「<魂>の考え方」
- ひとつは、自分が自分であるというこのこと、ある人がその人であるというそのこと、これら端的な事実としての事柄のそこに、それとは別の何がしか物的な実体を想定していることだ。しかし、自分が自分であり、ある人がその人であるというまさにそのことの他に、なぜもうひとつその意味での<魂>なるものが加わる必要があるだろう。たとえ、自分が自分であるのは、そのような何がしか物的実体的な<魂>がそこにあるからだとして、その<魂>が自分である理由は、やはりそれが自分であるからに他ならないではないか。あらかじめは誰でもないものとして想定された<魂>とは、それこそオバケみたいなものではなかろうか。
- 人が<魂>と聞いて、反射的に「在るか無いか」と問うてしまうことの大きな理由に、これがある。「在るか無いか」の問いには、明らかに「死後の存続」への問いが含意されているのだ。肉体の死後も存続するところの<魂>である。しかし、たとえそれが死後も存続するものとして、それが自分であることが自覚されるのでなければ、それが「在るか無いか」もないのではなかろうか。オバケにも、そのオバケであるところの彼があろう。
したがって、先に考えるべきなのは、ある人がその人であるということ、自分が自分であるということ、この同一性もしくは「自覚」の意味の方だろう。それならそれは、とくに死後まで待たずとも、今この場で考えられることではなかろうか、既に自分であるのだから。この、既に自分であるところのこの自分のことを、<魂>と私は呼んでみたいのだが。
- 誰もが自分のことを一律に<私>の語で呼ぶ、しかし呼ばれているところのその<私>は一律ではなく唯一なのだ、ここに無理がある。たとえば、あるものをそのままもたらしめているところのそれのことを、「イデア」と言うとする。「机」の語によって、誰もが一律に机を思うのは、それがイデアであるからだ。すると、<私>をして<私>たらしめているところのものは、「<私>のイデア」ということになるのか。しかし、<私>の語によって、誰もが一律に<私>を思うとして、そのとき思われている<私>とは、では、いったい、どの<私>ということになるのか。「普遍的な<私>」とは、いったい何を意味していることになるのか。
「意識」の普遍性は言えるが、<私>の普遍性は言えない。そこで、<魂>の語を使ってみたいと私は考えるのだ。「社会的な<私>」から峻別された「形而上的な<私>」として、そして敢えて、その先のないどん詰まりの意、「<私>のイデア」として、<魂>というこの言葉をだ。
- <私>の背後に何らかの霊魂的なものを想定しない「記憶なき転生」が、可能でなければならないと氏(渡辺恒夫)は言う。「偏在転生観」とは、<無意識的な妄念とかコンプレックスとか性格傾向といった水準での連続性さえもなしに、成り立つのでなければならないのである>と。「偏在転生観」とは、唯一者としての<私>が、同時にいたるところに転生するという氏の考え方だが、転生する主体が、もとよりそれら社会的心理的水準とは断絶しているところの「形而上的な<私>」である限り、それは当然そう「でなければならない」だろう。しかし、「黙って墓場に持ち去るつもりだった」この奇抜な転生観を、雄を奮って発表した著者・渡辺氏の、「いま・ここ」でのその行為、その行為自体は、それらもろもろとの連続性なしに成り立つものだろうか、説明できるものだろうか。
- 「形而上的な行為」とは、意味不明である。行為とは、それが行為であるというまさにそのことによって、常に形而下的な行為である。したがって、こう言ってしまえるなら、「転生」とは、それ自体、「唯一者」によって為される宇宙大の行為の謂ではなかろうか。そして、行為とは他でもない、「記憶」の謂ではなかろうか。
「いま・ここに居る」というこのことが、「<私>が唯一である」というまさにその意味なのだ。だから、「転生」を語ろうとするなら、<私>の唯一性は放棄せざるを得ないのではないか、両者は同時に語れないのではないか。もしも両者を同時に語れたとしたなら、それは「<私>の転生」ではなくて、何か別のことを語っているのだ。
おそらく、ことこの事柄に関しては、「真実を知る」ということと、「論理が成り立つ」ということとは別のことなのだ。もしも、真実を知ることの方を選ぶなら、それは「記憶」を証拠とする以外にはあり得ないのだろう。なぜなら、記憶のない転生の論理とは、それ自体、<私>によって考えられた論理だからである。しかし、問題は、その<私>とは何か、これのはずではなかったか。氏の論理に欠けているのは、たぶん、観察者としての<私>の視点、「<私>の転生」について考えているこれは誰か、この問いなのだ。
で、それは誰か。
- <魂の際限を、君は歩いて行って発見することはできないだろう。どんな道を進んで行ったとしてもだ。そんなに深いロゴスを、それはもっている>(ヘラクレイトス 断片85)