りいただいた角材(廃材)を木工・家具スタジオに断面が 
  60×100の長い角材の加工をしてもらえるようお願いする。
 ・加藤家の角材を取りに行ったメンバーと合流後、加工作業開始。
 ・まず、外側の枠を中心に制作し、完成した人はどんどん他の箇所を進めていく。
  完成した箇所はその都度、組み合わせて調整していく。

土台修復班 6名+ピヴォさん
 ・前回修復接合した七輪の接着面を耐熱剤で覆う
 ・カマド本体の欠損部分を粘土で型取りする。
 ・前回の破壊実験によって叩き出された破片のうち、大きいパーツを元の部分に戻し、
  小さなパーツは金槌などで細かく砕きモルタルやエポキシ樹脂に混ぜる。
 ・充填・接着剤の実験。床のひび割れなどの修復に適した方法を探るため、セメント、
  砂を混ぜたモルタルと、細かいパーツを混ぜ合わせたエポキシ樹脂の2通りの
  実験を行なう。

 今回は「土台木枠班」に活動内容を報告していただきます。(黒猫)

P1020599_20090522010858.jpg


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  1. 2009/05/24(日) 00:22:06|
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『紅楼夢』第3章

第3章: 夢のなかの太虚境
p.18-23:今城訳

1. 訴訟が解決した後、薛蟠はただちに母親と妹の薛宝釵を伴い栄国府までやってきて、
   伯母の王夫人のところに身を寄せた。王夫人は妹一家が来たことを聞いて、急ぎ迎えに
   出てきた。姉と妹の二人は対面した後、悲喜こもごも感じ合った。

2. 多くの人が昔のことを語り合い、王夫人はまもなく薛叔母さん(薛蟠の母)一家を引き
   連れながら賈母に面会しに行った。一家全員と対面した後、賈府では歓迎会の宴席が
   設けられた。

3. 宴席で、王夫人は言った。
    「屋敷内の東北隅の梨香院に十ばかり部屋があります。妹一家があそこに住むのは
    どうでしょうか。」

4. 薛叔母さんはひそかに考えた。まさに我が意を得たり。一つに両家が常に近く親しくできる、
   二つに薛蟠を監督することができる。薛叔母さんはただちに喜んで同意した。

5. まもなく、「寧国府」の花園の梅の花が満開となり、賈珍(寧国府の当主)の妻の尤氏は
   酒席の準備をして、賈母などの人びとを花見にお招きした。賈宝玉は疲れていたので、
   賈珍の息子、賈蓉の妻の秦氏が賈宝玉を連れて行き、賈宝玉はその部屋で眠りについた。

6. 賈宝玉は寝付いた後、自分が「緑樹清渓」の仙人の地にたどり着いた夢を見た。

7. ただ一人のたおやかな仙女がこちらに向かって歩いてくるのがみえて、賈宝玉は喜んで
   訊ねた。
    「仙女さんはどこから来たのですか? ここはどこですか?」

8. 仙女は笑いながら言った。
    「私は太虚幻境の警幻仙女です。あなたが一度私たちの住んでいるところにきて、
    遊んでくださるように特にお願いしにきました。」

9. 賈宝玉はすぐに仙女につき従って「薄命司」に到着した。ふと見ると司内には大きな櫃が
   十数個あり、上にはそれぞれ(行政区分の)省の名称が書いてある。

10. 賈宝玉はふるさと「金陵」の大きな櫃を開き、中の冊子をめくって読んだ。この冊子の中
    には、賈府一家の婦女子の運命が暗示してあった。

11. 警幻仙女は仙界の機密が漏洩することを恐れ、ただちに言った。
     「これらの冊子を読んでどんな意味があるというの? それよりも私とあちこちぶらぶら
     歩きましょう。」

12. 賈宝玉は警幻仙女につき従いながら「彫梁画棟」(彫刻と彩画で装飾された華美な建物)
    がある場所に到着した。警幻仙女は言った。
     「さぁさぁ、皆の者、早くでてきて貴賓をお迎えなさい。」

13. 数人の仙女たちが迎えに出てきた。賈宝玉が俗界の男子であるのをみるやいなや、
    彼女たちは警幻仙女に愚痴をこぼした。
     「お姉さま、どうして世俗のけがれた者を連れて来たのですか?」
    警幻仙女は言った。
     「私は賈宝玉を目覚めさせたいのよ。」

14. まわりの者を解きふせた後、警幻仙女は賈宝玉を連れて部屋へ入り、舞姫に賈府一家
    の婦女子の運命を暗示する『紅楼夢』という仙界の楽曲を上演するよう命じた。

15. しかし、賈宝玉はそれを聞いても意味が分からず、眠くなってしまった。警幻仙女は嘆息
    して言った。
     「馬鹿な子供ね、まだ分からないの・・・」

    警幻仙女はすぐに賈宝玉を寝室に連れていき、休ませた。

16. 賈宝玉は眠りにつくと、たくさんの夜叉が彼を深い谷川に自分を引きつれていく夢をみた。
    賈宝玉はぎょっとして全身汗びっしょりになり、「助けて!」と連呼した。目が覚めてようや
    く、あぁ夢だったのかということが分かった。


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  1. 2009/05/23(土) 00:23:45|
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『紅楼夢』 第2章

第2章: 殺人事件のインチキ裁判
p.12-17:小山訳

1. 賈雨村はもともと役人であったが、上司の怒りを買って罷免された後、林黛玉の家庭教師
   になった。このたび彼は賈家の威信を借り、応天府の欠員に乗じて官吏に復帰したの
   だった。赴任したばかりだというのに、雨村はすぐに一件の殺人事件の訴訟を請け負った。

2. 原告は訴えた。
    「薛蟠(せつばん)は財を利用し威勢があるものだから、我家の主人である憑淵(ふうえん)
   と一人の少女の買収で争い、我家の主人を殴って死なせたのです。」

3. 賈雨村は激怒して言った。
    「こんなことがあるのだろうか、はやく殺人犯を捕らえて連れて来なさい」
   命令を下し薛蟠を逮捕しようとしたとき、一人の門番が目配せし、これを制止した。

4. 賈雨村は、この門番を密室に連れて行った。門番は雨村の機嫌を伺いながら言った。
    「旦那さまは、あの頃以来出世され、とうとう幼馴染の顔を忘れてしまったのですね。」

5. もともと賈雨村は落ちぶれて惨めな思いをしており、上京して科挙の試験を受けに行くだけ
   の旅費を持っていなかったため、葫芦廟(ころびょう)に寄宿し、書画を売って生計をたて
   ていた。

6. この門番はもともと葫芦廟の小坊主であった。葫芦廟が火災にあったので、まもなく転業し、
   門番になったのだった。

7. 賈雨村は当時のことを思い出し、初めはちょっと驚いたが、すぐに門番の体を引き寄せ、
   笑って言った。
    「幼馴染であったか。」 
   そして、門番を座らせた。

8. 二人は、昔の職について語り合った。賈雨村が質問した。
    「先ほど私の出した文書(命令)を、どうして制止したのか。」 
   門番はすぐに、一枚の紙を差し出した。

9. 門番は言った。
    「これは護官符と言うもので、どの護官符にも、この省の役人や権力者の名前が
    書かれています。薛家はまさにこの護官符に掲載されており、さらには賈家と
    親戚関係にあることが書かれているのです。旦那さま、決して薛家の怒りを買う
    ようなことをしてはなりませんよ。」

10. 賈雨村は門番がこのように言うのを聞いて、相手の言うことを探りながら聞いてみた。
     「あなたの言うことを聞き入れるとして、犯人の行方をどうしても知りたくなった。」

11. 門番はかるく頷き、とても得意になって言った。
     「私は誘拐された少女を知っています。言ってみれば、あの娘は旦那さまの恩人の
     ようなものでしょう?」

12, 当時、賈雨村は葫芦廟に寄宿しており、近所の同郷の役人である甄士隠(せいしいん)
    に経済的な援助を受けていた。おかげで、なんとか上京し科挙の受験を受け、役人に
    なることができた。

13. 誘拐された少女は、他でもない、甄士隠の幼い娘であり、名は英蓮(えいれん)といった。
    五歳の時、誘拐犯に連れ去られ、音信がまったくない。

14. 門番は言った。
     「誘拐犯は彼女を現在まで養育し、まず彼女を憑家に売り、そして同時に薛家に売って
     (二重売買し)、この一連の殺人事件を引き起こしてしまったのです。」

