新著『物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて』(日経BP社)で偉大な物理学者たちの足跡をたどった京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授の山口栄一氏(イノベーション理論、物性物理学)が、現代の“賢人”たちと日本の科学やイノベーションの行く末を考える本企画。
前回に続き、ニュートリノ振動でノーベル物理学賞を受賞した東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章氏との対談の模様を伝える。話題は科学教育や国の研究予算など日本における科学を巡る環境に進んだ。(構成は片岡義博=フリー編集者)
理論と実験という車の両輪
山口 私は岐阜のカミオカンデには2回、行ったことがあります。また、カミオカンデと同じようにニュートリノの観測ができるイタリアのグラン・サッソ山の地下研究施設にも行ったことがあります。1日ずっといて、これは気が狂いそうになるなと思いました(笑)。そこにいる研究者は世俗の享楽から離れた修行僧のようにも思えたけれども、しかしみんな生き生きとしていました。それは自分を動かす内なるモティベーションがあるからなんでしょうね。
梶田 やっぱり皆さん、研究が好きで、自分の研究を通して新たな知見を広げたいという思いに突き動かされてやっていると思いますよ。
山口 素粒子理論の人たちはいわば天才肌の人が多いけれども、素粒子実験の人たちは、あの姿を見ると本当に努力型だと思います。でも実は努力型の人間が世の中を、あるいは常識を変えていくということをあそこで感じました。素粒子に関していうと、ある意味でもう理論は行き詰まっていて、実験が世の中を変えてきたという気がしてならないです。
梶田 理論と実験は車の両輪のようなもので、理論が常識を変えることもあるし、実験が常識を変えることもある。そういうふうに進んでいくものじゃないでしょうか。ただ、現在は理論があまりにも進みすぎてしまって、もう実験で確かめることができないようなところにいってしまったので、なかなか難しい感じはしますね。
山口 梶田さん自身は、大学院のときから理論物理よりも実験物理の方を選ばれていますね。
梶田 それはとても理論をやれるとは思えなかった(笑)。大学生のとき、能力もなければ、するべき勉強もあまりしていない。さらには自分が1日中、ずっと論文を読んでいる姿がとても想像できない(笑)。