増原良彦「歴史を読む知恵」
知恵というものは、学校で教わった知識を全部忘れてしまったとき、あとに残るものでありましょう。ところが、われわれ日本人は学校でわんさと知識を詰め込まれて、それを後生大事といつまでも持ちつづけています。膨大な知識を持ちつづけているのが日本では優等生なんです。そして、知恵は学校では教えてくれません。知恵というものは自分で身につけるよりほかないのですが、知識の詰め込みにきゅうきゅうとしている日本人ですから、知恵が身につかないのです。
物理的には、時間は過去-現在-未来へと流れて行く。だが、わたしたちの心理においては、時間はむしろ未来から流れてくる。われわれは明日の心配ばかりしている。そういう心配をしていると、明日のほうから現在の生き方を指示されてしまう。
うつ人もうたるる人ももろともに
ただひとときの夢のたわむれ 夢窓疎石
「人事を尽くして天命を待つ」といったことばがある。・・・しかし、わたしは、人事を尽くすと天命がわからなくなると思っている。人事を尽くせば尽くすほど人間に欲が出てくるからである。そうすると「まだまだ・・・」「もっともっと・・・」と考えるようになる。
人は、人を幸せにしてあげることはできない。幸せ作りのお手伝いはできるかもしれないけれど、それで幸せになるかどうかは、本人の気持ち次第だからです。(浜尾朱美「何かおもしろいことない?」)
僕を含めて、やはりゼロよりプラスの方が良いだろうと考えがちなのが現代社会だ。「よし、ゼロになってみよう」と“プラス志向”で“頑張っでしまったりする人などもいる。もちろん、プラス志向は決して悪いことじゃないと思う。けれど、そこまで自分にハッパをかけたり、律したりすることはないんじゃないかと最近思うようになった。(財津和夫「幸せになるための“幸せの準備”」)
私は人はすべて、自分の人生に起こることに責任を持っている、自分で良いことも悪いことも招き寄せている、と思うようになりました。でも、時々、うまくゆかないことがあると誰かのせいにして、自分が被害者だと思いこんでしまうこともあります。すると気分は落ち込み、ちっとも楽しくなくなり、自分ほど不幸な人間はないとまではゆかないけれど、事故憐憫に陥って、その状態から抜け出すのが難しくなります。不幸を一身に背負ったみたいな顔をして、何日もすごすはめになってしまうのです。でも、自分の責任なんだよね、こんなことになって、こんな気分になっているのは、と思えるようになると、泥沼を抜け出して幸せになれるのです。・・・私達は何かつらいことがあると、つい、自分の外にその原因を求め、責任は自分以外の人や状況にあると考えるくせがついています。・・・でもこれでは、自分の幸不幸は、他人や外側の状況に依存するしかないですよね。・・・そんな時に、自分にも責任があるかしらと思って冷静に自分を見てみると、きっと何か発見できるものです。(山川亜希子「幸せを招くには」)