15. 賈雨村は、これを聞いた後、門番に問うた。
     「これはあの娘の運命であり、他の人のせいではない。おまえの言うとおりにすると
     すれば、この訴訟事件はどのように終わらせればよいのか。」

16. 門番は提案した。
     「旦那さま、たとえば薛家の下男に薛蟠はすでに死んだと言わせて、薛家は憑家に
     ただちに数百両の銀を賠償金として渡すようにと、再び判決を下すのがよいのでは
     ないでしょうか。」

17. 翌日、賈雨村は裁判室に腰掛け、虚勢を張って何人かの薛家の下男を引き出して
    審問し、この殺人事件に対するインチキの判決を下した。

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  1. 2009/05/22(金) 00:07:23|
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茶室とツリーハウスの下見

ツリーハウス200905191507404fc

 ゼミで茶室の修復をしようということで、ツリーハウスと茶室の現状を下見しました。まず、ツリーハウス(↑)の確認しましたが、特には、問題はありませんでした。冬の厳しさにも耐えられるなんて、丈夫につくられてるなと感心させられました。
 次に、茶室の確認に向かいましたが冬の雪によって倒壊してしまい、腰掛待合(↓)が悲しげな姿になっていました。冬の雪下ろしの際に目撃したときには、雪にまみれていたので破損具合が不明だったのですが、ここまでとは・・・。これは材が腐ってしまうまえに解体、もしくは応急に修復して補強したほうがいいかもしれません。盃彩亭(茶室↓↓)のほうは、大きな破損は見られないものの、雪の重みで竹製の垂木が一本折れてしまい、屋根が落ちこんでいる箇所があり、垂木を差し替える必要があるでしょう。また、屋根材が一部はずれているので付け直さなければいけません。あとは、茶室内が少し汚れているので清掃をしたほうがいいですね。
 いつもお世話になっている茶室だから、しっかり修復しなくてはと思いました。金曜日のゼミは、みんなで頑張りましょう! (黒帯)

待合い20090519150546479

茶室200905191508386e2


  1. 2009/05/21(木) 00:45:26|
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舂米の棚田

02つくよね棚田03俯瞰01学生01

 おひさしぶりです。TO.YO です。5 月15 日(金)のゼミでは、氷ノ山へ見学に行ってきました。まず若桜町茗荷谷(みょうがだに)の集落へ。ここは現在の世帯数が6 戸にまで減っています。 私は去年のプロジェクト研究「限界集落アンソロポロジー」のときに茗荷谷集落を一度訪れたのですが、そのときは紅葉していた森が今回は新緑でした。紅葉もいいですが、新緑も清々しくて気持ちが良いです。ぜひとも紅葉の風景と比べてみてください。すぐ側の渓流の音もとても良い感じ…。マイナスイオンがたくさん摂取できそうでした。若桜の特徴である杉林も見られます。
 01茗荷谷03景観01 01茗荷谷02滝01
 茗荷谷の民家は、平野部の農村地域に一般的な田字型(四間取り)ではなく、「竿屋造」と呼ばれる横長長方形の平面です。斜面に対応した建築で、宮崎県や奈良県の山間部の例が全国的には有名だそうですが、若桜にもこういう民家があることを知りました。屋根は切妻造鉄板葺きですが、昔は杉皮葺きだったはずだと先生はおっしゃっていました。

 このような人の生活と自然とが融合した美しい風景ですが、人が誰もいなくなってしまえば、やはり作り上げられていた風景は損なわれ、廃れていってしまいます。こういった建物・杉林・渓流・段々畑を一体としてとらえ、「文化的景観」として保護・再生しようとする動きが全国的にひろがりつつあり、それを学ぶため、先週の「横尾の棚田」に続いて、今週は氷ノ山山麓を訪問したのだと教えられました。
 01茗荷谷01集落01橋01 03伊勢道の道標01

 茗荷谷から少し上に行ったところに、舂米(つくよね)という集落があり、こちらは新しい建物がたくさん建っていて、人口もそこそこいそうな感じがします。じつはこの家並みは氷ノ山スキー場の民宿街でした。昔から峠越えのための宿場街として賑わっていたのだそうです。また、茗荷谷とは違い土地も開けていることから、農地が取り易く、日当たりも良いため、土地利用がし易いことからさびれにくいとのこと。少し距離が離れているだけなのに、一方は「限界集落」化しているのに対して、他方はまだまだ人がいる、という対照性がはっきり分かって印象深かったです。舂米の民宿街からさらに上がって、「舂米の棚田」の全景を俯瞰しました。「横尾の棚田」と同じく、「日本の棚田 百選」に選ばれています。氷ノ山のスキー場の眼下に広がっていて、とても優美です。

02つくよね棚田02看板学生01 天気もよく、青空が水面にうつって綺麗でした。「横尾の棚田」は緩傾斜地に形成され、畦を石積みにしていませんでしたが、こちらは石を積んで段をつくっています。下からみると、石積みも心が和んで良いですね。ここでもオーナー制度を実施しており、年間費3万円で棚田のオーナーになれるそうです。
 ここからまた少し上がっていくと、「氷ノ山自然ふれあい館 響の森」があります。その中心施設である「響きの森」でゼミ生全員が1週間の活動成果のチェックを受けました。建物内にさまざまな展示物があり、氷ノ山の森で見つけられる植物や、動物の痕跡などの写真をみて楽しみました。
 天気にも恵まれ、少し肌寒かったですが清々しい一日でした。(3年 TO.YO )
 02つくよね棚田01眺望01全景 02つくよね棚田03俯瞰02芝桜


*小さな写真をクリックすると画像が拡大されます。


  1. 2009/05/19(火) 00:11:05|
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第5回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

破壊分析0098


カマド土台の破壊分析

 教授によると、文化財の世界では、X線を使った「非破壊」分析が盛んにおこなわれているようですが、今回、わたしたちは、はからずもカマド土台の「破壊」分析をおこなってしまいました。その報告です。

 加藤家班は1年生が集めてきた発泡スチロールを持って加藤家に移動をし、作業を始めました。まず、七輪の修復をアシガル君が担当し、部長さんと2年生のY君と私で土台の「三和土」について分析を進めました。アシガル君はオレンジの作業着、手にはゴム手袋を装着し何か怪しげな雰囲気を漂わせながらいざ接着開始。接着剤にボンド「クイック30」という、30分で接着する優れ物?を使っての作業です。七輪の接合修復は短時間で終わり、アシガル君は後述する土台修復に参加したあと、最後はカマド本体の足りないパーツを発泡スチロールで型どりできるかどうか補えるか、検討をしました。しかし、これが思いのほか難しく、手先が器用なアシガル君でさえ難航し、最終的に粘土を使ったほうが型をとりやすいであろう、という結論を得ました。
 画像 007 04七輪接合01クイック30

 その間に私達は「三和土」の1部を慎重に剥ぎ取っていきました。部長さんと私が剥ぎ取った三和土を砕き粉末状にし、2年のY君が水を加え練っていきます。この時の部長さんは激しくかつ繊細に斧を振り回し、三和土を砕いて私を圧倒してくれました。部長さん熱かったです!
 Y君が練っていた三和土の一部は徐々に土に近づいていきました。

04七輪接合03ほぼ完成 この作業を繰り返しているうちに、教授が加藤家に到着。教授はまずアシガル君の作業をみていました。七輪の接合復原はほぼ完成していたのですが、接着剤がテカテカ艶光りしていて、先生とアシガル君は「被熱」の対処が必要だろうとほぼ同時に考えていたようです。
 それから、教授は土台の設計図と土台本体の状況をじろじろ観察しながら、「この断面図はおかしい」と言われたのです。わたしたちの設計断面図には土台の床(とこ)部分を1層で表現していたのですが、下側の石板と上側の三和土の2層に分層しなければいけない、というが教授の指示でした。この断面図を完成させるためには三和土の厚みを知る必要があります。そこで、教授は僕たちに、

   「床の一部分の三和土をめくって、下の石面を露出させなさい」

と指示されました。 この作業は困難を極めました。三和土は思ったより厚くて固く、なかなかはぎ取れないのです。いちばん上の写真に示したように、斧を使って叩いたり、ひび割れの部分から梃子を使って上にあげようとするのですが、なかなかうまくいきませんでした。「三和土」とはコンクリート同じくらい固いものだと感心しながら、半時間近く悪戦苦闘した結果、なんとかかんとか三和土をはぎ取ったのですが、その底には先週底に強いた角材がみえます。
 要するに、カマド土台の床に「三和土」はなく、床の全体が板石であり、表面に黒灰色の土が薄く張ってあたということなのです。この事実は今回の「破壊分析」によってあきらかになりました。文化財を破壊することはもちろんよくありませんが、部分的な破壊実験によって「真実」を知ることができたのです。それから表面の薄い土塗り面をはがし、ぞうきんがけして石の表面を露出させました。

