勇気の出る名言集

過去に読んだ本で勇気を与えられた言葉のアンソロジーです。

2022年12月

百人の父から息子へ「8つの知恵」ノート
ジョー キタ
三笠書房
2001-10-01


  • 正しい言葉を選ぶには、人間のいちばん偉大な能力判断力が必要になってくる。
  • 勇気とは危険を見落とすことではなく、危険を承知した上で克服することにある。
  • 忍耐とは相手のものの見方を理解することだ。…すぐに反応する前に、相手がどういうことをしていたのか、よく見るようにすることだ。(ヴィンス・スペラッザ:専門技師)
  • つねに差別の原因となるのは、憎しみではなく、愚かさなのだ。(ヘンリー・イケモト:保護監察官)
  • とかく世の中は謙虚であることを弱みとみなすが、実のところ、それは強さにほかならない。たしかに、自分のために立ち上がり、人前に出ていき、どんどん先手を打っていかなければ意気地なしだと思われてしまう。けれどもほんとうは、謙虚とは内なる強さなのだ。自分がいかに強いかを、他人に見せびらかす必要などない。謙虚であるというだけで、そこには偉大さがあるのだ。(ヴィンス・スペラッザ:専門技師)
  • 家族が家に置いておけるいちばんの妙薬は、朗らかさだ。
  • 子供にものを教える目的は、教える人がいなくてもやっていけるようにすることだ。(エルバート・ハバード:アメリカの作家)
  • 子供に正しい道を歩ませたいなら、まず自分がその道を歩め。
  • よくわからないときは、ノーと言え。ノーをイエスに変えるのは、その逆よりもずっと簡単だ。
  • 自分の居場所を見つけるということは、自分が何者かを見つけるということなのだ。(フレッド・マセニー:国語教師)
  • 疲労というのは、身体よりも心のほうに関係している。ずっと寝ないでいると体力がなくなってしまうと思い込んでいると、ほんとうにその通りになってしまう。そういうふうに考えてばかりいてはいけない。たとえ三時間しか眠れなくても、「あまり休めなかったから明日は辛いだろうな」とくよくよ思わず、むしろ前向きに「よし、今日は何をしようか」と考えること。(ジェフ・リンダー:パイロット)
  • 子供に大事な仕事を任せることを、ためらってはいけない。こちらが思うよりちゃんとやってくれるものだし、子供の自信にもつながる。(ウェズリー・パタースン:アパート管理人)
  • 人は誰でも愚かなことを口走ってしまうものだ。問題は、それを大真面目にやってしまうことだ。(モンテーニュ)
  • 悪い習慣を毎年ひとつずつ改めていけば、最低の人間でもやがて立派な人間になる。
  • 過ぎれた人間は自分の考えていることを話し、ふつうの人間はものごとについて話し、つまらない人間は他人のことを話す。
  • 人間関係で奇跡を起こすための鉄則は簡単なことだ。誰かを嫌いになりはじめたら、その相手のために何かいいことをしてやること。(シャーマン:アメリカの政治家)
  • 上手に会話するためのコツとは、相手の意見に反対するとき不快な感じを与えないことだ。
  • 経営者のなかには、従業員が自分たちを成功させてくれることを期待する人がいる。私は、絶対にそういうふうな接し方をしない。むしろ逆だ。従業員ひとりが成功するように励ませば、彼らと一緒に自分も自然に成功する、というのが私の考え方だった。こういうふうに、自分のことだけ考えたりしなくなれば、経営者として成功する。(ルー・パットン:元会社経営)
  • 古い諺に〈旅の目的は旅そのものである〉というのがある。つまり、どんなふうにその日を過すかが、幸せの基本になるということだ。何かをすることはとても大切だが、どんな気持ちでやるかということが根底にある。(ルービン・ネイマン:心理学者)
  • 人は、自分がどんなに若々しくても満足できない。どんなに美人でもどんなにハンサムでも満足できない。どんなに有名でもどんなに金持ちでも満足できない。それなら最初からそうなろうとして、時間を無駄にすることはない。(ウィリアム・カステリ:心臓研究医)
  • 幸せをもたらすのは富ではなく、心の平安と仕事である。(トーマス・ジェファーソン:アメリカ大統領)

