2026-02-26

お通じの話をしようと思う。あまり気の利いた話題じゃないかもしれないけれど、そういう日も人生にはある。

数年前から、私の腸はほとんど惰性で動いていた。

エンジンは一応かかっているけれど、ピストンが本気を出していない四気筒みたいな感じだ。アクセルを踏めばそれなりに回転数は上がるが、トルクがついてこない。出るべきものが出ない。どこかで詰まっている。詰まったまま、日々はそこそこ過ぎていく。

便秘というほど劇的でもなく、快調というにはあまりに心もとない、そういう中途半端地帯がある。私はその灰色地帯に長いあいテントを張って暮らしていた。五日出ない、みたいな派手さはない。ただ、毎朝トイレに座って、うん、そうか、今日もこの程度か、と思いながら、膝の上に載せたタブレット新聞アプリをなんとなくスクロールしている。そのうちニュースも頭に入らなくなる。大したニュースなんてそうそう起きない。

そんな私の前に「強ミヤリサン」という名前の小さな錠剤が現れた。

名前だけ聞くと、冬季オリンピックで地味にメダルを重ねる中距離種目の選手名前みたいだ。派手な四回転ジャンプは跳ばないけれど、気づけば表彰台の端っこにきちんと立っている、そんな安定感がある。でも実際には、酪酸菌だの宮入菌だのが入っていて、大腸まで生きてたどり着き、悪玉菌を抑えて腸内環境を整えます、という、いたって真面目な整腸剤であるらしい。

薬局の棚でその瓶を手に取ったとき、私は別に人生を変えようと思っていたわけじゃない。

ただ「なんとなく、今よりはマシになるかもしれない」くらいの、曖昧希望を持っていただけだ。だいたい腸内細菌なんて、目で見たこともないし、触れたこともない。彼らが本当に大腸酪酸を作って、善玉菌環境を整え、悪玉菌を抑えてくれるなんて話は、教科書の片隅にいる妖精みたいなものだ。

それでも私は瓶を買って帰り、説明書に書かれている通りに、きちんと水で飲み込んだ。

朝食のあとに数錠、夜にも数錠。そうして数日が過ぎた。

変化は、ある朝、唐突に、しかし妙に穏やかな形で訪れた。

トイレに座っていると、いつもと違う種類の静けさがあった。何というか、腸の中の交通整理が、急にプロの警備会社外注されたみたいな感じだ。無駄クラクションが鳴らない。渋滞の列がするするとほどけていく。私はタブレット新聞アプリを立ち上げる前に、そのことに気づいた。

「おや」と思ったときには、もう仕事ほとんど終わっていた。

まり力を入れた記憶がないのに、ちゃんと出ている。しかも量が多い。……。いや、たまたまかもしれない、と僕は自分に言い聞かせる。たまたまという言葉は、世界をこれ以上変えたくない人間が好んで使う、安全装置のような単語だ、とそのとき私は思った。

しかし次の日も、その次の日も、状況は同じか、もしくはそれ以上になった。

トイレに座る時間は短くなり、出てくるものの量は目に見えて増えた。知らないあいだに、私の腸は長年のサボりをやめ、真面目に勤務表どおり働き始めたようだった。

数年ぶりに「快調」という言葉を、遠くからではなく手触りのあるものとして思い出した。

朝、コーヒーを飲みながら、私はふと、腹部の違和感が薄くなっていることに気づく。変なガスの張りもない。出るものは出ているから、残っているものが少ない。当たり前と言えば当たり前だが、その当たり前を私の体は長いあいだ忘れていた。

そしてある日、クローゼットの奥から、昔履いていたお気に入りだったスラックスを取り出した。

なんとなく、試してみたくなったのだ。そういう瞬間が、ときどき人生にはある。試す理由はなくて、試さな理由もない。

ジッパーを上げるとき、私はほんの少しだけ呼吸を止めた。

何年も前、同じスラックスのチャックは途中までしか上がらず、そこで静かに現実を突きつけてきた。布地は嘘をつかない。そういう誠実さを、私は少しだけ恨んでいた。

だが今回は、チャックは最後まで素直に上がり、布地はほとんど抵抗しなかった。

ボタンはすんなりと穴に収まりウエストまわりには、わずかだが確かな空白があった。鏡の前に立つと、腹部のラインが前より平らになっているのがわかる。脂肪が劇的に燃えたわけじゃない。ただ、内部に溜め込んでいたものが、きちんと毎日出ていく。それだけのことで、輪郭はこんなにも変わる。

「ここにいたんだな」と私は思う。

まり、ここ数年の間、私のウェストに居座っていた数センチ分の正体だ。彼らは脂肪と便とガスと、いろんな名札をつけられながら、結局のところ「出て行くチャンスを与えられなかったものたち」だったのかもしれない。強ミヤリサンは、彼らに退去勧告を出す弁護士のように、淡々仕事をこなしてくれた。

もちろん、これはドラマチックなダイエット物語ではない。

スラックスサイズが二つ落ちたとか、体重が一カ月で十キロ減ったとか、そういう話ではない。数字にすれば誤差の範囲かもしれない。でも、ベルトの穴が一つ分だけ内側に移動したとき、人はちょっとした勝利を感じるものだ。その勝利は派手なファンファーレを鳴らさないが、小さくて静かな音で、確かに胸の内側を叩く。

不思議なことに、腸がちゃんと働き始めると、気分も少し軽くなる。

腹のなかの不要物が定期的に外に出ていくと、頭の中の澱のようなものまで、ついでに流れていくような気がする。もちろん科学的根拠はさておくとして、少なくとも私の朝は以前よりほんの少しマシなものになった。

私は今も、洗面台の横に置いた小さなから毎日決まった回数だけ錠剤を取り出して飲んでいる。

何かの儀式みたいに、特別意味を込めているわけではない。ただそこにあるから飲むし、飲めば腸はそれなりにうまく回る。宮入菌たちは、今日大腸のどこかで酪酸を作り、腸内を弱酸性に保ち、悪玉菌の増殖を抑え、善玉菌背中を押しているのだろう。

私は彼らの顔を知らない。声も聞いたことがない。

けれど、朝トイレを出て、ベルトを少しきつめの穴で締め直すたび、見えないどこかでちゃんと働いている小さな連中のことを、少しだけ思い出す。世界はいろいろな仕事があるが、彼らの仕事もなかなか悪くない。

そうやって今日も、数年ぶりに劇的に改善されたお通じと、ほんの少しだけ細くなったウェストと、いつもより少しだけ機嫌のいい私の一日が、静かに始まる。

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