06破壊分析01破片01


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  1. 2009/05/18(月) 00:37:05|
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第5回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

01加工班01全景01

 「暖」から「暑」に遷ろい始めた5月中旬。先週に引き続きのガードです。
 「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」第5回目の14日(木)、午前に院生のエアポートさんが交通事故に遭うというアクシデントがあり、一同肝を冷やしましたが、なんとか他のメンバーでプロジェクトを進めました。前夜、カマド土台の設計を終え、細部の継手仕口も決めており、イロリ復元のリーダーだったエアポートさんには加工についてぜひとも指導していただきたかったのですが、代わって、魯班営造学社の技術員、ピヴォさんとナオキさんが要領よく指導してくださいました。
 図面 01加工班03二名01
 今回は、まず13講義室で1年生のホームワークとしていた三和土(たたき)についての発表をしてもらいました。なかなか良い発表で先生に誉められておましたが、ルーズリーフに手書きの資料をOHPに映しただけだったので、来週までにワードで清書し、全員にプリント資料を配付することになりました。1年生前期、ワードの練習も大切なスキルアップですね。そうそう、1年生たちは、カマド本体の仮組に使う発泡スチロールもたくさん集めてきてくれました。貢献度、大!です。
 その後、「土台練習班」「資料整理班」「加藤家班」の3班に別れての作業となりました。「土台練習班」は実験棟近くの広場、「資料整理班」は学内4409演習室、「加藤家班」はもちろん加藤家で作業しました。3班の作業概要は以下のとおりです。

土台加工班
 ・ベテランと1年生をセットにした加工グループを4組を作り、それぞれがカマド土台の部材接合に用いる継手・仕口の加工練習をする
 ・加工練習する継手・仕口は「相欠き継ぎ」「留方相欠き継ぎ」「腰掛あり継ぎ」「蟻型相欠き継ぎ」
 ・この4種類のうち1種類を1組が加工練習する。
加藤家班
 ・七輪の修復接合
 ・カマド土台表面の「三和土」を一部剥ぎ取りし再利用可能か検討。
 ・カマド本体の欠損部分を発泡スチロールで型どり。
資料整理班
 ・ファイルメーカーProのインストール
 ・ファイルメーカーProによるカマドパーツ・データシートの作成。

 今回は「土台加工班」と「資料整理班」に報告していただきます。 (4年 ガード)

01加工班02一名01


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  1. 2009/05/17(日) 00:13:09|
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『弥生時代の考古学』6巻 刊行!

弥生時代の考古学拍子 『弥生時代の考古学』6巻「弥生社会のハードウェア」が刊行されました。あれだけ猛烈に催促してくださったわりには結構刊行が遅かったですね・・・

 この巻では「居住の技術-弥生時代」(p.107-125)を分担執筆しました。『縄文時代の考古学』8巻におさめた「居住の技術-縄文時代」の姉妹編です。弥生のほうの出来映えは、縄文に比べればややましですかね。鳥取に赴任以来、妻木晩田、田和山、青谷上寺地にさんざん関わってきましたし、遠くは富山の打出遺跡まで足を伸ばして焼失住居の復元模型を制作しました。なにより、2007年度とっとり「知の財産」事業で採択された「山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究」の活動が大きかったですね。そういう最新の成果を「居住の技術-弥生時代」に盛り込めたのは間違いありません。その点、チャックとケンボーには大感謝!です。
 ただ、すっかり田舎教師になってしまい、山陰以外の地域でどんな新しい発見があるのか、正直、よく知りません。だから、まぁ、偏った論考だと言われればそれまですね。

 そういえば、ハマダバダ1号くんも「防塞的集落の展開と機能」(p.220-236)という論考を本書に寄稿しています。かれは4月から異動になりましてね・・・もうすぐ「鳥取学」の講義に来ていただくので、近況を教えていただきましょうか。
 
 以下、図書情報。

  書名: 『弥生時代の考古学』6巻 「弥生時代のハードウェア」(254p.)
  編者: 設楽博巳・藤尾慎一郎・松木武彦
  発行所: (株)同成社
  発行年月日: 2009年4月30日
  定価: 本体5000円+税
  ISBN: 978-4-88621-459-1 C3321

弥生時代の考古学ベルト


  1. 2009/05/16(土) 00:46:54|
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『2010大学案内 TUES』(Ⅱ)

「建築・環境デザイン学科」新装開店! 

img001-1.jpg 昨年度までASALABの所属する学科は「環境デザイン学科」と呼んでいましたが、今年度から「建築・環境デザイン学科」という名前に変わりました。従来、「環境政策」「環境デザイン」「情報システム」の3学科から構成されていた本学に「環境マネジメント学科」が新設されるのとあわせて、「環境政策学科」は「環境政策経営学科」、「環境デザイン学科」は「建築・環境デザイン学科」と学科名称を変えました。学科名称の変更とともに、カリキュラムの編成も大きく変わりました。変更の背景に例の姉葉事件があります。耐震構造偽装事件に端を発した国交省による建築士法の改正により、大学で学ぶべき科目数が増えたので、構造・施工系の講義を追加・充実させたのです。こうしないと、学科卒業後2年で1級建築士の受験資格が与えられないのです。また、「測量学及び測量実習」という科目を設けました。これは以上2つのコース分けと関係しています。

   1.「建築インテリア」コース
   2.「環境デザイン」コース

 「建築インテリア」コースでは、建築の構造・設備・デザイン・歴史・生産・インテリアなどについて総合的に学びます。わたしたちがモデルとして示した履修プログラムで単位をとると、卒業後2年で1級建築士の受験資格を得ることができます。ただし、この履修プログラムは、難解な構造力学の科目をいくつか含むため、途中でギブアップする学生もでてくるかもしれませんが、その場合は2級建築士用の履修プログラムも準備しています。もちろん、インテリア・コーディネーターなどの他の資格を受験することもできます。

 一方、「環境デザイン」コースは歴史とエコロジーの文脈を尊重した町づくり、ランドスケープデザイン、文化財建造物の修復再生などについて学びます。こちらのコースの履修プログラムでは、2級建築士と測量士の受験資格が得られるようになっています。注意していだだきたいのは、一人の教員は必ずしもどちらか一方のコースに属しているわけではないということです。両方のコースで教鞭をとる教員もいます。わたしも、その一人です。
 これまで「環境デザイン学科は何をやっているのか、中身がみえない」という外部評価をしばしば耳にしました。その欠陥は、今回のカリキュラム改変でかなり透明性を高めたと自負しています。また、学費が高いことも批判されてきましたが、昨年度から学費減免・生活費補助・奨学金などさまざまな優遇制度を設けるようになり、成績上位の学生は国公立よりも安い学費で大学生活を送れるようになってきています。これについては、また別の機会にお伝えしようと思っています。

img003-2.jpg
↑クリックすると画像が大きくなります。


  1. 2009/05/15(金) 00:36:42|
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『2010大学案内 TUES』(Ⅰ)

建築・環境デザイン学科「研究室紹介」コーナーより

 こんにちは、アシガルです。ちょっと、5月病になりそうですが、Lablog愛読者の皆様は大丈夫でしょうか?
 さてさて、前回のエアポート先輩のブログでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、『2010大学案内 TUES』が出来上がりましたよ。そのパンフレットの29ページに建築・環境デザイン学科の研究室紹介コーナー(ゼミナール・レポート)があり、ASALABが大々的に掲載されています。左半分は研究室の概要を教授が紹介され、右半分は僕がゼミ生を代表して活動についての感想を述べています。昨年、制作を補助した安土城見寺本堂の復原CGが凄い迫力で映っていて、『大学案内』全体を見通しても、29ページがもっとも迫力ある紙面デザインになっています。で、「復元」に関する僕のコメントがついているわけです。