百人の父から息子へ「8つの知恵」ノート
ジョー キタ
三笠書房
2001-10-01


  • 笑顔でない人も見たら、自分の笑顔を分けてあげること
  • 敵を粉砕する唯一確かな方法は、相手と友達になること
  • 賢い者は自分に言った言葉をひとつ残らずよく考える。愚か者は自分の考えたことをひとつ残らず喋ってしまう。
  • ほしいものを手に入れることができるかどうかは、富にかかっている。しかし、ほしいものが手に入らなくてもやっていけるかどうかは、人間としての力にかかっている。
  • 偉大な人間になるための第一歩は正直になることだ。
  • 何も言わないでいることが、いちばん多くを語ることはたびたびある。
  • この世でいちばんの真実とは、単純明快であること。偉大な人間もまた然り。
  • 真の人間らしさを見極める最後の関門とは、およそ自分にとって何の助けにもならない相手を尊重できるかどうかだ。
  • 他人を上手に管理しコントロールしようと思うなら、まず自己管理と自己コントロールができるようになること。
  • 使わずに錆びつかせるより、使って擦り減らすほうがいい。
  • 若い人には何について考えるべきかを教えるのではなく、どのように考えるべきかを教えること。
  • 優れたものに出会ったら、次に必要なのはそれを理解する心。
  • 人々のあとをついていくばかりでは、どこにも辿りつかない。
  • 説教は口で言うより実際の生き方で示せ。
  • 貴重な意見ほど、本人は、なかなか口に出さないものだ。
  • どんな運命が待ち受けていようと、与えられた人生で何かをなせ。
  • 人々が、自分よりたくさんのものを持っている人から、奪おうとするだけでなく、自分よりもたくさんのものごとを知っている人の言うことに耳を傾けるようにしていれば、今ごろ、この世はどんなに変わっていることだろう。
  • 人の考えを止めることはできないが、人を考えさせることはできる。
  • 私がこれまで学んだことは、すべてある一つの単純な教えにいきつく。「未来に期待しすぎるな。ただ向き合え」ということだ。これから起きることに過度に期待するのは愚かだ。なぜなら自然を出しぬくほど頭のいい人間などいないのだから。つまりここで言いたいのは、忍耐の大切さ、自分自身を信じることの大切さだ。じっと待つという勇気を持つことだ。そうすれば、自分にふさわしいものが手に入る。(ロッド・スタイガー:俳優)
  • これからは「失敗」という言葉を口にせず、かわりに「いい経験」と言うこと。ちゃんとした目的を持って生きているのにものごとが思うように行かなくなったとき、それは「失敗」ではなく「いい経験」だ。これまでもそうやって学んできたからこそ、よきにつけ悪しきにつけ今の自分がいるのである。(ヴィンス・スペラッザ:専門技師)
  • 人と違うことをするのを恐れるな。…何にもしばられることなく心を開くこと。自分の心のなかにあるものを表現する、自分だけのやり方を探し続けること。(トム・ハガード:芸術家)
  • 未来のいちばんいいところは、一度に一日ずつしか来ないところだ。
  • おかしなことに、学ぶ必要のなる人ほど何でも知っていると思っている。ほんとうに重要な人物は、偉そうにしている暇などない。
  • 人はそれぞれ違う意味で無知である。(ウィル・ロジャーズ:アメリカの俳優)
  • 世の中の偉大なものは、今、自分がいる場所ではなく目指すべき方向にある。
  • ゴルフと人生における真の試練とは、ラフに入らないようにすることではなく、ラフに入ってしまったあと、どうやって抜け出すかだ。



  • 実は、誰もが最初は同じスタート地点に立っているのに、長い間には人によって差が生じるのは、このためなのだ。毎日、コツコツとためていく時間は、本当にわずかなものであっても、長い間にはそれが膨大な量となっていく。ちょうど、水滴が長い間にはいつか硬い岩をうがつように、人生の成功というものも、毎日わずかな時間を節約し、有効に使ったということが集積した結果にすぎない。
  • 逆境であればあるほど、環境に打ちのめされることなく、投げ出さないで、コツコツと努力したことが、いつか大きく実を結んだのである。
  • 天才たちの努力がわれわれの目に見えないのは、成功者たちが、人には自分が努力している姿を見せようとしないからである。彼らは「陰ながらの努力」をしているために、われわれにはそれが見えないのである。
  • 確かに、毎日早朝に起きなければならないというのは、つらいことだと思いがちだが、別の角度から見れば、遠距離通勤者は、いわばマイホームと引き換えに、素晴らしい早起き生活を手に入れた人たちだとも言える。都内に住む人に比べると30分から1時間は早起きしなくてはならない。つらい早起き、苦しい長距離通勤と考えると働く気力を失ってしまいそうだが、早起きのチャンスを与えられたと思えば、逆に早朝出勤も楽しくなるはずである。
  • たとえどんなに楽しいエキサイティングな夜を過したとしても、あなたは、きっと翌朝はストレスいっぱいの肉体を抱え込んでいることだろう。ましてや度を越したアルコールは二日酔いを誘う。「毒をもって毒を制す」という言葉があるように、ストレスは別のストレスで解消できるが、しかしそれは決して度が過ぎてはならないのだ。

