ミヒャエル・エンデ「遺産相続ゲームーー地獄の喜劇」
- 『遺産相続ゲーム』は、ーー私の考えではーー楽観的な芝居なのである。つまり、劇場で上演される想像上の「世界の破滅」は――ハエ一匹殺さないのだが――、どんなにつつましきともなんらかの方法で、現実の「世界の破滅」をくいとめる役に立つのではないか。そういう希望が、芝居の出発点だからである。明らかに私の考えは、素朴だった。だがそのさいいずれにしても、当時の私の先生であったブレヒトの素朴さをなんと、信頼していたのだ。彼いわく、「舞台の人物たちではなく、観客を賢くすることが大切である」。ただし、現実の「世界の破滅」よりも、舞台や芸術で見せつけられる「世界の破滅」のほうが、多くの人にとっては、気が滅入るらしい。そうとしか感じられないことが、ときおりあるのだ。じっさい私の作品は、以降、ますます攻撃的でなくなり、私自身は、ますます楽観的でなくなった。
- 私は生き、私は死ぬ 汝とともに、おお、人の子よ。 それゆえ、愚か者どもの財産相続は 冷たい風になびく煙。 私は花ひらき、枯れる。 汝が枯れ、花ひらくように。 それゆえ、愚か者どもの財産相続は 空虚で荒涼たる奈落。 おのおの、みすがらに起因せし もののみを、獲得するがよい。 それゆえ、愚か者どもの相続財産は 愚か者どもの破滅。 汝自身、汝に贈られる。 賢くあれ、人の子よ! 愚か者どもの相続財産は、風に たなびく煙のように、消えてゆく。 -ヨハネス・フィラデルフィアの宮殿の正面玄関うえに刻まれた銘
- ヨハネス・フィラデルフィアの遺言
これは私の最初にして最後の意志である。天にも地にもおまえたち自身をおいて他にはだれひとり、おまえたちに与えることのできないものを、おまえたちに与えたい
おまえたちはすでに受け取っているのだ、お互いの手を通して――でなければ、いまこうやって私の言葉を読むことはできないであろう――そしてまさにそのことこそが、本来の遺産なのである!
おまえたちの知ることとなったこの秘密を欠いたままでは、私の財産はおまえたちにとって呪いとなるにちがいない。なにしろこれは、大いなる財宝であり、強大な力であり、多くを支配する権力であり、内密にして公然たるものであるのだから!
私はおまえたちにおめでとうと言おう!黄金の鍵と黄金の錠、この両者は一体となっているが、それをおまえたちは自力で見いだしたのであるから・・・今度はおまえたちが、世間の人びとを客人として迎える番だ
- 作者ノートから
Ⅰ テーマ
人びとの連帯は、利害が共通していると気づいたときに生じる。この意見には、だれもがうなずくでしょう。意見が食いちがってくるのは、そのあとです。つまり、利害が多種多様で、おたがいに排除しあう場合、そのどれを優先し、どれを従属させるのか、が問題になったときに、意見が食いちがってくる。たとえばかりに、ある船に乗りあわせた人たちが、船とその積み荷がだれのものなのか、について言い争いをはじめたとします。そして口論のさいちゅうに、まさにその荷もろとも、それどころか自分たち自身をも沈めてしまったとします。その場合その人たちの態度は、すこしは正しいとしても、宿命的なほど愚かだとみなせるでしょう!それにもかかわらず、このような分別は、なんとも克服しがたい困難にぶつかっているようです。つまり、私たちが現代の世界の状況をながめたときには。こういう困難をこの芝居は(ひとつのモデルにおいて)描こうとします。