 いやぁ~、今思えばもっとまともなコメントをすれば良かったとちょっと後悔しております。でも、この『大学案内』をきっかけに、ASALABの素晴らしさを紹介でき少しでも建築の歴史やデザインに興味を持った学生が増え環境大学が少しでも賑やかになればと思います。
 そういえば、僕もこの『大学案内』をきっかけに入学したのを覚えています。入学して気が付けば、僕も大学案内の登場人物の一人となったことを光栄に思います。大学に資料請求すれば、『大学案内』は簡単に入手できますので、ぜひともお取り寄せください。そして、29ページを開いて、ASALABの紹介記事を読んでください。【アシガル】

 img002-1.jpg img006.jpg

(左)表紙 (右)29ページ掲載の研究室紹介。いずれも画像をクリックすると、大きくなります。

  1. 2009/05/14(木) 00:23:00|
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『紅楼夢』第1章

 大学院授業の『紅楼夢』(絵本版)翻訳輪読会が始まりました。初回は文法や発音の基礎などを教えながら、翻訳を進めていったので、結局3時間かけて2章の途中までしか進みませんでした。まぁ、仕方ありません。最初はのんびり、じっくり、慎重に進めていくのでよいと思っています。これから読み終えた章はLABLOGにアップしていきます。『紅楼夢』のような長編小説を読破するのはなかなか大変ですが、ここに掲載される翻訳を呼んでいけば、物語の大まかな流れを理解できるはずです。ぜひともご活用ください。
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第1章: 賈宝玉と林黛玉の出会い
p.6-11:岡垣訳

1. 伝承によれば、天上にいます「女媧」という神様が、36501個の5色に彩られた石を練りあげて
   天上世界を補修しようとしたが、1つだけあまった石を使わず、そのまま青挭峰へ投げ捨て
   てしまった。いつのまにか、この石は修練を経て、霊性をもつようになった。

2. その石は、他のすべての石が天を補修することができたのを見て、ただ、自分だけが選ば
   れなかったと、一日中ため息をついて嘆いていた。

3. ある日、石が嘆息していたまさにその時、僧侶と道士の二人連れがやってきた。彼らは、
   石の縁に腰掛け、人間界の栄華と富貴について話し始めた。

4. 石はこれを聞き、自分を人間界に連れて行ってほしいと二人の大師に頼んみ込んだ。
   二人の仙人はその石をただちに美しい玉(ぎょく)に変えて、人間界に投げ入れた。

5. この石は男児に生まれ変わり、京城(北京)にある賈家の大邸宅「栄国府」で生誕した。
   出産のとき口の中に一個の美しい玉をくわえていたので、賈宝玉と名付けられた。
   宝玉は聡明活発で、祖母である賈おばあさん(賈母)の深い愛情を得た。

6. 宝玉の生誕1周年のとき、父親の賈政がいろいろな物品をならべて宝玉に「周」(一周期
   記念の品?)をつかませたが、宝玉はただいくつかの白粉(おしろい)と髪飾りをつかんだ。

7. 賈政はこれを見たあと腹を立て、「将来きっと酒色の輩になるだろう」と言った。
   こういうことがあったので、必ずしも宝玉を十分に可愛がらなかった。

8. 賈母の娘、賈敏は遠く離れた林如海のもとに嫁ぎ、林黛玉という女児を生んだ。
   林如海は黛玉の家庭教師として賈雨村を招聘した。

9. ほどなく賈敏は病で亡くなり、賈母は孫の林黛玉のことが気が気でなく、黛玉が入京
   するための迎えの船を出した。林如海は雨村を黛玉に同行させた。

10. 林黛玉は父親の林如海との別れを惜しんだ。林如海は「おまえが、おじさんの賈政の
    家に住むのなら、私は心配しなくて済む」と言い聞かせた。黛玉は仕方なく涙を流して
    別れた。

11. 林黛玉は「栄国府」に到着し、外祖母(賈母)と面会し跪拝の礼をしようとした瞬間、
    賈母にいきなり抱き寄せられた。賈母は大きな声を出して泣き始めた。

12. 泣き終えたあと、賈母は林黛玉を長男の賈赦の妻である邢夫人、次男の賈政の妻で
    ある王夫人に拝謁するため連れて行き、従兄の妻である後家の李恕l、および迎春、
    探春、惜春の従姉妹の3人は、お辞儀の礼をして互いを認知しあった。

13. このあと、林黛玉の従兄にあたる賈の妻、王夫人の(父方の)姪にあたる王熙鳳が
    部屋に入ってきて、黛玉の手を引きながらものすごく誉め称えた。

14. 食事をしたあと、廟での焼香からもどってきた賈宝玉は、林黛玉とはじめてあったの
    だが、二人とも以前から知り合いのように感じた。

15. 賈宝玉は「きみは、玉を持っているのか?」とたずねたが、黛玉が玉を持っていないこと
    を知ると、宝玉は(首飾りから)玉を外してただちに投げ捨て床に落としてしまった。
    長い時間の後、ようやくなだめられた。

16. その夜、黛玉は用意された「碧紗橱」という寝室で眠った。彼女は宝玉が玉を
    床に落とすという騒動を引き起こしてしまったたので、ひとり心を痛め涙を流した。

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  1. 2009/05/13(水) 00:17:11|
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院生の名刺

DSC00195.jpg

 初夏の風さわやかなころ、読者の皆様いかがお過ごしでしょうか。「立夏」という言葉がまさに相応しい、暖かく気持ちのいい日々が続きますね。木々の緑も生気が満ち、学内では半そで姿も見られるようになりました。行く春を惜しむ一方、もゆる新緑に心かきたてられる今日このごろです。

P1200700.jpg さて先日、加藤家のアトリエで魯班営造会社の入社式がおこなわれ、代表直々に辞令交付ならぬ名刺交付がなされましたが、実はASALAB院生もひそかに名刺を制作しておりました。遅くなりましたが、挨拶にかえて紹介させていただきます。なお、名刺のロゴは魯班営造会社と同じく「結び巴」を使い、カラーは二種類。ひとつは、魯班と同じ黄土色の和紙調厚口用紙で、歴史をイメージさせる丹土色のロゴを入れたパターン。またこれとは別に乳白色の同調の用紙に、自然をイメージさせる濃緑色の文字をほどよく盛り込みました。乳白色の名刺は一見「環境大学」を思わせますが、実はお札の透かし印刷のように、背景には「池田家墓所」の新緑の写真をうっすら入れています。歴史と自然のマッチングを狙ってみましたが…、どうでしょうか。
 実際に手にしした方は、やや斜めから名刺をご覧ください、うっすらと背景に映る新緑の紅葉と石畳、燈籠を感じていただけたら幸いです。

 また、時同じくして今年度の『2010大学案内 TUES』が発行されました。今年度より、学部の学科再編成がおこなわれ、カリキュラムも特徴あるものに変わりました。ASALABも大きく載っています。これについては、近々先生よりアップされますので、今回は大学院の記事のみアップさせていただきます。それにしても何で大学院の私の写真はメガネをはずしたものが要求されたのでしょうか。メガネをはずせばツブラナヒトミならぬツブッタヒトミ(細目)なのに・・・。あなわびし。

P1200695.jpg

画像をクリックすると大きくなります


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  1. 2009/05/12(火) 00:04:21|
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横尾の棚田

02棚田01全景

 3・4年&院生合同ゼミで岩美町と兵庫の県境にある「横尾の棚田」を見学した。「横尾の棚田」は「日本の棚田百選」に選定されており、県境の蒲生峠から山中ののびる旧山陰道も「歴史の道 百選」に選定され、「山陰道 蒲生峠越」として国の史跡にも指定されている。佐賀、福岡、大分でみた棚田は急勾配の山間部に形成されていて、畦の外側を石積の壁としており、その石垣の連続がみるものを圧倒する。横尾の場合、標高200mの緩傾斜面に棚田は展開していて、畦の外側に石積はない。ずいぶん趣きが違うもので、どちらが景観的に優れているということはなく、日本の棚田のバリエーションとして、両者ともに注目しなければならない。

08プレート「棚田百選」 棚田のオーナー制度もすでにはじまっており、田植えされた直後の田の風景に郷愁を覚えたが、オーナーの名前が分からないのが残念だった。九州のように、小さな札を立てたらよいのではないだろうか。そうすれば、在地の方が耕した田と県内外のオーナーが耕した田の区別がつくし、オーナーの励みにもなると思う。以下は、新3年生「轟」君のレポートです。車が大好きなので、3つも車の字を使ったこのハンドルネームにした、とのことです。