いのちの言葉 〈増補版〉
日野原重明
春秋社
2013-09-29


  • 医学はいのちの量と長さだけを目標としてきたが、人間は本来、いのちの長さよりも深さ、量よりも質を望む。いのちの質(クオリティ・オブ・ライフ)とは、格調高いいのち、意義のあるいのちであり、生きがいが感じられるいのちを追求することである。
  • 自分とは、自分が考える自己(自意識)、他人から見られている自己心理学者から分析されるような意識下の自己、そして神から見られている自己を言う。
  • 人間の心の通っている医療には、ある種の美しさがある。患者と医師との間に、本当に共感できるものがあるかどうかが最も大切なことである。自然科学を基礎とする近代医学は、医の心を遮断し、患者、家族、医師、看護婦の間のコミュニケーションを失った。それを取り戻す技術、失われたものを回復するすべをアートと呼びたい(Art of practice of medicine)。
  • 希望なしには、人生は無常であり、あるいは暗闇であり、冷たいものともなる。希望というものは、私たちに生きる希望を与えてくれるものだということを忘れてはならない。わずかであっても希望があれば、患者は苦しみに堪えることができる、困難に堪えるもとができる、医師に協力することもできる。その希望を持とうとしているのが患者なのである。
  • 死にゆく人が絶望的な孤独に堪え、それから救われるのは、死を超えた魂にいのちがあり、肉体の死がそこにつながるという、一種の信仰があるから可能なのではないだろうか。
  • 看護は、単なるサイエンスや技術でなく、看護婦の心の具現である。空虚な「時」の経過を、処置やひんぱんな注射で埋めることよりも、患者に私たちの「時間」の注射をすること、そのために病室をしばしば訪れることが大切だと思う。「時」を人に与えたことは、心を与えることである。心のないギフトと死んだギフトである。「時」と「心」とを贈ろう。それは誰にも可能でありこれなしに自分は医療職の専門家だとは言い得ない。
  • 患者へのケアは、水が器に添うように、患者一人ひとりによって個別的である。器が違うと水の形が違うように、患者一人ひとりによって個別的であり、固有なものでなくてはならない。ひとりのいのちが病む姿、ひとりのいのちが奪われる姿は、前例のない特異な様相を示す。死は悲しいものだが、その悲しいなかに美を模索し、それを可能にさせる医学や看護を求めたい。に起きなければならないというのは、つらいこと!
  • 文化とは、その集団が、人間のいのちをどの程度高く評価しているか、そしていのちを支えるために何がなされているかということによってはかることができる。その意味で、健康の問題も平和の問題と同列である。思想や、芸術や、科学を創造し発展させる根源たるいのちを、健やかに保つことのできる高い水準の医療制度があってこそ、その社会に、その国家に、本当に文化があると言えよう。

