
松下幸之助の遺した言葉 (80)
- 五分まけてくれとか、六分まけてくれというように値切られたら、今までの延長線上で安くしようということを考える。だからなかなかできないのです。けれども、半値にせえとか三分の一にせえとかいうことになれば、普通ではできない。普通ではできない。普通でできないから、根本的に発想を異にせないかん。そうすると、できるかもわからへん。それが正直できたんです。「できる、必ずできる、やってみい」、それでできたわけですな。だから、できないということはないわけです。
- “これはできません、と断るのも一つの方法だ。しかし、それではあまりにも知恵のない話である。われわれは今このような要求を受けて驚いているけれども、先方は日本の自動車産業を世界に伍して発展させていくために懸命な努力を続けておられるのだ。われわれも同じ立場に立てば同じ要求をするだろう。この際「できない」という考え方はやめよう”。
そこで次のように指示を出しました。
「性能は絶対落としてはならない。デザインも先方の要求通り変えてはならない。しかし、それ以外については、二十を引いてもなお適正な利益が得られるよう、抜本的に設計から考え直して欲しい」それから約一年後、技術陣の心の革命と大いなる努力によって、要求通りの値下げをして、しかも適正な利益が得られるようになったのでした。
- 「人の話が聞けない子どもが増えています。そういう子は結局、自分のことをも表現できない子なのです。自分の頭で考え、自分の言葉で表現する。それがコミュニケーションの基本。そしてその力を養うには読書が最も近道なのです」
- 二十一世紀は、一人ひとりがもっと光り輝いている時代になっていくだろう。そのためには企業も、十万人の社員がいれば、十万人一人ひとりが自分の能力を十分に活かせ、自己実現のできる会社になっていかなくてはいけない。いろいろな適性を持つ社員が、会社の大きな方向に向かって各自の持ち味を発揮して取り組んでいる。松下グループはそうした理想をめざして、本来の「人間大事の経営」に一段と磨きをかけ、二十一世紀の世界の発展に直接的・間接的に役立つように努力していく必要があろう。
「わたしと小鳥とすずと」金子みすず
わたしは両手を広げても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずは私のように
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。