02棚田02全景03


歳をとれば・・・

 8日(金)のゼミで、鳥取県岩美町にある「横尾の棚田」の見学に行きました。僕の実家は農家なので田んぼも畑もあり、僕自身GWに実家に帰ったときも畑や田んぼの手伝いをしていたし、鳥取西部の大山にもポツポツと棚田はあるので、「横尾の棚田」を見る前は棚田自体はそんなに珍しくはないなと思っていました。
 しかし、「横尾の棚田」は「日本の棚田百選」に選ばれているだけのことはあり、とても綺麗な景観を見ることができました。標高約200mの山間部の25ヘクタールに500枚の棚田がひろがっています。とても爽快な景観でした。現在、棚田の半分は休耕田になっていて使われていないそうです。実際棚田を歩きながら見ているときに、スギナがたくさん生えている休耕田や畑に転用された田んぼがかなりあり、もったいないと思いました。「いがみ田を守る会」が棚田オーナー制度を始め、年間一区画3万円で田植え・稲刈り・収穫祭に参加できるようになっています。今年も県内外から20前後のグループの申し込みがあたようで、GWに田植えされたばかりのようにみえました。ASALABAでも一区画借り、「棚田で農業!」も悪くないのでは。

 しかしながら、田んぼが綺麗だと思ったのは今回の見学が初めだと思います。GWに意味もなく何回か大山にあがっていた僕はそういう自然の風景に目が慣れているのか、普段から綺麗だなと感じることは少なく、それが当たり前だと思っていました。しかし歳をとっていくたびにこういう自然と触れ合う機会が少なくなっていくでしょう。コンクリートの箱の中で暮らし続ける僕たちも、歳をとって、今まで忘れていた本来の自然の姿を目の当たりにすれば、今までにない感動が待っているのでしょうか。
 01花01紫01ミツバチ 01花02ピンク 03山林全景02段畑

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  1. 2009/05/11(月) 00:08:21|
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魯班営造学社 入社式

名刺贈呈03記念撮影01

 わたしが木造建築士と二級建築士の資格をもっていて、「魯班(ルパン)営造学社」という設計事務所の登録を更新したことは以前お知らせしています。これまで事務所のメンバーは代表1名のみでしたが、初の事務所員2名が誕生しました。二人とも「技術員」と称しています。
 それもこれも世界大恐慌のおかげでございます。わたしの次女は悪質な内定取り消しにあいましたが、1社も内定をもらえなかったり、就職先が内定していても条件等に不満があったりした卒業生が少なくなく、ひどいのになると、入社直後とか、2年前に入社した会社から1年間の自宅待機を命じられた卒業生もいます。こういう悲惨な氷河期にあって、われらが魯班営造学社には続々?と入社希望者があらわれました。一人はほかならぬピヴォ君です。かれは加藤家住宅のツノヤ縁の修復に関するすばらしい卒業研究をしてくれました。だから、「もし内定先に行きたくないなら、魯班で働き、加藤家住宅の修復活動を継続してほしい」と2月ころから頼んでいたのですが、ほんとうにそうなってしまいました。続いて、ナオキ君。かれはASALABのOBではありませんが、2005年度後期のプロジェクト研究1&3「リサイクルとアートの接点」で同期のピヴォ君と組み、ミニ・サッカー用のゴールをセルフビルドした経験があります。「ものづくり」を得意としていて、エアポート君が参加したコンペ「仏を超えた信長」では出組の極小模型の制作に取り組んでくれました。じつは、エアポート君とは小・中学校時代の同級生でもあるのです。
 二人は4月1日付で魯班営造学社に入社しました。最初の仕事は名刺づくりです。それがこのたびようやく完成したので、去る5月7日(木)、加藤家住宅のアトリエで辞令交付ならぬ名刺交付をおこない、遅ればせながら「入社式」としたのです。なお、名刺のロゴには我が家の家紋「結び巴」を使っています。また「魯班営造学社」の欧文名称は「ATELIER DE LUPIN」としました。「魯班」の中国語読みは「ルパン」なので、それをフランス語のLUPINにひっかけてみたのです。
 さて、二人の新入社員はすでに加藤家住宅でカマドの復元にかかわるスケッチ・実測・調書とりなどの仕事を始めています。4月のLABLOGでも「謎のOB1号」「同2号」などの表現が使われており、二人が映っている写真も何枚か掲載しています。ここで正式に正体をあかしますと、「謎のOB1号=タクオ」「謎のOB2号=ピヴォ」「謎のOB3号=ナオキ」ということになるでしょう。じつはじつは、さらに数名の「謎のOB」が近々登場しますので、ご期待ください。それでは、2人の技術員からのご挨拶です。「続き」をご覧ください!

名刺贈呈04名刺001


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  1. 2009/05/10(日) 00:02:15|
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第4回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」

杉苔0909


カマド班の報告

さつきピンク00101 GWも終わり、早くも梅雨にさしかかってきたと思われる今日この頃、みなさんいかがおすごしでしょうか、お久しぶりのガードです。本日は「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」の第4回目の報告をさせていただきます。
 今回のプロ研は、はじめにGW中の成果報告を1・2年生にやってもらいました。1年生が6×10×72㎝の角材を10本そろえてきているのには驚きましたが、それが木工房の材を専門職の方に加工してもらったことが判明し、先生は早くもご機嫌斜め・・・

 その後、わたしと黒猫君で本日の作業工程と調書シートについてを説明しました。黒猫君は上手く説明が出来ていたのですが、自分の説明はどうも下手でして、教授の手助けで何とか他のメンバーに趣旨を伝えることが出来ました。改めて自分の未熟さを痛感したしだいです。
 次にカマド班と土台班に別れて活動をしました。カマド班はわたし、土台班は黒猫君が報告します。
 カマド班は、はじめに1・2年生、アシガル君とわたしのの4人でカマド本体のパーツの全景写真を撮影し、部長さんと特別ゲストの謎のOGさん、教授の3人で調書をとっていただきました。
 写真撮影グループはまずカマド本体のパーツの全体が写るように斜めから写真を撮ります。この時、パーツを撮影位置に動すので、ひびがはいっているパーツには細心の注意をはらわなければなりません。1年生の2人と自分はパーツを動かす時はかなり神経を尖らさせていました。撮影担当の2年生とアシガル君は順調にシャッターを切り、撮影は予想以上の速さで進んでいきました。

調書とり01

 その頃、調書取りのほうは部長さんと謎のOGさんのコンビネーションでズバズバと調書に記入、教授は長年培ってきた技術を駆使しスラスラ~と調書をこなしていく、途中から調書取りに参加したピヴォさんもちょいちょいとこなし順調にすすんでいました。さすが先生や先輩たちはレベルが違いますね!
 写真撮影が終わり、撮影グループは調書取りにも参加。4年の2人は1年生と2年生に教えながら調書を取りました。2年生のY君は略測をした時も今回の調書取りも上手にこなして、自分が2年生の時とは大違い。さすがは2年生のリーダーだなと感服しました。

土台裏面実測01
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  1. 2009/05/09(土) 00:37:47|
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GWの過ごしかた(Ⅱ)

世界卓球 2009 横浜

 「ゴールデン・ウィークは卓球で!」というキャッチフレーズを、おそらく鳥取のみなさんはあまりご存知ないんじゃないでしょうかね・・・テレビ東京の大橋未歩アナと石原良純がライブ番組の司会でして、声をあわせて、このフレーズを叫び、その日の放送が終わるのです。

 北京五輪でのベスト4進出以来、わたしはすっかり卓球の虜になってしまい、今回の「世界卓球 2009 横浜」もまた、テレビ大阪の画面にかじりついてました。鳥取では朝日放送すら視れないんだから、テレビ東京系列の番組など映るわけない・・・なんて書くと、「ケーブルで視れる」と言ってお叱りを受けるかもしれませんね。みなさん、ご覧になってたんでしょうか??
 残念なことに、期待の福原と平野は早々に敗退しましたが、高校生の松平健太と石川佳純が大健闘しました。この二人はいずれ中国のエースを倒しますよ・・・