いのちの言葉 〈増補版〉
日野原重明
春秋社
2013-09-29


  • 定年後は、自分の身を守ったり飾ったりする必要もなく、裸の自分になればよいのだから気楽である。周囲にとらわれず、自由人として生きればよい。単なる引退でなく、創造的引退(creative retirement)と表現される生きかたを目指そう。
  • 老いの日に淡々と生きようとするとき、物が豊かにあることはむしろ邪魔になる。人間はその物に影響され、踊らされ、占拠される。人間にとって本当に価値あるものは何か。自分のからだが、自分の持ち物か、あるいは自分の心だろうか。
  • 退職してからの老後をどう過すかは、めいめいに与えられた大きな課題である。老いた身の一番の不幸は孤独であるり、積極的に生きる方向性と目標がともに定かでないことである。この孤独は、老いた人間を悲しく沈没させてしまう。
  • 子どもは親が育てる。青年は教師が育てる。中年は社会(職場)が育てる。だが、老人は自らが育てる。
  • 人は上手な自らの使いかたで人間として老いに成熟することができる。最期に自分の生涯を顧みて、自らが生まれてこうなったことは意味があると考えられるように、今日を生きることである。
  • ギリシアのアポロン神殿の礎石に刻印されている言葉「子どものときに、よき節度を学び、青年時代には感情をコントロールすることを学び、中年には正義を学び、老年になってはよき助言者になることを学ぶ。そして悔いなく死ぬ」。老人になって、みずからを磨くだけにとどまらず、おせっかいでもなく、後輩への、また社会への「よき助言者」になれるように、学び続けたい。そして悔いなく死にたいと念願している。
  • 果実が自分のなかに種を包んでいるように、人間も自分のなかに死という種をもって生まれてくる。老いと死はすべての人間に共通のものである。
  • 誰のうえにも死は平等にやって来る。死を「花道」として人はみなこの地上から消えていくという事実を見つめたとき、その花道はどうあるべきかを考えざるを得ない。
  • 私たちは生まれたときから死に向かって歩んでいく。死を避けられないものと諦観し、終末に向かって成熟していくのが人の生涯である。死が近づくにつれ、雑念がとれ、来し方を内省し、謙虚な気持ちになってくる。最期には、家族や友人に、自分なりの言葉を残したい。死は自己実現の最後の機会と言えるのだ。しかし実際には、死に臨んで自分の言葉を残し、最後の自己実現をして逝ける人は少ない。
  • 最期のときは、誰かの手を握りながら死んでいきたい。たとえどんなに恵まれた人生でも、人は、最期には独りぼっちの小さな舟で、死という大海に漕ぎださなければならない。そのときに、誰かから愛され、赦されていると思えなければ、どこかに向かって漕ぐ手にも力が入らないであろう。
  • 患者の痛みは計量的に数字で表すことはできない。私たちは、なんでも計量的に数字で表すのが科学であり、一つのゴールであると考えてきた。しかし計量ができないもののほうが、計量できるものよりも大切であることが多いのである。私たちはそれを忘れていて、測ることができるもの、お金に換算できるものばかりに立ち入りすぎてしまっていることを反省すべきである。
  • 人間を評価するには、からだだけでなく、いのちが表かされなくてはならない。しかし、そのいのちの評価が、医学また科学のなかではまだ十分になされているとは言えないのである。日本の医学のテキストには、いのちの価値観が入り込む場がないからである。
  • 近代医学は、古き医学のかなえなかったいのちの延長に大きく寄与したが、耐えがたい苦しみをも生き延びたいのちに与えた。
  • 死を人生の中で最も不幸なもの、悲劇的なものとさせないためには、人間が最後まで感じられ、考えられるような状態に、医師が手を打つ必要がある。人間は最後まで考える葦でありたい。
  • プラトンに、からだは魂の仮家であるという意味の言葉がある。人間の本体が魂であるとすれば、その仮の宿の苦しみのために、人間の魂を魂でない場所に追いつめるようなことは、なんとしても避けねばならない。
  • 得られた知識は、社会に還元することによって、本当の知識であり得る。医師をはじめ、医療に従事する人たちは、自分の医学的知識を社会に還元するのが真の医療人である。その意味で医学は他の自然科学とは一線を画するものなのだ。別の言いかたをすると、人間のいのちに還元をすることによって、それが医学と呼ばれるのである。
<% for ( var i = 0; i < 7; i++ ) { %> <% } %>
<%= wdays[i] %>
<% for ( var i = 0; i < cal.length; i++ ) { %> <% for ( var j = 0; j < cal[i].length; j++) { %> <% } %> <% } %>
0) { %> id="calendar-476316-day-<%= cal[i][j]%>"<% } %>><%= cal[i][j] %>
最新コメント
<%==comments[n].author%>
<% } %>
アプリでフォローする
QRコード
QRコード

このページのトップヘ

'); label.html('\ ライブドアブログでは広告のパーソナライズや効果測定のためクッキー(cookie)を使用しています。
\ このバナーを閉じるか閲覧を継続することでクッキーの使用を承認いただいたものとさせていただきます。
\ また、お客様は当社パートナー企業における所定の手続きにより、クッキーの使用を管理することもできます。
\ 詳細はライブドア利用規約をご確認ください。\ '); banner.append(label); var closeButton = $('