新西蘭に下放せよ! 中国通のあたしが知らないんだから、范冰冰なんて、たいしたことないんだ、きっと・・・范さんといえば、我々の世代では范文雀だわね。岡田可愛と范文雀の「サインはV!」。
范冰冰の容姿を初めて画面の向こうにとらえたとき、美貌の点では小林麻央と同じタイプだが、その内実は真逆であろうことが瞬時に予感された。脱税さもありなん、という匂いは、どの部分が醸し出すのかは分からないが、しかしさもありなんと思うのは当方の自由でありましょう。
80年代以前なら、こういう輩はまちがいなく「下放(シァファン)」だ。行き先はニュージーランド。中国語でニュージーランドを「新西蘭」と書く。新はニューの意訳、西蘭(シーラン)はジーランドの音訳である。が、俗語では、これを良からぬ当て字としている。新は新疆、西は西蔵(チベット)、蘭は蘭州(甘粛省の省都)のイニシャルとみなし、辺鄙辺境の代名詞としているのだから、たいした差別語である。わたしはこの言葉を北京語言学院のテキストで学んだ記憶がある。
『礼記』礼運篇に記された「大同」社会を原始共産制として評価し、その現代版に農村を位置づけた毛沢東は、都市に寄生する知識分子や芸能人をこぞって辺境の村社会に強制移住させ、農耕・牧畜の作業に従事させた。これを下放という。中国○○研究所の重鎮であった某女性研究者(すでに退職)は、大学を出てまもなく内蒙古自治区に下放され、7年間の労働に従事した。「あの経験で怖いものはなくなった」と涙目で語ったことをよく覚えている。
范冰冰が報道のとおり巨額の脱税や不正融資を働いたのだとしたら、刑罰は免れない。その刑罰は「懲役」になるのだろうが、「下放」の復活もわるくないのではないか。少数民族の住む辺境地域で、少数民族と同じものを食べ、少数民族と同じ生活をする。金と化粧と世間体に塗れたセレブの世界ではない別次元にそれなりの幸せがあることを知るならば、下放卒業後、ビンビンさんは一皮剥けた女優に成長し、人間としても仏になった小林麻央さんに近づくような気がする。
さてさて、こうしたゴシップがメディアを賑わせると、事情通のジャーナリストや学者が突然ワイドジョーのスターとなる。話題が長引けば長引くほどこれらの人びとに利があるのは言うまでもない。今回のビンビン問題の場合、なにを隠そう、その中にあたしの知人が含まれている。その人は北京語言学院時代時代の知り合いであり、学内でピンポンを打ち合ったり、頤和園 や円明園に遊びにいったZさんである。2年ばかり前突然携帯に電話があり、「会いたい」というメッセージを頂戴した。あとで調べると、Zさんは「TVタックル」や「委員会」で活躍する中国寄りの激しい論客だということが分かったが、「テレビでみましたよ」と伝えると、恥ずかしそうに、「あれはキャラですから」と電話の向こうでお答えになった。今年こそどこかでお目にかかれると嬉しい。
- 2018/09/26(水) 10:28:26|
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