 日本卓球界にもの申しておきたいことがあります。日本人のコーチは選手に「声をだせ!」と指示している。ご存知のように、福原愛はポイントを獲るたびに「サァ~」という嬌声をあげるでしょ。平野も似たようなもんで、苦境にたつと眉間に皺がよる。福原、平野、そして中国から帰化した吉田(男子)はみな闘争心溢れる表情をして、極端なガッツポーズをとる。だから、駄目なんだ。
 中国の一流選手たちはみなクールです。アテネ五輪で金メダルに輝いた体操男子団体のメンバーがああでしたね。旧人の塚原だけは神経質な顔してましたが、米田、富田、鹿嶋らの新人はクールそのもの。あぁ、こういう若者たちが世界を制するのだと世代の差を痛感したもんです。中国人は、ほんとは熱いんですよ。2・3日前のACL天津戦は、イエローカードが9枚もでる大荒れの試合で、川崎のエース、中村憲剛が天津の(選手ではなく)コーチに蹴られたらしい。スタンドの中国人大観衆がフロンターレの選手に罵倒を浴びせ、ペットボトルを投げつけた・・・これは、いつものこと。だから、中国のサッカーは弱いんだな・・・
 中国の一流卓球選手はポーカーフェイスに徹している。感情のない機械のようだ。ポイントをとってもとられても、表情を崩さない。ガッツポーズも控えめ・・・これは選手個々人の資質ではない。教育の成果でしょう。感情をおもてに出した者が負ける、という事実を、小さなころから教え込まれているにちがいない。もっと大げさにいうならば、「孫子の兵法」以来の伝統を卓球の王者たちが継承しているようにもみえますね。おそらく、曹操も信玄も武蔵も同じ境地で戦おうとしたのではないか。
 福原、平野があっさり2回戦で敗北したのは、なにより精神的な問題でしょうね。緊張して、いつもの実力が出せない。劣勢に追い込まれると、自分をたてなおせない。六弦倶楽部で指が震える「おじさん」たちの姿とどこか似ている、と思ってみていました。

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  1. 2009/05/08(金) 00:24:36|
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GWの過ごしかた(Ⅰ)

「極道」を往く

 まもなくGWも終わりですね。ご存知のように、高速道路はETCバブルの大渋滞で大変だったようです。わたしは遠出なんかしなかった。デスクワークがたくさんあって、いまもある申請書に必死で取り組んでますが、自分なりの遊びはしましたよ。
 外に出るのが億劫だから、ネットでたくさん買い物をしました。本やCDはもちろん、楽譜もたくさん仕入れましたよ。今年の目標は「ジャズ」であることをこのまえ告白しましたが、すでにジャズギターの教則本や楽譜はたくさんもってます。たくさんもっているのだけれども、リタイアの繰り返しだったので、今回はあえて超初心者向けの教則本を取り寄せたんです。学術書で言えば、「岩波ジュニアブックス」レベルですね。あれはバカにできませんよ。アインシュタインだってジュニアブックスでなんとか分かる気がするようになったし、太田博太郎先生の『奈良の寺々』は日本建築史の概説書としても素晴らしいものです。だから、これぐらいからスタートするのがちょうどいいんだ。中国語基礎のテキストとして、『紅楼夢』の絵本を選んだようなものですね。
 その『紅楼夢』。連休中に中国中央電子台制作のDVD『紅楼夢』全6巻を看破しようと思ってたんですが、早々にギブアップ。1巻にDVDが2枚入ってまして、DVD1枚にテレビの連ドラ3話分を納めてます。1巻の時間が245~298分でして、6巻見通すには約25時間必要。これが日本語吹き替えバージョンだったら、もう少し楽なんですが、字幕はつらいよ、おっかさん・・・でして、2巻の途中で諦めました。小説の『紅楼夢』も1回めはつまんないんだそうです。それが、読みこむにしたがって、麻薬中毒のように嵌っていくらしい。まぁ、授業を楽しみにしておきましょう。

 麻薬中毒といえば、パソコンソフト「極」にすっりやられてしまいましたよ。一昨日、エアーポンプと一緒に届いたんです。エアーポンプはサッカーボールの空気入れ。アマゾンで578円(送料なし)。「極」は「きわめ」と読みます。正式な名称は「遊遊 プロ麻雀 極」。小島武夫、古川凱章などのプロ雀士数十名が登録されていて、そのうち3名を選択し対戦するゲームです。これはスリルがある。頭も使うし悔しいし、「道」の比ではありません。だけど、面白いねぇ・・・「極」と「道」で「極道」だもんね・・・じっさいわたしは極道と化してしまった・・・届いてからまる1日、不眠不休でプロたちと戦ってしまいました。粘れば、そこそこ勝てます。このゲームソフトの値段は、中古品がじつに200円の超安価。送料340円を加えても540円です。こういう極安商品を調べ上げてはカートに入れ、入れては出し、出しては入れ、まぁいろいろ買いました。
 問題は仕事だ。とりあえず、授業の準備を片づけないとね。


  1. 2009/05/07(木) 00:39:13|
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孤独なサッカー(Ⅱ)

フェンス・ゴール04枠付01

 「孤独なサッカー」、続けてますよ。夕方6時すぎから近隣公園のグラウンドに行って、緩いトレーニングをしています。まずはストレッチから。短い脚ではありますが、まずは十分伸ばしておかないと、アキレス腱断裂なんて事態をまねくかもしれないので、ここは入念にウォーミング・アップ! それからしばらく単純にボールを蹴ったり、ドリブルしたり。体を温めます。
 そして、ゲームが始まる。一人なんだから試合などできるわけはありません。ボールコントロールを一人で競うゲームです。以前、テレビでよくやっていたでしょ。ゴール大の枠を9等分して、すべての枠を打ち抜いたらパーフェクト。たしか失敗は3回まで許されたはずです。わたしの記憶が正しいならば、日本に世界的名プレーヤーが溢れていたJリーグの全盛期(1990年代後半)、ドゥンガ(当時磐田MF、現ブラジル代表監督)がパーフェクトをなしとげ、ストイコビッチ(当時グランパスMF、現監督)がそれにおよばなかった。ストイコビッチがテレビカメラの前で、悔しそうに「ドゥンガ、おめでとう!」と語りかけたのが昨日のようだ・・・ストイコビッチでさえパーフェクトはできなかったんですよ、わかりますか、みなさん。バカにならないゲームなんです。
 わたしはもちろん9枚の板を打ち付けたゴールサイズの大道具などもっているわけはありません。フェンスを利用するのです。グラウンドのフェンスは単管柱に水平なワイヤーを絡めて小舞状のフレームを作り、それに網状の鉄線ネットを貼り付けている。そこには同形同大の長方形が無数にできているのですが、そのなかから隣接する9枚を選んでゴールに見立てる。実際のゴールと比べると、横方向、縦方向とも9枚フェンスのほうがゴールよりも小さい。したがって、難度はさらに高くなります。
 シュートを打つ位置は、フェンスから大股で11歩。PKマークとあわせます。9回蹴って9枚打ち落とすのは奇跡ですね。いままで経験したことはありません。テレビのルールに従うならば、12回以内で打ち落とせば言うことなし、15回以内に終われば御の字でしょう。

フェンス・ゴール02色つき02圧縮

 わたしの場合、上の図でいうと、向かって右の7・8・9は得意ですが、左側の1・2・3は苦手。1・2・3を狙うと、さらに左にボールが切れていく傾向があります。軸足の方向をかなり修正する必要がありそう・・・ここだけの秘密にしておいて欲しいんですが、実際の試合のPKはほとんどが9を狙ってきました。9を狙ってサイドネットを揺らせばキーパーは獲れない(3も同じ)。ただし、ボールが緩くて、少し内側にぶれると捕球されます。ボールが緩くても、キーパーが獲れないのは1と7。ただし、ふかすとボールはバーを超えて宇宙の彼方に飛んでゆく・・・日本がメキシコ・オリンピックで銅メダルをとったときのスィーパー、小城得達(おぎありたつ、東洋工業)はいつも7を狙っていました。ロビング気味の緩いシュートでしたが、キーパーは絶対に獲れなかった。小城がPKを失敗したの、みたことありません。

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  1. 2009/05/06(水) 00:06:23|
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H21「知の財産」活用推進事業に新規採択!

