日本では、スポーツのスター選手をもてはやす風潮が強いが、本当は、「もてはやさせられている」といったところだろう。
私は、日本の今のアマチュアのスター選手には全く魅力を感じない。
日本のオリンピックの金メダリストが、中学生や高校生の時の凄まじい練習をテレビ等で語ることがあるが、彼らは単に「やらされていた」のである。
モチベーションの管理までされてね。
つまり、自分の意志がないのである。
魅力は、自分の意志を使うことで輝いてくるものだ。
受験やスポーツで、いかに良い成果を上げても、それがさせられたものであれば、その達成者は輝いていない。

昔は、不良は魅力があると言われていた。その通りだ。
昔の不良は反逆者だったが、本当の反逆には強い意思が必要だからだ。
自分の強い意思で反逆する者が魅力的でないはずがない。
しかし、不良グループの中の、「反逆するフリをさせられている者」ほどダサい者はないだろう。自分の意志なんてどこにもないからだ。
そして、今の日本のアマチュアスポーツのスターは、そんな「ダサい不良」と似たところがあるのだ。
アマチュア時代に人気があり過ぎたり、実績があり過ぎて、さらに、その功績で高い地位まで与えられて、歳を取っても反逆出来ない者がいるが、そんな者達を見ていると、私なら目を背けたくなる。

そして、本当の反逆者というのは、別に反逆が目的なのではなく、自分の意志を使うためには、いやおうなく反逆するしかなかったのである。
言い換えれば、自分の意志を使うために、反逆者になることを厭わなかったのである。
そして、自分の意志を使うには、世間や権威に反逆しなければならない場合が多いのである。
岡本太郎が、「嫌われてもいい。いや、嫌われないといけない」「認められなくてもいい。いや、認められてたまるか」と言ったのは、まさに、自分の意思を貫く決意を述べているのだ。
そもそも意思とは、自分の決意を貫くことなのである。

誰にやれと言われた訳ではなく、むしろ、「そんなことをやるな」と言われながら、自分の意志でやれば、命はふくらみ、魂は輝く。
自分の弱い心は、世間や権威、あるいは、本能や欲望に従いたがるが、そんな弱い心を一喝し、魂の命じることをする。
そうであれば、本物の力を得るだろう。
別に大したことでなくて良い。
やれと言われたことでなく、自分の意志でやることなら(たまたま「やれ」と言われたこととかぶることもあるが)何でも良い。
スクワットでも腕立て伏せでも、バガヴァッド・ギーターを読むことでも、念仏を唱えることでも。
それを、出来るだけ多く、そして、1年365日、よほどのことがない限り続けるなら、意思の力が鍛えられ、相当な力を得ているし、やっていることによっては超人や大師に近付いているのである。









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