 平成21年度のとっとり「知の財産」活用推進事業に一般枠で申請していた研究「セルフビルド&ゼロエミッションによる古民家の持続的修復」が採択されました。「知の財産」活用推進事業については、平成17年度、平成19年度に続く3度めの採択です。本研究は、もちろん、加藤家住宅の修復に係わるものであり、先行して始まっている環境大学のプロジェクト研究1&3「古民家のリサイクル-カマド復元と蕎麦打ち-」も本研究の一部をなします。さらに本プロジェクトでは、謎のOBが複数関与する予定となっています。おいおい全貌をあきらかにしていきますので、お楽しみに!
 以下、研究計画書から抜粋・転載しておきます。

調査研究課題名: セルフビルド&ゼロエミッションによる古民家の持続的修復
              (研究代表者・浅川)

地域課題の概要: 鳥取県では東部だけでも400以上の茅葺き民家が現存するものの、過疎・高齢化のなかで空き家が増加しており、その維持・修復に多くの問題点を抱えている。なにより大きな問題は住み手の確保や経費の問題であり、鳥取環境大学浅川研究室では2006~2007年度の鳥取県環境学術研究費助成によって鳥取市倭文に所在する国登録文化財「加藤家住宅」のローコスト修復に携わった。県内工務店の支援も受け、基礎・軸部・屋根の修復(第1期)を完了させたのだが、左官工事・建具修復などの内装工事の大部分が手つかずの状態であり、現状では常時公開が難しい。そこで、学生によるセルフビルドと廃材利用(ゼロエミッション)による建材費の徹底的な節約により、残された内装等の工事を仕上げ、ローコストによる古民家修復の完成形をモデルプランとして公開し、修復マニュアルを刊行する。

地域課題解決のための調査研究内容: 「ローコスト」を掲げて出発した加藤家住宅の修復工事だが、ここ1~2年の世界的恐慌により、「ローコスト」の支出すら困難な状況に追い込まれている。このままでは「ローコスト修復」は中途半端な失敗作だと言われかねない。そこで、2008年度は研究助成費皆無の条件のなかで、学生が卒業研究として「ツノヤ縁の修復」を実践した。2009年度は、
  )放置された小舞壁内側の土塗り
  )解体された石張りカマドの復原
  )取り外された建具の再設置
  )発掘調査に基づく裏門の復元
  )竹雨樋の設置
などの工事を学生のセルフビルド&ゼロエミッションによって実践し、加藤家住宅の第2期修復工事を完了させ、常時公開可能な状態に仕上げたい。なお、加藤家住宅はあくまで「住宅」として修復するものであり、他の用途へのコンバージョンは考えていない。

委託期間: 平成21年4月16日~平成22年3月12日
委託金額: 999千円

  1. 2009/05/05(火) 00:26:18|
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続・フットサルシューズ余話

06フットサルシューズ0091 アマゾンでフットサルシューズを取り寄せました。「アディダス F10 2008 サラ ホワイト×トゥルーブルー」。小売値の参考価格は7,245円ですが、アマゾンは44%オフの3,999円(送料600円別料金)。ねっ、安いでしょ・・・スポーツーショップが潰れていくのも無理からんところですよねぇ。
 サッカーシューズも、昔から(お金があるときは)アディダスでした。ベッケンバウアーがアディダスでね。学生時代、同じアパートに住んでいた萩原さんという東京出身の監督が「アディダスの高いシューズを履け」といつも言ってました。15,000~23,000円ぐらいのシューズ。
 アディダスの高級シューズにはアディカーフという柔らかい仔牛の皮を使っていて、靴のなかで足の指を動かせば、その指の動きが皮の外側にちゃんと伝達されるんだ、と。アディカーフはそれぐらいデリケートで柔らかい皮なんだ、というわけです。萩原監督の持論はこうでした。

   「下手なヤツほど、良い靴を履かなければいけない」

 サッカーが上手いヤツは、どんなシューズを履いても上手い。下手なヤツがボロいシューズを履いたらどうなるか。たしかに、その通りですよね。わたしのように下手な選手は、だから、ちゃんと高級なアディダスを履いてました。そのシューズも半年でスパイクがすり切れ、右足内側の皮が破れちまうんですけどね。だから、また2万円払って、シューズを買う。

 学生時代、ナイキのサッカーシューズはなかった。アディダスのライバルはプーマでした。ペレとクライフがプーマを履いていたから、プーマには「テクニシャンのシューズ」というイメージがあって、テクニシャンでもないのに憧れを抱き、まれにプーマを履くこともあったんですが、足にあわない。プーマは細いんです。ナイキと同じで、横幅が足りない。結果、どうなるかと言うと、親指の爪が内出血で死んでしまう。
 アディダスの幅はひろくて、履き心地がよろしい。値のはるアディダスを履いていれば、靴擦れすることもなく、親指の爪が死ぬこともない。

 というわけで、フットサルシューズも先祖帰りしたわけです。サイズを26㎝と5㎜大きくしたこともあり(ナイキは25.5㎝)、「アディダス F10」はするりと足に納まりました。さっそく公園の駐車場に行って4号球を試し蹴りしたんですが、快調そのもの。こんど大学の駐車場でミニ・サッカーするときには、不遜なガードタクオをノックアウトしてやるぜ!!

 「アディダス F10」は黄緑色の「ナイキマーキュリアル ベロチ IC」に比べると、デザインは平々凡々たるものです。街を歩くおしゃれ履きには、ちょっと使えないかな・・・もちろん、グラウンドでは履きません。体育館か駐車場のミニ・サッカー専用のシューズとします。
 だから、奈良での夕方の「孤独なサッカー」では、古ぼけたサッカーシューズを履いてます。どんなトレーニングをしているのかは、いずれまたお話しする機会があるでしょう。

06フットサルシューズ0092


  
  1. 2009/05/04(月) 00:03:31|
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山菜と野草の天麩羅

01山菜01テーブル01

 東京で働いてる長女が4月23日から29日まで奈良に帰省していた。なんでもGWの前倒し休暇なんだとか。28日夜に新任教員の歓迎会が鳥取で予定されていたのだが、「親馬鹿で長女に会いたいから」と公言して歓迎会には出席せず、六弦倶楽部の翌日(26日)、車で奈良に向かった。姫鳥線が河原までつながって便利になったが、インターチェンジの脇には「道の駅」がある。いまや「道の駅」では、どこでも朝取れ野菜を売るようになっている。河原の「道の駅」はとくに値が安くて新鮮だ。一袋が100円前後で、菜っ葉をかごいっぱい買っても千円ちょい。こごみ、うど、わらび、ふき、葉たまねぎ、クレソン、椎茸などを多めに仕入れ、二袋に分けた。一袋は我が家の分、もう一袋は山菜好きの母のためのお土産である。
 長女とは3日間一緒に過ごした。とくに長女が好きということではなく(もちろん嫌いというわけでもない)、3人の姉・妹・弟がそろってじゃれあっている姿をみるのが楽しい。帰宅した夜はみなで鮨屋に行き、二日目は長女と家内を連れて母(娘の祖母)を訪ねた。亡き父が最も可愛がった孫が長女だった。なにはさておき、仏前にて焼香、合掌。それから、娘と家内と母は楽しげに会話を続けた。わたしは一人外へでた。近くにスポーツショップがあったこと覚えていて、そこまで歩いていったのだが、すでに店はなくなっていた。そこから1キロほど先にあるもう1軒のスポーツショップをめざすことにした。
 そのショップは開いていて、おめあてのフットサルシューズも4足おいてあった。しかし、高い。

   「こりゃ、ネット通販のほうがはるかに安いですね・・・」

と思わず本音が口から漏れた。店の主人はよい気がしなかっただろう。ネットの通販は小売り店におおきな打撃を与えている。1軒めのショップも、ネット通販によって閉店においこまれたのかもしれない。
 結局、フットサルシューズは買わなかった。

02庭の雪の下01 翌日、河原の「道の駅」で買いこんできた山菜類を天麩羅にすることになった。天麩羅の具材となるのは、「こごみ」「うどの葉」「葉タマネギ」「椎茸」だけだったので、庭の野草を採取した。「ゆきのしたの葉」と「どくだみの葉」は天麩羅の食材としてよく知られていよう。さらに、冷蔵庫にあった「茗荷」と「舞茸」を加えた。クセのある食材が多いけれども、揚げたてはほんとに美味しい。苦みばしった大人の味が衣の熱に和らげられて、焼酎のアテにうってつけだ。なにより「熱」を保つことが肝心だから、リビングの食卓ではなく、キッチンのサイドテーブルを食卓にして、順番に揚げたての天麩羅を食べていった。揚げる役と食べる役をローテーションしながら、熱々の天麩羅をたいらげたのだ。

 29日の夕方、長女は東京に帰っていた。家族一同、高の原のサティまで送り、「ミラノ」というイタ飯屋で最後の晩餐をした。「そろそろ関西に帰ってこいよ」とみなが長女に言う。家内が脳内出血で倒れる直前の2006年秋に、長女は自ら志願して大阪の支社から東京の本社に転勤していった。こんどの9月でまる3年になる。家族はみな帰ってきてほしいと願っているのだが、この不況時に中途採用の就職先をみつけるのは難しい。次の帰省はお盆になるだろう。

03天ぷら01完成


  1. 2009/05/03(日) 00:05:10|
  2. 食文化|
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なめし皮のタンゴ(Ⅲ)-第10回六弦倶楽部練習会

06浅川02


3.なめし皮のタンゴ  Tango en skaï 

 「タンゴ・アン・スカイ」の楽譜は簡潔明瞭。見開き2ページのみである。これ以上、使いやすい譜面もないだろう。もちろんタブはついていない。タブはなくとも、譜面に少し書き込みをすればすぐに使えます。この書き込み作業は重要だ。わたしの場合、音符に対応するフレットの位置を小さな数字で書き込んでいく。この作業を続けていると、音とフレットの対応を掴めるようになる。タブだけだと、コピー音楽の表現はできるが、結局、どの音を弾いているのか分からないから、音楽的な進化として実を結び難い。
 ディアンス自身の楽曲解説(「続き」に全文和訳掲載)によれば、このタンゴは作曲されたものではなく、あるパーティで即興演奏したものだという。たしかに、ディミニッシュ・コードやメイジャー7thコードを多用し、その分解音のアルペジオで構成する部分がかなりなパーセンテージを占めていて、即興の産物と言われれば「なるほど」と頷ける。即興作品だけのことはあり、全体の構成は単純だが、上記の諸コードを分解した高速アルペジオなどの細部は技巧レベルが高い。唐突ながら、体操競技の鉄棒に喩えるならば、トカチェフ、ギンガー、コールマン、カッシーナなどE~F難度の離れ技が連発される感じ。フィギュアスケートのジャンプならば、4回転、トリプル・アクセル、2回連続のトリプル・ルッツを絶え間なく続けるようなものだ。こういう難度の荒技が「タンゴ・アン・スカイ」には4種類でてくる。しかも、ディアンスの指示によれば、一定のテンポで演奏しなければならない。タンゴはダンス音楽だから、速くなったり遅くなったりしてはいけないのである。テンポを崩せないのです。

 模範とすべき演奏の映像はユーチューブにたくさんある。最も重要な演奏がディアンスその人のものであることは言うまでもない。CDもたくさん購入したが、ディアンス自身のCDは入手できず、最終的に模範として聴いていたのはエレナ・パパンドレオウ(ELENA PAPANDREOU)という女性ギタリストの演奏。『ELENA PAPANDREOU PLAYS ROLAND DYENS』というアルバムの1曲めが「Tango en skaï」。大萩康司の『Bleu』というアルバムの最後の曲も「Tango en skaï」なのだが、低音が響きすぎてやや耳障り。エレナの演奏のほうが抑制が効いてよい音がした。昨年の秋から、ながくスィフトの6連奏チェンジャーは5枚目がヨークの『ハウザー・セッション』、6枚めがエレナの『プレイズ・ディアンス』だった。「レッティン・ゴー」と「タンゴ・アン・スカイ」をほぼ交互にかけて聴いていた。

06浅川05

 さて、難度の高い部分の練習はどうしたか、というと、反復しかない。しかし、単純な反復ではとても弾けない。ゆっくり弾くしかない。初めはゆっくりゆっくり弾き、少しずつ速くしていく。なんとか弾けるようになるまで3~4ヶ月かかった。この点において、練習会が半年途絶えたのは大正解だったのだ。今回の練習会で、わたしは「タンゴ・アン・スカイ」を上手く弾きこなせたとは思っていない。しかし、大きなミスを犯すことなく、弾き通せた。「タンゴ・アン・スカイ」という難曲を相手にして、人前で一度もストップしなかった。大袈裟かもしれないが、半年待った甲斐があったのだ。
 余談ながら、「タンゴ・アン・スカイ」の「スカイ」とは sky(空) ではなく、skaï(なめし皮) のことである。「なめし皮」は偽物の象徴であり、「タンゴ・アン・スカイ」とは「タンゴもどきの曲」を意味する。即興で作ったタンゴ風作品に対する自嘲を込めたネーミングなのだろう。

 以上、3曲の演奏を終えて、チョトロク代表からは「上手くなりましたねぇ、もう六弦倶楽部は卒業じゃありませんか」と言われた。きっとお世辞で、そんなに素晴らしい演奏ではなかったと思う。というか、わたし自身は自分の演奏が他の会員にどう聞こえたのかは分からない。ただ、わたしにしか分からないことが一つだけある。それは、

   「まったくアガらなかった。平常心と変わらない状態で演奏できた」

という事実。六弦倶楽部に参加してから苦節2年半。わたしは初めて緊張しなかった。微塵も緊張しなかったのだ。おそらく半年間の休養・充電とこの精神状態には相関性があるだろう。とうとう悟りを開いたのかな、だはは・・・「卒業」なんかしませんよ。冗談じゃない。これからが楽しみだもんね。
 会長、見捨てないでくださいよ。次回もよろしくお願いいたします。 (完)

08ブルース>



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  1. 2009/05/02(土) 00:35:41|
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なめし皮のタンゴ(Ⅱ)-第10回六弦倶楽部練習会

06浅川03

 兎にも角にも、半年ぶりの六弦倶楽部練習会です。昨年10月の第9回練習会以来、人前でギターを弾いていない。このあいだ、チョトロク代表も忙しかったでしょうが、わたしも忙しかった。おまけに冬の下宿は寒くて、練習できない。出張先にギターをもっていく「渡り鳥」なんて阿呆なこともやらなくなりました。新曲はといえば、この6ヶ月、ロラン・ディアンスの「タンゴ・アン・スカイ」だけじっくり取り組んでいましたが、他はすべて「復習」に時間を割きました。六弦倶楽部に参加して2年あまり、それほど緊張せずに演奏できたのは、昨年6月、ここカフェサースで「ムーンタン」を演奏した第7回練習会のときだけです。
 それ以外の練習会は、なにより「アガル」ことに苦しみ、本来の力がだせなかった。にもかかわらず、毎回、新しい3曲に挑戦し続けたんですが、会が変わって別の曲にトライすると、前に練習した曲をすぐに忘れてしまう。これを深く反省しました。
 目標を変えたんです。人前で演奏できる曲を10曲仕上げよう。簡単な曲でも、きちんと弾くのは大変なことです。だから、弾きやすいと思っている曲でも、その完成度を高めて、人が聴いてくれるレベルになんとか仕上げたい・・・

03器材01 もう一つ決めたことがあります。練習会の準備にやっきになるのはやめよう。選曲をどうするのか、曲にあわせてギターとチューニングをどう替えるか、サムピックを使うのか使わないのか、弦をどのタイミングで張り替えるか、バンジョーとフラマンの調弦をしっかりしておこう、なんてことを放棄したのです。
 もとより、わたしたちには時間がない。邪魔くさいことはしない、考えない。こう決めました。その結果、今回使用するギターはホセ・アントニオのみ。チューニングもすべてスタンダード。サム・ピックなし。新曲は1曲のみで、他の2曲は復習。

 今回のわたしのソロ演奏曲は、以下の3曲です。

   1.ボルサリーノ Borsalino (インストルメンタル)
   2.メドレー: スィート・メモリー~少年時代 (インストルメンタル)
   3.なめし皮のタンゴ  Tango en skaï (インストルメンタル)

 以下、2曲めまで説明します。

1.ボルサリーノ Borsalino
 前回(第9回)ではグレコのフルアコにサムピックで演奏しましたが、コピーに苦しみ十分消化できていませんでした。あれから、おもにエレガットで練習し続けたんです。最初はサム・ピックを使ってたんですが、そのサム・ピックがみあたらなくなり、肉弾きか爪弾きで弾くようになりました。じつは最後の最後までモーリスS92でサムピックを使おうかどうか悩んでました。サムピックを使うと、4~6弦を親指付け根の「腹」でミュートでき、ラグタイムらしくなるんですが、爪弾きだとミュートしにくい。このとき頭に浮かんだのが埼玉で「ドリフティン」を弾き語りしたクラプトンです。クラプトンは反復ベースをミュートせず、親指をものすごく跳ね上げていた。ああいう奏法もあるのだから、ガットギターに爪弾きでもいいだろうと判断しました。サムピックについては、もう一つ問題があります。トミー・エマニュエルの奏法に倣うならば、サビの部分でサムピック弾きおろしが連続するのですが、そこはフラメンコっぽい処理に替えました。人差指・中指・薬指の爪の表面を少しずつずらしながら弾きおろすのです。ガットギターにはよくあった奏法だと自分では思っています。

06浅川04演奏中の会場


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  1. 2009/05/01(金) 00:15:20|
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本家魯班13世

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